それは自分にとって大きな意味がある事だった


単なる通過点でしかないし、堅苦しく長ったらしくつまらないものでしかないかもしれない。けれど僕には大きな意味があった。
あの荘厳な雰囲気のなか、月日に思いを馳せること、そしてその場の全てとの連帯を感じること。僕は生真面目だから。枠から抜け出せないままだから。だからあの荘厳さのなかにいることは大きな意味があった。

埼玉県立不動岡高等学校第119回卒業証書授与式が挙行され、370名の119回生が本日をもって卒業となった。


起きて、身だしなみを整える事にする。制服をきちんと着て、ショートトレンチをはおり、ビジネスバッグを持つ。そんな姿になると、僕は気が引き締まる。
朝、若干遅刻気味だったので急ぐ。クラスにはほぼ全員が揃っている。配布物が多く、ビジネスバッグに入りきらない。
入場前の集合で、サプライズな事実を耳にする。担任と同じ市に住むクラスメイトが、朝担任宅に押し掛け、そのまま担任の車で登校したという。精神を落ち着かせていた担任にとって、とんでもないサプライズだったらしい。
入場する。クラス代表で証書を受け取る事になった(いや、出しゃばって自分から希望した)ので、担任の後、生徒の一番先頭になる。吹奏楽部の誇る、式典序曲「飛翔」を、冒頭からラストまで聞けることはこの上ない幸せ。しかも驚くほどうまい。
校歌斉唱。校歌を歌うのもこの先限られてくる。最後の校歌のような気がしていた、だから一生懸命歌った。校歌が好きだ。三番までちゃんと覚えている。僕の不動岡への帰属意識と連帯感の象徴で、気持ちよく歌っている最中の気持ちの高まりは最高潮だった。
呼名、証書授与。最後の最後まで出しゃばるとは、おこがましいかなと思いながらも栄誉な事だって思う。深々と、それは深々と礼をしようと決めていた。校長先生と握手した感触さえ忘れるほど、頭の中は真っ白だった。結構緊張するものだ。
校長先生の言葉に感銘を受けた。「本質を捉える知」、「他者を感じる力」、「先頭に立つ勇気」。SFCで問題解決のプロになるべく、学際と言う、ある意味で中途半端に陥りやすい環境で学ぶ上で、目標として持つべき理念であり教育哲学だと思う。さすが、校長。
PTA会長の挨拶には実感がこもっていた。こうした門出だからこそ足元を見つめ生きる事に喜びを感じるべきだと素直に思えた。
蛍の光はスコットランド民謡だってことが、相変わらず頭を占拠した。個人的にあおげば尊しが良かったけど、最近は批判多いからねぇと思う。
退場。曲はミスチルの「しるし」。M8楽譜にしてはナイスアレンジ、感動をそそる。「9組、起立。礼。」「せーの、不動岡高校、ありがとうございました」気合いを込めた。感謝を込めた。これで終わる事が切なかった。
一番最初に入り、一番最後に出る。なんて幸せ者だろうかと思う。出口で一度止まり、会場を振り返って深々と礼をした。終わってしまったのだ。

教室に帰り、しばらくすると、2人の担任が来た。1年次の担任(その後異動)K氏、2・3年次担任S氏。指揮での点呼はS氏だったが、クラスの各人に証書を渡すときはK氏の点呼とS氏の授与だった。
終わって、S氏の話。淡々としてはいたが、それはS氏らしい。2年次に書いた「10年後の私」エッセーを9年後に発送すると豪語していた。忘れるなS氏。
2人の担任による最後の英語の授業、教材はSimon & Garfunkelの「Bridge over troubled water」。K氏が不動岡を去る2年前、1年次の最後の英語の授業もこれだった。和訳をしながら、目を潤わすK氏、目頭を赤く染める女子、胸が熱くなる僕。カラオケで16回も練習したと言う、2人の担任の歌声は、上手下手を越えて、僕たちに熱いものを訴えかけて来た。それが、堅い人間関係で結ばれた2人の担任からのはなむけだった。2人の担任と42人の生徒たちが作って来た第119回卒・3−9は、それはそれはドラマチックだった。「起立、三年間ありがとうございました」「ありがとうございました」その号令で、ドラマは幕を閉じた。

