経験則だけで書く、「研修のつくりかた」

あけましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いします。って書き出しが2月末の時点でおかしいのですが、この記事は新年に書ききろうと思って書けなかった記事です。

さて、自身としては衝撃だった人事への異動からまる3年経ち、いよいよ現場感が日々薄れゆく中ですが、2017年は人事社員としての広がりを持てた一年だったように思います。本業もさることながら、人事コミュニティへの参加や、NPOでのプロボノをすることでの働き方変更へのチャレンジなど、いろんなことが起きました。それなりに思うことも増えましたが、ここで一つ、私のメインミッションであった「企業内大学」、と言いつつ実際には手挙げ制の研修なんですが、これを企画・実施する上でおそらくはこれが必要だと思えるポイントをあげつらってみました。


前提のはなし

まず今回の記事でまとめる内容が何を射程にしているか、これまでの3年間の仕事の軽い振り返りも含めて記載します。多分、守秘義務には引っかからないと思っていますが、そうなったらごめんなさい。

2015年1月の異動当時、まだ人材育成専門部隊はできていませんでしたが、時のOJT担当者=後のマネジャーがその立ち上げをしていたころ。社内横断プロジェクトで企画された社内大学構想が、正式に人材育成部門のミッションに追加され、私がその担当になりました。「アカデミー」と題されたその企画群は、階層別研修、選抜型研修にならんで、「成長を加速させる」をタグラインとする弊社の人材開発メニューの一つとしてラインナップされました。事業の成長を支える個々人の成長に寄与するコンテンツを、学びたい人が自ら手を挙げて学べる環境の整備。それまで組織的・体系的に行われてこなかったこの取組みは、手前味噌ながらも社員にかなりポジティブに受け入れられました。

とにかくまずやってみる、という2015年。効果検証まで含めた体系化を図った2016年。そして選択と集中を見越した2017年。この間の取組みは、忙しいながらも講師を担当いただいた社員の方々やパートナー企業様、順次フィードバックをくださった参加社員やその上司のみなさん、チャレンジを支えてくださった人事チームの皆さんと、なにより根気強く企画を良いものに仕上げるためのコミュニケーションを図ってくれた私の上司のサポートなくしては成し遂げられなかったことでした。そのおかげで様々な学びを私自身も得ることができました。ではその一部をお裾分けしたいと思います。


01. メニューの役割を規定する

個別具体の研修メニューのTipsの前に、まずはグランドデザインの話から。あたりまえですが、研修メニューを取りそろえる上では、役割を規定することが大切ですし、大風呂敷を広げて創り上げたい世界観を描いてから走り出した方が良いです。

実際のところ、2015年に最初に着手したのはMS-Office研修でした。これは私がExcelやPPTの扱いに慣れていたこともあり、比較的研修としても作りやすかったこと、それ以上に、業務効率化向上の施策においてOAスキルの向上が急務だったことが背景にありました。結果的に、「やりやすいところからやる」ことで、その後の研修企画・運営のフォーマットを形作ることに役立てることができました。MS-Office研修は社内でも安定して人気かつ満足度も高い高品質コンテンツに成長したのも事実です。

が、そんなノリで「あれもこれもやろう」とアドオンしていくのは、ハッキリ言って無駄を量産することに繋がりかねません。その点で、グランドデザインは重要になります。「アカデミー」企画は、その構想初期段階から、総体として自社の社員が身につけるべきスキルはなにかをきちんとデザインしていましたし、それが人材育成部門に移管された後も、「成長を加速させる」という大きな目的を外すことなく企画されてきました。

OAスキル、ロジカルシンキング、会議ファシリテーション、ビジネスマナー、業界知識・・・ いろんな「身につけるべきスキル・知識」があり、それらはすべて”nice to have”です。あるに越したことはないからこそ、では結局どれが重要なのかを、ビジネス成長の観点から整理して、優先順位を付けてデザインすべきだ、ということに行き着きました。それが2016年のことでした。

