マクロミルで社会貢献プロジェクトを立ち上げた話

2018年4月16日、私が勤務する株式会社マクロミルは、公式サイト「おしらせ」欄において、社会貢献活動「Goodmill」プロジェクトの開始を発表しました。社内には2018年1月に発表、そして去る2018年3月に開催されたファンドレイジング日本の懇親会にてティザー発表され、そして4月に入って正式に対外的発表がなされました。

このプロジェクトは、社内の組織図には属さない(それこそCSR活動は広報部門に置かれるか、またはそれ独立の組織ができることが多い)全社横断型の「委員会」という立て付けとなっています。プロジェクトを取り仕切る「事務局」も、意志ある社員のネットワークである「プロボノ」も、全社から手挙げで集まった社員です。社会貢献に関心のある社員が、自分たちの参加可能な範囲で、事務局が企画ないし紹介する社会貢献活動に参加していく、という世界観を実現します。

その活動の柱は、

① 非営利組織向けのマーケティングリサーチ技術支援
② 災害発生時におけるニーズ把握・情報流通面の支援
③ 社員による社会貢献活動の積極的な推進

の3つです。

そして4月16日の対外的発表においてはもう一つ、活動の柱①のMR技術支援の一環として、マクロミルが持つ手軽なリサーチツールである「ミルトーク」と「Questant」の有料機能を、特定非営利活動法人向けに無償開放をすることを発表しました。ここを皮切りとしつつ、現在もいくつかの連携・支援の話が進んでいます。

マクロミルはこれまで、リサーチの裾野を広げることを通じて、クライアント企業が世の中によりよい商品やサービスを届けるお手伝いをしてきました。それ自体、よりよい世の中をつくる社会貢献であると思います。しかしまだ、世の中には解決すべき多くの課題があり、そうした社会課題解決を、営利を目的とせずに担うアクターが数多く存在しています。そうしたソーシャルセクターが、想いや課題感だけでなく、きちんと生活者のニーズを捉えることを通じて、より精度の高い社会課題解決に取り組むことができるようになる。そのサポートを通じて、リサーチの価値を社内外に広めていく。それがこのプロジェクトの目的です。

「リサーチで、世の中をもっとよくできる。」

この合言葉のもとに、今回の対外発表を出発点として、社会課題解決に向けた支援を推進していきます。

そして、この記事で私がお伝えしたいのは、紛れもなく私自身が、このプロジェクトを立ち上げた中心的な人物のうちの一人だぞ、ということです。これまでの、私自身の半生におきた様々なことが、このプロジェクトにおいて結実したた、ということを、相変わらずの長文にて皆さんにお伝えします。


サーパスの朝に

2016年の4月14日に発生した熊本地震は、その範囲さえ東日本大震災のそれよりも狭いとはいえ、地震の規模は大きく、被災地域に大きな被害を与えました。「なんか揺れたぞ」というのを東京で感じたのちに、それが熊本での大きな地震と知った後、新入社員研修シーズン真っ只中の帰りの電車の中で、受け入れている新入社員の中に熊本出身がいないかをたしかめ、家族の安否を気遣っていたことを思い出します。マクロミルはこのとき、発災から2日後の4月16日に、調査協力者のみなさまにチャリティーアンケートを配信し、20万人のモニタの方々が、応援メッセージという形で協力をしてくださいました。翌週の22日からは、モニタのポイント寄付受付を開始。会社としての寄付も合わせて、600万円を寄付しました。この取り組みを即決できた会社に対して、私は強く誇りを感じたことを覚えています。

4-5月の研修繁忙期を終えた6月、溜まっていた代休を消化せねばならんと思いつつ、どうせなら1週間ほどの休みをもらって熊本に行きたいと思い、意を決して上司に相談をすると、「それは大切なことだ。行ってくればいい」と背中を押してくれました。基本的には社協が運営するボランティアセンターを毎日訪れる形でがれき撤去などの作業をするつもりでいましたが、この予定をFacebookに投稿したところ、「おいで」とコメントをくれたのが、NPOカタリバの今村亮さんでした。結果、6月12日から1週間ほど熊本に滞在し、ボラセン派遣のがれき撤去を2日、益城町内の中学校の学習支援を4日携わりました。

