2022年の3月まで教員をしていたのだが、その当時の教え子から大学進学の吉報が届いた。それで2つのことを思い出した。自分が教員だったことと、そろそろ春が近づいている、ということだ。
2025年もまた、初任者たちが現場にやってくる。私はもうその現場を離れて久しく、年度の切り替わりという感覚は遠のいているのだが、それでも自分が、講師ではありながらも教員1年目を迎えた30歳の春の高揚感は思い出せるし、翌年以降に入ってくる新卒の初任者たちの初々しさもなんとなく覚えている。
2021年から2023年まで、私は、一般社団法人かたりすと・サイト “カタリスト for edu” の企画「初任者へおすすめの一冊」への寄稿をさせてもらっていた。2022年は1冊に絞れなかったので2冊目を自分のブログで紹介もした。
- 2021『他者と働く – 「わかりあえなさ」から始める組織論』宇田川 元一
- 2022(1本目)『こども六法の使い方』山崎 聡一郎
- 2022(2本目)『考えるシート』山田 ズーニー
- 2023『雨の降る日は学校に行かない』相沢 沙呼
2024年は企画をお休みするとの知らせを得てもなお、勝手に執筆をした。
そして2025年。さすがに現場を離れて3年、もはや教育業界から離れてしまっている自分がなにを、と思いつつ、そういえばあと1冊あったんだ、と思い出した本があった。今回も勝手にそれを紹介したいと思う。
おすすめの書籍
おすすめする理由
私は、3年間の中学校英語教員(講師)を経験したのち、民間企業での障害者雇用の仕事に携わっています。障害者手帳を持つ人を採用し、研修プログラムを通じて育成を図り、現場部門への定着を図っていく。そのことを通じて、法定雇用率という制度を超えて、だれもが安心して自己実現を図れる社会に、お互いがそれぞれの生きづらさに対して慮りあえる社会にしていく、その一端を担いたいと思っています。まずは、「研修型雇用プログラム」という取り組みを通じて、障害当事者がキャリアのスタートを切りにくいという社会課題の解きほぐしから始めているところです。
この、障害者雇用担当者に自分がキャリアチェンジを図れたのも、福岡県・筑豊地方における、特別支援の視点を踏まえた授業づくりの一端に触れてきたこと、そして「特別な支援を要する子どもたち」の実態に触れてきたことが大きかったと言えます。「特別な支援を要する子どもたち」は、そう呼ばれつつ、たしかに集団での生活や学習における困り感はあれど、なんというか、「あいつらはあいつら」だったな、と思い返します。
昨年紹介した、吉藤オリィさんの『ミライの武器』には、寝たきりの重度外出困難者の存在を「いつか年老いて体が動かなくなってくる私たちよりも先に寝たきりになっている先輩」と表現していました。外出ができないかわいそうな人々ではなく、いつか誰しもが経験するだろう困り感の先駆者として、その「障害」を超えるテクノロジーを活用することでチェンジメーカーになりうる、という考え方。そして、「障害は本人の特性や疾患そのものではなく、その特性や疾患を持っている状態で社会に関わろうとすると差し障りが起きてしまう、その社会の側にある」という障害の社会モデルの考え方に対して、テクノロジーが「社会の側の障害」を取り払う環境調整の役割を果たす、という見立てに、大きな共感を覚えました。今の仕事でも、その発想が根幹にあります。
今回紹介するの本『奇跡のフォント』は、そんな「社会の側の障害」を取り払う環境調整になりうるテクノロジーの開発秘話。使う側からすれば、ただ「フォントを変えるだけ」ですが、その開発には並々ならぬ物語が隠れている。その経緯と、意図と、そして開発者である高田裕美さんの熱意を感じられる本です。
この本は、UDデジタル教科書体というフォントを開発したフォントデザイナー・高田裕美さんの、UDデジタル教科書体を中心にした自伝のような本です。この本で紹介されているUDデジタル教科書体は、MicrosoftがWindowsやOffice製品の標準フォントファミリーに採用したことで多くの人の目に触れており、また使われているフォントです。きっと教育現場でも、さまざまな配布文書や学習プリントで、このフォントが用いられていることと思います。初任者の皆さんもきっと使っていくことでしょう。