実は弊社では元来、分業制の各部門において、それぞれに自部門のスキルセットを伸長させるための研修やナレッジ共有は行われていました。そうした、さながらアプリケーション的な取組みは、「業務スキル」として位置づけ各部に任せ、人事が提供するのは、そもそも『おしごと』をするという行為において必要な「ビジネス遂行スキル」と、自分の会社がビジネスを行っている土俵に関する「事業領域知識/スキル」の2者である、と規定し、さらにそれらを分解して研修メニューを決めていきました。

場当たりではなく、ビジネス成果につなげることを意識しながら、メニューの役割を整理していくことは、結果的に効果の最大化とリソースの最適化を図る上では重要なプロセスであり、かつこのプロセスは一度作ったら終わりではなく常に考え続けるべきものだと思っています。


02. ターゲットと状態ゴールを定める

メニューを決めたら、いったい誰に向けて研修をするのかを考えましょう。そしてそのターゲットがどうなったらいいのかのゴールを定めましょう。これが二つ目のステップです。実際はこの考えが重要だと気付いたのは2016年のことでしたが、事実これがないと、3つの側面で困ってしまいます。

1つ目は、シャープな研修コンテンツをつくれない、ということです。言い換えれば目的を果たせない、ということになります。繰り返しますが研修の目的はビジネスの成長に寄与するために人の成長を図ることです。その効果を最大化させるための仕掛けを設計するには、そもそも効果とはなんぞやを規定する必要があり、そこでは「どんな現状の誰を、どんな状態に持っていく」ということが考えられるべきです。そのプロセスでは、ターゲットにしている人のニーズをつらまえることも重要です。

2つ目は、これは1つ目とも関連しますが、学ぶ人の動機づけを高めることができない、というものです。逆にターゲットと状態ゴールがきちんと明示されていれば、学び手が受講後の活用まで見越して研修への申し込みをすることができるようになります。このモチベーションや目的意識の喚起がうまくできていないと、研修を受けても何も定着しないし、なんならそもそも申し込みがなくて実施する意味がなくなります。せっかくいいことをするんだから、その価値提供を図る上でも、告知は大事です。

3つ目は、効果検証ができない、ということです。効果が実証できなければ、投資であるところの研修は、すぐに予算を削られることになります。まだまだビジネスの世界では、研修というのはあってもいいけど無くても困らないものだし、私自身もその考え方には賛成です。だからこそ余計に、ビジネスの成果に繋がる投資である、ということを証明する必要があると思っていますし、要不要の判断や、今後のコンテンツ改善のためにも、効果検証はすべきだと思っています。

まぁターゲットとゴールを定めることはビジネスにおいてはごくあたりまえの考え方ですが、しかし研修の効果はとても測りにくい。それこそ数的なKPIとしては参加者数や参加率、満足度や理解度(ちなみに弊社では活用期待度と事後活用度をとっていました)、その社員の売上や生産性、はたまた人事評価などがあると思いますが、いまいちどれも説明力があるとは言い切れません。だからこそ「状態」ゴールと記載したわけで、すなわちいきなり数値の目標で考えるのではなく、受講者の振る舞いや活用シーン、その後の成長ストーリーをゴールに置くべきだと思うのです。そうすると、検証データとしては、口コミや活用事例、はたまた「こんな声」みたいなものを収集するのがよいと思っていますし、むしろ数字よりも時にそれらのほうがパワフルです。


03. 限界のその先をキレイに諦める

これは、ターゲットと状態ゴールの話の裏返しになります。欲張るな、ということです。いくつかの側面について「欲張るな」といえる部分があります。

まずはそもそも、「研修」は所詮あくまで「研修」なので、全部できるようになるなんて思ってはいけません。無理です。設定した状態ゴールが、研修に出ただけで完璧に果たせるなんて思わない。教えたがりの私は、この感覚を持つのにだいぶ苦労をしました。人が、ビジネスにおける学びを得る上での最強の方法はOn the Jobトレーニングです。いわゆる研修はOffの場面になりますから、そもそも実態とは違う仮想空間なわけです。研修で教えた事柄が発揮されるべきシーンは、ビジネスにおいては実業務のタイミングです。となると研修デザインで考えるべきは、いかにOnにおいて活用できている状態にするか、であり、仮想場面である研修だけですべてを完結させようとしてはいけません。