「サーパスの朝」は、この熊本滞在の4日目のことです。現地で活動する2人の職員さんは、カタリバの熊本での活動開始からずっとホテル住まいでした。私が入った週の前に、事務所兼滞在場所にあたるマンションの契約が結ばれる予定だったのですが、結局は私の滞在期間中の3日目に利用開始となりました。この時にはすでに、単なるボランティアのはずの私もだいぶ支援チームに溶け込んでおり、部屋の利用が始まったから「もう泊まればいいじゃないですか」となって、滞在3日目の夜には4人で酒を酌み交わして、その後「サーパス! サーパス!」と言いながら部屋に帰った記憶があります。そう、「サーパス」とは、そのマンションの名前なのです。

その「サーパス」に泊まったあくる朝、「では、6月16日の活動会議を始めます」と今村亮さんが口火を切った、カタリバ・熊本支援チームの会議に、なぜかボランティアの私も一員として加わっていました。そのアジェンダに含まれていたのが、「被災した中学校の生徒たちの保護者の皆さまへのアンケート実施について」というものでした。「えんしの、リサーチ会社だよね?」というのは最初からバレていたので、当然このネタを話すとなった時に「アンケートつくれるよね」となったわけです。ただ私はそれまでのキャリアの中で、アンケートの事業に属したことはほとんどなく、完全に「なんちゃって」の状況のなかで、調査票のリバイズを任されることに。それでもかなり喜ばれたことは覚えています。

結果的にはその際に回収されたデータは(中身は見ていないんですが)、発災後3ヶ月ほどの被災地における子どもの学びの状況を反映しており、そのデータにもとづいて、カタリバさんは熊本において「コラボ・スクール ましき夢創塾」を立ち上げました。つまり、たとえ「なんちゃって」だとしても、リサーチ会社の人間がアンケートづくりをサポートすることが、生活者ニーズをあぶり出し、団体の施策の意思決定に寄与するということが起きたわけです。これこそが「プロボノ」であり、単なるチャリティー以外にも、マーケティングリサーチが社会貢献に役立つ場面があるのだという気づきにつながりました。この体験が、のちにGoodmillに繋がるわけです。


3人のソーシャル系同期

マクロミルという会社は、「手を挙げればやらせてもらえる」ということがよくうたい文句として言われる会社です。現に人事採用担当として宣伝文句的によく使いますが、組織が大きくなれば、一足飛びに役員に対して事業提案を持っていくなんて、よほどのことがない限りできるものではないと思います。私も、事業創造にはそんなに興味がある人間ではありませんでした。だからこそ、「イノベーションを起こす」という企業精神の体現として行われていた新規事業立案コンテストの機会を用意するのは一定大事なことだと思っています。2016年の夏もそうして、社内の事業立案コンテストの応募が開始となりました。

熊本での「サーパスの朝」の体験が強烈に残っていた私は、マクロミルが持つリサーチソリューションを、社会課題解決の方面において事業化する「CSV」として推し進めるということがアリなんじゃないか、と考えていました。それが、あらたな収益の柱となるようなインパクトの大きいものではないとしても、どうせお祭りみたいな新規事業立案コンテストなんだから、提案するだけ提案しちゃえ、というノリだったことも確かです。事業創造なんて興味がなかった自分がこういうきっかけで踏み出すというのも、入社当時の自分からすると想像できなかったかもしれません。

ただ1人で進めるのも難しいなと思い、2人の同期を誘いました。かたや、私が最初に配属された購買データの部署の営業だった男性Nくん、かたや、同じ人事として採用の仕事に従事していた女性Aさん。実はこの2人には共通点があって、途上国における児童買春問題に取り組んでいる認定NPO「かものはしプロジェクト」でのインターンを学生時代にしていた、というのです。実際には2人が同時期にインターンをしていたのではなく、タイミングがずれていたそうなのですが、「社会に役に立つなにか」ということに対してのキーワードにはピンとくる人材であったことには変わりありません。「いつか、会社で社会貢献を」という志が、たしかに3人にはありました。

この3人のチームは、とてもバランスが取れていたチームだと思っています。地に足のついた思考が得意なNくん、足場固めをして着実に事を成すAさん、そして熱意だけは誰にも負けない私という組み合わせは、同期であるということや、実現したいと思う世界観が似ているということもあって、明確に誰かがリーダーであるという状態でなくとも、事を動かすに足るチームだったと思います。このチームで、確か5つほどのCSV事業アイディアを書類に記載して応募、最終的には一つのアイディアがプレゼンテーション審査に進出することとなり、そこに向けた準備をしました。それぞれが各部のエースとして活躍するなか、忙しい日々のなかで時間を捻出して準備に勤しんだあの時期は、本当に楽しかったと思えます。

