友を持つ喜び 〜Sくんの来日〜

 オーストラリアの自慢話は今でも絶えない。記憶は今でも鮮明に残っている。それに、あの仲間たちへの感謝は忘れていないし、今でも深い付き合いをさせてもらっている。本当に、俺は彼らを親友と呼べる。少なくとも俺はそう思わせてもらっている。

 昨年末からホストスチューデント・Sくんが来日、横浜にある仲間の家に逆ホームステイをしていた。自分で金を貯めて自力で日本に遊びに来たと言う、脱帽。

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豪州デイズ入力完了

 豪州デイズをご覧のみなさん、ついに入力が終了しました。長いことお待たせしてすいませんでした。
 気づけばもうあの旅から一か月経つんですね、ずいぶんと早いうちから日本の生活に慣れてしまって、今ではもうあの旅は夢。そんな感じがします。自分自身あの日記を入力することには嫌気がさしていましたが、入力しているうちにあの日々がよみがえってきました。実際、読み返せば今でも鮮明に記憶がよみがえってくるはずです。
 知らないうちに英文エッセーコンテストHPに公式体験報告・体験リポートが載っていました。豪州デイズに登場する日本人メンバーが誰であるかはこちらで確認いただけます。ついでにenshinoの写真も。撫で肩具合が気持ち悪い自分。
 そんなことはさておき。
 この入力が終わったことは旅の終了を意味する訳ではありません。まぁ確かに旅の後始末であることは確かですが、前も述べた通り「記憶から去らないうちは旅は終わらない」のです。幸い、このシリーズを残すことでいつでも記憶を掘り返すことは可能です。
 このシリーズを立ち上げてよかった、うれしかったのは、あの旅のメンバーが読者としてこのシリーズを読んでくれたことです。「enshinoの文章好きだよ」と言ってくれたことは今でもうれしく思っています。部活動の先輩にも「オーストラリアの日記、密かに楽しみにしてる」と言われたのもうれしかったな。そして今、全て書き終えた達成感がじわじわ出てきています。
 このシリーズは今日で終わりです。でも、ぜひ何度か読み返してほしい、特にメンバーには。もちろんブログ自体の更新はこれからも続けます。今後は勇気のほうを中心にやっていこうかと。みなさん、これからもぜひ読み続けて下さいね。

朝日ニッケ英文エッセーコンテスト・ホームページ(日本毛織株式会社HP内)

