生徒会役員の顧問教師をしている。
どうやら普通なら数名で担当する、それこそ各学年に1名ずつ担当者がいるようなのだが、勤務校は1人1分掌制なので、担当者は私だけである。昨年の12月に、ピンチヒッターとして参加した修学旅行のUSJの入り口で言い渡されたのがすべての始まりで、昨年度の担当者が早期退職をすることになったことに伴い、2020年1月から引継ぎ期間を持ちながら、2020年1月に代替わりした令和2年度の役員たちの顧問をしている。校長に「なんで私なんですか」と聞いたら、「その方があなたの引き出しを活かせると思って」とのことだった。
実際ここまで、確かに自分の引き出しを出せている感覚はある。
大学と大学院で研究をし、マーケティングリサーチ企業でマーケティングとデータ分析を経験し、人事として採用・研修・制度設計を担当し、教育団体でプロボノとして動き、ワークショップデザイナーとして学びと実践をしてきた人生であった。それを通して学んできたのは「わたしとは違うあなたと、一緒にうまいことやって、だれかに役立つことをする」というスタンスと、それを達成するための技術だった。特にその技術とは、相手と対話する、相手の納得と協力を引き出す、相手と事を成すために越えるべき課題を紡ぐ、といったことがらのために、考えを整理すること=フレームを用いることだと思う。
つい先日、1学期の生徒会活動の大舞台でもあった生徒総会が終わったのだが、あらためてここまでの活動で私が生徒に提示してきた「考え方」や「フレーム」を紹介していきたい。きっと誰かの役に立つことを願いつつ。
はじめに:なんでこれを書こうと思ったかをつらつらと
申し訳ないのだが、少し今回の記事を書こうと思った経緯について、もう少し書かせてほしい。さっさと先を読みたい人はここをクリックしていただきたい。
つい先日、生徒総会を終えた。
前述の通り生徒会活動の担当顧問教師は私だけ(実はもう一人サブ担がいるのだけど、初任者で担任&テニス部も持っており、副担任2年目部活動顧問なしの私に比してべらぼうに忙しいので、サブ担としての活躍は2学期以降にお願いしている)なので、昨年度野球部を一緒に担当した主顧問の先生(最高学年の学級担任もしている)によくアドバイスをもらう。その先生に、先般の生徒総会に関するフィードバックをもらったら、こんなことを言われた。すべてが「おっしゃる通り」すぎて、ぐうの音もでなかった。
ZOOMでやったことを、役員でない生徒たちが「すごい」と言っていたが、ZOOMがすごいとなったら、それは遠藤先生がすごいということになってしまい、「役員たちがすごい」とはならない。それは違うと思う。生徒会役員たちは特別であるべきだし、それを行動として示せるようにするべきだ。今回、委員会の活動計画の審議だけではなく、自分たちで学校をより良くするための自由審議を取り入れて、最後まで「自治」にこだわろうとした遠藤先生の意図はよくわかる。ならば、運営も含めて生徒たちが「自治」すべきで、事前のPC準備で遠藤先生がすべて動いていたのは望ましくなかった。何より今回の生徒総会で「すごい」と思ったのは、生徒たちの議論の質であり、それは討論ができる生徒たちのレベルの高さがあってのことであり、同時に遠藤先生がフレームを整えたからだ。枠組みを作っても、その中での動きは、生徒たちに託していくほうがいいはず。
書きそびれていたが、今回の生徒総会では2つのことにチャレンジした。通常、生徒総会で審議されるのは、各委員会の年間活動計画だけだったのだが、今年度の役員が「自由に話し合いができる時間を設けたい」と言い出し、ならば、といって「学校をより良くするための自由審議」という取り組みを入れたのが一つ目。もう一つは、コロナ感染対策により長時間同じ場所に全校生徒が入る状況が望ましくないということから、その代替策としてZOOMを用いて各教室から生徒総会を行う、というもの。結果的に、大きな事故もなく生徒総会自体は終了した。
