「大人の文化祭」のつくりかた(ソーシャルアパートメントに暮らしています。2.51)

2022年6月に、こんな記事を書いている。

ソーシャルアパートメントに暮らしています。2(ネイバーズ東十条の暮らし)

それから1年半くらいが経った。

あんだけ「ソーシャルアパートメント、なじむのしんどい」と言っていた自分が、「大人の文化祭」なる企画を主導してしまうところまできたのが自分でもびっくりだ。

“Share Our Culture!” をコンセプトにしたイベント・Higashi-Jujo Neigbors’ Culture Day 2023を、11月23日(木・祝)に開催し、現住人はもちろん元住人や住人の友人を含む50人を動員し、有意義かつ楽しい時間を過ごすことができた。実質的に「実行委員長」になった自分が、何を考えて企画を組んでいったか、記録に残しておきたいと思う。


Step.1 アイディアを企画書に落とし込んで外堀を埋める

そもそもどうして「文化祭」なるものが立ち上がったのかを書き出しておきたい。話はとても単純で、ある平日にリビングで夕食を食べていたら、どこからともなくこんなセリフが出てきた。

「ねぇ、文化祭やりたいんだけど」

こういうちょっとした「やりたい」のアイディアは、そこいら中でしょっちゅうつぶやかれている。それに同居人たちが乗っかったり乗っからなかったりして、企画として実行されたりされなかったりする。クリスマスパーティーやハロウィンパーティーといったレベルのものから、「ふるさと納税豪遊会」や「健康食事会」といった小さなごはん会、はたまた、どこかに出かけるといったことも、すべてはこうした住人の「やりたい」というつぶやきから始まる。学校行事を彷彿とさせるイベントは、かつては「運動会」が開催されたこともあった。

もはや誰が言い出したのかわからない「文化祭やりたいんだけど」のひとことの登場に、私はたまたま居合わせただけだった。ただ「それおもろいやんけ」と反応を示したのは確かで、それ以外にも何人かいた住人たちのブレインストーミングはとどまるところを知らなかった。あれやりたい、これやりたい、そんな発散的なアイディアは、若干のほろ酔い状態の住人たちの格好の話しのネタになっていた。そしていつの間にか実行委員会なるLINEグループが形成されていた。9/12のことだった。

問題はそのあとである。「実行委員会をやろう」といって企画会議の実施を提案するものの、いっさいLINEグループのメンバーの予定が合わず、まったくコトが前に進まない。決まっていたのは11/23という開催日と、初めて話が沸き起こった日の若干の企画アイディアのみ。

このままじゃ前に進まず企画が流れるだけだ。しかし面白い企画だから前に進めたい。

そんなとき私は、とにかく形にしてしまう、ということをやってしまう。すでに上がっているアイディアに自分のアイディアを付け足して、企画書に仕上げてしまうのだ。それをするとたいてい、もう実行せざるを得なくなる。しかも自分で言うのもなんだが、その企画書のクオリティは、たんなる遊び企画の域を越えるものを作る自信がある。当然それで、周囲もテンションが上がり、結果的に「やらない」という選択肢を封じる。

そうして出来上がった企画書(最終版)が以下のものだ。

そして当然だが、ここまでの企画書を作ると、望んだわけではないのだが、しかし必然的に自分が実行委員長的なポジションになる。なんというか、20年弱も前から、こういうポジションになるような生き方をしてきたみたいだ。


Step.2 企画全体を串刺すコンセプトを立てる

さて、上記の企画書がどう生まれたかを紐解いていこう。といいつつ、今回の文化祭に限ったことではなく、あまた企画を作る際に、私はなによりも「コンセプト文」から着手する。今回のコンセプト文は以下の通りだ。

Share Our Culture!