17:エピローグ

 帰国から二日経って、やっとこのエピローグを書く気になった。本当なら帰国したその日に書くつもりだったのだが、なんだか疲れちゃって、そのままナァナァになってしまった。二日経って、だいぶ以前の日本での生活スタイルを取り戻しつつある。自宅に戻ればすぐに日本でのわがまま生活に戻ることが出来た。部活にもすんなり入っていくことが出来た。それでもまだ、あの夢の世界に頭を持っていかれて、現実を直視できていない自分が居ることに気づく。
 とりあえず先にエピローグを載っけてしまおうと思った。いったんこの旅のことを総括すると同時に、僕があの旅で得たもの、帰ってからの思いを先にぶちまけてしまいたいと思ったからだ。A5のルーズリーフいっぱいに毎日したためた日記、あれだけ長い文章を打ち込むのは、筆者自身でもおっくうだ。いつ終わるか予想もつかない。
 あの旅では非常に多くのものを得た。まずは、違う国で生きることとは何か、異文化を受け入れることとは何か、ということ。オーストラリア文化は日本のものとだいぶかけ離れている。最初のうちは何とかなったのだが、ある時あまりのショックに取り乱してしまったことがあった。異文化を受け入れようとする広い心ってのがどれだけ大切なのかがよくわかった。
 次に挙げるならば、自分の英語力の低さを感じた。メンバーには帰国子女が居たりした。そんな人と、海外初挑戦の俺とを比べる事自体間違いかもしれないが、その人たちの英語力には圧倒されっぱなし。また、本場オーストラリア人の喋る英語は、いくらリスニングが得意な俺でも聞き取ることさえ難しく、スラングまじりのクラスメイトの話など、全く理解できずただうなずくのみだった。もっとブラッシュアップしないといけない。
 そして、日本の大切さも感じた。旅の間はずっと日本が恋しかった。しんどくて落ちてた時、ずっと聞いていたのは他ならぬ日本の曲。ゆずの「アゲイン2」ばかり聞いていた。外国文化ばかりに囲まれているときに、日本人・日本語・日本の映画・・・、そういうものに触れるだけで心が安心するようになった。自分にとって、生まれ育った母国がどれだけ大切なのかが身にしみた。
 最後に、仲間。ジェイミー・レイチェルという二人の愉快なバディー。正直どうつきあったらいいか、自分の中で勝手に思い悩んだときもあった。それでも最後の日には目をうるわせてくれた、その時のハグが印象にcってる。彼女らには本当に迷惑をかけたから、感謝の気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 一番大きな成果は、9人の優秀で素晴らしい友に出会えたことだ。もっと一緒に居たかった。いろんな話をしたかった。たった2週間の関係でも、ご存知の大阪の夜以来、あの9人とはクラスメイト並みの関係を築くことが出来た。未だに現実世界に戻れないのはあいつらとずっと一緒にいたいと願う心がそうしてるのだと思う。落ちてたときに一番誰に会いたかったか、それは他ならぬ9人の日本人メンバーだった。みんなの笑顔、みんなとの会話、それが俺のテンションをあげてくれた。本当にみんなには救われた。
 9人一人ずつに手紙を書いた。ブログに書くように・第三者に訴えるようにして書いた。ただみんなへの感謝の気持ちを伝えて、これから先の人生にエールを送りたかったからだ。その分だけ僕も手紙をもらった。それを見ると、いろんなエールが書かれているし今まで気づけなかった自分がそこには書かれている。手紙を読み返すたび、その人のことを思い出す。それだけ自分が旅の仲間の役に立てたと思うたび、自己満足にZることが出来る。
 最後の一人と別れたその後、ホームに出てついに涙が出た。ホストとの別れでもほかのメンバーとの別れでも、俺は涙を流せなかった。男でさえ、顔をぐしゃぐしゃにして泣いてたのに、と、常に悔やんでいたんだ。今でも、新大阪の新幹線ホームで涙を流していたあいつの顔が忘れられない。今、こう思う。エクスチェンジ・ホストのそれぞれが別れ際に流した涙、それがこの旅の全てじゃないかと。涙が流れるほどの絆を持った、それだけで十分な成果だと僕は思いたい。
 別れたからといってその縁が切れた訳ではないし、もしあの別れが本当の人生最後の別れであるならば、飛行機の中から既に泣いていたと思う。今、ほとんどの仲間とは連絡を取り合って、メールでくだらない話ばかりをしている。これから先、同窓会なんかを開く機会が必ずくるはずだし、近いうちに全員のもとを廻る壮大な貧乏旅行を計画している。大切な仲間との関係作りはまだ始まったばっかりだ。
 とは言うものの、中学校時代に世話になった友達とは、最近ほとんどメールを交わせていない。いつの日か、この旅で出会った仲間ともそんなことになるんじゃないかなんて不安になる。そのためにも僕はこのブログで旅の日記を記すことにした。そうしてこれからも僕はこのブログを書き続ける。仲間が毎日のようにこのブログを見てくれるのであれば、僕らはずっとつながっていける、そう考えたのだ。だから、せめて日本人メンバーのみんな、ぜひこのブログを見続けてほしい、たまにはコメントもちょうだいね。
 この旅はいつ終わりになるのだろうか。形としては、家に着いた時点で終わりにはなっている。ただ、精神的な面ではまだこれが終わっていない、むしろスタートにたったぐらいじゃないのかなと思える。全ての旅の記憶がなくなった時点でこの旅は本当の終わりを告げるのだと思う。だとしたら、この旅に終わりがあってはいけない。ずっとずっと、心の中に鮮明なまま刻み込んでおきたい。ずっとこの旅を続けていきたい。
 本当に2週間、参加してよかった。俺は本当に幸せだ。お世話になった全ての人に改めて叫びたいと思う。「ありがとうございました」

