再生会議の提言に「?」が灯ったのでつい。

 教育再生会議のまとめたいじめに対する提言、本当に効力あるのかなと疑いたくなる。
 というか、ちょっとズレているような気がしてならない。
 「いじめられている子どもを救う」ことから「いじめる子を指導する」ことで解決を図ろうとする姿勢は評価できるけれども、どうも提言内容を見ていると、事が起こってから動く「対処療法」のようにしか見えないのは気のせいだろうか。

 まぁ、少なくともここで述べた事が僕の答えになるはずも無く、もっと勉強が必要のようです。読んでみたければ続きをどうぞ。ただし長ったるいです。


 いじめをした子どもに対して他クラス指導などをするのはどうかと。ましてその子どもたちに社会奉仕を「させる」ってのもなんか違っている気がする。やらされてやるようじゃ、意味ないし。
 もっとも、「見て見ぬ振り」も含めて、いじめをしたら「加害者」って事にする事は逆にいじめを増やすのではないかと思う。そこまで完全に悪いってなってしまったらいじめを「隠す」と思う。さらにエスカレートするのではないかと思う。いじめられている子も、表面化していじめた相手が「指導」を受けて腹いせに仕返ししてくるのが怖くて言えなくなるだろうし、いじめている側も自分の行為が悪い事と分ったとたんにそれを隠そうとするかもしれい。
 殴ったり、蹴ったり、お金を強要したり、命を軽視する暴言罵声を浴びせたりする行為は、法律上で立派な犯罪になる。でも、それに満たないいじめってのもあるはず。つまりはシカトだったり陰口だったり。それらを肯定することは大間違いで否定すべきものだけれども、それらの行為を単に「駄目・悪」と決めつける「だけ」ではその先何も進まないんじゃないかなと思う。
 また、僕が疑問を持っているのは「見て見ぬ振り」について。人間はついマジョリティーに逃げる。その方が楽だから。そのマジョリティーがいじめる側の場合、いじめられっ子を救ってやるとかえっていじめにあってしまうケースを良く耳にする。結局いじめられる事が怖くて「見て見ぬ振り」をせざるを得ない状況が残っているのに、その子らも「加害者」にするのはおかしいのではないか、むしろその子らは「被害者」だったりもする。
 それに、自分の尺度では許容範囲の「いじり」であっても相手には「いじめ」となるケースが多い。そのときに「いじって」いる当人は悪や後ろめたさを全く感じないし自分の言葉が相手を傷つけるなんて思いもしない(僕の場合、そうやって今まで人を傷つけて来たんじゃないかと思うと、今度は自分が死にたくなる)。

 ここで僕はいじめを正当化しているわけではない。許されない事だって思ってる。でも、今回の提言は、それを実行したところで根本からの解決になりやしないし、僕は一時的な解決も見えないと思う。
 いじめ問題が大きくなってきたのは、学校現場で命が失われている現状がひどく見られて来たからであるが、なにも「いじめ」は学校現場だけじゃなく、社会全体で起こっていることじゃないだろうか。
 日本社会全体の問題としていじめを捉えたときに、解決のための強力な有効な手段の一つこそが、未来の社会を生きる子どもたちへの「教育」だって思う。それも、コミュニケーション力を育てる教育だと思う。相手の理解と受容、そして自己の主張がコミュニケーションだって思う(まさに昨今のゆとり教育にすっかり洗脳された考え方だが)。その力が乏しくなって来たのは気のせいだろうか。
 「夕方、日が暮れるまで友達と外で鬼ごっこ」が主流の時代の子ども方がよっぽどコミュニケーションがうまかったのでは? だって「通信ケーブルつないで友達のモンスターとバトル」という行為からは暖かみが見えにくい気がするなぁ。
 道徳教育、心の教育に大きな興味と可能性を見いだしている。でもそれらはいったいどこまで有効なのか分らないし、価値観の押し付けにもなりかねない(後者は、AO受験の際にある先生に突っ込まれた部分です)。さらに言えば、道徳教育は教える側のやる気や準備によって、授業の質や子どもへの影響に天と地ほどの差が生まれてしまう、つかみ所の無いものだ。「コミュニケーション力」を中心にしたメソッドを考え実行する方が、将来生きる上で役に立つし、近道になるはずだと思う。
 いじめられている立場に無い僕が、あーだこーだ言ったって何にもならない事は分っている。この記事だって単なる机上の空論に過ぎない。でも再生会議の提言だって現場にいる子どもたちにとっては空論でしかないんじゃないの? と思う。
 よっぽど、この間の「太田総理・・・秘書田中」の『いじめをなくそう のスローガンを禁止します』で導きだされた議論の方がしっかりしてる気がする。賛成側の意見におおいに賛同するし、反対側の意見、特に「理想を失った教育現場は駄目」ってのにも賛同できる。でもあの議論の中ではいじめに対する捉え方が教育再生会議とは異なっていた。再生会議がお役所仕事だとすれば、あの番組の方が現場に近い気がする(演出にだまされているだけかもしれないけれども)。

 とにかく、今の僕は相手と自分との関係をこう捉えたい。
 「こいつの、あーゆーとこ気に食わないし、こーゆーとこはムカツクなぁ。それでも、コイツ大好きだわ」
 マイナス面がプラス面を下回るほど相手を受容するってこと。少なくとも僕だけはそう思っていたい。

 いや、しかし相変わらず盲目的一般論ですかな。単なる鬱憤ばらしにしかなってないからさらに自己嫌悪・・・


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再生会議の提言に「?」が灯ったのでつい。” への1件のコメント

  1. 遅くなりました!今日まで期末だったので・・・トラバ、ありがとうございます。

    テレビとかで見たんですが、いじめは小学校が1番多いです。高校は少ないです。そして、高校だけを見ると、レベルが高い学校ほど、いじめは少ないです。結局は、「賢い人間はいじめをしない」って事がいえるかもしれませんね。しかし、原因は他にもあると思います。

    一般的に進学校の生徒は忙しいです。日々の勉強、部活・・・ストレスがたまる一方です。ここだけ見れば、進学校の生徒の方が、いじめをしやすいと思われます。しかし、実際は違います。これは「余裕」の問題ではないでしょうか?

    忙しい進学校の生徒は、いじめなんかしている余裕はありません。もっというなら、いちいち他人に関わっている余裕なんかありません。だから、いじめは起きないのだと思います。

    一方、小学生はどうでしょうか?余裕の塊です。だから、すぐに他人に目がいきがちです。

    だから、俺は小学生ももっと忙しくなるべきだと思います。いくら道徳教育をしたって人間の本質的な部分は変わりません。ならば、小学生から「余裕」を奪い他人に目を向けさせなくすればいいのです。試験をもっと増やすのも1つのアイディアです。そうやって、あらゆる方向から学生の現状を見つめるべきだと思います。

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