終了したのだが、その実、役員たちを年間計画策定や答弁作成に集中させるためにと思い、ZOOMでの実施のオペレーション部分をすべて私が担っただけでなく、スムーズな審議設計のために、学級審議資料や討議の手引きの作成、審議のシナリオ作成などをしまくった。終了してふと振り返れば、本来は生徒会役員10名にとってのプロジェクトであり、それを眺めているのが役割だが、結局は「俺のプロジェクト」だと思って進めていた。これが企業のマネジャーなら、マネジャーがプレイングしすぎである。よくなかった。
そもそも私も、ずっと当地にいるとは限らない人間であり、仕事の契約もテンポラリーである。だからこそ、仕事を俗人化させず後に引き継いでいくことは自分のキーワードであり、加えて今回のことがあって、役員たちに仕事を渡していくということをしてく必要があることを強く痛感した。であれば私の役割の一つは、私の「引き出し」を生徒たちに転移させていくことだと思っている。その観点から言えば、今回の生徒総会は仕事の段取りこそ自分の課題があったものの、しかしフレームづくりは、生徒たちのポテンシャルを引き出す上では奏功したのではないかと思っている。ならこのナレッジは、自校だけにとどめず、広めてもいいんじゃないか、と考えるに至ったわけだ。
ただでさえ、卒業式・入学式は縮小実施となり、新入生への生徒会説明の場もなくなり、体育祭は中止になり、本来4回は経験できるはずだった月例の委員会会議は2回の実施にとどまり、と、ポテンシャルが高い役員人の顔ぶれに反して、コロナの影響から様々なイベントが立ち消えになり、その結果生徒総会が、1学期の最初で最後の大舞台になってしまった。そんな、「いつも通り」の体験を得れない役員たちに対して自分ができることは、これから一生使い物になる、それこそ「武器」みたいなものを渡すことで、それがこのあと紹介する「考え方」や「フレーム」であり、それらを体感的に身につけた上で、何かことを動かしていく体験を持ってもらうことだと思っている。
本題:役員たちに共有してきたフレームワークたち
前段だけですでにお腹いっぱいだと思うが、ここからが本題である。
●比率回答での振り返り
これをフレームとして紹介するにはなんてタイトルをつけようか迷ったが、結局は「比率回答」をしているんだなと思って、このタイトルにした。振り返りをする場面においては多用する方法で、特に新入社員研修をしていたころにはよく使っていた。生徒会活動でも、特に役員たちが人前で話す本番の後にこの方法を用いる。
「よかった」か「悪かった」かの評価なんて、相対的なものでしかないし、また個人的なものでしかないと思っている。加えて言えば、「よかった」「悪かった」は、ゼロイチのデジタルな区切りのものではなく、段階があるものだと思っている。さらに言えば、「よかった」「悪かった」を判断する軸は一義的なものではなく、様々な方向性から振り返りができる。
この方法を使うときは、メンバーが相互に向き合う状態にしてから行う。自分の前に片手の親指を出してもらい、親指を上に向けた状態を100%、下向きを0%だとして、質問を投げかけてどれくらいの比率かを答えてもらう。その時の問いかけは一つだけにせず、いくつか行う。それはたとえば
- 「よかった」なら上、「全然ダメ」なら下
- 声を大きく出せたら上、全然出せなかったら下
- 自分から動けたら上、指示を待っていたら下
みたいなものだ。上記の問いかけは「良し悪し」が決まるので上下のポジションにしているが、振り返りの問いかけは「AかBか」というチョイスにおいて、Aが良いとも悪いともいえないし、Bが良いとも悪いともいえないようのものもある。そういうときには、親指を上下にせず左右にする方法を用いる。
大事なのは、互いの自己評価を見れる状態にすることと、その比率に対して「なんで」を話せるようにすること。同じ取り組みなのに個々人での評価の差は何で生じているんだろうとか、その指の位置をもう少し上にするためにはどうしたらいいんだろうとか、そういう振り返りを誘発するための、一種の導入にもなる。先日、この振り返りの問いを生徒会長になけがけてもらうようにしてみた。2学期はその頻度を高めようと思う。
●現在・過去・未来・社会、そしてもう一歩