研修には、「研修という場面」の限界性もありますし、また時間という限界も存在します。手挙げ制の研修を企画するうえでの時間的限界値は2時間だと思っています(それでもまだ長いと思う)。それ以上の時間設計にするならば、よっぽどその時間が掛かることが必然であると受講者に思わせるか、はたまた講座を分割する必要が出てきます。

研修に参加する「人間」にも限界があります。認知の限界です。人間が頭の中に詰め込める量には限界がありますし、その限界というのは、人それぞれ、その人が何の領域についてどの程度知っているかによって異なってきます。これは別に学術研究から出典したわけではないですが、私の肌感覚として人間の認知は、「知らない-聞いたことがある-知っている-活用できる-人に教えられる」というレベルに大別できると思います。研修でのインプットが担えるのはせいぜい「知っている」くらいまでのものだと思った方が良いですし、そうなると「教えられる」レベルの講師と「聞いたことがある」レベルの受講者の認知的な許容量には違いがあることは何となく分かると思います。

上記のことが分かると、「ターゲット」にも限界があることが分かると思います。別言すれば、初級者編で上級者向けの内容までカバーする必要は無いし、上級者向けで初級者をすくえない、ということです。上限・下限の設定をし、その限界の先となる部分ははなから諦めないと、下限の先にいる人は着いていけなくてアタマをパンクさせるし、上限の先にいる人はつまらなくて時間を無駄にするだけです。

限界をどこに設定するかは、とても絶妙な話ですが、そもそも限界があるものという所与、万能ではないという認識が、とても重要だと思っています。


04. 手と口をできるだけ動かさせる

先ほども言ったとおり、研修という仮想場面での学びは、最終的に実務場面において活用されなければ意味がありません。「知っている」から「できる」に誘導していく必要があります。そうなると、単にインプットをしているだけでは何もストックされていきません。アウトプットはとてつもなく重要です。

手を動かす、はイメージしやすいと思います。目に見えるスキル、たとえばMS-Office等のPCソフトや、ビジネスの基礎マナーは、「やって覚えろ」という側面が多分にあります。ある程度「考え方」の側面をはらんでくるロジカルシンキングのフレーム活用や会議ファシリテーション方法、プレゼンテーションスキルも、理論と実践の行き来が重要なものであり、手を動かすことで「ああこういうことか」というのを体感できる部分が多いです。事実、過去3年間で行ってきた研修コンテンツのうち、ビジネススキル系のコンテンツは、徹底的に手を動かさせることをやってきました。これは、オトナの学びの重要な理論でもある「経験学習サイクル」から鑑みても理にかなっています。この理論からすると、「まずやってみる」派も、「先に概念を知りたい」派も、どっちにしても「やってみる」と「概念化する」は必要になるので、インプットとアウトプットは対になっている必要があります。ちなみに経験則上、「やってみる」が先にある方が、「概念化」が浸透しやすいです。

では、概念や理論、知識といった「頭に入れる」系のものはどうするんだと思うかもしれません。しかしそういう講義系こそ「口を動かす」ことをさせないと、何も学びとして定着しないと思っています。そもそも学習・学びというのは、学び手の能動的な動きによって知識を理解できる状態としてため込んでいくプロセスだと思っています。ポイントは、「理解できる状態」、別言すれば「学び」として蓄えられるものは、学び手それぞれによって異なってくる、というところです。言い換えると、講師や教える側が放った言葉そのものは、直接は学び手には浸透しないと思った方が良いということです。だからこそ私がこだわったのは、学び手が自分から「理解可能な状態」を形成することであり、それが「口を動かす」ことです。興味を持ったポイントや疑問に思った点を振り返るといったことから、ケーススタディを使って喋りながら思考させること、はたまた「講師のしゃべったことを自分の理解で説明する」ということまで、とにかく話させます。

