またちょっと、ダラダラと文章を書いてみる気が起きてきた。それだけでも進歩かもしれない、と思う。
社会人になって1年が過ぎた。正確にいえば、会社員になって1年が過ぎた。思った以上にあっという間だった。というか、気づいたらもう1年経っていて、実感というものはまるで皆無だった。こんなもんなんだろうか、こんなもんなんだろうな。
そりゃ、大変だった。楽だったといえば嘘になるし、社会はそうそう甘いものじゃないから、楽だと感じていたらそれは相当ナメたもんである。好きなことだけやって、そりゃやらなきゃならないこともあるけれど、ブッチしたって困るのは自分だけだった状況とは訳が違う。「まぁたぶんそうなんだろうな」とは思っていたけれど、それでも田んぼと畑に囲まれて育った学生時代のことを思い返せば、自分のやりたいと思うことに正直に突き進んだ結果、それ相応どころか思った以上の成果をうっかり上げることができていた環境に浸っていた分の反動は大きい。これだから、学校大好きの優等生ちゃん(あくまでも僕自身のことを皮肉たっぷりに自虐している)はダメなのだ。
それでも、1年経って社会的ステータスに変更はない。このご時世、正社員として職にありつけ、さらにそれがとんでもなく気が向かず苦しく辛いだけのものではない、むしろやりがいや楽しさを感じる瞬間が多々あり、また「ああ現状の自分ではこの人にはかなわない」と思えるような人たちに囲まれて理不尽などなく仕事ができていることだけでもとてつもなく幸せなことである。それでも中には「あいつ1年でへこたれんじゃねぇか」と思っていた人はいて、「よく1年続いたね」という声ももらう。こんなもん当たり前と思う自分と、それでもよくやったと思う自分と。
「1年続いた」という表現は誤解を生みそうで、その表現の前提には「仕事は・社会は、辛いものだ」ということがあるんだと思う。そして僕はそのことを否定しない。大手を振って、「仕事は年がら年中楽しいなんてもんじゃない」といえる。こういうと非常にネガティブに聞こえることも重々承知しているが、嫌だと思うシーンはあっても放棄する気は起きていない。各論で辛くても総論楽しければいいじゃないかと思うし、事実そんなもんだ。むしろ総論はもちろん各論のすべてにおいて楽しいと思えるとしたら、よっぽどの楽天主義者か、運のいい成功者でしかない気がしている。
と、そんなことを書いている自分が、自分自身でも意外である。だって3月31日、泣きながら京浜東北線に乗っていた俺からすれば、この1年のどこかでへし折れて、「ひもなしバンジー」だってあり得た話だ。元来僕は感情の起伏が激しく、特にネガティブな方向に思考がシフトしやすく、多少の失敗でも取り乱すことが多い人間だと自覚している。いつなんどき、メンタルがやられてもおかしくない、というのが自己評価だ。だから、そもそも社会に出て組織の中で働くというときに、絶対何かあるだろうという危機感を常に持ちながら生活していた。事実、あまりに気分的にしんどくて、それが眠気に転化してトイレにこもるということがだいぶ多く起きていた。ようはそれがストレスだったと思う。そしてそのストレスはきっと、どの会社を選んだとしても同じように訪れていたもので、決して今の会社に限ったことじゃないんだろうな、と思っている。
未だに未熟で不器用で要領が悪く段取りがとれずに周りを巻き込めない、ようは屋台骨ではなく迷惑要因でしかない、と自己認識していながらも、それでも「ああもう無理」と投げ出さなかったということは事実として存在している。自分だけの要因でもなければ外部要因だけでもない。ただ単に、事実として「1年の間に、投げ出さなかった」ということが、実は一つ目にして大きな「想定外」だった。
想定外1:1年間の間に、ストレスでダメになって投げ出すかも、と思っていたけど、そんなことなかった。
そういえば、就活時期にとある企業を受験した際、「安定性のある事業基盤のなかで新しいことにもチャレンジできるベンチャーマインドを持った会社で働きたい」とか、訳の分からないことを抜かしていた時期があった。そもそも、不確実性が高く可変性に富んでいて多様性にあふれる人間社会において、そもそも「安定」など手に入れられる方が至極難しい。たしかに弊社は、安定した収益をもたらす確実な事業があり、だからこそ新しいことにチャレンジできる体制は整っているが、それは事業戦略や財務上の話であり、人ひとりが働く上でのマインドとして、安定とベンチャーマインドは矛盾する。多分その当時の僕は、勤務時間と給与のことを考えていたのかもしれない。給与のことについていえば、ふたを開けてみれば実はあまり頓着していなかった自分に気づく。貯蓄と保険に意識が向かないのは、そもそも意識がないからだと思う。