後述をしますが、2016年夏の事業提案から対外発表まで、実に1年半以上の時間を費やしています。が、その時間の中で、あくまでもサブプロジェクトとして進めている以上どうしても本業の繁閑に左右されることは仕方ないことで、それでもなお、最終的な経営承認を得るところまで、この3人の同期で事を進めることができたということは、月並みな表現ですがとても嬉しいことでした。実はAさんはその後、次のキャリアに向かって会社を出る決断をしました。それでも彼女が、プロジェクトの結実までを全うしてくれたことに感謝していますし、志を同じくするNくんには、プロジェクトの核となるリサーチ技術支援を任せている点で、頼もしいと感じているところです。


本意に近い下方修正

複数の事業アイディアの中から書類審査を通過したプラン「surv」は、手前味噌ではありますが、実現性と社会的インパクト、そしてリサーチの価値の最大化という点で、割と優れたアイディアだったと思っています。マクロミルが保有するリサーチシステムを用いて、避難所における物資ニーズの情報を収集・可視化するシステムを構築し、このシステムの利用料と、情報収拾のためのデバイスの貸与費とを、地方公共団体からいただく、という事業モデルでした。激甚指定の災害が数多く発生する日本において、避難が発生するシチュエーションは少なくなく、平時からの備えとして意義がある、というのが提案のポイントでした。加えて、ニーズヒアリング自体は過去にも行われているが、それが人力+紙である点を、ITに置き換えることにも価値があると提案しました。

これはまさしく、私が経験した「サーパスの朝」の気づきを反映したプランであり、そして私がかつて目の当たりにした東日本大震災における需要と供給のアンマッチという課題に端を発するものでした。長きにわたる滞在ではなかったとはいえ、2011年4月に石巻の避難所を、そして2011年9月に仮設団地を、それぞれ訪問した時に感じた課題感が私の中にあったが故に、プレゼンには熱が入りました。なにより、生活者のニーズと商品/サービス提供者の提供価値を媒介するマクロミルの事業価値は、災害発生時のような緊急期にこそ活かされるべきだ、という信念の増幅は、割と大きなものでした。

9月1日のプレゼン審査後、この「surv」は、事業性なし、と判断されました。マネタイズとして甘いというのはもちろんながら、「こういう、社会に役立つ大事なことを、お金儲けとしてやったら、世の中から引かれるよ」という声が役員から上がったそうです。「だったら、いっそCSRとしてやってしまえばいい」と、広報マーケティングを担当する役員が、このプランのメンターを担っていただくことになり、プランをブラッシュアップして経営会議に持っていく、という次の目標ができました。ある意味これは、収益事業化という目標からは下方修正ですが、しかしチームの本位である、「マクロミルで社会貢献を」というゴールからすれば、むしろ近づいたと言えるものでした。

そこから、この「surv」のプランをブラッシュアップさせるための取り組みがスタートします。提携先にあたるNPOないし自治体の探索、プランの受容性を探るためのヒアリング、他社の社会貢献の動向を知るための情報収拾、それらを本業の合間を見ながら進めていく日々でした。その過程でたとえば、すでに避難所におけるヒアリング活動は311以降も仕組みとして行われており、そのIT代替はなかなかに難しかったこと、緊急期の避難物資のマッチングサービスはすでにIBM社によってツールが提供されていたこと、社内のシステム開発には莫大な金額が必要になること。もともと、災害復興支援のプランとして選考を通った手前、その形を崩さず進めることが、前提として強く印象に残っていたとも言えます。

「もうさ、別に災害支援に限らず、リサーチの技術支援をすればいいんじゃないの?」という、担当の役員からの一言は、それこそ鶴の一声だったのだと振り返ります。思わず「え、いいんですか?」と言ってしまったほど、災害復興支援に繋がるツール開発(と人的支援スキーム)という前提を取っ払って良いというのは、チームにとって嬉しい驚きだったと思います。リサーチを社会貢献に、その想いで進めてきたプロジェクトであり、その親和性が高いのが災害支援だ、というだけだったわけで、この「前提を取り払う」というダウングレードは、結果的に私たちチームの本意どおりになることを叶えたものでした。その決断を後押ししてくださった役員には、本当に頭が上がりません。