「大人の学生寮」ともいうべきソーシャルアパートメントには、
多種多様な趣味を持って、充実した日々を過ごす人が集います。
サーフィン、キャンプ、フェス、サウナ、バスケ、スノボ…
そんな外に飛び出すアクティブなあそびを楽しむ人々もいれば、
「文化的な」趣味をじっくり楽しんでいる人もたくさんいます。
そんな住人の趣味がたくさん詰まった「大人の文化祭」を開催。
互いのカルチャーをシェアして、ネイバースの文化を彩ります。

で、このコンセプト文をどのように作ったか、だが、それはすでに出ていたコンテンツのアイディアに依拠している。

そもそも話の起こりとしては、あまり記憶が定かではないのだが、私が住むネイバーズ東十条に非公式的に存在する「部」の発表の場を作りたいね、というところがあった。特にちょうど9月ごろ、なぜか多くの住人がウクレレを購入し始め、プチブームになっていた。その発表の場を設けたいというのがことの発端だったと思う。なので、9/12のアイディアメモを見返すと、冒頭には「ウクレレ部」の文字があった。他にも、時折スタジオを借りて練習に勤しむ「ダンス部」や「アイドルダンス部」、私が部長っぽくなっている「カメラ部」など、文化的な趣味を集めて盛り上がりたいね、という話でアイディアが膨れていった。

コンセプトに落とし込む際には、そのアイディアメモをもとに、「文化祭」を構成する要素をあらためて考えた。それが「展示」「屋台」「ステージ」だった。さらにそこに、初期のアイディアとして芽生えていた「みんなでアートをしたいね」という声を加え、「参加」の要素も加えることにした。それぞれの文化的な趣味を持ち寄って、お互いに楽しみ合う。それはまさに、「シェア」という私たちの暮らし方を体現している。

そうした「文化のシェア」を、自分たちが暮らすコミュニティの文化につなげていきたい。そういう想いから、”Share Our Culture!”というワーディングが生まれるまでには時間を要さなかったのは言うまでもない。当然だが、字幅が揃うように計算して書き出したコンセプト文は、実行委員の面々から「すげー」と評され、有無を言わさず嬉しさを覚えた。


Step.3 コンセプトに合わせてコンテンツをつくりこむ

さて、コンセプト文が出来上がったのも10月中頃。その時点で実行委員たちも「やばいかもな」と思い始めてきたのか、現実的に考えてどのコンテンツができそうかというのを考え始めていった。自分で全てを抱え込むことも難しいので、個々のコンテンツは「やりたい」と思う他の実行委員メンバーに振っていった。ダンス部メンバーは当然ダンス部企画をリードし、ウクレレ部のメンバーはウクレレ部を取りまとめ、本好きなメンバーはブックエクスチェンジ企画を担い、「みんなでアート」の企画イメージが湧いたメンバーは準備を買って出てくれ、コーヒー好きなメンバーはカフェの担当を名乗り出てくれた。

そこに、文化祭の話を聞きつけて「私、マジックショーやりたいんだけど」と言ってくれた住人が実行委員に加わった。「コーヒーがあるならお菓子も欲しいな」と思ったので深夜にお菓子を作っている女子たち、通称「深夜お菓子部」には自分からオファーをして快諾をしてくれた。今年の夏に、みんなで河川敷にピクニックに行った時に屋台メシを作ってくれたメンバーにもお願いをしたら、「やるよ」と言ってくれた。そうしたところで残ったのが、フリーマーケット、写真部の展示、そして自分がやりたいと言い出した文筆展示「シークレット・ライター」という企画だった。さらにここに企画の総括も入るとなると私の手は溢れるので、写真部の展示は写真部の別メンバーにお任せすることにして、フリマと文筆展示と企画総括に注力した。

結果的に、「やりたい」と思った人がやりたい企画を、あるいは得意な人が得意な企画を推進していった結果、それぞれのコンテンツは当日、かなりの反響を得ることになった。屋台メシのたこ焼きとポテトは作るなりすぐにペロリとされ、カフェ企画は目まぐるしいほどの稼働でどんどんドリンクサーブがなされた。深夜お菓子部は、ミッフィー・クッキーにパウンドケーキ、そしてクマのクッキーがパイのおふとんで寝ている「くまパイ」と、どれもおいしくてかわいい代物になった。写真部展示は急ぎでの準備ながら、部員それぞれの「こだわりの一枚」をパネルに貼って展示、ほんとうの写真展のような雰囲気になった。そして言わずもがな、ステージ企画は大いに盛り上がった。