このフレームは、私にとってのバイブルとも言える、山田ズーニーさんの「考えるシート」に掲載されていたもので、以来本当にいろんなところで多用している。つい先日も、2学期に英語スピーチコンテストに出る予定の生徒にこの絵を描いて渡して、それぞれのテーマについて質問に答えてもらう形式でスピーチのテーマ探しを行った。結果的に彼女は「過去」のストーリーを語りたいと言ったので、そこを深掘りすることにしている。
生徒会で使ったときには、このフレームそのものを用いたわけではない。だが、このフレームのイメージを自分の中に持っていることで、問いかけに起こして生徒たちに考えてもらうワークを行った。何をしたかというと、生徒会の年間活動コンセプトを作る一連のワークショップの最初の段階、「あなたはなぜ生徒会役員になったのか」をシェアするフェーズである。コンセプト作り自体は、こんな手順で進めた。
- 生徒会になった理由を相互に語る
- 仕事を洗い出してカテゴリ化する
- 「学校のあるべき姿」を整理する
- 自分の職務領域の「現状・理想・施策」図を考える
- コンセプトの候補ワードを考えてくる
- ワーディングを設定する
で、このフレームに基づく問いかけは、この1.のワークにおいて用いた。生徒会役員になりたいと思ったのには何らかのきっかけがあって、あるいは「こうしたい」という理想めいたものがあって、それをお互いにシェアすることが、生徒会役員としてどういう学校を目指すのか=コンセプトを考える第一歩になると考えた。シェアを聞いてみると、みんな小学校時代の児童会活動が楽しかったという原体験を挙げていた。でも、過去の経験だけでなく、自分を取り巻く社会としての「学校」の現状についても目線を向けて、だからこそ「こうしたい」を話すに至ることができていた。
このフレームは、今踏み出そうとする目の前の一歩を、過去・未来・社会、それらの結節点としての現在、というところから紡ぎ出そうとする点に強みがある。生徒会コンセプトのような、組織のビジョンを策定するところにも強力に使えるが、これからさらに求められるであろう、個人のキャリア観の整理についてもフィッティングが高いフレームだと思う。
●2×2マトリクス:「私たちと地域」x「印象と理想」
このフレームのベースになっている2×2マトリクスの考え方は、前職時代に「ロジカルシンキング研修」もとい「問題解決基礎講座」を、外資コンサル出身の方に作っていただき、その後手ほどきを受けながら自分も研修担当者として立つようになったときに、教えてもらい・体得したフレームで、いろんなところで多用してきた。互いに相関しない軸を縦と横に配置して4つの象限を作り、情報を整理していくというものなのだが、物事を整理して考えていく上では非常にパワフルなツールだと思っている。自分たちの事業環境を整理するSWOT分析や、プロダクトポートフォリオマネジメントなどが、ビジネス界では有名な2×2マトリクスだろう。
物事は一気にブワッっと考えると全然考えが出てこなかったりまとまらなかったりするもので、だからこそ「分ける」ことが大事だし、「分ける」ことで「分かる」ようになると思っている。その意味で2×2は、軸に何を置くのかというところこそが一番難しいものであるのだが、いったん軸を決めてしまえば、場合分けをして考えることができるので、思考の抜け漏れを防いだり、考えるべきことや意思決定することの優先順位を判断しやすくなったりする。かといって、2×2に切り分けて情報を出していくだけで満足してはならないのも注意が必要だ。
で、私はこれをどのシーンで活用したかというと、生徒会のコンセプトメイキングのワークショップにおいて、自分たちの学校の「ありたい姿」を考えるために用いた。そのために置いた軸が、
- 「①私たち生徒から見た」と「②地域の人から見た」
- 「③学校のいいところ」 と「④さらによくできるところ」
だった。たとえば①×③ならば、「私たち生徒から見た、今の学校のいいところ」となり、生徒たちが自覚している学校の強みを示す。一方で②×③ならば「地域の人から見た、いいところ」となり、地域住民から学校がどういう印象を持たれているかを示す。生徒会として目指すべき理想を考える上でも、すでに良いところをもっと伸ばし、さらによくできると思える課題点や欠点を補っていくという発想になるためには、この2×2をつくったことにはとても意味があったと思う。