16:そして、全てからの別れ

 空港での待ち合わせの間、腹が減ったのでサブウェイサンドイッチを食べる。随行員の方も買っていた。その時点で搭乗が開始になった。
 また飛行機に乗る。今度は深夜フライト6時間。座席に座ってすぐ眠気がやってきた。何と、機内で夜食が出された。サブウェイを食ったおかげで食えやしなかった。その後、眠気のせいで物書きをしようとしたが出来ずに終わった。隣の二人はしきりに喋っていたが、そんなのも気にしないでずっと眠っていた。
 朝飯が出ても食は進まない。あんまり旨いもんじゃなかったから。そのうちに関空についてしまった。なんだかぱっとしないフライトだったことは確かだ。これがみんなと話せる数少ないチャンスだったのにも関わらず。
 検疫や税関を通り抜けると関係者の方々が迎えにきてくれた。両替をしたら、手数料を大量に取られた。悔しい。それから関西空港駅に行く。空港を出ると、うだるような熱風が俺たちを迎える。寒暖の差で風邪を引きそうだ。みんなではるかに乗って新大阪駅に向かう。関空の次の駅、天王寺でメンバーの一人・Merryが降りる予定だった。が、その必要がないとのことで、結局みんなで新大阪に向かうことに。そうして駅に着く。エスカレーターをあがってすぐ、別れのときがやってきた。
 随行員の4人と、Merryとはここで別れることになる。ホームまで迎えてほしかったのだが改札前でお別れ。男子メンバーKeiとも新大阪で別れることになるのだが、俺としてはホームで送ってほしかったので、入場券を彼におごる。改札を入って、いよいよ先ほどの5人と別れる。エスカレーターをあがるうち、Keiの顔が涙でぐしゃぐしゃになり始める。みんなとハグをし始める。「ありがとう」そんな言葉ばかり聞こえてくる。新幹線の停車時間には多少の余裕があったものの、乗客数が半端なく多く、メンバーの荷物も多かったので、乗車に手間がかかり、ドアの前にたってすぐ発射ベルが鳴り響く。最後に彼と握手をしてドアが閉まる。
 動き出した車両では座席をどうするか忙しくて悲しみに浸っている暇もなかった。とりあえず落ち着いてから、隣のRyoは弁当を食べ、俺は物書きを始める。名古屋で降りるHanaeの為に手紙を書きたかった。書き終わった頃に弁当を注文する。これが帰国後初めての日本食になった訳だ。食べ始めてすぐ、「いい日旅立ち」のチャイムが鳴る。名古屋駅に着く。また一人メンバーが去っていく。
 名古屋を出てからも手紙を書く。次の新横浜までは後1時間ほどしかない。あまりメンバーとは話さず、ただペンを走らせた。そうして熱海をすぎるうちに徐々に焦り始める俺。またチャイムが鳴る。もう一人の男子メンバーRyoと数少ない高3生Yukaと別れる。Ryoと別れのハグをすると、出口付近に居た人に「いいねぇ」と言われる。そうして駅に着いた新幹線。微妙な停車時間の長さが嫌なもんだ。いよいよ残りメンバーも5人のみになってしまった。品川のチャイムが鳴ったときにやっと手紙が書き終わる。これでみんなとのコミュニケーションもある程度のものになったと思う。
 ついに東京駅についてしまった。新幹線改札の前にはSayakaのお母さんとNatsumiのご両親がいらっしゃった。それ相応にご挨拶をした。
 ここでほとんどと別れる。SayakaとAsaeは新宿までは一緒だと言う。Natsumiは総武線で帰るらしい。ことにNatsumiは泣きじゃくっていた。レズマディーでかなり世話になった奴だから別れるのは寂しかった。そして彼女たちとついに別れる。まだそれでもKanamiとは一緒にいる。彼女は大宮付近まで電車が一緒だ。
 電車内で話にふける。この旅での仲間のことを思い出しながら。しかし、この電車の中で一気に精神的・肉体的疲労が出てくる。そうしてKanamiの最寄り駅に到着し、改札前まで行って見送りをする。なかなか離れることが出来ない。これから一人になるのが嫌だが、そうならなければいけない。長いことそこにたたずむ。そうして別れの挨拶をする。彼女が見えなくなるまでその場にたつ。
 ホームに出てついに涙が出た。もう悲しくて仕方ない。あの9人の仲間はこの旅で得た一番の宝物だ。そう思えるから、バラバラの場所に帰っていくあの仲間を最後まで見送るのがつらくて仕方ない。電車が来て30分ほど揺られる。いつもの通学路、久喜ー古河の間の車窓を見て余計に現実に戻ることを拒否するようになる。
 地元につく。祖母が駅まで出迎えにきてくれた。自宅に着き、ソファーに寝そべった。この瞬間、僕の旅は終わってしまったのだ。
 地元では花火があった。体はしんどいがとりあえず日本らしさを取り戻さなきゃならないと思って見に行った。空に浮かんだ色とりどりの光の華、その色はあの日々の想い出の色とそっくりだった。

