一つ仕事に区切りがついたので、振り返りとアンカリングのために、ぐだぐだと書きました。仕事の区切りがついた金曜日の後、オフサイトでの振り返り研修が2日続いて、きちんと振り返ることって必要だよなと思って、それに触発されたので書いたところ、軽く5000字を越えてしまいましたが、ご興味がありましたらご査収ください。
信念。
このキーワードが、ここ半年の自分にかなりついてまわったと思う。こんなにまでこの言葉にこだわりを持った半年間はなかったかもしれない。
有楽町の交通会館のもとで靴磨きをしている「千葉スペシャル」という集団に心底惚れて、何足か靴を磨いてもらいに行った。彼らはプロフェッショナルである。社長の千葉さんについて、あるお弟子さんは「どんな会社の人に対しても、たとえそれが社長であったとしても、千葉さんは説教をたれる。それが面白い」と口にする。瞬間、僕は「職業に貴賎無し」という言葉を知る。たかが靴磨きのように思えるかも知れないけれど、そこには1000円を越える価値が確かに存在していて、説教をたれられることを含めてもなお、価値を感じて対価を払いたくなる。一つのことに対してプロフェッショナルを追究する靴磨き集団の存在を知って、「商売」の本義を自分なりに知っていった気がしている。
僕が今の会社を選んだのは、なんともロジックで説明しがたい「正義感」が決め手だったことは、前にも記事に書いたとおりだし、それは今でも変わっていない。マーケティングリサーチという営みは、世の中にいいものしか生み出さない。かりに調査の結果がクライアントが進めるビジネスを否定するものであったとしても、世の中が求めていないという結果に基づいて軌道修正を図るべきだという結果だし、その軌道修正はクライアントのビジネスを今以上に推進するはずだと思う。腹から納得できるこの考え方は、日々輪を掛けてその通りになっている。
自分が信じているものにこだわりを持ち続けることは、それは単なるエゴでしかない。でもそれが人の心を打ち、自分以外の誰かに「価値がある」と認められる。世の中数多のプロダクトやサービスはそうやって成り立っていると思う。というか、そう信じたい。リサーチの存在に否定的っぽいAppleだって、これは世の中にインパクトをもたらすといってプロダクトアウトをしてきた。そこまでの自信を持ちきれるほうがむしろマイノリティだからこそ、リサーチという「証拠」をもとに、自分たちの信じる道はどうやら確からしいと勇気を持って、多くの会社はビジネスを進める。僕らのビジネスは、リサーチという営みを通じてクライアントに勇気を与える仕事だと思う。そこに価値があるから、売上を上げているし、15年生き残ってきたんだと思う。
信念。
クライアントが持つ熱い思いに対して寄り添いたい、というかそうするべきだ、という僕のこの信念が、別言すればエゴが、この半年の僕の原動力の一つだったかもしれない。それが強すぎたせいで、「うまくいった」とか「やりきった」と思える感覚を得ることが出来なかったのも確かかもしれない。強い信念が、逆に自分の弱さを浮き彫りにした。
僕の仕事は、人財の育成を通じて、会社の成長を加速させること。これは部署のミッションであり、ビジョンであり、ここに心底惚れている僕にとって今の自分の「在り方」と密接にリンクしている。僕がしているこの仕事には、とても意味があると自分で思っている。信じている。だからやらねばと思うし、実際にやる。必要だと思うことをやっているから、攻めるしチャレンジを続ける。元来の「どうせやるなら、おもしろく」という性格とあいまって、自分が「おもしろい」と思い、また「必要と感じる」ことは、この半年の新人育成の仕事においていろいろやってきた自負がある。
自負。所詮、自負。
想いだけ強くたって、内実それを固めていく実装力が無ければカタチにはならないし、想いと熱意だけで突っ走ったってちゃんと丁寧に考えて向き合って説明を尽くさなければ人は動かない、というか動きようがない。想いが強いだけに、実力のなさを思い知らされた半年でもあったと思う。そしてなにより、それが成果としてカタチに出なければ、その自負や信念や想いは、絵空事でしかないしエゴでしかないしペイするだけの価値にはならない。