●現状・理想・施策
生徒会役員たちに、この1月から繰り返し示しては考えさせてきたのが、このフレームだ。何かの物事に取り組むときには、現状を認識し、理想とする状態を定め、その差分をクリアしていくために施策を洗い出していく、というフレームである。このフレームは、生徒会コンセプトメイキングにおいても使い、また生徒総会においても各専門委員会の年間活動計画の冒頭部分で書かせたものだった。さらには、幻と化してしまったが、「運動会において新種目を追加したい」という声が役員から上がり、なぜそれを提案するのかを整理させるときにもこのフレームに従って情報を整理させた。
今年の残りの任期はもちろん、2021年1月に代替わりする新体制の生徒会役員にも、ずっと意識させ続けたい。なぜなら、あまた「問題解決」というもの、あるいは「仕事」というプロセスは、「現状」と「理想」を「施策」で橋渡ししていくようなものだと思うからだ。それを学んだのがまさしく、前職時代の数々の経験でり、また現職で取り組んだ様々な授業実践や校務分掌の仕事だった。おそらくだがこの「現状・理想・施策」のフレームを知っているだけでも、生徒たちの将来においてかなり役立つに違いないと思っている。
ただこのフレームには2点の注意点があるので付記しておきたい。1つ目は、このフレームは「改善」に用いるにはパワフルだが、新しくてワクワクするものを生み出す上では全く使い物にならない。「現状」と「理想」を置いている時点で、発想が改善志向になり、ぶっ飛んだアイディアが生まれにくくなるからだ。2つ目は、「現状」にネガティブなことしか置かない傾向が出ることだ。どうしても改善思考になると、現状を「どうにかしなきゃならないもの」と見立てることが多く、つまり不出来にばかり目が行きがちだが、すでにできていることをさらに伸ばすために、という発想も許容できるように、ポジとネガの両方を適切にプロットできる必要がある。
●メリット・リスク・対応策
今年の生徒総会で取り組んだ、「学校をより良くするための自由審議」は、実際のところ、学級での審議の時間で自由に意見をあげてもらい、その中から生徒会執行部が「これは確実に職員会議に提案すべき」と思ったアイディアをピックアップして、生徒会執行部としての修正案をつくって採決を行う、という流れで議論を進めた。なぜなら、学級から出される意見のままでは、理由が付記されているにしても、生徒たちの視点からの要望にしかすぎないし、生徒による自治で施策を進めていくことに至れないと思ったからだ。そこで生徒会執行部に考えてもらったのが、この「メリット・リスク・対応策」のフレームである。
生徒たちから出される意見は当然、生徒たちにとってはメリットを感じられるものであるのは当然として、しかしそのメリットのうらには必ず「リスク」が存在する。わかりやすいもので言えば、学校のロッカーに置きっぱなしにしていい学習教材を増やし、通学カバンの中身を減らして欲しい、という要望。この場合、メリットは通学時の負担軽減だが、リスクとしては家庭学習用の教材すらも置いていくことによって、家庭学習の時間が減るというものや、ロッカーの中身が多くなることで整理整頓ができなくなる、というものだ。このリスクへの対応が自律的にできなければ、メリットを享受する自由は主張できまい。
こうしてリスクを事前に洗い出し、対応策を取ることを先に伝達しておくことで、メリットを受けることが生徒たちにとって喫緊であることを、より切実に主張することができるようになるわけだ。加えて、このフレームを使うことで、自分たちの活動を、より自治的に・自律的に行うことができるようになるわけだ。よく、メリット・デメリットというフレームが用いられるが、メリ・デメの提示だけではその施策を実行するほうに議論が向かない場合がある。だからこそあえて、その施策を前進させる前提であれば「リスク」という表記にした方がいい。
●Why – What – How