15:さらばオーストラリア

 何やってんだ俺、朝4:30に目が覚めて以来ずっと二度寝が出来ない。そんなに興奮してたのだろうか。そう、今日は帰国日。とりあえず6:00まではなんとか耐えてその後パッキングに入る。
 6:30頃起きて、オーストラリア最後のベジマイトトーストを食らう。そのうちホストマザーとLiamとの最後のわかれとなる。二人とハグをした。「連絡取り合ってね」との言葉、もちろん実行してやる。お父さんが車に乗せて二人を送るのを外へ出て見送る。
今日はレイチェル母がメルキュールホテルまで送ってくれることになっているが、その車がくるまでの間が暇で仕方がない。FoxTelを見て暇をつぶす。
 そうして車が到着する。たった二日しか会っていないお父さんとも最後の別れとなる。Jaimee・Racheal・Racheal母・Jake(Racheal弟)が僕を送ってくれることになった。ほぼ毎日のようにレズマディーからシティ中心部まで通った道を通っていく。そうして車はメルキュールホテルまで来てしまう。
 Jaimee&Rachealがプレゼントを用意していてくれた。手紙もくれた。感動しないよ、に飛行機で見ることにする。俺も二人に用意した手紙を渡す。彼女たちはすぐに読んでしまった。集合時間になってもみんな集まらないのでしばらくカフェで一服する。Kanamiのホストマザーからベジマイトのマグカップをもらう。「うまいうまい」と言っていたのが功を奏したね。
 そのうちに、ついに別れのときとなる。とにかく写真を撮りまくり、二人と抱き合う。もうこれから先会うことは難しくなる。それでも俺はあくまでも明るく過ごすことにする。入り口から出てまでも見送り、カフェのところで待ち構えてからまた見送った。
 みんな泣いてる。すごく泣いてる。2人の男もぐしゃぐしゃになるほど泣いている。泣いていない自分があまりにもむなしく感じられた。それでも事務的にことをやらなければならないのがつらい。
 これからシティ中心部でのお土産タイム。とりあえず男で廻ることに。Ryoが足をけがしているからあまり多くを巡れないが、実際買うものはそんなになかったので問題ない。スーパーマーケットでTimTamというお菓子を16袋も買う。一袋12個入りなので、192個ということになる。カンガルージャーキーも買ったので、A$75になってしまった。$10均一ショップでバックを買ったのでそれらがすっぽり入ってしまった。豪州最後の食事はハングリージャックス。…寂しいな。
 さてついにパースを離れることになる。バスの車窓からトランスパースバスを待つ一匹のアヒルの姿を見つける。面白い光景だった。ついに空港についてしまう。持ち運ぶ荷物に色々問題があるようで、とりあえずそれを解決してチェックインする。
 数人のバディーが見送りにきてくれた。ただ逆に、出発ゲートに入りづらくなってしまう。感動の別れのシーンだった。ゆっくりする暇もなく飛行機に入る。今回もシンガポール航空。そしてついに離陸。滑走路に向かう車窓からシティが見えた。「ありがとうパース」なんてことばかり喋り、隣の席から「悲しくなるから止めてくれ」と言われる。
 飛行機内ではひたすら物書きにふける。数人のメンバーから手紙をもらっていて、せっかくだからみんなに手紙を書こうと思ったのだ。A5サイズ1ページ分を使って、ブログに書くように、第三者にその人を紹介するつもりで書いたのだ。
 そんなことをしつつ、となりの席の女子たちとおしゃべりをしつつ、いつの間にかまたシンガポール・チャンギ空港についてしまう。まず、カフェで解散式と称して、メンバー全員が自分の経験を語るミーティングを持った。以外と時間がかかってしまった。だが、それぞれがどんな生活を送っていたのかがよくわかった。
 それから30分ばかりの自由時間を持った。その間に日が明けた。