勤務時間については、気にはしていた。なぜなら寝なきゃダメな人だからだ。基本、けっこう眠い人間である。朝がめっきり弱い。PCで目覚ましをかけて、そのアラーム音を「Military Trumpet」というのに設定していることが多いのだが、朝6:30から15分ずつかけているにもかかわらず、ようやく気づいて起きるのは7:45ということが多い。さらに二度寝する癖もある。それに基本的に運動しないから体力もあまりないと思っていた。そんな状態の人間が、朝から晩まで長く、特に夜遅くまで死に物狂いで働けるとは想像していなかった。だから、配属された部署が、社内でも割に朝が早くまた夜も遅い部署だということを聞いて不安が一気に高まったのはよく覚えている。
それでも、10時出社が推奨される弊事業部において、僕個人は平均9:30前に出社する。一方の夜は、終電が24:59発ということに甘んじて結構遅くまでいる。勘違いしないでほしいので何度でも念を押して伝えたいのは「長々と労働することが別に偉い訳ではなく、むしろ生産性・効率性が悪いだけのこと」ということ、「在社している時間と仕事をしている時間は決して同じではないと認識している」ということ、そして「早く来ることも遅くまで残ることも、強いられているのではなく自分の意志である」ということである。つまり、労働時間についてだけ言及するとすれば、本来そんなに長くないはずなのに「自分から」長くしちゃっているだけの話である。当初の想定では、そんなことを続けていたら、真っ先に体が壊れると思っていた。しかしどうだろう、思いのほかピンピンしている。さらには週末に課外活動的なことをして体を酷使したにもかかわらず、次の週平気で乗り切っている自分がいる。
そしてこの「居残り癖」は、確実にあの「湘南藤沢キャンパス」という場所で6年間を過ごしたせいだと思う。あの「残留」が、現在の生活習慣の根源だ。だとしても、それなりに規則正しい生活リズムのなかでも体調を保っていられること、もっといえば、風邪を引いて寝込んで会社を休むことになったことは一度もなかった。風邪を引いたとしてもすぐにクリニックに行き薬をもらって大汗かきながら床につき翌朝には治る、という流れで乗り切った。また、睡眠時間はなんだかんだ平均5〜6時間は確保できているので、そこまで支障もないのかもしれない。いずれにせよ、入社当時の想定と違い、案外体力的には保っている。しかしこのように書くと「なんだお前、まだイケるんじゃねぇのか?」と問われそうで、それはそれで怖い。
想定外2:夜遅い生活が体力的にはムリなんじゃないか、と思っていたけど、案外睡眠時間も確保できて、体力的にも持続できた。
そういえば、だいぶ私の仕事環境としてありがたかったことの一つに、土日の休日を確保できている、ということがある。これまた強いられてではなく、あくまで自分が自主的に土日に会社に行くこともあるが、行ったときにはだいたいVBAを組んだり、データコンペティションの準備にいそしんだり、と、自分のしたいことをしている訳で、それは遊びの範疇である。それはそれとして、土日は基本的に休みだ。何をやってもよい。だいたい休日の過ごし方としては、実家に帰るか、昼頃まで寝て1週間分のたまった洗濯物を処理して(だいたいこれだけで3〜4時間かかる)その後夜頃に買い物に出かけるか、あるいはそもそも予定を入れて遠出するか、イベントなり打ち合わせなりをしているか、のどれかだ。特に一番最後、「イベントなり打ち合わせなり」という点では、その7割は「アカデミーキャンプ」である。