こうしたアウトプットをする場合のことを考え、私はできるだけ講座の運営時はスクール形式ではなく島形式での着席をさせるようにしています。それは、手や口を動かすことは、自分の理解の定着のみならず、他者のアウトプットを通じた自分の理解の更なる深まりを期待してのことです。スキル系であれば、人によって進捗がバラバラであり、それを互いに支え合うことで学びの深化が起きますし、ナレッジ系であっても、誰かの学びのポイントは新たな視点を気づけるきっかけだったりします。

研修設計者として大事なことは、その「アウトプット」を学び手の責任に委ねるのではなく、「どうやったってアウトプットせざるを得ない」環境をどのように作り出すか、そして「アウトプットして大丈夫だ」という安心安全な学びの場をどう設計するか、になります。そういった意味で、「場」や「仕掛け」という概念で研修を捉える考え方は重要だと思います。


05. コンテンツの真正性を高める

では実際に手や口を動かさせる際に、どのようなお題にすればいいのか、ということはかなり悩むと思います。ここでポイントになるのが、真正性という考え方です。英語でいえばauthenticityです。僕がこの考え方を知ったのは大学時代のことで、第二言語習得研究における教材のあり方に関する研究の知見の一つに登場する概念です。平たく言えば、ホンモノであるかどうか、です。

たとえば先程来話題に出ているMS-Office研修については、たしかに研修会社が用意している教材やら書籍やらを用いた講座設計はできるわけですが、そもそも社内でほぼ必須のOAスキルなのだとすれば、社内のどのシーンで利用されるかがイメージできるほうがよっぽど定着がいいわけです。とはいえ利用シーンは部署によって異なり、全社施策として行う上ではその共通項をとることも必要となります。結果、行き着いた「真正性の体現」は、1) ヒアリングに基づき社内業務活用を見越してオリジナル教材を作った、2) その演習課題を、社内用売上データのDBに倣った教材にした、3) 社内講師をあてがった、でした。

確かに上記のMS-Office研修の内製化はパワーがかかりました。でもそこまで頑張らなくても、真正性の発揮をすることは不可能ではありません。単純な話、事例をふんだんに用いれば済む話です。もちろんそれはストーリーとして語られる事例と言うよりも、手や口を動かすためのお題として用いられる方がいいです。マーケティングに関する講座でも、かならず実商品を事例にとったケーススタディをお願いしましたし、問題解決思考に関する講座でも、フレーム利用のお題は自社の課題に合わせてつくりました。

と、ここまで読むと、真正性を高めるための方法は内製化だと思うかもしれませんが、研修内製化については二つお伝えしたいことがあります。1つ目は、外注の歴史があって、内製ができる、ということです。研修会社さんは、教えるということについては明らかに事業会社人事に比べてスキルフルです。その知見を蓄えないと、いきなりカリキュラムや講座自体の設計はできません。他方、その中で扱われるコンテンツの真正性を確保するために、自社の状況に関するプロである事業会社人事は、コンテンツとしてどのような事例を用いるかを徹底的にパートナーと話し合うべきです。2つ目は、内製化も持続可能でないと意味がない、ということです。研修が実施できる人が属人的でないか、今後変化する環境に合わせて柔軟にコンテンツをアップデートする余地はあるか、といった部分に気を配らないと、どこかで研修自体がつまらないものになるはずです。

とにかくここで言いたいことは、学び手の学びのニーズにそぐう「ホンモノ」さを、きちんと担保しようとすることへのこだわりを忘れてはならない、ということです。


06. 遊ぶ

「おい、仕事だろ」と思ったそこのあなた。私は気の毒に思います。仕事って楽しいプロセスであっていいと思うし、遊ぶようにワクワクして仕事をすることで成功している企業は多いはずです。だから、字義通り「遊ぶ」ことは、是だと私は思います。では、この「研修の作り方」でいうところの「遊ぶ」は何か、という話ですが、私は2つ意味があると思います。