4年目にして初めて、会社を辞めてやろうかと思った瞬間があった。その前後からか、仕事を推進する動機の一つに「怒り」という感情が加わったことは、ある意味事件だった。大切な新人という人財は、全社をあげて厳しくも暖かく育んでいくべきだ、という自分の信念に対して、担当者である僕にアラートをあげても自分からアクションを起こそうという発言に至らない実情を見て、全社宛てに暴言のメールを書き捨てて辞表を提出してやろうかと思った。瞬間、そんなのプロじゃないと思って踏みとどまったけど、そういう感情になったのは初めてだった。また別の機会では、「今年の新人は・・・」と言われて、自分が信念を持って創ったプログラムを否定される発言をされて、「それでも信念を持ってやりました」と怒りを込めて言い放った次の瞬間、「そういうのは自己満足って言うんだよ」と言われて我に返った。言い返せなかった。そこでも自分の弱さを知った。
数的目標を置くことが苦手で、それを追っかけるためにがむしゃらに取り組むということが苦手で、「仕事だから成果を出してあたりまえ」ということがまったく分かっていなかったから「稼ぐ」ということに興味すら覚えなかった自分が、この半年の間に「成果」という言葉を、ロジックのクッションを挟まずに言えるようになったことはかなりの成長だと思っている。だれもが納得する成果を残す、だれもが理解できる結果を残す、そうして初めて意味をなすということがようやく分かってきた。頑張っているだけでは意味がない。1年目は「常に前のめり」でよくても、もう4年目だし、その「前のめり」は、内実を伴わないといけない。
人の価値観は千差万別といえど、経済活動に身を置く限り成果を出すことはあたりまえだ、と言えるのは、一方では「右へ倣え」な考え方かも知れないが、しかし他方、事実歴史がそう証明している気がする。その認識に立てたからこそ、自分が成果を出せたかというと、とても答えに窮するし、この半年の短期目線でいえば、僕は成果を残せていないと思う。
信念。
だからこそこれが欲しい。これを求めてしまう。人財育成の仕事は、その成果が本当の意味で現れるのはしばらく先のことである。1年、3年、下手すりゃその新人が死ぬときにようやく分かるものな気がする。この摂理は学校の先生にも同じことが言える訳で、だから教育という営みは、概して宗教がかりやすい気がしていることに、同意をする人は少なからずいるんじゃないか、と思う。というか、そういう所与があるからこそ、自分が信じることを自信を持って進められるだけの信念がないとやってられない。
たくさんの新人を受け入れて、その新人達と一人ひとりしっかりと丁寧に向き合いたかったけれど、それが充分にやりきれなかった。プロジェクトマネジャーという立場上、たくさんの人を巻き込んで進めていくのであれば一定仕方ないと言える一方で、一人ひとりと向き合えていない事実はプロじゃないし、それを本人達に贖罪することはもっとプロじゃない。ただやっぱり申し訳ない、事実、限界はあった。
人が増えれば、価値観は多様になる。僕はそれぞれが持つそれぞれのとらえ方を尊重したかった。右へ倣えなんてことは、合理的な説明がない限りはしたくないし、本人に納得度が無いのであれば不合理を押しつけることはしたくなかった。だから、彼ら自身が答えを導いていくというか、彼ら自身のなかに答えを芽生えさせることをしたかった。教えるのでなく、気づく。teachでなくfacilitate。それが僕の教育観だからこそ、それを心がけたけれど、その理想通りに進んだとしたらこれほど苦しんでいないし、そう単純に世の中は動くものじゃない。
それぞれのとらえ方と考え方は尊重したい。けれど一定、世の中には不合理がある。ロジックじゃ語れないものがある。そこに折り合いをつける必要もある。価値を感じるとか、お金を払うとか、発注するとか、一緒にビジネスするとか、オカネは合理性のもとに動いていると思われるかもしれないけれどそうじゃない、ということを思い知れば知るほど、信念という言葉への回帰は続いていったが、そこが多分「ひんまがった信念」だったというか、自分にしか向いていない信念だったと思う。そこが自分の弱さだった。
マインドセットにおいて必要な項目に「相手志向」というものをおいておきながら、その実僕はこれがとてつもなく下手で苦手で分からない。これが足りていないことで、「どうして自分はここまで信念を持っているのに、メンバーは動いてくれないのか」という疑問を持ってしまった。「うまいことうごいてください」なんてのはどうやっても無理。僕には一定、「あとはうまいことやる」というマインドとスキルが身についていると自負しているしその実績もあるつもりだったけど、これが特殊・マイノリティなのであって、そしてこれを持っているからと言って決して偉いわけではないし、そしてそれを他者に押しつけることなんてもってのほかな訳だ。それが分かっていなかったから丁寧さを失ったんだと思う。
信念。
