「シークレット・ライター」のつくりかた(ソーシャルアパートメントに暮らしています。2.52)

2023年12月に、こんな記事を書いた。

「大人の文化祭」のつくりかた(ソーシャルアパートメントに暮らしています。2.51)

現在住んでいるソーシャルアパートメントで、”Share Our Culture!” をコンセプトにしたイベント・Higashi-Jujo Neigbors’ Culture Day 2023を開催した。いわゆる「大人の文化祭」なのだが、そのなかで「シークレット・ライター」という企画を行った。これが思った以上に大きな反響を得たので、どうやって思いついて、どうやって取り組んだか、記録に残しておきたい。

もの書きたちの書き下ろしを読んでみたくて

「ねぇ、文化祭やりたいんだけど」

という一言から始まった文化祭企画。その全体の企画の進み方はこの記事に譲るとして、個々のコンテンツのアイディアを考えるなかで、展示企画をやろうという話にはなっていた。それこそ私が関わっている写真部の展示なんていいね、という話になった。それもあって、展示系企画は自分が担当することに決めた(ちなみに写真展は結局、他の写真部員に任せたが)。カメラ部の写真展はするとして、絵を描く人はあまり多くなさそうだし、造形物を作る人も多くなさそうだし。そうなったら何を展示しようか。そう考えた時、「文章を展示してみたい」と思い至るまでに長い時間はかからなかった。

ネイバーズ東十条には、もとい、Global Agentsが運営するソーシャルアパートメントには、住民用のWebアプリがあって、各物件の住人の自己紹介ページが存在する。趣味や仕事を思い思いに書いておいて、コミュニケーションのきっかけにすることができるのだが、その中に数名「ライター」を標榜する人々がいた。学生時代に就職活動について書いたnoteをきっかけに、スタートアップに転職をした若手。入居してから転職をしてライター業を始めた人。すでに書籍を出版している人もいて、生業として、はたまた趣味として、もの書きを嗜んでいる人々がいたことを知っていた。

そんな「もの書き」たちが、ネイバーズ東十条の暮らしをテーマにもの書きをしたら、どんな視点で、どんな言葉で、それぞれの暮らしぶりを切り取るんだろう。そんなことを思い至り、文章の展示をしてみたいと考えた。実際、何人かのnoteの記事は読んだことがあり、またそれでなくとも日々の暮らしのなかでの会話から人となりを感じることはできているものの、ネイバーズ東十条をテーマにした書き下ろしの文章となると、違った側面が見えてくるかもしれない。それが発想のきっかけだった。

「シークレット・ライター」という企画に至るまで

そうして立ち上がった「シークレット・ライター」だが、文化祭の来場者にはこんな説明文を提示した。

ライターを仕事にする住人や、もの書きが好きな住人の「書き下ろし」文章を、著者名を隠して展示します。A4で2枚の文章のテーマは「ネイバーズ東十条の暮らし」。展示した文章に載っているQRコードにアクセスして感想を送ると、誰がシークレット・ライターか、答え合わせができます。「この書き方、〇〇かなぁ?」と、住人を思い浮かべながら読んでください。

言い換えるとシークレット・ライターの企画のポイントは以下の点だ。

  • A4で2枚以内の書き下ろし作品
  • 著者名を隠し、同じフォーマットで展示
  • QRコードでフォームにアクセスして感想を送る
  • 感想が送り終わると著者名がわかる

匿名にしつつも、そのライターは「もの書き」をする住人のうちの誰かであることは確か。そうすると、読者=住人やその関係者は「これは誰が書いたんだろう」と想像しながら読むことができる。しかし最後まで匿名にすると、その想像は解決をみないし、なんなら想像を働かすことすら最初から行わないままになる。だったら、著者名を明かせる仕掛けをつくりたいし、ライターへのフィードバックがあるようにもしたい。なので、作品への感想をフォームで送った人のみが、その作品の著者名を知ることができるようにした。そうした、匿名で書かれた文章を通じたコミュニケーションを、読者とライター、あるいは読者どうしで起こしたい。これが、「シークレット・ライター」の企画に込めた想いだ。

「シークレット」にしたのには、もう一つの理由がある。それが、ライターとしての幅を広げる、という点だ。日常の会話や、それぞれのもの書きを発信する媒体の存在がゆえに、それぞれのライターたちの「スタイル」や「らしさ」はどうしても湧き上がってきてしまう。だからこそあえて「シークレット」にして、読者に想像の余地を残すことによって、読者たちを「騙す」ことが可能になる。言い換えれば、それぞれのライターが、自分らしさを手放して、新たなもの書きのスタイルに挑戦できるようにした。いや、そういうと大袈裟かもしれないが、事実私は、新しいスタイルのもの書きにチャレンジした。それが以下の作品だ。