「遊ぶ」の意味の1つ目は、受講者にとって「楽しい」とか「おもしろい」とか「本気になる」といった要素をちりばめることです。つまり参加者が遊びの感覚を覚えるくらいのコンテンツ作りをするべきだ、ということです。それは、先程来述べている手や口を動かす時のテーマや問いという部分はもちろん、スライドや資料の内容と魅せ方、さらには講師がどう話をするかという部分においても、面白みを見いだせる要素を入れるべきだ、ということです。これをする理由は二つあり、そのうちの一つは次の項である「滑る覚悟を持ってウケを狙う」で述べますが、もう一つは、参加者にとっての安心安全な学び場の形成に寄与するからです。先程来述べてきたことを言い換えると、学びのプロセスは一定クリエティブな営みであり、クリエイティビティは一定遊びの中から生まれると思っています。それには「生み出すことが承認される暖かい場」が必要です。

「遊ぶ」の意味の2つ目は、研修のデザインに一定の余白を設けて、学び手にとっての学びの余地を与えられる「あそび」をつくることです。手や口を動かさせることはまさにその「遊び」の一つの仕掛けです。が、その際にはできるだけ、一つの答えにたどり着くような問いを投げるのではなく、学び手が出すアウトプットに唯一解が無い状態になる問いのほうがいいと思っています。「あそび」を「余白」と言い換えるならば、それは作成する資料にも同じことが言え、それた単純な魅せ方において余白を持つということもさることながら、人間の認知に余白を残すことを鑑みて、資料を文字ばかりにしないことも大事だと思っています。

そしてここからがこの項で一番大事。研修実施者が、思いっきり遊ぶことが大切です。だってその方が楽しいんだもん。もはやこの境地に来ると、何を楽しみに遊んでいるかというと、研修受講者のみなさんに対して意外性を提供できたときの反応や、熱中させる何かへの取組みの様子でした。ちょっとやそっとの崩し方では予測の範疇のものしか生まれていません。研修を実施する側が本気で「おもしろい」と思うことをしない限り、ただ単につまらないものになると思っています。取組みへの本気度や熱中度合いを喚起させる上でも、この「遊ぶ」の観点は大事ですし、それはこの次の項にも繋がります。


07. スベる覚悟を持ってウケを狙う

ここのタイトルは正直迷ったのですが、研修実施者としてはかなりハードルの高いことを要求していることを理解した上であえてこう表現しています。それほどまでに、研修担当者は覚悟を決めなければいけません。それは、受講者は思った以上に反応が悪いということ、そしてその責任を受講者に押しつけることは研修実施者として仕事を果たしていないことと同義だということです。それほどまでに、受講者の反応までもデザインすることに責任を持つべきだ、受講者ファーストの視点に立つべきだ、という話です。

さんざん、遊べ、とか、手や口を動かさせろ、とか言いましたが、そう簡単にみんな動いたらこんなに楽なことはありません。それどころか、そこまで学びに対して主体的だったら、研修なんか受ける前に自分で勝手に学んでいくはずです。自ら主体的に高い動機づけで学ぶことが最も効果的であることなんて誰だって分かっていて、それができないんです。研修は、時間的制約から学びに向かえない人や、学びたい意欲はあるのに学び方が分からない人、自分のおぼろげな理解をさらに強固なものにしたいと思っている人、といった主体的な学び手に対して行われるものであるべきですが、ひとたび「研修」という機会にした瞬間に「何かがもらえる場所」という風に思ってしまいます。私もそうなのでみんなそうです。

