Teach For Japan にまつわる5つの誤解について – 11期フェロー夏募集に寄せて

認定NPO法人Teach For JapanのCEOである中原健聡さんから久々にダイレクトメッセージが来て、何かと思ったら、TFJのフェローシッププログラムの11期派遣の夏採用がスタートしたことをSocial Mediaで拡散してほしい、という依頼だった。

https://teachforjapan.org/news/fellow-11th-summer-open/

そら確かにタイムラインでシェアをすればいいのだが、私はそれで気が済む人間じゃないし、諸手を挙げて「フェローシップはいいぞ」とだけコメントをすればいいとも思わない。団体に関わっている人間ではあるが、団体の中の人間ではない分、フラットにものを言えると思う。それでも、私はフェローシッププログラムを通じて教員になったことをよかったと思っているからこそ、あえて「5つの誤解」というテーマで記事を書き、リアルをお伝えしながら応募者の拡大に寄与したいと思う。

※記事のサムネイルは、以前組織の広報施策でTakezo氏に撮影いただいた私です。


誤解1:教員免許を持っていない人しか応募できない

認定NPO法人Teach For Japanは、米国のNPOであるTeach For Americaや、英国のNPOであるTeach Firstといった団体の実施するモデルと同じく、教育に熱い関心のある人を2年間、学校現場に送り込む、という活動を行っている。Teach For Japanは、国際ネットワークであるTeach For Allに加盟する、いち独立団体として、日本において事業を展開しており、公教育に諸課題の多い日本において、現在95名のフェローが、全国各地で教職に就いている。

Teach For Japanのフェローシッププログラムは、教育職員免許状を持つ者しか教育職員になれない、という教育職員免許法が存在する日本において、ほぼ唯一、教員免許を持たずに常勤職員として公立の学校で職員として勤務することができる座組みを有している。これは、教育職員免許法に定めのある、「臨時免許」という座組みを使うことでかなっている。

臨時免許とは、正規の免許を有する人を採用できない場合において、都道府県教育委員会が諸要件を満たした人に臨時で発行することができるものだ。たとえば私の場合、小中一貫校に勤務していたのだが、小中の授業交流で、小学校外国語活動を教えることがあった。しかし私が持っているのは中学校の免許だけなので、その状態では教えることができない。そこで、小学校の臨時免許を学校長が申請して発効し、同時に兼務発令を受けることで、小学校の授業を担当することができた。

臨時免許が多く活用されるのは、中学校の教員免許を持っている人が、臨時的任用の講師として小学校に赴任する場合だ。この場合、職位は「助教諭」という形で採用される。現に勤務校にも、小学校の担任教師だった人が、実は中学校体育の免許しか保有しておらず、小学校勤務は臨時免許を発効していた、ということがあった。TFJは、この法律上の特例措置をうまく使い、TFJが一定の研修を実施することを担保する代わりに、教員免許を保有していない人に対して臨時免許を発効して、助教諭として現場に赴任できるようにすることを自治体に交渉し、これによって教員免許を持たない人=教職課程を履修していない人が、教壇に立つことを実現しているわけだ。

だが、これは別に、教員免許を持っていない人しか応募できない、というわけではない。

現に私は、中学校一種外国語(英語)、高等学校一種外国語(英語)、のみならず、中学校一種社会、高等学校一種公民を保有している。その状態で、フェローシッププログラムを受けた。つまり、以前教員免許を取得して今も有効である、とか、失効しちゃったけれど今度の法改正でまた復活できる、とか、そういう方も応募して構わない。はたまた、教職課程に在籍している大学4年生で免許取得見込みの人も応募が可能だ。

ちなみに現在では、TFJが提供する赴任前/赴任中研修を受けることができるメンバーシップの制度として、すでに現職の教諭(都道府県採用試験に合格して採用された人)向けの「現職フェロー制度(2022年度は募集終了)」や、後述するTFJによるマッチングではなく自治体の本採用となった新卒教員向けの「認定フェロー制度」もあるので、本当に免許がない人だけのものではない、というのがわかると思う。

