【『卒業政策』vol.0 】「わたしのポリシー」に区切りをつける

去る3月22日に、慶應義塾大学の卒業証書授与式が執り行われました。2009年に入学した学年の学部生たち(および2007年入学で6年制課程に在籍した学部生たち)の卒業式には、当然にして私の姿はありません。来る3月29日が、私の学位授与式になります。SFCで学んだ、いわゆる09の学部生たちは私にとって想い入れの深い学年で、多くの友人もいますし、なにより「総合政策学の創造」のSAを務めたことからも思い出深い学年です。彼らは、学部の教員から直接に、総合政策学士、ないしは環境情報学士、あるいは看護医療学士のディプロマを得ました。

そういえば、私の代の卒業式は、震災により執り行われず、代わりに「インターネット卒業式」が行われました。今、Togetterを見て思い返すとすごいのが、送辞も答辞もアドリブで行われた点にあります。また「変わるメディアの責任はSFCがとる」という、我らがジュン・ムライ氏の発言もまた、名言でしょう。しかし結局、学位記を受け取ったのは、大学院生活がはじまってから。私にとっては、3.11の発災から5月の大学再開までには分断はなく、きちんと「総合政策学士」を得たという区切りを持つことができませんでした。それがいよいよ、大学院も修了となるわけです。

ところで、「卒業」は「なりわいをしゅっする」と書き、一方の「修了」は「おさめ、しまう」と書きます。どちらも、それまでに積み重ねてきた「なりわい」、つまり自分のしたいことやすべきことをきちんと修めて終えるという意味合いを持っています。すべきこと・したいことに区切りを付けるからこそ、次へのスタートが切れるわけです。この、すべきこと・したいこととして捉える「なりわい」は、ことSFCでの学びにおいては重要な位置を占めていると思います。「問題発見、問題解決」を標榜し、実践的な場面において起きている物事に着目して、アカデミックな方法に限らず究めつづけることが求められている以上、自分が何をすべきか・何がしたいかということは、常につきまとってきます。

その、各自の「何をすべきか・何がしたいか」こそが、ポリシー、つまり政策だと思うのです。SFCでは、「政策」を広義に捉え、単に政治や行政における公共政策のみに意味を見いださず、企業経営や非営利活動においても「政策」の概念を持ち込んでいます。ではその「政策」とはどういう概念かと考えれば、私はそれを「すべきこと・したいこと」と捉えます。すると全てに説明がつくはずです。SFCでは、学生や教員が、個々に自分の「政策」を持ち、研究や実践を重ねているのだと思います。その「政策」こそが、SFC生としての「なりわい」であり、卒業や修了は、そうした「すべきこと・したいこと」というポリシーに従って動いてきたさまざまな活動に区切りをつけることだと捉えています。

この『卒業政策』では、現行カリキュラムの前の課程における「卒業制作」をもじって、私が6年間を過ごしたSFCをいよいよ離れるにあたり、その6年間で私が「何をすべきか・何がしたいか」の基準に基づいて活動してきたことを振り返り、そこで考えてきたことについてのアカデミック・エッセーを執筆していきます。このアイディアは2011年の学部卒業の時にあったのですが、なんだかんだで流れてしまいました。本当はもっと早くから取り組むべきでしたが、のこり1週間となったSFC生としての時間のなかで、1編2000字を制限に、書けるだけ書いていきたいと思います。どうぞ、お付き合いください。

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