むしゃくしゃしてやった。反省はしていない。 (シークレット・ライター#04 – 作品12)

気がつくと、東京方面の京浜東北線に足を踏み入れていた。上野駅で降りて銀座線に乗り換えるには、先頭車両はとても都合がいい。森山直太朗の「さくら」が流れる、天井の低いホームで電車を待っていると、レトロ感のある黄色い車両が流れ込んでくる。ちなみに私は高校生の頃、森山直太朗の曲を弾き語りしていたことがあった。「太陽」と「今が人生」が好きだ。

浅草に行ったところでさしたる用事はない。浅草寺をお参りするでもなく、仲見世を楽しむでもなく。というか浅草寺も仲見世も、昼間に行きようもんなら身動きが取れないほど人の波に苛まれてしまう。そういえば大学生のころ、連携協定を結んでいたドイツの大学から短期フィールドワークに来ていた学生のアテンドで浅草寺にいったとき、寺の敷地の中にある神社(そもそも神仏習合ってすごいよな)のしめ縄を指さされて「あの白いギザギザした紙の形の意味はなんだ」と聞かれて、「知らん」と答えたことを急に思い出してしまった。

用事がないのに浅草に出向いているのは、ただただ、大黒家の天丼を食べに行くためだ。

大黒家は、伝法院通り沿いにある。仲見世を、雷門方面から進んでいくと、両サイドにあったはずの店が、ある交差点を境に右側にしかなくなる。その交差点で、仲見世通りとクロスしているのが、伝法院通りだ。浅草寺方面に向かっていくとき、その交差点を左に見ると、頭上にでかでかと「伝法院通り」と書いてあるのでわかるはずだ。仲見世を左に曲がり、スカイツリーを背にしながら、浅草ROXが見える方に伝法院通りを進んでいく。そうすると、コロッケを買ってその場で食べる人だかりに遭遇するはずだ。昼間は歩行者天国になっているから、ここが道だということを忘れるほど、人が溢れる。

そんな伝法院通りを進むと、左手に「大黒家」の看板と、二階建ての古い家屋が目に入ってくる。ちょうど丁字路の角にあるその店の向かいには、デフォルメ似顔絵の「カリカチュア・ジャパン」がある。正直にいえば、あそこでデフォルメ似顔絵を嬉々として描いてもらっているカップルの気がしれない。そんな似顔絵屋を横目に、決して大きくもない引き戸を開けて店に入ると、決して大きくもないテーブルと椅子が所狭しと並んだ、昔ながらの風情の空間に案内される。

ちなみに、私は大黒家に、ランチタイムを狙っていくことは、まずない。並ぶ。観光客で並ぶ。インバウンド観光客も多い。旅行雑誌やネットメディアで紹介されているんだろう、つまり、そういう店だ。そもそも昼に行きようもんなら、仲見世の混雑に巻き込まれる。そもそも私は仲見世を通らずに至る。

ただただ、あの、真っ黒い天丼を食べるためだけに、ここに来る。安くはない、海老天2本と、小エビと貝柱のかき揚げ、という構成の天丼で、2,200円する。そのくせ天丼なんて昔のファストフードみたいなもんだから、長居もできたもんじゃない。それでも、あの天丼を「むしゃくしゃ」したいのだ。

あの天丼を表すオノマトペは、やっぱり「むしゃくしゃ」だと思う。天ぷらのくせに、サクサクしていない。あれはむしろフリッターというべきだろう、衣がしっとりとしている。そして何より驚くのは、真っ黒い、ということだ。天ぷらといえば、黄金色の衣に、タレが線状にかかっているビジュアルを思い浮かべるだろう。しかし、大黒家のそれは、おそらくだがタレにどっぷり浸かっている。そしてそれ以前に、ごま油でしっかり揚げられていることもあって、だから色が濃い。だが、もっと驚くべきは、味がいうほど濃くない、ということだ。

「大黒家」とネットで調べると、変換を間違えて質屋が出てきてしまう。「浅草」とキーワードを追加してまた調べると、食べログのページが出てくるが、口コミで絶賛されているわけでもない。なのに、ここに足繁く通ってしまうのは、ここがどこか、自分にとって「東京」を感じられるからなのだろう。

私はある時代に3年間、東京ではない土地で暮らしたことがある。関東に帰省する際に東京を通ると、必ず大黒家で「むしゃくしゃしてやった」。自分の心の置き所は、実は東京にあるのかもしれない、と異なる土地に居ながらも感じていたのだろう。怒りに任せるような聞こえのする「むしゃくしゃ」を鳴らしつつも、どこか安心感を覚えていたのかもしれない。

食べるたびに毎回、インスタに写真をアップする。その度に「むしゃくしゃしてやった。反省はしていない。」とキャプションをつける。しかし、2021年11月29日は、少しその様子が違った。

「むしゃくしゃしてやった。ほんとうに、むしゃくしゃしている。」

 

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福岡に身を置いていたその当時、キャリアチェンジを図ろうと、2度目の国家公務員の中途採用試験を受けていた時期。人事院が実施した試験を突破し、各省庁の「官庁訪問」を受けていた。2020年は文部科学省一本勝負をして念願が叶わず、そして2021年には文科省と経済産業省、そしてデジタル庁の門を叩いた。文科省と経産省はオンライン面接だったが、デジタル庁がまさかの対面の面接。「デジタル」とはいかに。それで面接を受けたあと、経産省からもデジ庁からもお祈りの電話を受けたあと、自然と足は大黒家に向かっていた。なお文科省からはすでにお祈りされていた。「今年も、だめだった。」

罪悪感のある、真っ黒い天丼。海老好きの私にとっては贅沢の極みとも言える2本の海老天と小エビと貝柱のかき揚げをたらふく食べても、「反省はしていない」と言い切ってしまう。ここで、好きなものを食べることくらい、日ごろの「むしゃくしゃ」を思えば、許されたっていいはずだろう?

いつか、「むしゃくしゃ」したからではなく、純粋に自分の願いが叶ったことへのご褒美として、天丼を食べたいものだ。とてもどうでもいいが、大黒家の娘さんは夢を叶えて声優をしているらしく、このことをコミケに出展した日の帰りに大黒家に立ち寄ったときに知った。年末に大黒家で「大黒家」を調べていたら、店主の娘がコスプレで有明にいたらしい、という衝撃。好きな天丼を出す店の関係者が夢を叶えているのだとすれば、そのうち私だって、報われる日々がやってくると信じたいものだ。


この作品は、遠藤が住まうソーシャルアパートメント「ネイバーズ東十条」において開催した文章展示企画である「シークレット・ライター」の第4回に寄稿した作品です。

「シークレット・ライター」のつくりかた(ソーシャルアパートメントに暮らしています。2.52)

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