無題(シークレット・ライター#01 – 作品06) – enshino Archive

さらに言えば、こうして「シークレット・ライター」のために書いた文章を、自分の文章媒体に掲載することができる。これも企画の目論みだった。書き下ろし作品をただこの企画のために書いて終わり、というのは勿体無い。仮にも、もの書きを生業にしたり、自分の仕事の広がりのために使っている人たちだ、そのスキルの産物を活かさないのはもったいない。だからこそ、参加したライターたちには、文化祭後に自分の持つ媒体に作品をどんどん掲載してほしい、と伝えた。

そうして、結果的には7人のライターが、合計で10の作品を執筆した。

どうやって「シークレット・ライター」を実現したか

想いは分かったが、実際にどのように実現したかが気になる方もいるだろう。余談を挟むが、実際にこの展示を見た高校教員の住人が「これ、学校でやったら楽しそう」と、具体的な実装方法について聞いてきた。探究活動のアウトプット・シェアの方法としても展開の可能性があると思う。ということで、ステップに分けつつ実際に使ったものを用いながら説明したい。

Step0. ライターを集める

ごくごく当たり前だが、まずはライターへの声かけから始めた。住人全体にも呼びかけつつ、ライター業をしている住人には直接声掛けをしてライターを集めた。集めたライターはLINEグループに集め、きっと締め切りには間に合わないだろうことを前提にしつつ、フォーマットの共有や締め切りの案内をした。

Step1. フォーマットを作って共有する

今回の「シークレット・ライター」の「シークレット」を実現するには、文章の長さや見た目のテイストの統一は不可欠。そこで、全てのライターが同じフォント・レイアウトを使うことにして、A4で2枚以内という制限を設けた。Googleドキュメントで共有し、各自のアカウントにコピーしてもらって文筆を進めてもらった。フォーマットは以下のリンクを見てみてほしい。

Step2. 作品を集めて印刷する

作品のGoogleドキュメントへのリンクは、グループLINE宛ではなく個人宛に送ってもらった。グループLINEに送ると、ライターどうしで著者名がバレてしまい面白みが減る。届いたデータは掲示用に印刷し、さらにPDFにして作品番号を振った。PDFのファイル名にはもちろん著者名は掲載しない。ちなみに私の作品のPDFは以下リンクのようになった。

Step3. 感想フォームを作ってQRコードを掲示する

それぞれの記事の感想を送ることができるフォームを作成した。記事ごとにフォームを作り、感想を必須、感想を書いた人の記名欄や、「この記事は誰が書いたと思うか」予想の欄を任意とした。また、フォームには各記事のPDFデータへのリンクも貼り、手元で読めるようにもした。そして、回答完了の画面に表示されるメッセージを編集して、著者名を表示するようにした。結果的に10個のフォームを作ったわけだが、それぞれの回答画面へのQRコードも印刷して、掲示した文章の下に貼った。

ちなみに、感想フォームの回答は1つのスプレッドシートに集約して、ライター間で見れるようにした。同様に取り組みたい方については、感想は該当するライターにのみ共有する形にしてもいいし、相互に見れるようにしてもいいと思う。

そうして出来上がった作品たち

そうして10本の作品を展示した「シークレット・ライター」のコーナーから、人が途絶えることはなかった。みなじっくり読み耽り、そして感想コメントを残していった。文化祭自体が終わっても、「シークレット・ライター」の個々の作品や、ライターたちのそれぞれのスタイルについて話題が尽きることがなく、企画者冥利に尽きる反響になった。そして何人かのライターは、各自の文筆メディアに記事を掲載していた。

たとえば、この作品。

この作品は、私が執筆したと多くの人が誤読した。論文調に仕上がっているこの作品からは、確かに私の持ちうる「カタさ」を思い起こしそうだ。しかし結局は違う。普段のコミュニケーションで感じられる人となりと、文筆に現れる「その人らしさ」のイメージというのは、かくも乖離するものか、と思わされた。

日常のワンシーンを切り取ることで、その人らしさだけでなく、その先にある「きっとみんなもそうなのでは」という、ソーシャルアパートメントに住まう人々の姿も想像できるような作品もあった。

ただただ、その人の朝のルーチーンを時系列で追い、そこに生じる「思ったこと」を書き出しているだけ。そう表現してしまえばそれだけなのだが、しかし「それだけ」以上に「その人らしさ」を感じることができるのも、文章表現の魅力だと思う。なんの変哲もない日の朝という、日常を生きる女の子の姿にも、「おなじ」と「ちがう」を見出すことができるのは、ソーシャルアパートメントに住んでいる、という共通文脈がありつつも、それぞれの生き方に違いがあることに気づかせてくれる。