誤解2:給料はTeach For Japanから支払われる

これはよく勘違いされるのだが、結論から言うと、給与を支払うのは任命権者の自治体である。私の場合は福岡県教育委員会だった。政令指定都市に赴任したフェローはその政令市から、その他の市区町村に配置されたフェローの場合は(一部を除き)、その市区町村のある都道府県の教育委員会が支払う。おおかた、その場合の立場は、臨時的任用常勤教育職員(講師、または、助教諭)となる。

別言すると、Teach For Japanのフェローに採用されたとしても、立場は政令指定都市ないし都道府県教育委員会に採用された、教育職公務員となる。とうぜん、教育公務員はある特例を除いては兼業ができないため、とうぜん認定NPO法人Teach For Japanからいっさいの金銭は受領していない。なんなら、雇用契約的に見れば、TFJはフェローたちを採用すらしていない。

この点、TFJフェローたちは「Teach For Japan ●期フェロー」という肩書きをよく使うので勘違いをされやすいし、現に私はかつて、教育公務員でありながら、学期中に「うちの会社の取締役になりませんか?」というオファーをいただいたことがあった。残念ながら丁重にお断りしたが、その際に「TFJは特別だと思っていた」と言われた。特別でもなんでもない。ただの公務員である。

あえていえば、TFJは「マッチングフィーを求人側からもらわないスタイルの人材紹介業」である。フェローとして採用した人たちを、現場配置前の研修を通じて教員としてのある程度の基礎スキルを高めておきつつ、自治体とのマッチングを図る。ここがTFJのNPOとしての事業の肝である。しかし、人材紹介エージェントみたいなものだから、採用後のオンボーディングやら処遇やらはすべて採用した側である自治体マターとなる。

もちろん、フェローの期間は2年間ということになっているので、その間のフォローアップ研修も行われているわけだが、それははっきり言って、採用している自治体との雇用契約の範疇には含まれていない。ある意味、フェローたちに与えられるのは、金銭ではなく、研修の機会と、現場に入り込むという機会、そしてコミュニティのメンバーシップ、という、貨幣価値に換算できない無形資産である、と言える。

なので、「ぶっちゃけいくらもらえるんですか?」ということについては、各政令市や都道府県教育委員会の職員給与のテーブルを見れば予測がつく。夏と冬にはボーナスが支給される。条件次第では、扶養手当や家賃手当がもらえ、またいろいろ話題の「教職調整手当」もつく。自治体にもよるが、私が勤務した福岡県は、R01年度までは臨時的任用職員の任期は3月30日までとなっており、年度ごとに退職金が支給されていたが、R02年度からは任期が3月31日までになり、そのことによって次の年度も採用されると雇用期間が通算され、その結果、最後に退職する際に一気に退職金が支払われる仕組みになった。

えげつないので実態は直接は言えないものの、私の場合、諸手当込みの年収についていえば、31歳でTFJフェローになったR01年度においては、【31歳 平均年収】とWeb検索した時にヒットする全体の平均値額面と同等くらいの金額だった。奨学金を毎月3.3万円返済しているが、それでも満足したQOLで過ごせていたと思う。

誤解3:2年経ったら赴任地から出て行かねばならない

これも違う。そもそも雇用契約上はそんな契約にはなっていない。実は、私が勤務していた学校の学校長が、この勘違いをしていた。現に、多くのフェローが3年目をそのままの任地で過ごしていることが多い。かくいう私もそうだった。その場合、純粋に「フェロー」という肩書きが外れる、というか、フェローに対して提供される研修やフォローアップの機会がなくなるだけである。

付け加えて言うなら、2年経ったあとも教員であり続ける必要もない。フェロー期間の2年ですっきりと任期を終え、別の道に進む人もいる。その別の道は、違う自治体や学校法人での教育職員としての勤務もあるし、NPOや民間に転職する事例もある。いいかえればフェローシッププログラムが要求しているのは、「2年間はその場所で学校の先生をしてね」ということだけであって、その後は(語弊を恐れず言えば)TFJはいっさいなにも言ってこない。必要に応じた情報提供こそすれど、ケアはしない。自分のキャリアは自分で切り開いてください、だ。

