2022.06.12 – 理想未来宣言:ミライフ・キャリア・デザインを終えて

2022年の3月から、株式会社ミライフの提供する、自分のキャリアと向き合うプログラム「ミライフ・キャリア・デザイン」(MCD)を受講していました。本日、その最終日を終えました。

Teach For Japanのフェロー期間中に抱いた新たな志にやぶれ、それをバネにして「えらんだミチをかたる」という生徒向けのキャリア教育プログラムを企画したくせに、とうの企画者がキャリア迷子に陥り、転職活動で迷走するという状況だった、年明けから年度末にかけての3ヶ月間。本当に自分がしたいことはなんなのかを見定めるため、藁をもすがる思いで飛び込んだ、仲間と共に自分自身について見つめた3ヶ月間。その最終日にあたり、自分の「理想未来」を宣言するプレゼンテーションを行いました。

5分間のプレゼンテーションを、完全に再現はしきれないものの、少し言葉を加えて、どんなプレゼンをしたかをご紹介します。先に言えるのは、開き直った結果、今までの自分の在り方の延長線上に、在りたいように在ればいい、ということに気づけた、ということです。


「ミライフ・キャリア・デザイン」とは

曖昧でモヤモヤした想いを
心理的安全性の高い仲間に話して、仲間にフィードバックをもらい
最後は自分で決めて、自分で進んでいく。
充実のプログラム、最高のメンター・仲間との出会いによって
人生が変わるきっかけを作る。

上記のタグラインと動画は、このページから拝借したものです。「100%個人起点エージェント」を標榜する、転職エージェントのミライフが企画・運営する、自身のキャリアについて考えるワークショップです。

ミライフの代表の佐藤さんや執行役員の松尾さんをはじめとするミライフのメンバーが持つ豊かな人のつながりをもとに、複数の参加者で構成されるチームにメンターがついたり、それぞれの参加者の志向性にマッチした「ロールモデル」を紹介していただいたり、なにより参加者間やミライフメンバーからのフィードバックを得たり、といったことを通じて、自分自身のこと:主には「働く」ことや「生きる」ことについて、考えや視点を、深めたり・広げたり、ということをしていきます。その根底には、ミライフのメンバーが培ってきたキャリアアドバイジングのノウハウとフィロソフィー、そしてデザイン思考に基づくワークショップ設計の思想があります。

もともと、代表の佐藤さんとは人事コミュニティを通じての友人同士であり、宮古島をご一緒した縁もありました。加えて、1年半前にミライフにジョインした妹島さんは、私の大学の後輩でもありました。そんなこともあり、転職活動においてご協力をいただいたのですが、それだけにとどまらず、MCDにも参加することを通じて、深く関わりを持つことになりました。

※このセクションに登場するミライフのメンバーは、このページから確認してください

詳しいプログラムはネタバレになるので避けますが、迷いのなか、前に進もうとする仲間に出会うことができ、その仲間たちとの関わりの中で、互いに認め合い・与え合い、ということをしてくることで、自分の理想未来を、素直に表現することができました。参加費がかかるプログラムではありますが、参加費以上の、一生にわたる価値を得られた、というのは、終えた今だからこそ胸を張って言えると思います。

では、次のセクションに、この3ヶ月の私の集大成とも言える、理想未来について語ったプレゼンを、スライド画像付きでご紹介します。


理想未来宣言

理想未来宣言のプレゼンを、だれよりも自分のために、したいと思います。

ミライフ・キャリア・デザインを受けた3ヶ月を通じて、私がたてた旗(=目標)は、この2つです。

  • 言語化・好奇心・出会いの力で、社会の困り感を解きほぐす
  • 「だれかにわかってほしい」よりも「あなたにわかってほしい」

この二つの旗について話す上では、自分がこの3ヶ月間、どんなことと向き合ってきたかをお伝えする必要があります。

3ヶ月前。藁をもすがる思いで、このMCDに申し込みをしました。その当時、それまで勤めていた教員の仕事に区切りをつけ、関東に戻ることは決めていたものの、転職活動ではなかなか結果が出ませんでした。結果的には、今の「障がい者雇用プログラム担当」というジョブに出会うことができましたが、自分が進む道はこれでいいのかというモヤは晴れず。また、ソーシャルアパートメントへの引っ越しにより、シェアメイトたちとの輪の中になかなか入る勇気が出せず、そこに不安を抱え。そして、大事にしたいと思っていた人たちを大事にできていなかったことに気づく、という出来事も起きました。この3ヶ月間は、その意味で、自分の気持ちが低空飛行だったような気がしています。