「常に前のめり」と「あとはうまいことやる」が、自分自身を今のステージに育てた原動力だと思っている。というか、そう信じている。それが大事だと思う。それはみんなにも出来ると思っているし、みんな持ち合わせていると思っている。これが大きな間違いだと気づいたのもこの半年だし、この信念を僕は押しつけているだけだということにも気づいたのがこの半年だった。それを分かっていながら、結局新人達には「俺はこう思う」とか「俺の言いたいことを言う」とか言って、だいぶ押しつけをしていた。そうじゃなきゃ当たり障りのないことを言うだけに成り下がるので、それはいやだと思っての行動だけど、まずそもそも「訳が分からない」し、反動もあった。そりゃそうだけど、それはそれでしんどかった。
自分が信じていることをきちんと分かってもらえない状態で、自分の関わりも薄い中それを強めようとするたいした努力もしないままただただ勝手に寂しさとやるせなさだけを募らせて、そういう精神状態から自分を守るためにより信念を強めた訳だから非常に筋が悪いし、それをこうして言い訳がましく書いていること自体筋が悪いし、この媒体に書いているということは一定「enshinoは正しい」と言って欲しい承認欲求が働いているわけでとても弱い。至極弱い。
それでもなお、僕が今こうして僕でいられることの背景には、会社や世の中からの承認と、一定の成果があると思っている。人を動かす何かがあったと思っている。一定、僕は正しかったと思っている。「あと一歩だけ前に進もう」とする気持ちが人を成長させるし、そういう環境や経験の中で成果を出すことで得られる自信によってまた更に成長できると思っているし、その背後には失敗する経験から学びを蓄積して成功体験の再現性を高めるという営みが必要だと思っているし、そうなれるためには自分自身のみならず他者との「本気と本音」の関係性のなかで変わるチャンスと勇気と「ブレイクスルーの鍵」を得ることで「しなやかな強さ」を身につけるべきだと思っているし、その営みを通じて「相手以上に相手を想う」自分自身でいられることが価値を生み出すと信じている。
僕の原体験の一つである「しごとの学校」という研修は、徹底的に自分と相手と丁寧に向き合った3泊4日だった。あれはもう7年も前のことになる。人は一人で活きていくけど、一人だけでは生きていけないとすれば、他人を他人とせず向き合うことは避けて通れない。その大事さを肌で感じたこととともに、それを教えてくれたのが楽天の創業メンバーである本城慎之介さんであるということは僕の自信の一つでもある。
信念。
僕のそれが本当に正しかったかどうかは今は分からない。自信過剰かも知れないし、単なるナルシシズムでしかないのも分かっているけれど、しかし結局「お前は大丈夫だ」と言い聞かせられるのは僕自身に他ならない。
悔しいのは、その信念を、自分の理想のカタチに実装できなかったことだ。それは一定仕方なくて、なぜなら自分の実力が不足しているということに他ならないからだ。とはいえ誰かがやらなければならない状況の中で、まずは自分がやりきった。その結果実装できていない現実の責任は全て自分にある。だれが何と言おうと自分にある。異議は認めない。結局僕は「頑張っていた」けれど成功できていない。
この半年の経験を「失敗」とアンカリングすることは、共に創ってきた仲間や協力をしてくれた人々、なによりその渦中で「育つ」新人達の努力を全て水の泡に帰するとても乱暴かつ失礼かつ冷酷なことだ。それでも、大変申し訳ないのだが今回のこの半年は自分にとっての「挫折」にさせてほしい。そうでもしないかぎり、自分がしようと思い立ち、仲間と共に進めてきた様々なチャレンジに対して、僕はこのことを「やったった感」と共に振り返ってしまう。これはとても危険だ。
同じ新人に向き合う半年でも、2015年と2016年とに違いが出るのは当然で、そして今年「やったった感」を感じられなかったと結論づけるのもまた、正常なことだと思う。これが僕自身の中での正常な評価なのだが、一定こうして低く自分を評価することで他者から「そんなことない」と言われたい自分がいるのもまた筋が悪い話である。なにより、一緒に進めてきたパートナーや仲間やメンバーへの感謝がない状態でここまで文章が続いているのも、まことに「相手志向」に欠ける、の極みである。
信念。
こういうダメな自分だからこそ、せめて自分の信じた信念だけは貫きたい。
そうして、ポリシーとしてのスーツを着続けた2ヶ月間が終わって、明日からは私服に戻るが、この2ヶ月間の全力投球のおかげで全く進めて来れなかった仕事がまだ待っている。罪悪感と共に明ける月曜日。それでも、前に進むしかない。
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