とある実証研究によると、テストの問題文のフォントをUD系フォントに置き換えただけで平均点が上がったそうです。「わかるのに、読めない」という実態があるのは、読めている側からするとにわかに信じがたい。しかし今私は、一緒に仕事をしている仲間に、読字の困難を抱える人がいて、その人と共に過ごすことで「読みづらい」がどういう様相なのかをつかめるようになってきました。フォントだけでなく、行間の余白や文字組み、一文の長さなど、さまざまな要素を総合して「読みづらさ」に対応していくことが求められます。ですが、フォントは、その一つの大きな突破口になりうるのです。
しかしこのフォントは、そんなに簡単に出来上がったものではないのです。ロービジョン研究の第一人者のもとへヒアリングに行ってはダメ出しをくらい、それでも熱意を持って教育現場に持って行ってはダメ出しをくらい、それでも食らいついて開発したら会社からは経済性の観点から相手にされず。そんなたくさんの困難を乗り越えた果てに、このフォントができあがった。この本を読めばその流れをありありと感じられます。
私は以前、この著者である高田裕美さんと、音声SNS・Clubhouseでトークをしたことがありました。たまたま私の日々の学校でのできごとを一人寂しくしゃべっていた時のこと、高田さんがふらっと私の配信を聞いていて、それを目にした瞬間にテンションがあがり、お話を伺ったことがありました。
というのも、私は英語教員として、プリントに採用するフォントを探し出すのに苦心し、最終的にUDデジタル教科書体欧文フォントを見つけ出します。この欧文フォントはWindows標準には再録されていないため、MORISAWA BIZ+というサブスクを契約して使っていました。その顛末はこの記事に記載しています。
苦心してフォントを探しまくったUDデジタル教科書体の開発者と話せるなんて。そんな心躍るインタビューの時間を過ごし、それを聞いていた私の友人はこんなひと言を寄せていました。
「これって、デザインシンキングを地で行っているケースだよね」
ユーザーのニーズを基点にして、試作品作りとユーザー調査をどんどん回していく。そうして問題解決を図っていくプロセスが、デザインシンキングの考え方です。そしてこの考え方は、昨今の教育界隈でも話題の「プロジェクト学習」や「探究」にも通じる考え方です。UDデジタル教科書体はまさしく、「読めない」という困り感を持つ人々を探究していった結果のプロダクトなのです。本を読むことで、高田さんが辿った「読めない・読みづらい」という困り感の探究の軌跡を辿ることができます。
熱意をもって、探究的に仕事をしていくこと。日々が忙しい学校現場においては、なかなか忘れてしまいがちです。それでも高田さんが「読みづらさとともにある子どもたちをどうにかしたい」という熱意で仕事をしてきた姿勢は、目の前の子どもたちの未来のために仕事をする教師の姿勢にオーバーラップする気がします。
私はこの本を読み終わった後、謎の高揚感に満たされながら、思わずこう呟いてしまいました。
「いい仕事がしたい」
初任者のみなさんが、教員として「いい仕事」をしていけるように。熱意を持ち、目の前の子どもたちを基点にものごとを考え、「しづらさ」「困り感」と共にある子どもたちのために何ができるのかを試行錯誤していけるように。みなさんがおそらく日々触れていくであろう、日常的にもはや当たり前に使われているであろうUDデジタル教科書体の、その背後にある意図や物語から、ユニバーサルデザインを、特別支援を、探究を、そして「いい仕事」を、考えてみてください。
おすすめをしてくれた人の紹介
遠藤 忍(認定NPO法人Teach For Japan 7期フェロー)
1988年生まれ。非教員養成系の総合大学で教員免許を取得し、教育実践の研究を大学院まで続けたのに、新卒では民間企業に入社。市場調査会社で6年勤務し、データ分析や人事を担当。30歳で思い切り、生まれても育ってもいない福岡県飯塚市に、Teach For Japanのフェローとして派遣される。英語科教員としてさまざまな挫折感を覚えながらも、ICT教育やプロジェクト学習、生徒会活動の充実に取り組む。社会人45人を巻き込んだ、社会人と中学生の2on1キャリア対話「マイメンター」を2021年度に実施したら、プログラムに参加した社会人から誘いを受け、2022年から外資系IT企業の障害者雇用(研修型雇用プログラム)担当に転職することに。一貫して「この生きづらい世の中で、勇気と気づきが、まだ見ぬ明日を切り拓く」をビジョンにもがいている。