そんなわけで私は、フェロー期間後となる3年目を、たんなる普通の臨時的任用常勤教育職員(講師)として過ごした。ちなみにだが、この臨時的任用の常勤講師の場合、福岡県の職員給与テーブルにおいては「教育職一級」に位置付けられていた。永年雇用となる教諭になると、これが「教育職二級」になり、テーブルのピッチもやや変わる。(同一労働同一賃金、というわけじゃないところがなんとも言えない)

講師や助教諭は、いわば契約社員であり、採用試験を突破した教諭は、いわば正社員である。となると、契約社員としての働き方にもメリットがあり、それは「身動きが取りやすい」と言うことに他ならない。1年間のおおかたのスケジュールが決まっている学校現場において、逆に言えば「終わり」が見えている分、キャリアのスワップを効かせやすいのは確かである。「講師で採用せず教諭で採用しろよ」という論調は多く目にするが、講師の働き方があっている、という人もいるのも事実だ。

そんなわけで私は、いろいろあって現在はキャリアチェンジをしたわけだが、「2年で必ず終わり」となっていたとしたら、逆にてんやわんやだったかもしれない。2年のフェロー期間の区切りで当地での教育職員の任を終えようと動いたものの、それがうまくいかなかったという事案に遭遇したこともあり、もう一年残るという決断ができたことは、正直ホッとした。それに、もう一年を当地で過ごしたからこそ取り組むことができた仕事もあった。それはとても大きい。

ただし注意が必要なのは、臨時免許の発行を受けた、いわゆる「ゼロ免フェロー」については、臨時免許の有効期限である3年を超えて教職であり続けることは、まずもって難しい。そのため、教員資格認定試験等を受験して、教員免許を保有する必要がある。逆に、ゼロ免である場合には、3年目以降は赴任校から出ていく必要がある、とも言える。

誤解4:フェローたちの実践はTFJの指示のもと行われる

フェローたちは、赴任前にも研修を受け、また赴任後もフォローアップを受ける。フェローとして採用されたメンバーは、フェローや元フェローが入ってるSlackに招待され、そこで研修やフォローアップのやりとりを受けたり、他のフェローとの交流ができる。TFJのフェローであることの一つの利点は、こうした仲間と出会い、相互に協力し合うことによる、集合知の活用をすることができる点である。

また、赴任前や赴任中の研修も、教職課程とは一味も二味も違うコンテンツを受講することができる。それはとりもなおさず、教育NPOとしての認知度が高い団体であるがゆえに得られる外部のリソースや資金によるところがおおきい、というのが私の見立てだ。おそらく一般の公立学校教員がリーチできるような研修講師とは異なる、日本や世界の第一線で活躍している方と繋がることができる。

だからといって、組織としてのTFJは、情報提供こそすれ、実践に対して指示は出さないし口出しもしない。一つには、「それはフェローご自身が取り組むことです」というスタンスであるからだが、もう一つには、そもそもそこまで手を回せるほどの職員対フェローの比率になっていない、というのがある。現在、95名ものフェローが各地で活躍中である。そんな人たちに一人ひとりに対して指示なんて出せないし、まして教育内容に指示を出すなんてことは、ちゃんちゃらおかしい。

なぜ、「フェローたちの実践はTFJの指示のもと行われる」という文言を誤解として掲載したかというと、私がしてきた実践を外部で話すと、その大半について「Teach For Japanとして実施した」という認識を持たれるからだ。言っておくが、私が現場で取り組んだ実践はだいたい、学校長が「これやろう〜」と言ったものを具現化したか、あるいは私がどうしてもやりたいといって取り組んだことであり、その実践において、組織としてのTFJにお世話になったことは、はっきりいって、無い。というと言い過ぎ感はあり、折に触れて組織の職員の方の個人的なツテなどはお借りしたものの、組織体制として何かの協力を私が仰いだことはないのだ。