たしかに、「せっかく時間を割いて研修を行ってくれているんだから受講者として失礼のない態度をとりましょう」というのは、分からない話ではありませんし、失礼がない=人間として気持ちいい、というレベル感での最低限のことはあります。が、その議論の先に「主体的になることを強制する」ということがあると、意味が分からなくなります。まずもって、研修主催者=研修スピーカーである場合は、断じて「せっかく研修してやってるんだから」なんて思うべきではないと思います。仮に、研修主催事務局が別のスピーカーにお願いをして話してもらう場合、このスピーカーに失礼のないように学びの場の雰囲気を主体的であったかいものにする努力はすべきです。が、それでも反応が悪い場合にそれを受講者のせいにするのは、スピーカーとしてならばあまりイケてないし、まして研修主催者だとすれば責任放棄です。

なので私はもう徹底的に、スベる、しらける、飽きる、しまいには寝る、ということが起きることは「当たり前だ」という前提に立って、ではどうやったらそれが起きないか、ということを仕掛けにしてちりばめるようにしています。その前提には、個々人において、勝手に・自然に学びが起きる状況を作り出す、つまり「ごく自然に主体的になる」ことを仕掛けるべきだという考え方、別言すれば、研修という立て付けにした時点ですでに学びの主体性は一部失われているという、ある種学び手への残酷な視座もあるのも確かです。が、そこまでしてでも学び手の主体性にまで責任を持つのが担当者の範囲だと思います。


08. お土産を渡す

すでに述べたとおり、研修は所詮研修なので様々な限界をはらんでいます。その一方、研修に期待される効果というのは、特にビジネスの場面においては、その研修が取り扱う学びのテーマ(スキルや概念や知識)が現場において発揮されることです。ということは、受講者や、その受講を勧めたり許したりした上司からは、「何かができるようになっている」ことをたった短い時間のなかで期待をされます。そんなの無理だよって言いたいけれど、期待されてしまうんです。なので、研修受講者が現場に戻っても研修のことを忘れないようにしたり、あるいは研修後にも使いものになる「なにか」をお土産として渡しましょう。

たとえばそれは自習用教材。スキルセット系研修なら分かりやすいですね。さっきから何度も例に出しているMS-Office研修では、タイムトライアル用のゲームを渡しています。結局は実装までには至りませんでしたが、問題解決のためのロジカルシンキングの講座では、問題集をドリル的に作った方が良いよね、という構想も出ていました。また特異な例としては、MS-Office講座で、たとえばExcel用のクイックアクセスツールバー、PPT用のスライドテーマ/テンプレートの配布は喜ばれました。講義内容を簡単にサマライズしたチェックポイントのようなものを配付すると、明日からでも使えるものとして重宝されます。実際、PPTのスライド魅せ方講座では、そうしたチェックシートを配付したらだいぶ喜ばれました。また、会議ファシリテーション研修でも、会議を進める上でのポイントをまとめたペライチのチェックリストを渡したりしています。

案外気付きにくいことではありますが、ハンドアウト自体もお土産になるので、その渡し方に気をつけています。それこそ、投影資料を先に作った上で、印刷用資料は別に作り、さらにその印刷用資料には、学びの重要ポイントをブランクにして講義中に書き込みをできるようにします。印刷自体にもこだわりを持ち、PPTの印刷標準機能を用いた3スライドメモ欄付きの印刷ではなく、ホチキス製本ができる印刷機を用いてA5版の冊子にする印刷にしています。この製本印刷、資料のセクションの切れ目が悪い場合にはあえてメモ欄ページをつくるなど、投影資料とは全くの別物として制作する気概で作成しています。さらには最後のスライドに「今日の研修で講師は一体何を伝えたかったと思いますか?」という問いを提示して書き込みをできるようにし、研修の学びの振り返りをお土産にできるようにすることも、工夫の一つとして加えられるでしょう。

繰り返しますが、研修は、そのワンタイムの満足度が高くなる状態では一切意味のない営みです。結局は「投資」なので、その効果はきちんと回収されねばならず、そしてその効果というのは、実業務に活かされることです。実業務での活用や、合間時間での練習や振り返り、ふとしたときに思い出せる、といったシーンを想定した仕掛けを組めるかが、とても大事です。


