チャリティーコンサートに寄せて

こんばんわ、久々の記事になってしまいましたね。現在部活動は第12回チャリティーコンサートに向けて準備に追われています。部員日記にもその様子が書かれています。今回は自分が書いた記事に関連して自分のチャリコンへの考えを述べてみようと思います。SchoolDaysにしましたが、勇気の日やMusicDaysにも引っかかってきます。あくまでも個人の考えですので。長いので続きに書くことにします。


今年のチャリティーコンサートは第12回目です。小学一年生がもう高校三年生になるだけの間行われている訳です。伝統ですね。「チャリティー」と銘打っているだけ合って、毎年会場に募金箱を設置しています。もちろん今年も会場に募金箱を設置します。
日頃から吹奏楽部は多くの方にお世話になっています。顧問の先生・レッスンして下さっている先生を始めとする「先生」方、OB・OGの先輩方、学校の友達、保護者のみなさんはもちろんのことながら、不動岡高校の地元・加須市のみなさんにも大変お世話になっていると思います。僕の考えでは、演奏会はそうした方々に日頃の活動の成果を見ていただくとともに、日頃お世話になっていることへの感謝をする場であると考えています。さらにお客様に感動してもらうことが演奏会の目的であり、それが「地域貢献」になると考えています。
しかし、それだけでは地域貢献と言えるとは思いません。僕らが日々練習に励んでいる頃にも、何らかの形で困っている人がいるのです。今年も国内外で多くの災害が起こり、また福祉の面で困難を抱えている人がいます。何らかの助けが必要なのです。それが分っていても実際自分には何ができるのか分らないものです。スマトラ島沖地震で被害を受けたスリランカに東京の工業高校生が出向き、車いすを修理したと言う記事を見かけたことがあります。彼らは彼らなりに自分のできることを見つけたのではないのでしょうか。でも全ての人が彼らのような人間ではありません。行動を起こすことに大きな勇気を伴う場合が多いのです。
しかし募金は誰でも簡単にできるボランティア活動です。そのほんの少しの善意が大きな支援の形になって現れる訳です。国内外で困っている人の現状を知ることは、被害の悲惨さを知ることにとどまらず、困難のなかで必死に生きようとする姿を知り考えることであると思います。その姿は人々に勇気を与え、そこから起きたアクションは例え募金でも「自分にもできた」という自信につながり、勇気を育むのだと思っています。救いの手を受けた人々も生きる喜びや生きることへの勇気を得ることができるのだと思っています。
でも実際、日頃から募金活動をすることはあるのでしょうか。何かの弾みがなければできないことじゃないかと思うのです。メディアや大々的な募金活動がなければ先程述べた「知る」ということは果たされずに終わってしまいがちです。だから僕らがその弾みを作る訳です。スリランカで車いす修理をした高校生は工業高校で身につけた技術を社会貢献に使った、なら自分たち吹奏楽部は人を感動させる演奏をすることでチャリティーを呼びかけることができるのではないかと思うのです。
僕は、自分たちが何不自由なく練習できることへの感謝の意味をこのチャリティーコンサートに託したいと思います。自分たちの演奏が困難を抱えている人の助けになるのであれば、こんなにうれしいことはないと思います。僕は募金という行動は自分のために行っていることなのだと考えています。「困っている人を助けることができた」という、いい意味での自己満足を得ることができ、それが生きがいになるのだと思うのです。ボランティア活動を生きがいとする人たちが多いのはこれが理由ではないでしょうか。自分たちの演奏が誰かの役に立っているという自信がつけば、さらに向上しようという思いが出てくるのではないかと思っています。
大口ばかりを叩いてしまいました。正直言うと最近自分自身悶々としていたのです。なにかしらアクションを起こしたいという願望はあってもそれに至らない自分がいることに。だからこそ、このチャリティーコンサートを単なる演奏会と位置づけることはできないのです。こんなに偉そうなことばかり並べて実際お前は練習しているのかと問われれば押し黙ってしまうでしょう。ですがこれから残り少ない準備期間ではあるもの自分にできる演奏は何か、やれることをやってみたいと思うのです。
演奏を聴いていただき、私たちの考えにご賛同いただけるのであれば、当日はぜひ、募金へのご協力をよろしくおねがいします。

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