3.11の14:46は,丸亀製麺でうどんをすすっていた。

東日本大震災で失われた多くの命に対して,哀悼の意を捧げると共に,
東日本大震災により多くの困難を未だに抱えている人々が,いち早く復興を果たすことを,心から祈念します。

さて。
明日も仕事だというのにこの時間になって考え事をはじめてしまったのはよくないことは分かっている。
最近,やたらとブログを書かなくなり,きちんと振り返る,気持ちのログを残すという行為をしていなかったせいか,ここのところ「いままでとちがう」自分が見えてきて,悩むところも多い。そんななか,久々に筆を執ろうという気持ちになったことだけでも進歩だと思うから,書きたいことを書いておきたい。

今年の3.11の14:46は,黙祷をするどころかうどんをすすっていた。
本当に申し訳ないと思うけれど,結局そんなところだった。
自分自身でも後から気づいてショックだった。

忘れないわけない,あの揺れのなか,教室設営をしていた自分は,積み重ねていた机の下敷きになってもおかしくない状況だったし,階段を降りるのもやっとだった。
忘れられるはずがない,駅に行ったら電車が止まって,バイト先には到底帰れなくて,学校に戻ったら戻ったでイベント参加している高校生たちが帰宅困難になっていた。俺は残留慣れしているからよかったが,同じく来たく困難になった大学生の多くは,高校生たちをサポートするスタッフに変わった。

程度は緩いことなど百も承知で言えば,俺だって被災した。
当事者が3.11のことを忘れるはずがない。
逆に言えば,台風被害とか,豪雪被害とか,1.17とか,申し訳ないけれど自分の経験の範疇じゃないから,大手を振って「ピンと来る」とは言えない。

何かしなきゃという焦燥感をエネルギーにして走り切ったそこからの2ヶ月。
prayforjapan.jpの多言語翻訳はきっと役に立つ,そう信じてたくさんの人の協力を得て,それでも現地で思い知ったのは,それよりも生活の確保と金の必要性だった。その一方で,非被災地だからこそ受けたショックを癒すことにつながる可能性も見いだせた。直接的な被害を受けていないとはいえ,あれだけのインパクトの出来事だったわけだ,ショックを抱えた人もまた,被災者だったと思う。

プロジェクト結を通じて石巻を訪れ,現地に必要なことを知った一方で,何もできない感覚にも襲われた。ITの領域で力を発揮出来ると思ったけれど,やっぱり現地にいかなければ意味がなかったし,それに東京からのサポートで露呈したのは自分の仕事のできなさだったりした。それは会社に入ってから拍車がかかるばかりだった。

アカデミーキャンプでは福島の子どもたちと接しているが,正直言えば子どもたちのことを「被災者」だなんて感じたことはこれっぽっちもない。かわいそうな子どもたちなんて考えたことは当然にしてない。建前上は「これからの福島を担う子どもたちに機会を与える」ことが目的だけど,結局内心では奴らとふれあうことが僕の心の癒しだったりするし,趣味だったりする。

繰り返すが,忘れられないはずがないんだけど,それは俺自身が割に当事者っぽい立ち位置にいたから,あるいは自分もアクターの一人だと認識していたからかもしれない。それでも今振り返ってみて,あのときはただガムシャラで,正直何のために動いていたのかはよく覚えていない。

そして日々に忙殺されるあまり,3.11の14:46は丸亀製麺でうどんをすすっていたわけだ。

3.11の14:46は,それはショックなことが起きた時間であることには変わりない。
毎年その時間が近づくにつれて,あのとき起きたことを思い出し,思いを馳せる。
そんなための時間として3.11の14:46というその「とき」を大切にするのは大切だ。

それはそれで大切だとしても,もっと大切なことがあるんだろう,と言って自己擁護をしたい。
大切なことは,明日に向けて何ができるかを「常に」考え,実際に行動することじゃないか,と思う。

あえてぶっちゃけると,祈りよりも想いよりも必要なのは,自分の身の安全と,大切なヒト・モノの存在と,そしてカネだ。明日に向けて,復興に向けて歩んでいくためには,「勇気」だけでは十分ではない。本当に忘れてはいけないのはこっちの方だと思う。prayforjapan.jpは,(特に非被災地の)人々の想いを,印税の寄付という形でカネと行動に替えることができ,しかも想いの共有によって(特に非被災地の)人々の不安を拭うことができた,本当に希有なプロジェクトだったと思う。あのプロジェクトをやったからこそ余計に,本当に「忘れない」で欲しいのは,次に進むための実質的な体力なんだと考えるようになった。だからこそ,震災詐欺だとあのプロジェクトを叩く人々は,きっと何もアクションを起こせないのだろうと悲しい気持ちになる。

しかし,それでも自分でも残念だが,3.11の14:46は丸亀製麺でうどんをすすっていた。
ここに現れる罪悪感はなんなのだろうか。その時間に鎮魂の祈りを捧げられなかったことに対する罪悪感。

大変申し訳ないが,被災地で被災した人々の状況と気持ちを,僕はきちんと自分ごととして理解ができていない。それは一つ,二人称で,あるいは一人称で現地の人々を捉えられていないからじゃないか,と思う。3年経った今でも活動を続ける人々は,もうすでに現地で一緒に活動を続ける人や,活動を受ける人々を,二人称どころか一人称で捉えているんだろうと思う。そこに「支援」という概念すらないかもしれない。そこまで没入している人々を近くで見ているからこそ,彼らが「3.11の14:46」に大きな想いを混めているのを見ると,自分の中途半端さが恥ずかしくなって,そして罪悪感を覚えるのかもしれない。

まだ,「それでも自分でも残念だ」と言えているだけでも,腐り切った訳じゃないと言い聞かせたい。
3年は一つの区切りと捉えられることが多い。もしこれで,これ以降5年・10年という「節目」に限らず毎年のようにやってくる3.11の14:46周辺に何も感じず,またそれに対して罪悪感すら感じなくなったとしたら,もうそれは完全に忘れている状況だろう。そうであってはいけない。

嬉しいことに,今僕が没入する活動を通じて,僕が親しみを込めて「ヤツら」と呼ぶ小中高生たちは,次に進むために自分たちで何ができるかを考え始めようとしている。「ヤツら」と一緒に,この先どう進んでいくかを考えるのが楽しみだ。

寝落ちをして,書き上げるまでに2日かかってしまった。

また明日がやってくる。

いや,来ないかもしれない。

そのために,悔いのない日々を送らなきゃいけないんだよなぁ。


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