そしてそれ以上に、かなりこだわりを持って作られた企画があった。それぞれ紹介したいと思う。

Neighbors’ Bookshelf

本好きな実行委員が考えた企画で、当初は「ブックエクスチェンジ」つまり本の交換という企画だった。それがいつの間にか、企画者のなかでこんな企画に仕上がっていた。

本が好きな20人の有志が、誰かに読んでもらいたい本を1冊選び、その1ページ目に名前と推薦文を書いたカードを挟んで本棚に並べます。
文化祭当日、そこに集まった人たちは新しい本との出会いを体験します。20冊の本から1番自分が読んでみたいと思った本の名前を貸出カードに書くと後日、持ち主から本を借りることができます。また、貸出カードを集めた本の持ち主にはとっておきのプレゼントが!

この企画文面を見た時、自分自身「めっちゃいいじゃん」とテンションがあがったことを覚えている。本好きな住人が、その本をオススメする理由の一文を添えて現品を持ち寄り、それを展示することであらたなコミュニケーションが生まれるという発想は、なんとも素敵な世界線に思えた。そして事実、文化祭当日には、展示された本やマンガをじっくり読み耽る人もおり、あるいは紹介した本の良さを滔々と語る人・それを聞く人もおり、住人それぞれの違った一面を垣間見る、あらたなコミュニケーションが、本当に生まれていた。

みんなでハンドペイント

みんなでアートを作る、というアイディアの状態から担当実行委員に企画を渡したところ、バチェラーシリーズの中でTシャツにハンドペイントをするというデートプランから着想を得て、参加者の手を筆にして絵画を作る、というプロジェクトが立ち上がった。手を使うからこそ、安全性にも配慮された絵の具をわざわざ調達し、また絵の具の汚れが影響しないような場所を選定し、そもそも汚さないようにビニールで養生をしたうえで制作に取り組むことになった。

結果、模造紙と絵の具の前から人が途切れることもなく、またそれぞれが色を重ねていってもなお、汚らしくなることもなく、本当に「みんなでつくった」というアート作品に仕上がった。絵の素晴らしさもさることながら、アートづくりを体験した、というのも尊かったと思う。

みんなで合唱

ステージパフォーマンスを見るのも楽しいが、「文化祭」といえば合唱だよね、というところに端を発し、合唱をすることにした。しかし、事前に曲を決めて練習をしてきてもらって、というのも違うように思えたので、30分でその場で練習して合わせる、ということを取り組むことにした。そのため、楽曲は女声と男声の混成2部合唱、誰もが知るものとして、ゆずの「栄光の架橋」を選んだ。

エレクトーンの経験があるという住人に無茶を振って、直前ながら楽譜を渡して練習してもらい、「学生時代に合唱コンクールで指揮者をしていた」と言っていた住人に指揮を頼み、突貫工事で合唱を仕立てたが、思った以上に参加者たちが協力的かつ楽しんでくれ、パート練習もしっかり取った上で本番を迎えることができた。あの時の一体感は、忘れられない。

リユース・バザー「あげるのチケット」

フリーマーケット企画が持ち上がっていたが、結局担当は私になった。物件内での売買は望ましくないことからさすがに不用品を「売る」わけにもいかず、かといってただ無償で持っていってもらうだけも味気ないと思い、コミュニケーションのきっかけになる要素を考えた。そこで思いついたのが、タダでものを「あげる」と、「〇〇してあげる」という掛け言葉だった。

