鞆の浦の感じたことをメモ:文脈を紡ぐということ

8月10日の夕方の飛行機で広島に飛び、そこから福山に至って、持ち込んだ折りたたみ自転車で芦田川沿いを走って、そこから県道に折れる、そんなトータル13kmライドをするところから始まり、8月12日の土曜の始発のバスまでを、鞆の浦という場所で過ごしました。その時の、とりとめもない雑感を思い出しながら、ツラツラと書いてみました。

「別に、お前さんにとっては、どこでもよかったんじゃないか」

たしかこんなセリフが、アニメ「サクラクエスト」の17・18話くらいで、出演キャラである鈴原教授から語られる。賛否両論ありながら、さすがP.A.Worksの働く女の子シリーズは良い作品と思える。そのセリフを思い出したのが、鞆の浦での最後の夜、移住者と話しながらのことだった。思うに、地方への移住なんて、長きにかけて存在する必然性のもとに生まれるものではなく、たったワンチャンスの偶然性の出会いがもたらされるかどうか、というぐらいのものでしかなくて、結局日本の「いなか」は、ある人たちから見れば、どこだって魅力に溢れている。だからいかに、出会いをつくりだせるかが必要なのだろう。

崖の上のポニョや、流星ワゴン、さらにはウルヴァリンの撮影地。天皇陛下もいらっしゃった景勝地で、かつては多くの船の停泊地であり、また坂本龍馬のゆかりの地。なんてことは、全く知らぬまま、鞆の浦なんて名前も初めて聞いたのに、それがまちづくりのワークショップだからと聴いてホイホイついていく自分も自分である。結果、行ってよかったのは確かだが、あえて言えば僕は、きっと鞆の浦に自分の意思で移住することは、おそらくない。そしてそれは、これまで数多くの「いなか」に行ったことがある自分としては、結局自分の意思ではどの場所にも根を下さないだろうと思う。それは決して、「いなか」に暮らすことが不便だからイヤだとか言いたいわけではなく、ただ結局自分も中途半端な「いなか」カテゴリの地域に実家暮らししているからに他ならない、と気づいた。

鞆の浦での気づきは、なにより旅程の主目的だった「まちづくり塾」が、老人福祉施設の運営主体によって行われていたことだ。昔ながらの長屋をリノベーションしたグループホームをベースに、デイケアや訪問のサービスを運営しているが、あえて利用者を鞆の人たちに制限している。ここで暮らし、ここで生を終える、という、ある種の執着を支えることを基軸にして、地域をつくっていく、というスタンスが、割と新鮮に思えた。そりゃ、そうだよね、と。コミュニティには、それ相応の文脈があるわけで、地域という共通文脈は、ケアのハードルを下げる上では大事だよね、と。

思うに鞆の浦が、僕の目からすれば、移住者を少しずつでも集められている理由は、何か心が惹きつけられる美しさが場所自体にあることはもちろん、課題という意味でも資源という意味でも、福祉が一つの基軸になっているところにあると思う。そこにあって、物語という切り口からブランディングを図った鞆物語という仕掛けはかなり優れている。その場所にある文脈も含めて好きになれることでようやく、移住という決断にまで至れるのだろうな、と思うと、以前この記事で書いた、地域活性3要素の一つである「バカバカしさ」なんてものは、惹きつけられるなにか、の一つであって、絶対的なものではないと気づいた。

そういえば、鞆の浦で過ごした、実質的な二日目に、いわゆる学童保育(だと思っているが、正式な施設区分は忘れた)を見学しにいった。平たく言えば、まぁなんというか生きづらさがあるというレッテルが貼られている子どもたちが利用している場所なのだが、そこに来ている子たちの生きづらさというのが人それぞれなのに、そして年齢も違うのに、そうした子たちが同じ空間でさも何事もないようにコミュニティを形成していることがすごいことだと気づくまでには時間がかかった。気づかないくらいに、何事もなく、電動車椅子の子どもと、肢体には不自由がないが知的な発達凸凹を持つ子どもとが共存している。ごく自然に、コミュニティといものは成立しうる。その気づきは大きい。

でも一方でこんな話も聞いた。鞆の浦の中学生の多くが、鞆の浦で生きていくということを想像していないらしい。ちょっと語弊があるかもしれないが、割と多くは、ただなんとなく、鞆を出たいと思っているらしい。それを聞いて思ったのは、そりゃそうだよね、ということ。そして、出ていけばいいじゃないか、ということ。残念ながら、ヨソによってしか、ナカの魅力は分からない。それがあまりにも自然なことすぎるが故に、トクベツなものという認識は、そもそもできないわけだ。仕事上訪れた北海道の美瑛でも、同じことが起きているのだと感じた。これからの地方に求められるのは、出ることを食い止めるのではなく、出た後に一瞬でも感じる「戻りたい」の受け皿を持つことなのではないだろうか。

ラウンドワンとドンキがあるのを見かけるだけで、十分生きているけると判断できるのは、供給過剰なほどの便利さを都会で感じているからであり、事実、福山駅に向かう高速バスの車中から、福山市内のそれを見て、そして福山駅から鞆の浦までの13kmを自転車で走ってみて、「あ、ここなら十分だ」と思えたのは、決して間違った感覚ではないと思う。「そこにイオンが加わればもう完璧」と移住者と話したが、僕にとっては割に真理だ。割とどこの地方も、こんな感じだろう、と思えるほどに、そんなに「いなか」は不便ではない。

それだけに、ただでさえ人口が減少していく世の中において、その速度よりもより速く人が減りゆく地方に根をはるとすれば、そこで生きる理由を、徐々にではありながらも、どのように「紡ぎ出す」のかが大事なんだと感じてきた。ヨソから来た人間も、いったんヨソを感じた人間も、その地にある文脈を少しずつ拾って自分なりの糸に紡いでいく。ナカに長らくいる人たちも、ヨソに対して少しずつ、文脈の中にある糸の材料を与えていく。その相互作用が大事であって、ヨソがヨソらしさを振りかざしたり、あるいはナカがナカらしさをひた隠しては、結局双方ともに暴力的になる。

移住者に連れられて炎天下を回った町巡りで、ある寺の副住職と話したとき、副住職がこう言った。曰く、この町の人はみんな挨拶をする、それがいい、と。なるほど、それが少しずつでも、福祉を基軸にしながら鞆の浦に人が移住できる理由だ。挨拶をするということは、敵意がないことを示すということだ。もちろん完全に丸腰ではなく、古くから地域ごとの強固かつ排他性をはらむコミュニティが存在すると聞く。それでもなお、挨拶ができるということは、受け入れられるということなのだろう。

そんな、とりとめもない、気づきの記録。結局、日々日々で気づきかけていたことの再確認ができた、そんな時間を過ごすには、ただ静かな瀬戸の内海の気持ち良さというのは大事な要素だったのかもしれない、なんて、関東平野に帰って来て思うのであった。


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