14.5:FareWellパーティー

 パーティーは特別な時間。皆でそろうセレモニーもこれがラスト(実際には全員以内から寂しい)。18年続いたコンテストの研修旅行ともFareWell、なので、レセプションチックになるのかと思い込み生徒でただ一人、ブレザーで登場。
 しかし。6:00になっても人はいない。会場にいたのはMerryと俺だけ。その後ちらほらと人が見え始める。Ryoがけがしてきやがった。本当に心配だわ。Kei来てから少しして、そのバディーフPeterとバルコニーで語り合う。旅の話、メンバーの話、将来の話。あまり話す機会がなかったからうれしかったな。
 政治家のトニーさんがやってきた。リンウッドの校長が引き合わせてくれた。名刺を渡したところで着席の合図が出る。
 色んな人から色んなステートメントが届いているらしく、それが読み上げられる。何を言っているのかは、理解しない。その後食事をとりにいく。Ryoのホストファザーを仲良く喋ってみる。
 座席はNatsumiのホストと一緒。ご両親(後に父親らしき人は、実は母親の彼氏だと分かる)は優しそうな方。ジョークもさえていた。Jaimee一家はどうも浮いていた。ほかはドレスアップしているのに対し、うちの家庭は皆デニム。
 うちの若いもんは皆おかわりをする。ほんとよく食べるよね。おかわりをしにいったらボーイさんと仲良くなった。こんな出会いもうれしい物だ。
 さて。日本人ガールズは皆おしゃれをしてきた。際立っていたのはAsae&Sayaka。なんと色違いのおそろ。凄くセクシーで正直ドキッとしてしまった。それに比べて男と来たら。あの二人はラフすぎだよ。ラフ。
 会はトニーさんフ長話へ。Natsumiのホストマザーの彼氏が俺に一言。「政治家になりたければ語りすぎるな」と。確かに。そのうち日本人メンバーの出番がやってくる。Asaeのスピーチの最中、一人一人想い出を一言言う。「Going to Australian school」が僕の担当、しかしフォローできない噛み方をしてしまった。やべっ、「レズマディー最高!」とジョークを飛ばすと、思ったよりもウケた。
 会はデザートを食べつつ日本毛織富田相談役、随行員団長、アドバイザー住野氏のスピーチに移る。そうそう、会の途中にフルート生演奏があったのだが、誰も聴いちゃいない。ブラバン部としては、やはり誠意を持って聴いてあげたいと思った。
 会はお開きとなり、最後にバディーと研修生で集合写真を撮った。明日でお別れなんて信じられないほどの皆の笑顔。ああ、明日の朝、泣きじゃくるもんなの顔なんて見たくない。