つまり、タダでモノを「あげる」かわりに、モノをもらった人は、出品者にお礼として、なにかをして「あげる」ということでコミュニケーションを成り立たせればいいのだ、ということだ。そのために、出品者になにをしてあげるかを、チケットに書き込んで、出品者に手渡しすることで、出品者ともらった人とのコミュニケーションがその場で生まれるだけでなく、事後に出品者が返礼のチケットを使うことで、コミュニケーションが継続するようにした。

当日までの案内があまりできず、物品数こそ多くなかったものの、物品とチケットの交換がいくつか成立し、狙ったコミュニケーションが起こっていたのを見た時は、嬉しい気持ちになった。

この他にもう一つ、「シークレット・ライター」という企画があったが、あまりにもいい企画だったと思えているため、別だしで記事を書いた。

「シークレット・ライター」のつくりかた(ソーシャルアパートメントに暮らしています。2.52)


Step.4 着実に実施できる状況を整える

時系列が前後してしまったが、作り込んだコンテンツたちは、企画した時の想定を超える出来で、当然反響も大きかった。その一方で当然ながら、どの企画もある程度、金がかかる企画になっていたのも事実だ。コーヒースタンドも、深夜お菓子部スイーツも、屋台メシもタダではできないし、アート企画の絵の具、写真部展示のパネルなど、あらゆるところでお金がかかっている。

そこで目をつけたのが、「あそびレシピ」という取り組みだった。ソーシャルアパートメントを運営するGlobal Agentsが、物件内や物件を超えてのイベントに対して、その企画の新規性や予算規模などに応じて補助を出してくれる、というもの。その代わり、企画書や写真の提出をすることで、各物件の「あそび」の事例をシェアできるようにしようというものだった。正直に言えば、私が企画書を書いたりコンテンツの作り込みを促し・自分でも作り込みをした背景は、この補助金を確実に取りに行くためのものだった。この記事を書いている現時点では最終的な補助額は確定していないが、少なくともある程度の金額は補助をしてもらえそうな算段になっている。

そうはいっても、補助金だけを頼みにするわけにもいかない。フードだけ受益者負担にするか、はたまた全部フリーにするか。開催直前になって実行委員のメンバー内でも考えがいろいろ出てきたが、最終的には私からこんな提案をした。

参加費・一人500円。払った人にはチケットを手渡し、そのチケットを提示すれば、自由にドリンクもスイーツも屋台メシも楽しめる。補助金の金額次第では、チケットと交換で返金対応する。

そうして、オリジナルのチケットを手渡す形式をとったら、思った以上にチケット自体のデザインのかわいさが参加者から好評だった。多くの参加者がインスタのストーリーや投稿に文化祭の様子をアップしてくれたのだが、チケットとともに写真を撮る人が多かったのが予想外の反響だった。

このチケット、実際のところは、事前に作成したフライヤーのデザインの流用だった。本業でもバナーデザインなどを行なっているしゃけとろさんにお願いをして、事前告知用のフライヤーを作成してもらい、きちんと運営会社に許可を受けて物件内に掲出した。そのデザインをチケットや各出展ブースの説明掲示物に転用したのだが、カフェを彷彿とさせるそのデザインは、コーヒーがテーマのネイバーズ東十条にぴったりで、イベント全体の統一感の演出にもつながった。

「申請」で思い出したが、「あそびレシピ」に申請を出す以上、そして会場をネイバーズ東十条のラウンジエリアにする以上、きちんと使用許可や装飾許可を取ることは必要だ。その点は抜け目なく申請し、参加人数の多さから管理会社的にも審議になったようだが、結果的には実施という形になった。もちろん管理会社からは、騒音防止の配慮などを求められたが、そもそも昼の15時に開始となり、あまり酒を煽るようなフードも少ない状況で、じっくりと展示やショーを楽しむイベントにしたことから、飲んだくれて騒がしいという状況にいっさい至らない、極めて平和なイベントになった。