そんなとき、プログラムの3回目で、自分の理想未来のプロトタイプを描き、それを小グループで発表していった際、私のチームのメンターから、このようなことを指摘されます。

まとめる力と言語化の力があるのに、どこか武装している気がする。
「心の人」なのに「頭の人」に見られるのがもったいない。

その指摘が、ずっと自分の中にひっかかっていました。そして、プログラムを通じていろいろな人と話す中で気づいたのは、その「鎧」のようなもはすなわち、「嫌われることへの恐れ」によるものだった、ということでした。

誰からも嫌われたくない。それは、自分のことを大切にしてくれる、周囲にいる人々だけでは飽き足りない。誰からも嫌われたくないし、誰からも好かれたい。そういう欲求があるからこそ、特定の誰かへの貢献だけではなく、困っている人全てに貢献できる自分でありたいという志向がある、言い換えれば、誰一人ほっとくことができない、という思いを持つようになったことに気づきました。特に、自分が「生きづらい」と感じるからこそ、「生きづらい」と思う人のことをほっとけない、という感覚でした。

私はこれまで、他者への貢献や、社会課題解決に興味を持ってきました。それも結局は、誰からも嫌われない、ということの手段だったのだと思います。そして私自身は、この「承認欲求による他者貢献・社会課題解決」という不純な動機を、醜い感情だと思い続けてきました。

ロールモデルインタビューで出会った、中間支援組織の立場から、難病を抱える子どもとその家族を支援する活動をされている方のお話を聞き、彼女の活動の動機に「自分が感じたような生きづらさを味わう人を、いつか救える自分でありたい」という要素を垣間見た時、私はある気づきを得ました。たとえ、醜い承認欲求がベースであったとしても、そのくせ、活動が大きな賞賛を得られないとしても、結局自分は、社会課題の解決から逃れられないし、誰かの生きづらさを受け止めたいと思うことからは逃れられないんだ、と。ある種そこで、開き直ることができました。

だからこそ、仕事の面においては、社会の困り感を解きほぐす存在であり続けることを旗として立てました。それは「教育」や「福祉」などと領域を定めるわけではなく、しかし、自分の持つ強みである「言語化」「好奇心」「出会い」を、企画につなげられる自分でありたい、というものです。今は、「障がい者雇用プログラム担当」として、「『個人の中の多様性に対する寛容さ』が顧客への提供価値の向上につながる」という、障がい者雇用のビジネス価値の浸透を図ること、さらに具体的には、3年以内に、重度外出困難者向けの完全在宅型就業研修プログラム、および業務の創出を実現することを目標としています。先々、関わる領域が変わっても、お互いが慮りを分かち合える社会づくりに関わりたい。それができる存在でありたい。それが、旗の一つ目です。

自分の、「仕事」という面におけるキャリアについては、見通しを持つことができました。しかしながら、この3ヶ月間、私にはずっとひっかかかっていた問いがありました。それは、前職で3年間を共にした、学年主任からの一言でした。

本音を話せる人は居ますか?

これが、自分自身と向き合う、MCD中の大きなテーマになりました。

冒頭に述べた、低空飛行だった自分の気持ち。それを、周りに発することができずにいて、自分で勝手に寂しさを抱え込んでしまっていた。そのことを、MCDの仲間たちに、少しずつシェアしていきました。自分の「しんどさ」や、それを発するときの特性を伝えていくと、みんなそれを受け止めてくれました。自分の「本音」を受け止めてくれた仲間からは、「頼っていいし、頼られていい」という言葉をもらいました。そうして気づいたのは、障がい者雇用プログラムのトレーナー担当として、一緒に学んでいくメンバーからの信頼を得る上では、自分が相手を頼ることがキーになる、ということでした。

自分の気持ちを受け止めてくれる人がいるからこそ、変に遠慮したり躊躇したりしない。だから、不特定多数の誰かに「しんどい」を気づいてもらうような「だれかにわかってほしい」という発信から、「あなたにわかってほしい」と助けを求めるような自分でありたいと思いました。同時に、自分を受け止めてくれるような・癒してくれるような人との出会いを、自分に無理をしいずに求めていくこともしたいと思いました。相手にていねいに向き合うことで、あたたかい関係性を紡げる自分でありたい、というのが、もう一つの旗です。

この二つの旗を立ててみて思ったのは、結局どちらも、自分のミッションステートメントに収束する、ということでした。

この生きづらい世の中で、勇気と気づきが、まだ見ぬ明日を切り拓く

この言葉にある「勇気と気づき」は、自分が他者に対して分けることができているものであると同時に、自分自身がそれを欲しているということにも気づきました。結局は、これが自分の「えらんだミチ」だったのです。