14:第二の母校からの卒業

 なぜだ?一度目に目が覚めたのが5時前。2度目は6時前、その後からぶつぶつ喋り始める。朝食はベジマイトトースト一枚。父さんの運転でレズマディーへ向かう。
 今日はレズマディー最後の日。にもかかわらず、1・2限は特に何もなく、居眠りまでする始末。2限の最後にクラス全体で写真を撮ってもらう、いい想い出だわ。
リーセスの時間に校長室へ。ジュース・フルーツ・クッキーをごちそうになり、マグカップ・ペン・バッジ、そしてユニフォームの進呈を受ける。日本人もそれぞれがプレゼントを用意していた。Natsumiは緑茶と手紙とおにャり。俺は学校に対して折り紙と折り紙本(日・英両言語対応)を手渡す。そしてユニフォームを着て6人で写真撮影。
3限からはずっとユニフォームで過ごす。これでやっとレズマディーの一員になれた気がした。4限では元広島のALT・Mr.Millerとお別れする。いい先生でした。
 昼食はソーセージ・ロール、食べながら、イタリアからの留学生と喋る。「チーズフォンドュは日本食だと思ってた」と爆弾発言が飛び出す。ほとんどの生徒とはこれでお別れ、ハグだのをして別れを惜しむ。
 5限・最後の授業が写真とは...6人で撮った写真のデータをもらう。バディー達と散歩に出かける。ベンチでしんみりと喋った。「俺、よくやってたかな」との問いに「うん」と答えてくれた、これがうれしかった。
 サイレンとともにレズマディーを後にする。帰り際、ニューズレターを受け取る。なんと、自分たちのことがニューズレターに載るようで、その原稿をいち早くくれたのだった。
 Jaimee父の運転で自宅へ戻る。今日はフェアウェルディナーなので、最後らしくブレザーでびしっと決めようと思い、早速着替える。Jaimee一家6lで参加、Racheal一家は本人がバスケがあるらしく欠席。寂しいね。
 車は一路、ビーチが素敵なフリーマントルへ向かう。が、ビーチには寄らずに川岸のヨットクラブへ向かう。会場はそこにある。予定より早く着きすぎた。未だリンウッドの校長しか来ていない。とりあえずクラブの周囲をうろついている間に定刻の6:00になった。

13:最後のレセプション

 いつもの二度寝をしたら時計が6:52を指していた。やべっ。急いで支度をした物の、起きていたのは母さんだけ。
 車で学校へ行く。1限のコンピューティングで簡易名刺をつくる。レーザープリンタ出力だからデザインの幅が利かない。2限はクッキング。ミートボール&トマトソース&マカロニだったが、味がない。3・4限とも英語のアクティビティ。4限には事は片付き終始おしゃべりにふける。昼にはミ[トパイを食う。誰だか知らない男女と仲良く喋るも何を言ってるかは半分も分かってない。
 今日もまたレセプションなり。レズマディーらしくなく、時間より前に到着する。州総督とのレセプションに臨むのだ。総督公邸の建物は古いイギリス式のような建築。入ってすぐのレセプションルームにはいかにも高価そうな絵画が五点ほど飾られていた。調子に乗ってスピーチ用の演台にのぼって写真を撮る。
 そのうちに、総督がいらっしゃってレセプションスタート。いつものようにスピーチ。研修生代表は遅刻のため後でスピーチすることに。さて、今日もVIPと会話をスタート。1:総督の奥さん;「10年英語やってるんです」と軽く自慢。2:総督の側近;意外と仲良くなっちゃって、政治家の野望を軽くアピール。3:総督;よしきた!と思ったとき、隣にもう一人の研修生の姿。ああ、そっちとばかり話さないで俺の話も聴いてくれ!とりあえず「政治家に必要な物は?」との問いに「話を聞くことだね」と総督。確かに。レセプション後は総督公邸見学ツアー。めちゃくちゃ綺麗な建築物だこと。
 さて、きょうでRacheal宅を」れる。帰ってすぐにパッキング、Racheal母の運転でJaimee宅へ。しばらくすると、Jaimee父登場。
 夕食はLiam&俺はFish&Chips、その他はステーキ。家族皆で食卓を囲んだのは、これが最初で最後だった。