今回の生徒総会に向けた学級審議では、議論に不慣れな中学1年生のクラスに、生徒会役員をサポート役として配置した。私も脇から中1のクラスの議論を見守っていたのだが、自由審議になると案の定「これがしたい、あれがしたい」というアイディアが出てきた。それ自体はいいのだが、本当に提案に持っていくアイディアを形成するうえでは、「何をするか」だけではどうにも具体性に欠ける。かといってそれを具体的にせよといっても、細かな進め方に対して発想が向きやすくなる。そこで、サポート役の役員に吹き込んだフレームがこれだ。
どうしても、アイディアに具体性を持たせようとすると、Howの方向に議論が進みやすくなる。しかし、その細かな方法論の解像度を高めていっても、アイディアを受け止める方にとっての突っ込みどころをどんどん増やすだけになるし、結局その方法が深まったところで、そもそもものアイディア自体を否定されたら実現に至らない。だからこそ、「なぜこれをしたいと思うのか」というWhyの議論を深めたほうが、思いを伝えて説得を図ることがしやすくなる。仮に考えたHowが否定されたとしても、Whyが共有されていれば、受け止める側にも譲歩の余地が生じる。
実はこのフレームを使ったのは先日の生徒総会が最初ではなく、年度の切り替わり前に生徒会役員が「体育祭に新しい競技を追加したい」というアイディアを主張して来たことがあって、それを正式な手順で企画書に落とし込もうという動きを図ったことがあり、その際にもこのフレームを用いた。もっと言えば、まずWhyを考えるようにと指示し、その上で「現状・理想・施策」を検討し、最後にHowをいくつか挙げて、生徒たちに調査をする、というところまで進めた。複数のフレームと組み合わせても強力になる、基本的な考え方だといっても過言ではない。
●KPT : Keep – Problem – Try
自分の中で大事にしていることがいくつかあるが、その中の一つが、振り返りを教員からのフィードバックだけにとどめないこと、言い換えると生徒会役員たちが自分の言葉で振り返りを行えるようになることだ。そして「振り返り」とか「反省」というと、だいたいが「ああすればよかった」「もっとこうだったらよかったのに」といった、後悔とか不出来ばかりに着目しがちになる。ネガをポジにするという発想よりも、よくできた部分はきちんと認めてそれをさらに伸ばし、またよりよくできる部分を探して改善を図る、という発想でいてほしいと思っている。
振り返りをするためのフレームはいくつかあるが、前述のスタンスで振り返りを行う上では、KPTのフレームが使いやすいと思っていて、そして実際に使っている。Keepには「よかったから続けようと思うこと」を書き、Problemは「問題だったと思うので改善したほうがいいと思うこと」を書く。大事なのは、Keepをきちんと書くこと。その意識を持たないと、Problemばかりが目についてしまい、記載量がアンバランスになる。だからといって同数を保てというわけではないが、自分ができたと思う部分は素直に書き出すように伝えている。
このフレームが優れていると思うのは、Tryの部分。振り返りにおいては大体の場合、Problemに当たる部分ばかりに目を向けてその改善のための方策を出すにとどまることが多い。しかしKPTを、きちんとした指示のもとに用いれば、KeepとProblemの両方を踏まえた上で、Keepをさらに伸ばせるもの、そしてProblemを改善しうるもの、といった両面からTryを記述することができる。そのほうが、振り返りとしての筋がいい。実際これは生徒会活動だけでなく、授業の振り返りアンケートでもこのフレームの考え方に則った問いかけをしているので、非常に有効だと思っている。
最後に:分けると、分かる
また勢いついでに長々と書いてしまった。こんなに長いエッセーにするつもりもなかったんだが、注釈を書き出したら止まらなくなってしまった。ちなみにこの夏休みの期間に帰省する中で、何人かの人と話したり、いくつかの場所を見学したりすることができて、そこで得たことを生かしながら、またいくつかの フレームを取り入れてみようか、とも思い始めているので、また追加するかもしれない。
