志をたてよう。そして一歩前進する話

もう5年前だが,この時期に松下政経塾主催の立志論文コンテスト決戦大会に出場した。それから4年後の去年の決戦大会に呼んでいただき,それ以降OB会の幹事役を引き受けている。といっても,そこまで幹事らしい幹事ではないし,OB会組織もそこまで立派なものではないけれども。

さて,今年は今年の出場者のみなさんをOB会MLに迎え入れるために,また松下政経塾を訪れ,決戦大会を傍聴してきた。

いやぁ,年々,皆言うことがしっかりしてきたなぁ,と思うわけだ。今年の最優秀賞の高校生は新聞記者が夢だそうで。他にも,高齢者の英知を集めた図書館をつくりたい,スマートシティの可能性を経済学を通じて追求したい,デジタルネイティブ育成を通じて貧困をなくしたい,川のコンサルタントになってエコな環境をつくりたい,国際的な機関に所属してフィールドに出て行きたい,そういった志を,みなしっかり訴えていた。

いやぁ,5年前の僕は政治家だっていっていたのに,今は,ねぇ。どうなんだか,と思う。でも,一つ思ったことがある。それは,何になるかではなく,何をするか,何を成し遂げるか,なのじゃないかと。それこそが志なのではないか,と。何になりたいか,どの職業に就きたいか,という「キャリア」はあくまでも手段に過ぎない訳である。その点で,自分が教育に対して大きな興味を抱いていることは当時高校2年生だった自分と変化していない。ただ,その手段が変わっただけである。一本筋を通した志はもちろん必要だと思う。でも一方で,何がしたいかってのは変わっていくとも思う。その矛盾を解きほぐす答えが,何となく思いついた。それが,なにになりたいかは手段でしかない,という解釈である。

そんなことより,松下政経塾談義を一つ。

僕の好きな言葉は何だろう。そう思うことがある。小学生の頃,「人生葉脈」と言っていた。どんな生き方だってあるじゃん,ということだった。しかし,歳を重ねるうちに,なんだか気恥ずかしくなってきたのだ。

昨年夏に松下政経塾を訪れて,あることを思い出した。それは5年前の,私が出場した論文コンテストの本番前。松下政経塾の講堂のトイレに入った。その時,男性用小便器のところに「一歩前進」と書いてあった。当然意味は,一歩前に出て,液体がはねないようにしろ,ということだが,緊張に喘いでいた自分にとって,勇気が出る一言だった。

それ以降,SFCに入学して以降はほぼ毎年松下政経塾を訪れているが,その「一歩前進」を見るたびに,なにか初心に返るのである。なにせトイレだ。もっとも心が安心する瞬間に見る「一歩前進」は,心にしみいってくる。

はぁ。卒業論文もヤバい感じになってきている。だけれども,一歩前進しないといけないよなぁ。頑張ろう。