写真撮影は異常に長かった。みんな記念を残したいから。集合写真の後も、個々に写真を撮ったりしていたが、僕は昨夜あげた受験記を入稿せねばならず、担当の先生を探しまくっていたためふらついていた。S氏とK氏と、玄関で写真を撮る。2人の担任は一緒にメシだそうだ、全く、仲が良い。
部活の後輩に捕まったので演奏を褒める。後輩から手紙をもらう。そして、チューバパート限定の三送会が実施される事を知る。彼らの思いは本当に暖かい。1年生の女子2人にボタンを奪われる。一応それなりの結果は残せた様子。
小論ブログでお世話になったS先生に挨拶しにいく。思いのほか長話になったけれども話していて飽きない。凄く多くの事を知っているし、思考が未熟な自分に揺さぶりをかけられると、逆にそれがヒントになる。S先生は、SFC進学について、ハイリスクハイリターンの覚悟をするようにと言っている。アドヴァ椅子をいただける事は本当にありがたいと思う。学年主任も加わって色んな話をする。話しながら気づいた事は、不動岡で多くの人と出会い影響を受けた事が一番の成果だという事に他ならない。
吹奏楽部顧問のS先生に挨拶しにいく。切られたときにも行ったが、やはり今日も行かない事には気が済まない。至って世間話で終わってしまったが、3年間で最もお世話になったのが顧問だから、感謝の念は伝えなければと思っていた。本当に色々あったけれど、見捨てずにいてくれた事、それだけで僕にはありがたかった。
気づけば時計は6時ちょっと前になっていて、じゃぁ最後にS氏に会いにいこうと思ったのだが、彼は早々に満足して帰ったそうだ。で、スピコンでお世話になったG先生に挨拶する。実にくだらない話題が多くを占めたが、今後もG先生とは関係を持ち続けて色んな勉強をしようという話になった。

誰もいないクラスのホワイトボード記す。「ありがとう不動岡。ここでの日々を、一生忘れない。」誰が忘れるもんか。
ほとんど人がいない校舎でクラリネットの音色。音大受験生はこれからが本番だ。その音色だけしか聞こえないのは寂しい。山積みの不要上履きの上に自分の上履きを乗せる物悲しさ。全て荷物を持ち帰ってもなお、ここにいた形跡を残そうとする僕。
不動の階段を降りる。左右にアーチ上になる階段の一方を下る。ここを上って校舎に入る事はもう無い。
暗かったが、それでも写メを撮った。ポプラ並木の間に校舎が浮かび上がる。正門で一礼する。

ボーリング打ち上げにいっていた3−9メンバーに出くわす。サラリーマンに間違えられる。お好み焼き屋に行く途中だったようだが、今日はパスした。
家に帰って、家族6人全員で回転寿しに行った。今日は弟の誕生日だ。打ち上げには行きたかった。思い出話を語りたかった。けれど、こうして家族が全員揃う機会ももうなくなるかもしれない。ちょうどいいから今日、たまにはってことでの外食。なぜかここで涙を見せそうになった。家族が暖かかった。高校3年間頑張れたのは、色んな縁があってそれに支えられたからで、その一番の根本は家族だったことに気づいた。

不動岡に対する思いはまた後で長々と書ければと思う。とにかく今日、無事人生の節目を迎えられた事に感謝したい。不動岡という最高の学び舎で学ぶ事が出来た、それを支えてくれた全ての人に、全ての縁に、心からの感謝と敬意を表したい。

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それは自分にとって大きな意味がある事だった」への1件のフィードバック

  1. 卒おめ!!

    不動岡はなぁ・・・

    夢に出るぞ!!何度も!!!

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