さて、実際に生徒たちに使ってもらったフレームをこうして紹介して来たのだが、大事なのは「フレームを知っていること」ではないことを、まだ記事中できちんと伝えていなかった。あくまでもこれらのフレームは「道具」であり、それを使って自分の頭で考えて行動することが、なによりも大事なことだと思う。それが、プロジェクト学習やら、「新しい公共」下での民主主義のあり方やらを体感して来た自分が、生徒会顧問教師として大切にしたい「自分たちの手で未来をつくることができる」というという世界観において重要な要素を占めてくる。
闇雲に考えたり手当たり次第に行動したところで、悩みの縁に追いやられてしまうだけでなく、そもそもアクションにすら至ることができなくなってしまうわけで、そんな状態を防ぐために必要なのが、「分けて考える」ということだ。フレームが役に立つのは、「考える」べきことをあらかじめ分けておいてくれているぶん、見通しを持ちやすくなり、アクションにつなげやすくなる、という点だと思う。それはある種の「お作法」みたいなもので、習って使ったほうが身につきやすい。昨今では学校教育のなかでも「思考ツール」として紹介され始めており、その意味ではいよいよ「学校で習っておくべき」ものになってきているだろう。
ご覧の通り、私はいいたいことを短くまとめるのが苦手で、その特性のままに教員となり、まぁなかなかに勉強に困り感を抱えている生徒たちと接する中で、相手の特性を斟酌せず、自分の特性のままに物事をシンプルにしないままに授業を展開したもんだから、だいぶ「わからない」が噴出してこちらが困ってしまったことがあった。逆に授業の上手い先生は、指示や発問、資料などを極力シンプルにして、つまり「分ける」ことを通じて、みんなが「分かる」状態を作っていた。そうだ、自分がフレームを使う理由とも一致している。つまり人間は「分ける」から「分かる」のだ。
では僕自身がもともと、こういったフレームを最初から使いこなしていたかというとそうではない。前職時代の上司に「ロジカルの皮を被っているけれど、その実、大して考えきれていないよね」とフィードバックを受けたことがあり、全く自分でもそう思っている。それでも、前職時代にあまた「企画」を経験して来た中で、徐々にフレームを使った考え方をするようになり、そうすることでモヤモヤとしていたことがスッキリするようになっていったことが数多くあった。そしてその経験が、学校教員として勤務するなかでもだいぶ活かせていると思っている。であればなおのこと、この「道具」を生徒たちに渡したいと思うのも不思議ではないだろう。
このコロナの状況においてよりいっそう、学校現場に求められるのは「答えのない問いに対して自分なりのアクションを起こせる人を育む」ことのように思える。それはある種、とんでもない無理ゲーであり、しかしそこに少しでも見通しを持たせるための武器としてフレームを渡すことができれば、きっと未来の彼らの人生において「困ったなぁ」を少しでも減らせるんじゃないかと思う。このコロナの状況において、様々なものが削がれている生徒会役員たちを思えばこそ、今の一瞬に得られなかった「楽しい」の代わりになるものを、未来において自分の手で掴んで欲しい。そのための自分の役割は、学校生活での思い出を「自らの手で創ったんだ」という成功体験はもちろん、一生涯に渡って汎用的に使い物になる考え方を渡たすことなんだと思うのだ。
参考:私がフレームを覚えるのに使った書籍
この記事を書く上で登場したフレームなどは、以下の書籍に影響を受けている部分が大きいので掲載しておく。
山田ズーニー「考えるシート」(講談社プラスアルファ文庫)
堀公俊「ビジネス・フレームワーク」(日経文庫ビジュアル)
https://www.amazon.co.jp/dp/4532119278/
仕事の一環でビジネスフレームワークのことを考えていて、ふと現実逃避で過去記事を読んだ。手前味噌全開だが、私は生徒たちにいい武器を渡せたと思うんだ。
https://t.co/MMKO9ZUcQR