「帰る場所」を、つなぎとめるもの

ふと、文筆をしたくなった。テーマはなんでもよかったので他人から募集した。そしたら友人が「自分が生まれ育った家という場所について」というテーマをよこしてきた。彼の家は、台風19号の冠水被害を受けている。それで少し、考えを巡らして、1,500字程度に収めてみた。


おとといは、残暑が長引いた今秋にしては、珍しく秋らしくて寒かった。帰ってから久々に風呂に浸かって体を温めたほどだった。とても風が強くて、副顧問をしている野球部が練習試合をするこの日、合同チームとして仲間に入れてもらっているチームの顧問は、「今日はフライがヒットになるかもしれない」と言っていた。

その風は、遠く福岡においても強く、周縁でこれだけの強さであれば、中心に近い東海・中部・関東は、とてつもない風雨に見舞われただろうと察しがついた。ほんとうに「とんでもない」ということに気づいたのは、翌朝7時のニュースを見た時だった。

台風19号は、本当に大きい被害をもたらした。被害の影響を、様々なところで最小限にしようと動いていたすべての人々に敬意を、そして何より、被害に遭われた皆様に哀悼と1日も早い復旧への祈りを。

幸い、実家は何もなかったようだ。戸はガラスだし、瓦屋根だし、吹けば飛びいつ壊れるかもわからない、かなりの築年数の実家である。瓦の数枚はすっ飛ぶんじゃないかと思っていたが、そうはならなかった。古い家なので床が地面より高く、仮に冠水しても床下浸水で済むだろう、なんて軽い考えでしかいないが、あらためてハザードマップを見たら、利根川・渡良瀬川・思川のいずれの氾濫でも、我が家が沈むことはないようだ。

うちがよければいい、って問題ではないのだが、それでも「たまたま」被害ない土地に実家があるということについては、私が生まれた年に死んだ祖父に感謝である。3年前に父が亡くなった時に聞いた話なのだが、私の実家の土地は、実はもともと地元の酒造メーカーが広大に所有していた土地だったらしく、それをなんとかして周りの世帯とともに買い取った場所らしい。亡き父の年齢と同じくらいの年数だけ、土地と建物を財産として保持してきたらしいので、ざっと65年以上、駅近5分で災害もそこまでない、とても便利な場所に実家は佇んでいることになる。

それだけに、腹を据えて関東を飛び出し福岡の地で教員生活を送りながらも、やっぱり地元に戻らねば、という気持ちは出てきてしまう。守らねばならないという義務感よりも、もったいないと思う気持ちの方が強い。正直、建物は建て直したいところだが、あの場所、というか、あの土地には、どこか執着がある。高校もから県外に通い、忙しい日々を送っていたためか友人とも疎遠になりがちで、地元と自分をつなぎとめるのは、実家くらいしかないというのも現実だ。もしも土地を売ってしまい、他人の手に渡ってしまえば、いよいよ帰る意味すらなくなる。

台風19号の影響で、友人の実家が浸水したそうだ。生活基盤を東京に置くその彼は、「実家がなくなる」と言った。どういう言葉をかければ良いか、正直迷うところではあるし、なによりその家で現に生活をしているご家族がこれからどう生活をしていくのかは喫緊の問題だ。ただ思うに、この機会は、彼と地元をつなぎとめるのは何かを思い返す契機にもなるのかもしれない。建物なのか、土地なのか、それに紐づく風景なのか、はたまたその場にいる人々なのか。

私には、暮らしを営んだり、人とのつながりを得たりした場所がいくつもあり、その全てが「帰る場所」であり「育った環境」でもある。景色も、人々も、空気も、音も、帰れば「おかえり」と言ってくれる感覚になり、その錯覚はおそらく、過去の自分がそこで過ごした記憶がもたらしているんだろう。自分自身ではどうにもできない、何かの大きな力によって、「ただいま」を言える場所の様相が変わる時もある。何が自分とその場所をつなぎとめるのか。変わる様相のなかでも、一つでもそれを見いだせれば、ホッとできるんだろう。

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