いいかえれば、どんな実践をするかは、赴任した学校の裁量であり、また赴任した学校の同僚の方々との関係のなかで、フェロー本人の裁量で取り組んでいく、ということにほかならない。外部リソースのヘルプや情報提供こそすれ、TFJがフェローたちの取り組みのプロマネをすることは、少なくとも現体制においてはないと思っている。当然、Teach For Japanというネームは、教育界隈では一定バリューを持っているので、リソースを引き寄せやすい。しかし、それを生かすかどうかは、フェロー自身にかかっている。

誤解5:学校外を巻き込んだ学びの実践をせねばならない

たしかに過去のフェローたちの実践を見ていくと、団体内メディアで取り上げられる事例の多くには、学校外のリソースを巻き込んだ実践事例が含まれている。そうした事例を実践できるだけの力を持っていたフェローたちが、過去から現在にわたって多く存在した、という証拠である。それ自体は、社会にインパクトを与えているという点で誇るべきだろう。

だが、全員がそうした実践をせねばならないのか、というと、それは違う。奇を衒うものでなく、地道に、それまでの学校教育が積み重ねてきた営みを、いち構成員として連綿と繋いでいく。これも教育職員に求められる側面であり、それでいいと思っている。世は教員不足と言われる時代だ。まずは教育現場に飛び込む、という気概だけでも十分である。「なにかしなきゃ」なんて思う必要はいっさいなく、他のさまざまな背景を持って入職した先生方同様に、日々の教師としての仕事だけでも十分尊いと言える。

その点で言えば、私は本務である「中学校の英語の教科指導」という点では、あまり成果を出せなかった口である。その点が凹みの部分だったがゆえに、ある種の生存戦略として、情報教育や生徒会役員顧問、総合的な学習の時間に「活路を見出した」というのが実際のところであり、また学校長の期待とも合致していた。だからやりたいことをさせてもらえ、それが「これまでにないもの」だった、というだけである。そして、自己批判的に言えば、それらの取り組みは残念ながら、再現性を伴うものには昇華しきれていない。

最も大事なことは、このご時世において、「それでも、教師をしたいんです」という思いを熱くたぎらせた人材が、現場において、児童生徒たちと向き合う、ということなのだ。

TFJでは、「ビジョンを持て」と言われ続ける。現にフェローたちは、「持て」と言われたからではなく、自発的に「ビジョンを持つ」ということをしている。しかし時として、その理想は、目の前の現実に比して非常に高いものに思え、それを実現しえない日々に対して葛藤を生む。多くのフェローにその姿を見てきたし、私もその要素があった。「教室から世界を変える」というタグラインは、時としてフェローに重くのしかかる。「世界なんか変えられやしない」と。

しかし、フェローに求められることは、世界を変えることでも、この国を変えることでも、学校を変えることでも、同僚を変えることでも、児童生徒を変えることでもない、と私は思う。というか、学校現場で私がもっとも痛感したことは、「私は人を変えることはできない。人が変わることを信じて待つ、そのための仕掛けをつくるくらいしかできない」ということだった。むしろ、変わったのは自分自身が見通している「世界」だったと思う。

学校現場に飛び込むことで、自分自身の「世界」が変わる。そのなかでさまざまなもがきをへて仕事に取り組む。そうしたことを周囲に、そして世の中に発信することで、やがて周りが変わっていく、ということを信じていく。それがフェローの役割だとしたとき、キラキラした学びの実践を作ることなんてのは、本質的な目的ではないと言える。それぞれのフェローの経験してきた世界観を通して、教育現場に携わる。これだけで、十分な変化なのだ。


はてさて。こんな物書きが、果たして夏採用の施策にミートするのだろうか。それに、ぜったいに本体から怒られる気しかしない。しかしながら、7期フェローとして「間の時代」を過ごした私が感じたリアルが、誰かの役に立てばいいな、と思っている。

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