09. 上司層とズブズブになる

ここへ来て突然毛色の違うことを述べますが、この項目は企業における研修を活用してもらうという観点ではとても重要なことだと思っています。なぜなら、大事なので繰り返し述べることではありますが、研修はあくまでも企業のビジネス成長に寄与するために人の成長を促す機会として捉えられるべきであり、そしてそれはあくまでもツール的な使われ方をすべきだと思っています。ジムでのパーソナルトレーニングみたいなもので、日常状況から取り出して、何らかのインプットやトレーニングを受け、それを日常や本番環境に還元していく営みです。

となったときに、個の集合体としての組織の成果を高めるマネジャーにとって、メンバーが研修を受けるということ自体が、組織成長を促す良好なツールとして認識されるほうがいいに決まっています。別言すれば、組織をマネジメントする管理職をサポートし、組織成果を高めることにコミットすることが、研修の役割ともいうことができます。現に弊社においては、マネジメントの役割は、組織の構成員であるメンバーの育成を図り、それをもって組織成果を最大化させることだと明記されています。そのなかでも「育成」は力点を置かれている項目で、そのために1on1をベースにした成長支援を中心に据えています。とはいえ、全部が全部マネジャーが育成するなんてことを期待したらキャパシティ・オーバーなのは当たり前で、だからこそここに「研修」というものが位置づけられるべきだと思います。

ここまで来れば「上司層とズブズブになる」のが大切だと言うことはもはやお分かりだと思います。が、あえてここで「ズブズブ」の意味を2つに分解してお伝えします。1つには、現場のマネジャーがメンバーに身につけてもらいたいと思っているスキルやナレッジについてヒアリングをすることで、研修ポートフォリオを充実させていくことができるようになる、ということ。いま1つには、せっかく研修を用意したので、業務量調整をしてでもメンバーに受けてもらうように状況整備や促進を図ってもらうことができるようになる、ということ。そのダブルの意味で「ズブズブ」は大事です。実際、2016年に研修ポートフォリオを整備するときには、(これは前の上司に感謝ですが)メンバーマネジメントをするレイヤーと、もっと大きな組織マネジメントをするレイヤーの双方にヒアリングをしましたし、また2017年に実装したマーケティング系コンテンツでは、現場マネジャーに研修の制作委員会に入ってもらいました。

この「ズブズブ」は、単に上司層と仲良くなるだけでは叶えられるものではありません。研修の効果を、定量と定性の双方の側面からきちんと検証をはかり、「確かにこれはいい」と思わせることが重要です。また「こんな研修を受けてきました」と本人が上司層に報告したり、あるいは人事が参加者リストを共有したりすることで、「確かに学んでいる」ということを伝えていくことも必要です。そうすることで、着実に「学ぶ」ことが「成果を高める」ことに繋がるという文化ができあがります。


10. 自分へのインプットを絶やさない

最後に何を置こうかをだいぶ迷って、これを置きました。研修担当者がインプットを絶やさないこと、知的好奇心を枯らさないこと、なんなら一番学んでやろうとすること、これが大事です。そしてこれは、性分としてどうか、というこにも左右されることではあるので、今後人事の管理職レイヤーのかたで人材育成担当を置こうという場合には、この性質があるかどうかは見極められた方が良いかもしれません。

この観点においては、私が3年間研修の仕事をしていて、一緒に働いたチームのメンバー全員が、何らかの形で学ぶことを絶やさなかったというのも刺激になりました。マネジャーはとにかく本の虫で、あたらしい領域にチャレンジするときには必ずといっていいほど、本から概念形成を図る人でした。その人に「必読だ」と言われた「企業内学習入門」は、たしかに研修制度設計においてとても役に立ちました。他方、パートナー的に働いてきた先輩プレーヤー社員は、キャリアカウンセリングの資格を中心に、人と組織の関係性について、勉強会の参加などを通じてインプットをされてきた方でした。特に、中原淳先生がやられている領域の周辺の内容は、階層別研修・選抜型研修・組織開発といった領域にどストライクなことはもちろん、個々のスキルセット開発にも重要なエッセンスをはらんでいました。