あるメンバーが、私の理想未来に対して、「遠くへ行きたいなら、みんなで」というコンセプトワードを贈ってくれました。これは、遠藤という名前にひっかけたものだそうです。確かに私は、遠くにある理想に向かいたいと思っている。そのためには、みんなと共に進んでいく必要があると思います。このプレゼンを構成する背景には、MCDに関わった多くの人からもらった言葉たちがありました。自分の理想に向けて遠くへ進んでいく上で、MCDで得た仲間と共にありたい、と、今は心から思います。


プレゼンを終えて

このプレゼンスライドを制作したのは、先週の日曜日のことでした。夜に、チームメンバーとのリハーサルを控えており、原稿を書くよりも先に、スライドの構成を作って行ったため、5分で話すのは、そのリハーサルの際が初めてでした。結果的に、自分の中に違和感を残すような語りになってしまい、歯がゆい思いをしました。

なんか、良く見せようとしているのが滲み出ている。

それが、チームメンバーからのフィードバックでした。これほど、言葉尻では素直に自分の弱さをさらけ出していながら、なおも「より良く見せよう」とする見栄が働いてしまっていたことに、自分としてもショックだったのが正直なところです。

そこから1週間。正直言えば、悩みに悩み抜いた、というほどではなく、すでに用意した素材をベースに、どう順番を組み替え、どういう言葉を紡ぐか、ということを、空いた時間に考えてみる、くらいのチューニングをするにとどまってしまいました。初稿段階で長々としていたスライド状の文字を、いくつか削除することでスッキリさせる、ということは行いましたが、5分間を話しきってみる、ということは、結局当日の本番に至るまで、行いませんでした。

話す直前、プレゼン慣れしているはずの僕が、久々に緊張を覚えたのは、おそらく一つには「5分に収める」という時間を気にした部分があったからだと思います。しかし他方では、本当に自分が言いたいことを言い切れるか、という思いもあったのも事実です。そこに素直になるために私がとったのは、Zoomの画面共有時に表示される、他の参加者の画面を切り、そしてチャットを一切見ない、という行動でした。そして、「本当にこの言葉は自分が紡ぎ出したい言葉か」ということを、噛み締めるように置いてきました。

その結果、やっぱり「良く見せよう」とするマインドが働いてしまっていたことに気づきます。しかしながら、終わってみて、消化不良を感じることはありませんでした。いくつかは「あ、言っておけばよかった」と思った言葉たちもありましたが、そこへの後悔はありませんでした。

プレゼン後に、そのプレゼンターに向けて、他のメンバーがコメントを寄せる、ということをしていたのですが、ひとしきり話し終わってから続々と届くコメントを見て、とても暖かい気持ちになりました。自分の、自分に向けた言葉が、聞いている誰かの心を動かし、そして、自分を応援する気持ちを向けてくれることにつながった。端的にそれは、喜びでした。

結果的には、一周回って、前々から言ってきたことに戻った感覚があります。しかし、明らかに3ヶ月前と今とで違うのは、職業名で自分の在り様を規定しなくてもいいと思えていることや、具体的に何に携わるかよりも社会の困り感を解きほぐす存在であり続けることが重要だと思えていること、言い換えれば、「何者かになる」というところから、少し解き放たれたという点です。また、自分の強みが、言語化や他者への貢献というところにあることに気づくと同時に、他者に尽くすかどうかを抜きにして、こんな自分を受け止めてくれる人がいるんだということに気づけたことも、大きな発見でした。

MCDでは、「旗を立てる」という表現を使います。しかし、私の場合、旗を立てるというよりも、錨を下ろす感覚の方が、終わってみると近いような気もしています。きっとこの記事は、未来の自分が読んでいることと思いますが、その時の未来の自分は、また何か迷いの縁に立たされている気がします。迷いという揺らぎに流されそうになったとき、ここに認めた「理想未来」という錨を見返して、あのときの仲間に助けを求めて、結果的にまた、もとの場所に戻ってくる、というのでもいいかな、と今は思うのです。


最後に(追記として)

プログラムの修了に際し、チームメンターから卒業証書としてメッセージをもらいました。そこには、こんな言葉が書かれていました。

Now, you know where you are, and where to go.
All you have to figure out is how you get there.

これに対する私のアンサーは、いまのところはこんな感じです。

You know what, just keep on moving toward uncertain tomorrow.

はてさて、私の「まだ見ぬ明日」はどうなることやら。これを読んだ方には、ちょっとでもそれを気にしていただければいいな、と思っております。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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