この生きづらい世の中で、
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名前たち
名前は遠藤忍(えんどうしのぶ)。英語表記するときはENDO Shinobuで、EndouとかEndohは本意ではない。亡くなった父親から昔聞いた名前の由来は、「鋭い刃であれば傷をつけることなく中まで見通せる。だから人の心の中をきちんと見通せる人になりなさい」ということだそうだ。
現職では基本的に名字で呼ばれるが、あだ名やハンドルネームである「えんしの」と呼ばれることが多いし、それが心地いい。ただし、ワークショップ(とりわけ子どもを相手にするもの)においては、「しのびー」を用いることが多い。どの呼ばれ方であっても自分自身であることに変わりはないが、それでも「えんしの」と「しのびー」とでは、若干モードが違う自分が存在するのも確かだ。
生まれと実家と生い立ち
1988年の6月22日に出生。詳しい時間は、以前母子手帳を見た記憶があるが、覚えていない。ちなみに加藤ミリヤが同年同日の誕生日。ギリギリかに座。辰年。
生まれたのは、東京都豊島区の豊島病院で、これは産みの母親の実家から近い病院だった。出生後すぐに実家の茨城県古河市に移ったので、本籍は茨城県古河市になる。ちなみに、この豊島病院は、産みの母親が私を生んで以降、大腸がん(と聞いている)との闘病をした病院でもあり、その母を見舞うために祖母と電車で東京に出かけることが多かったことから、乗り鉄の気質が備わったと思われる。産みの母は、平成3年10月4日にこの世を去ったが、父が再婚して5歳から育ての母を得る。
教育歴
- 就学前:古河市立古河第四保育所
- 父の工場がある工業団地に一番近い保育所だった。とくにぐずらずに通ったような記憶があったが、遊び方が今思い出せばちょっと変で、土を運ぶ一輪車を使って自分より年下の子を「乗客」に見立てて「はっぱタクシー」の運転手をしたり、中華料理屋のどんぶり書いてある模様を画用紙に描いてラーメン屋をやったり、と、なんとも不思議なごっこ遊びに興じていた。
- 小学校:古河市立古河第二小学校(1-2, 2-3, 3-1, 4-2, 5-1, 6-3)
- 人前に出ることが好きでたまらない性格だったが、体育は大の苦手でドッジボールではいつも隅っこで留まっていた。周囲が、サッカーや野球の少年団に入ったり、テレビゲームで遊んだりするなか、そういったことに取り組んでこなかったことは、長らく自分のコンプレックスだった。だけど友人づきあいが悪い「ぼっち」だったわけではなく、それこそ小学4年生の頃には、当時流行っていたポケットビスケッツが解散するのを阻止するための署名活動を友人たちと駅前でやろうとして止められたほどだった。
- 中学校:古河市立古河第三中学校(1-1, 2-1, 3-1)
- 高 校:埼玉県立不動岡高等学校外国語科(ずっと9組)
- 大 学:私立慶應義塾大学SFC 総合政策学部
- 大学院:私立慶應義塾大学SFC 大学院政策・メディア研究科修士課程(HC)
社会人歴
- 1社目:株式会社マクロミル(2013年新卒入社)
- 購買履歴データ「QPR™️」データ集計・分析担当
- 人事(採用担当→人材育成担当)