「生きづらい」ということばが、さまざまなところで聞こえてくる世の中になった。それまでの世の中では顕在化しにくかった、あるいは、表出させづらかったさまざまな「生きづらい」を、世に放っても受け止めてもらえるようになったのかもしれない。あるいはそもそも、世の中に発するための方法が多くの人の手に渡ってきた、とも言えるかもしれない。
しかし、依然として「生きづらい」というのは、大きなもの・深いものと捉えられるように思えていて、そしてその「生きづらさ」に対してさまざまなラベリングがされるようになってきたが故に、そのラベリングにハマらないものは、かえって「生きづらい」というには及ばないようにも思える。きわめて個人的な、うっすらと感じる「生きづらさ」を発することが、かえって申し訳ない、と思うほどに。
しかし、いかにそれが、うっすらと感じる「ゆるやかな生きづらさ」であったとしても、自分にそうした感覚があることには違いなく、その「ゆるやかな生きづらさ」を、どうにかやりくりしながら、それでもなんとか生きている。共感してほしい、というよりも、自分はただ、そうした「ゆるやかな生きづらさ」を、受け止められる存在でありたいと思うが故に、ただここに、吐き出しておきたい。
そんなシリーズ。2本目は「交流会での初対面が苦手」という、「ゆるやかな生きづらさ」について。 続きを読む