Facebookに
という投稿をしたら、いいねのみならず、割とコメントもいただけたので調子にのりまして、イベントの開催を企画しました。日時は、私の誕生日の直前でもある6/20または6/21です。
昨年の8月に実施した、Teach For Japanのオフィスを借りたイベントと、人事ごった煮の枠を間借りしたイベントをしてみて、私が喋るだけでなく、私をハブにして他の人と一緒に話すというのをやると、案外面白いなぁと思ったので、そのスタイルでイベントを実施します。なので、一緒に喋ってくれる人を募集します。
どうぞ、よろしくお願いします。
ところで、イベントについて考えていることは、この3つです。
それは、こんな気持ちからきています。
そもそもだが、あるときからFacebookでの誕生日祝いに「疲れた」と思うときがあり、自分の誕生日をFBプロフィールから非表示にしてからもう5年くらいになる。それでも「おめでとう」は言って欲しかったのか、2015年と16年は誕生日Postをしていたが、もうそれもしなくなって久しい。お祝いの言葉をもらうのが恐縮だと感じていたのだが、しかし何事もなく過ぎていくと、それもそれで寂しいと思う昨今になってきた。ちなみに、加藤ミリヤとまったくの同じ誕生年月日である。
ところで、昨年夏は帰省した時に、まだたかだか4ヶ月程度しか転職から経っていないにもかかわらず、実地でのイベントを打ったのだが、思ったより人が来てくれて、それはそれで嬉しかった。飲み会をたくさん開くよりもみんなに来てもらったほうが合理的だ、と。でも、自分一人が喋っても面白味がないだろうと思ったし、企画的にも何の魅力もないから人も来なかろうと思って、いっしょに登壇する人を立てて喋ったのだが、この形式が案外自分にとって学びが深かった。
自分自身はなんというか、「公共財・えんしの」みたいな感覚を持っている。ながらく、「社会に役立ちたい」という、耳障りはいいんだが、その実どこを向いているんだかよくわからんエゴイズムをずっと抱えてきて、よく言えば人とつながっていること、悪く言えばちやほやされたい願望を、「世の中に役立つ」という言葉とまぜこぜにしてきた自負は強い。それが自分の行動の源泉ながら、案外いろんな人をつないだり、人の縁でものごとを動かしてきた感覚はあり、自分はハブになり得るんじゃないかという妄想すら生まれているのも事実だ。
ならその、こじらせた自己認知を、こじらせたままフル活用して、自分が培った人の縁のなかにある、「それぞれの現在地」から僕自身が新たに学びを得て、それを「えんしのの誕生日を祝う」目的の有無に関わらず集まった人々とシェアし、そのついでに1mm程度でも寄せられるかもしれない賛辞と祝辞をお金に換算して、寄付したいところに寄付したら、なんかハッピーなんじゃないか、と思った。だれがというと、私が。
そんなわけで、準備が進んだらまたアップデートします。
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