で、私も私で、交流会やイベントに参加をしてネットワークを広げながら、SNSやメディアからインプットを得るということを欠かさなかったという点には自負があります。外部講師を呼んで講演会を実施するコンテンツも、私のネットワークからご登壇いただいたケースがいくつかあり、そういった講演会の肝は「どんな人をアサインして、その人になにを語ってもらうか」ですが、それをデザインできたのは、そうしたインプットとネットワークがあったからだと思っています。外部のパートナー企業にご担当いただくマーケティング系のコンテンツやスキルセット系コンテンツも、それこそ最初の方はできませんでしたが、最近はわりと食い気味に、コンテンツ部分に対しての理解を深めようとするスタンスを持って作り込みに参画してきた自負があります。

この記事では、研修を実際に担当する講師・スピーカーと、研修を企画デザインするプロデューサーを、わりとごっちゃ混ぜにして話をしてきましたが、そこは正直分ける必要もなく、そしてどちらにも「学び手の気持ちになるために、自らが学び手である」ということは必要になってくるのは間違いありません。そして、いやむしろそれ以上に、常に学び手である=いつまでたっても完璧がやってこないという前提が大事で、その「より良いものを届ける」というスタンスが、生ものとしての研修を、その場と学び手の状況に応じて変化させていくということを可能にすると思います。あらゆる、それこそ学び手からのフィードバックという貴重な声すらも、インプットと捉えて、それを常に絶やさないことが、この仕事に求められると思います。


最後に

こんなに長く書くつもりも無かったのですが、これだけの超大作になったということは、それだけ自分にとって思い入れが強いということなんでしょう。それは確かにそうで、大学時代から教育に対する興味をずっと持ってきて、しかしビジネスには全く興味を示さなかった自分が、「自分に無いビジネスの勘所を身につけたい」と営利企業に入って、そしてたまたま研修の仕事を担当する中で、長らく培ってきた教育領域の知見と、あらたに気付いていったビジネスの勘所の、その掛け合わせをすることができる仕事に出会えたことは、それはもう思い入れを増幅させるに足る理由になっているわけです。

が、残念ながらその仕事とは、しばしおさらばです。
実は2018年1月に異動し、新卒採用の仕事を始めています。

この異動については、これまた「データストラテジストの卵に片足を突っ込む」→「人事」への異動の際と同じく、私の意志のもとにあるわけではありませんでしたが、まったくイヤだとも思っていませんし、自分にとっても組織にとっても意味があるものとして捉えています。なんなら、あれだけ熱を込めて担当しておきながら、「研修なんて別に無くたっていい仕事だ」と思っているくらい、人材のそもそもの素養、つまり土壌に当たる部分をきちんと見極める採用のプロセスの方がよっぽど大事だと思っているからです。別にこれは比較相対的に研修を軽視しているわけでなく、むしろ「人間の能力は後天的な開発が可能で、誰もが可能性を持っている」という私の人間観をもってしても、それでも採用は大事なプロセスである、という認識を示したものです。

しかし3年ぶりに、異動を報告するための壮大な前置きを執筆したわけですが、この記事は、これまでの自分の仕事を(自己顕示と自己賞賛をこめながら)振り返るという意味で非常に効果があるわけです。そしてもう一つ気付くのは、今回の10ヶ条は、中の説明書きさえ変えれば、新卒採用でも、それに限らず様々な仕事においても通用するということです。そう考えれば、仕事が研修だろうが採用だろうが、やることには変わりはありません。

なお、私の異動のおかげで、弊社の人材開発は人が更に必要な状態になったので、働いてみたい方はご一報下さい。

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