12:豪邸デイズ02

 また朝6時頃目が覚めるも二度寝。朝食はハチミツトーストをいただく。「もうバスには乗れない」と、母さんに送ってもらう。SHRだけは出て、それからリンウッドS.H.Sに行く。今日はタンブルガム・ファームという観光牧場へ行く。9:40ごろにリンウッドに着く。
 バスに乗り込み、一番後ろの座席をぶんどる。Keiのバディー、PeterからStone Bridgeというテクノアーティストの曲を聴かせてもらう。なんでもダンスをやってる彼はいつもそのような曲を中心に踊っているらしく、家ではスピーカーがんがんで曲を聴いているようだ。俺も負けじとUnderWorldを聞かせる。
 バスはいつの間にやら目的地へ。まずは30分ほど牧場内をうろつく。動物への餌やり。羊、カンガルー、馬、水牛。一番強烈なのはエミュー。えさを差し出すと食い意地を張って手のひらをつついてくる。これが痛い。臆病な俺はすぐに手を引っ込めてしまった。
 その後アボリWニ文化のビデオ上映を見るも、あまりおもしろいとは言えず。その後の昼食はソーセージに本をパンで挟んだホットドッグらしき物。ソーセージは柔らかかった、さすがに旨い。サラダにはドレッシングをかけすぎた。スッペっ。
 1:00からは牧場ショー。まずは牧羊犬が羊の群れを誘導するショーを見る。まずはビリーティー(アルバニー二日目参照)の缶回しを見る。早くさますためらしい。Ryoのバディ、Steveが挑戦。お次は馬のむち打ち体験。Ryo・Ellyce(Asaeのバディー)が挑戦。そして羊の毛刈りショーへと移る。もこもこの羊が見る見るうちに丸裸。ある種の拷問に近く、羊の抵抗が激しかった。一匹分の刈りたての毛は$10らしい。その後の作業の手間で高い代物が出来るらしい。子羊のミルクあげを体験したのはNatsumi・Racheal。ラストの牛の乳搾りをしたのは、俺!Pick&Squeezeが俺の合い言葉に。
 最後にトラクターで牧場内を回る。生後2時間の子牛とご対面。ビリーティーを飲んでからファームを後にする。
 リンウッドでタクシー待ち一時間。その間にディジリドゥーに再挑戦。循環呼吸を要するらしく、実は意外と蝠マな楽器。しかし、音らしい音はすぐに出すことが出来た。ほかにも、なぜか逆立ちを始めたり、だるまさんが転んだ始めたり、童謡歌い始めたりと、なんとなく暇な時間が過ぎていった。
 例の豪邸ではRacheal特製のステーキ&チップス(フライドポテト)。旨かった、ごちそうさま。ホストブラザー(弟)のJakeとプレステ2で遊んだりして夜が更けた。

コラム6:スポーツ

 スポーツと言えば、西豪州ではクリケットとAFL!ことに冬場はAFLが盛ん。多くの試合をテレビで見た。
 AFLの基本の動きはキック・パス・バウンド・マーク(キャッチ)・タックル。どれも結構難しい。パスの方法が特殊、左手でボールを持ち、右手を拳にして押し出す。ボールの形が楕円形なので、バウンドさせるのが難しい。
 AFLは攻めのスポーツ。両サイドに高いポールが2本、その脇に1本ずつある。高いポールの間に入ると6点、低いのと高いのの間のときは1点。だから、バスケ並みの点数が入る。1ゲームで100点以上をあげるチームもある。だから相手のゴールを妨害するのではなく、自分のゴールを狙うことに重点が置かれるようだ。
 アメフトほどの勢いではないものの、タックルの時とか、もうエキサイティング!弟にフットボールを買ったから、後で教えてやらなきゃ。
 さて話は変わって。この旅では2回、スポーツ・クラブの練習を見た。基本的に学校に部活はない。やりたいやつだけがクラブに入る。練習は毎日ではない。週末が試合というパターンが多いらしい。平日の練習は放課後、余裕を持って行われる。
 Liamのサッカーの試合は、きちんと芝が整備されたグラウンドで行われる。3面とれるコート出行われたが、これでも小規模の公園のようだ。Liamのチームの監督は、プレイヤーの父親。親の協力の元スポーツが行われることが多いようである。その日は1試合だけで終了、はやっ。
 Rachealのバスケの練習、その日は紅白戦1試合で終了。たった1時間ほどで終了。練習場所はバスケ専用体育館、一度に4面とれ、デフォルトの設備のままで公式の試合が出来る。メンバーは、さすがに長くやっているだけあってお上手。俺より。
 スポーツの楽しみは万国共通でも事情は違ってくるようだね。