【『卒業政策』vol.5 】「マジック」と呼ばれる、自律性と自主性

奇跡的なことが起きて、それが良い方向に向かうとき、人はその現象を「マジック」といいます。しかし、そうした現象は本当に魔法として起きている訳ではなく、なにかの事柄が起きているからこそ発生するわけで、偶然のようですが、しかし偶然の積み重ねから必然的に「マジック」が発生することは多いと思います。「マジック」を「マジック」のままにさせておくことはストーリーとしては美しい。しかし、その「マジック」が良いものであればあるほど、それがいつでも起きるように、その要素が何なのかを解きほぐすこともまた、必要だと思います。この「マジック」を解き明かすことは、組織というものがどのような場合に成果をあげるのか、ということを理解する上で重要なことだと考えています。

何の話かといいますと、私が所属をしていた吹奏楽サークル「Dolce」でしばしば起きる現象です。私自身は吹奏楽を10年以上続けており、中学生の頃からチューバという楽器を演奏してきました。大学でも吹奏楽を続けた訳ですが、愛着のあるサークルと暖かく迎え入れてくれる仲間たちがいるということから、大学院生になっても顔を出し、しまいには2012年11月の定期演奏会では、修士論文を控えていながら出演と司会を務めてしまいました。学生だけでマネジメントまで行う団体にも関わらず、自己資金のみで大型のコンサートホールを借り切って演奏会をするほど。演奏レベルも決して低い訳ではありません。東京ディズニーリゾートが行う「Disney Music Festival Program」というアマチュア演奏団体の招待プログラムに、2009年から4年連続で出演を果たしています。

実は、そうした演奏成果が発揮されるのは、決まって本番直前です。それはまさしく、慶應SFCの割に多くの学生が、締切前に焦りだしてレポートを仕上げるような成長曲線に似ています。本番が近づくにつれ、それまでの練習とは比べ物にならないくらいの曲の仕上がりや和音の響きがすることが多く、練習開始期や中盤に頭を抱えたり堪忍袋の緒を切ってしまう指揮者たちを、最後には涙の大雨にさらすということがここ数年ながらく続いていました。

そうした、本番直前期に格段にレベルが上がる現象を、サークル内では「Dolceマジック」と呼んでいます。この現象は、決してマジックではなく、なにかしらの事柄が積み重なって起きた、必然のものであると捉えるべきだと考えています。そしてもちろんこの現象が起きるための要素はいくつかあると思いますが、その中核に位置していると考えられるのが「自律性と自主性」です。

指揮者や幹部の心配は、ひとえに練習に人が集まるかどうかです。特に、開始期や中盤期にはなかなか人が集まらない。しかし、本番が近づくにつれ、それに焦りを感じて練習に参加するというメンバーは増えていきます。そうした類いの自覚が現れることによって練習の物理的回数が増えて質が向上するということが一番大きな原因なのでしょうが、それは心理的にはネガティブファクターです。「マジック」という、ポジティブな捉え方のなかで質が向上していくのは、焦燥感ではない、別の要因によって生じる「自律性と自主性」によって、メンバーのテンションがあがっていくからだと考えています。

たとえば、その機能の一つに、「班」という制度があります。「Dolce」というサークルでは、幹部役員、指揮者のほかに、団体運営に必要な庶務やイベントの窓口担当を2年生相当の学年が「係」として担当する体制をとっており、規約にそれが示されています。「班」は、この枠組みの外側で、有志によって運営されるもので、おもに演出、広報、映像、音響などの係があります。この「班」への参加は義務ではなく、自主的にやりたいことをやる勝手連でしかありません。だからこそ、自分たちのやりたいことをとことん追求し、自主的に行動をとることでその質を高めているのです。私自身も音響班として、前述のディズニーのプログラムに応募するための映像撮影時には、多地点録音を行いました。また、広報班の制作するパンフレットは、毎年デザインに凝っています。演出班に寄る演奏会演出では、毎年のように小道具大道具の制作を行っています。

彼らは、好きでやっているだけです。自律的に(つまり自分たちのコントロール下で)、自主的に、好きなことをやっているだけ。ですが、クオリティを追求することによって出てくる高いレベルの制作物を他のメンバーが見ることによって、彼らのテンションが全体的にあがっていくということがあると思います。そうした、個々の自律的かつ自主的な貢献によって、組織全体の質が向上する現象が「マジック」なのだと思います。

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