そうかと思えば、ある種の「かりそめの日常」であるシェア暮らしの、その先にある孤独を書いた作品もあった。

この手の「心のうちの吐露」は、実は普段の生活のなかではなかなか生じ得ない。住人たちが集うラウンジにおいては、平日の日中であれば仕事に興じる人々がいて、休日の日中であればゲームの音やテレビの音が流れつつあまり人は多くなく、平日休日関係なく夜の時間は食事や酒と共に楽しい語らいがなされることが多い。そうなると、案外「深く潜る」ようなコミュニケーションは生じにくい。だからこそ、自分自身に深く潜るような営みである「もの書き」くらいしか、「なかなか見せていない自分」を表現する機会はないのかもしれない。事実、「そんなこと考えていたんだ」という感想も、それぞれの作品に多く寄せられた。

そして、おそらく文化祭当日の展示の中で、もっとも反響が大きかったのは、この作品だ。

正直、嫉妬を覚えた。この作品のライターは、本も出版しているプロのライターである。プロの所業は明らかに他の作品とは異なる「なにか」をまとっていて、全員が口々に「この作品だけ、明らかに違う」と言っていた。もの書きが好きで、このブログももうすぐで20年になるという継続性にも自負があった自分自身のスタイルが、結局は「書きたいことを書く」にとどまっていることを思い知らされた。「読まれたいものを書く」視座で書かれた作品を見て、それが「伝える」ということなのだと思い知ったと同時に、キャッチーなつかみと時流に乗った引用を重ねながら、大事な「なにか」を放つという巧みさに、ただただ唸ることしかできなかった。

このように、ライターたちのスタイルや想いを、読者たちが普段とは違った側面から見通すことができる面白みがあったのはもちろん、ライターどうしが感化され合うような仕掛けになっていたのも、この企画の(思わぬ)面白いところだった。書く・伝える、という行為、そしてその裏側にある、考える・思う、というプロセスに、人間の面白さがある。あえて「シークレット」にすることで、よく知っているはずの誰かなんだけど、その誰かはわからない、という絶妙なおぼろげさにあって、その輪郭を確かめていこうとすることを楽しめたのかもしれない。

かくいう私も、前段で掲出した「(無題)」という作品では、2人の登場人物によるダイアログを執筆した。まったく架空の住人を思う浮かべ、その2名は、両方男性とも、両方女性とも、はたまた男女とも受け取れるような口調を心がけつつ、ここのところのネイバーズ東十条の暮らしむきを書き出した。実は設定上は男女の会話になっていて、しかも二人は付き合っている設定だったのだが、そこまではなかなか読み取れなかったようだった。とはいえ多くの住人は、この作品を執筆したのが私だということに気づかなかった。短編小説とも、芝居の台本とも言えそうな、新たな執筆の挑戦は、成功したのだった。

それぞれの「ありよう」を、日常に溶け込ませる

今この文章を、2023年の12月31日に書いている。今年の1年は、「8/8に1988年生まれが88人集まる会」やら、「大人の文化祭」やら、広島の高校生のリーダシッププログラムやら、とにかくイベントを創ることに関わることが多かった。そうしたプロジェクトを重ねる中で、自分自身の「やりたい」や「ありたい」を体現することができてきたと思う一方で、それらの機会において私が創っていたのは、参加する人にとっての「やりたい」や「ありたい」を放てる仕掛けだったと思う。

文化祭のシークレット・ライターに向けて、私はもう1本記事を書いている。

だれかとともにすごすということ(シークレット・ライター#01 – 作品10)

その文末に、こんなことを書いた。

だれかとともにすごすということは、特別なことなんかじゃなくて、むしろ日常の方にこそそんなシーンがたくさんつまっていて、日常の中にある温もりを感じることが、うれしさをわかちあえることが、だれかとともにすごすということの良さなんだと思う。

シークレット・ライターは、一部の参加者の熱烈な希望により、この年末年始に第2弾を実施している。「ゆく年・くる年」をテーマにした、年末年始の振り返り&抱負を想定した記事は、12人のライター・14の作品が集まった。今回は少し長めに貼り出して、多くの人に読んでもらったり参加してもらったりしたいと思う。こうして、それぞれの10人の「少し深いところに潜る」ような、もの書きを介したコミュニケーションが、そして、同じような営みによって、住まう人それぞれが自分の「ありよう」を出せるような仕掛けが、日常にもっと溶け込んでいってほしいと思う。

また来年も、ものを書いていこう。

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