夏休みも2日間もらえたが、その夏休みは「アカデミーキャンプ in 台湾」に行った。期中の最後3日間に参加するためだけに、業務後に終電に飛び乗って成田に向かったものの、終電が遅れたため乗り換えができずに佐倉から成田までタクシーを使ったのは記憶に新しい。土日や3連休を使ったキャンプ企画もあり、たとえば11月21日の金曜日に有給休暇をもらってORF1日目の事前視察をした後に、土曜日と日曜日で「アカキャン常連参加者の福島中高生をORFに呼んでアイディアソンをする」という企画をまわした。それから、入社したての4月には、4月最後の土日で福島県・猪苗代の合宿所で「ピタゴラ装置を作ろう」に参加し、帰京した翌日から新入社員合宿研修で3日間体力と気力の限界に挑むということをやってのけた。ちなみにその合宿研修の翌日は特別休をいただいたのだが、合宿研修が終わってすぐに荷物をまとめ直して終電のフレッシュひたちに乗って水戸に行き一泊、特別休の日には水戸の免許センターで免許交付の学科試験を受けて合格するというミラクルをやってのけたことも記憶にあたらしい。
社会人雪合戦クラブチーム「湘南台冬将軍」も、休日を費やしたプロジェクトだろう。と、いいつつ、こちらはそこまできちんとコミットできていなかったが、それでも月1で会議を持ち、2月のツアー実施よりも前から準備にいそしむ実行委員会メンバー(こちらみな会社員)のバイタリティーには驚かされる。そうか、プロジェクトをまわすということは、僕にとってはもちろん、そのプロジェクトに関わっている人たちにとってはもはや趣味というかなんというか、「懸けるもの」なのだろう。プロジェクト結に関わる社会人のみなさんも、たぶん「懸けるもの」としての場所を、会社・仕事以外にも持っているんだろう。だから、プロジェクト結へのコミットメントが目減りしてしまっていることには本当に申し訳なさしか感じていないが、それでも細々ながら関わりは続いていて、目下課題は「えんしのが機能不全」の場合の代替策をいかに担保するか、にある。
とはいうものの、学生時代に関わりを持っていた活動に継続的に携わることができていることが予想と反していたことだった。もはや、まったくパッタリだと思っていたのだが、続けることはできている。もちろん残念ながら、平日のコミットはほとんどままならない、というかついていけない。圧倒的に情報をとりにいくための労力をかけられるだけの時間的余裕がなくなっている。やはり休みたいもの。だけど、ただ寝ておいしいもの食べて欲望に任せて買い物をして、だけでは心は癒されなくて、そしてただ遊びにいくだけでも不十分で、僕自身はなにかを創りだしている感覚が持てること、そのワクワクがある時間を過ごしていたほうが、よっぽど潤う。その楽しさを味わうだけの時間は、思いのほか用意されていたのだった。
想定外3:これまでの活動はパッタリ関わらなくなるんじゃないか、と思っていたけど、むしろそれらに関わった方が心の潤いが得られた。
ところで、社会人になって明らかに減ったこととして、情報への接触、がある。端的にいえば、社会のニュースをキャッチアップしなくなった。ネットニュースで情報は簡単に手に入るし、キュレーションサービスは勝手に自分好みのニュースを与えてくれる。社会人の鉄則として新聞を読むということも推奨されるし、それらも今や電子版になっている。なのに、読まない。もはやこれはクセか。これはこの1年の大きな反省点である。新聞といえば、そういえば高校生のころを最後に新聞を読まなくなったのはなんなのだろう。入社してしばらくは、リハビリのためにSankei Expressから手を付けようと思ったけどやはりだめだった。京浜東北線の10分間は寝たい。WBSはできるだけ見ようとしていたが、見れる時間に帰るというクセはとうとうつかなかった。こうして書くことで、「これはヤバい」と自認させ、対策を考えないといけないと思っているが、そんなん対策を講じる必要はなく、ただ「時間をつくる・忙殺されない」ことだけがポイントだろう。
その代わり増えたのは小説を読むことだった。もともと本を読むのは遅い人間なので、文庫本1冊を読むのにだいたい2週間、早くても1週間はかかる。だいいち読む時間といったら帰りの電車の車内くらいなもんだ、そりゃ時間がかかる。けれども、こんなにいろいろ読むようになるとは思わなかった。いや、手に取る本はだいたい恋愛小説か青春小説で、「なんか飢えてる」としかいいようがないのだけど、それでも大学時代に村上春樹にハマった時期以来の文庫本への興味だ。とにかく活字に触れるということが結構大切だと感じている。趣味は読書、といえるようになってきたともいえるだろう。そこまで濫読しているわけではないが。テレビっこで、漫画もゲームもしないが、しかし本も読まない子供だった自分からすれば、人間というのはかわるものだろう。ただ、社会人として実用書なり新聞なり、そういう活字への触れ方はしかるべきで、それは意識の問題なのかもしれない。そうなっている自分をイメージしていたが、ふたを開ければ「キュンキュン」することを文章に求めていたのだ。