Epilogue. 楽しんでくれる場を設ることが楽しくて

書き出してみて思ったが、きわめて真面目に、さながら仕事のように、文化祭づくりをしてきたと思う。誰かがやらなければ成り立たないところをカバーしたような気がしているが、しかしそれは決して苦ではなかった。いやそれどころか、楽しんでやっていたことは間違いない。でも、こうした作り込みの裏側は、当然ながら表には出ない。

当日の司会を引き受けてくれた実行委員メンバーは、ジャンボリミッキーの曲と共に登場し、自分から各出展企画やステージパフォーマンス団体の紹介文を考え、場を盛り上げてくれた。カフェスタンドに入ったメンバーはひっきりなしに注文を受け付け馬車馬のように働いてくれた。こちらからお願いしたにも関わらず、深夜スイーツ部のメンバーは自分たちでどんどんアイディアを出して、前日の深夜から楽しんでお菓子づくりをしてくれた。屋台メシにも手伝いのメンバーが自然と増えていったし、前述の通りアート企画には足が絶えなかった。

実行委員たちを中心に、参加者みんなが楽しんでいる様子を、どこか遠巻きに見ながら、つくりこんだ企画が、想定を超えて楽しまれているという手応えを抱き、そこに「にんまり」を決め込むのが、自分のやりがいだったのかもしれない。何より嬉しかったのが、別で書いている「シークレット・ライター」や、写真部展示、Neighbor’s Bookshelfといった、文化的展示企画から、人が消えることがなかったということ。そして、「思った以上に文化祭が楽しくて、こんなに楽しい企画は入居してからそうそうなかった」と言ってくれた参加者がいたことだった。みんなで同じ時間を過ごして、体を動かしたり、会話を共有したりするイベントも、当然ながら尊い。だけど、「趣味」や「文化」を互いにシェアして、それをフックに新たな関係性を築くような、有意味性の高い場にできたことが、なによりも嬉しかった。

思い出すと、特に小中高くらいは、こんな感じの役回りだったことが多かった気がしている。機能として存在している「学級代表」や「学級委員」の役回りに手を挙げることが多く、学校行事やクラスのイベントごとなどにおいては、リーダーという「機能」を果たしてきたことが多い。でも、クラスのメンバーの精神的支柱にいられたかというとそんな認識はほとんどなくて、ほんとうにただ、事務・雑務・実務を取り組むことが多かった。そしてそれは、コンプレックスでもあったのは間違いない。人の輪の中心でみんなを盛り上げるようなリーダーシップを「情緒的リーダーシップ」と呼ぶとすれば、対比的にあるのは「機能的リーダーシップ」で、私はいつも後者のほうにいて、ほんとうの意味で中心にいるという感覚には乏しかった。

今回も、「機能的リーダーシップ」に徹していたのかもしれない。けれど、あの頃とは違う感覚でいられている気がしている。それは、入居から1年半が経って、ようやく「居たいように居る」というあり方を自分の中に許容できるようになってきたこと、そして、案外「機能的リーダーシップ」のもとに果たす実務のプロセス自体を楽しめている、ということに起因する。結果的に、Neighbors’ Culture Day 2023は、Share Our Culture!のコンセプトを体現できた。それを、みんなで作り上げることができた。別に、自分だけが頑張ったわけでもないし、だれのおかげでもない。そうしたフラットななかで、自分が必要な役割を果たせたということが、この関わり方を、自分で「よし」とできるように至らしめてくれたのだと思う。

酒も弱くて、体を動かすのも苦手で、人を誘って何かをすることも勇気が必要で。そんな、いろんなことに対して引け目を感じやすい自分が、今回ばかりは引け目を感じずに企画をやり遂げられた。どれだけ自分の「本気」を見せたとしても、引け目を感じずにいられたのは、自分が出した「本気」と同等に、他の実行委員も、そして参加者も、それぞれの「本気」を、互いに認め合ったからだと思う。そう、「大人の文化祭」のつくりかたで、実は一番大事なのは、大人として、互いの「本気」を認め合う、そんな空気感なのかもしれない。

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