想定外4:実用書や新聞などで情報をとりにいくようになるんじゃないか、と思っていたけど、案外文庫本にハマっている自分がいた。
さて、このブログの投稿はかなり久々だ。1ヶ月ぶりの投稿となり、その前の3.11に関する投稿は7ヶ月ぶりだった。この、社会人振り返りPostは、実は新年に書こうと思っていた投稿だったのだが、ここまで引きずってしまった。たまたまバス移動が相当長い場所に行くことがあったのでダラダラと書いてみたが、こうしてダラダラと文章を書いて人生のログを残すという行為を、ここ1年ほとんどできていなかった。まぁブログ自体への投稿は、高校生で始めたときから徐々に少なくなっている傾向はあるのだが、それにしてもほとんど更新されない状態が続き、私のブログのファンだというゼミの後輩にせかされたもんだ。
そして、Twitterのつぶやきが激減した。休日やアカデミーキャンプになるといきなり増えるという傾向は昨年の上半期には見られたものの、それすらも少なくなってきた。はきだめにすらなっておらず、発信量そのものが激減して、自分の行動のログを追えなくなった。Facebookへの写真の投稿はそれなりに引き続けていたが、とにかくソーシャルメディアへの発信がなされなくなったのは、全く想像していなかったことである。かつての自分は、いわゆるツイ廃だったのかもしれない、と今このタイミングで思うほど、かつての投稿量が多すぎたのかもしれない。それでも私の場合、ログとしてソーシャルメディアを活用していたからこそ、自分のこと・社会のことを振り返って自分の見識を構築してきた部分があったはずだ。その発信量がすくなくなったからこそ、私は「鈍った」のかもしれないと思う。
ソーシャルメディアへの発信量が減ったのは、書くネタがなくシェアしたいと思うほどの想いもそれほどわき上がっていなかったのかもしれない、と思うともの悲しい。日々いろんなことを考えているはずで、いろんなことを想っているはずで、なのに書いていない。すぐにそれをシェアできるだけの物理的・時間的環境がなかったというのは言い訳でしかないようだが、事実生身の想いをすぐに吐き出すことができないという制約は自分をソーシャルメディア発信から遠ざけた大きな原因なのかもしれない。もうすこし、これからは言葉に埋もれるべきなのだろう、正確にいえば、自分の考えていることを言葉として紡ぎだし、その紡ぎだした言葉にいったん埋もれてみることで、自分を再発見しなければいけないのかもしれない。言葉を選ぶセンスを褒められたことは多い。しかし今、そのセンスは磨きがかかっていない状態である。否、詰まってしまっていると言った方が正しいかもしれない。たまにはこうして吐き出してあげられる時間を作ろう、と考えていること自体が、かつての自分からすると予想外なのだろうと思う。
想定外5:ソーシャルメディアへの投稿量はさしてかわらないんじゃないか、と思っていたけど、激減した。
ふぅ、ちょっと書きすぎたかな。なんかいろんな所からおしかりを受けそうな文章であることは自認している。それでも、これが正直なenshinoの感覚であるからして、タイトル通りArchiveしなければいけないと思う。社会人1年目は、2013年3月31日まで自分が想像していたものと比べ、いくつかの点で異なっている部分があった。そのギャップ自体が、またこの先において新たなギャップを生むのかもしれない。
入社から1年が経ち、間もなく配属からも1年経つ。もう少し、自分自身を奮い立たせて、直すべき部分についてきちんと直し、進んでいこうと思っている。そうして進んだ先に、また来年くらいに「想定外」をいくつか集めてみよう。今よりもっと質の違う「想定外」が生まれていると、いいんだけどな。
長々と、おつきあい、ありがとうございました。それではまた、明日からの仕事、がんばります。