「まだやってたんだね」

話は前後しますが、このプロジェクトは、結実までに1年半以上の時間を要しています。経営承認という意味でみると、2016年の9月1日にプレゼンテーション審査をしてから、経営会議における承認を得るところまでで1年と1ヶ月半かかっています。本当であればこれは、プロジェクトのフィジビリティは3ヶ月程度で経営承認を突破して推進していくタイムラインだったのですが、端的に言って忙しさにかまけて推進力を失っていったという事実はありました。そしてもう一つ、当初の「surv」のプランを実施するには、割と周到な準備が求められる観点で、純粋に時間がかかっていたというのがありました。

今更になって振り返れば、「surv」というプランで提供しようとしていたことがらというのは、割とことを複雑にしていたようにも思えます。たとえば一つには、災害発生後の、どこの誰のどんなニーズをくみ取り、それを誰に情報提供するのか、ということです。被災者が、いつどのタイミングでどのようなニーズを持つようになるのか、ということについては、311以降、かなり多くの行政やNPOが、肌感覚として認識している部分がありましたが、調べても調べても、だれもそんなことをまとめている人はいなかったのです。これはさすがに困りました。

結果的に、「発災後72時間の緊急期には、ITツールすら役には立たない。発災後3週間程度までの応急期前期(避難所期)には物資マッチングツールが使われる。リサーチ会社の調査によるニーズ把握が役立つのは、応急期後期(仮設団地入居後)以降で、埋もれるニーズを拾い出すことだ」という結論に至りましたが、ここにたどり着くまでに3月11日を超えてしまいました。ただ、この結論に至る立役者だったのが、年明けからジョインしてくださった先輩社員のNさんです。彼は前職がNPO職員として復興支援に関わったこともあり、その頃の知見をフルに生かしていただいて、発災後のニーズや支援の関係性を時系列で整理したチャートの製作にこぎつけました。

そうこうしているうちに、ビジネスの繁忙を極める3月、人事の繁忙である4月になり、動きは鈍くなる一方、価値を提供する相手に関する整理の次なる壁として現れたのが、それをどのようなシステムで実現していくか、ということでした。ここについては、繁忙期の中でも細々と情報を収集し、結果的には開発には莫大な予算と運用コストがかかることから、結局は弊社の既存のシステムを無償開放し、その範囲内でできることをやっていくほうがよっぽど望ましいことが判明しました。それがわかった夏の時点で、そこまでのプロジェクトの進捗を役員に伝えに行った時、その一言を言われました。

「まだやってたんだね」

そりゃそうです、業務ミッションでもないプロジェクトで、しかも売上を上げるわけではないものである以上、別にやらなくたっていいわけですし、それにしたって、もうすぐプレゼンから1年が経つというタイミングです、さすがにほっときすぎだと思われておかしくありません。というか、そう思われているだろうし、怒られるだろうな、と、勝手にビビっていました。変な遠慮がありました。でも結局は、「でもやりたいんだよね」と言って、プロジェクトの結実までのマネジメントをしていただきました。その結果が、前述の「本意に近い下方修正」による、プロジェクトの完成です。5年目にして、結局は「万難を排して、それでもやりきる意志を持てるか」が大事だと気づきました。


経営戦略としての社会貢献

「surv」というプロジェクトが大事にしていたことは、災害発生時におけるニーズマッチングを、単にシステムだけで終わらせない、ということでした。別言すれば、ツール提供さえすればよいよね、という世界観にはしてはいけない、というものでした。有事にはちゃんと、社員を派遣する。ノウハウを持ったリサーチの専門家が、きちんと調査されたデータを集計・分析して、ニーズマッチングにつなげる。ここまでやらないと、価値を発揮したとは言えない、ということを、私は過去のNPOでの受援者としての立場からよくわかっていました。

ところで私は、特に大学生以降から、社会貢献的な、あるいはボランティア的な活動に参加してきたわけですが、そのモチベーションは概して「遊び」となんら変わりがありません。いやはたまた、「癒し」を求めている節もあるかもしれません。それはおそらくですが、様々な団体に対して自分が関与していくときの価値発揮の方法が、だいたいの場合「自分の得意なことの提供」であり、それが一定役立ったり成果を出したりすることで心地よさを感じていたからだと思います。福島の子どもたちと関わることは、自分の得意の発揮によって子どもたちに癒される、絶好の「遊び場」でした。

ある意味その延長線上として2017年に参加した「青春基地」という団体での動きは、自分に新たな発見をもたらします。それは、NPO活動に関わるなかで発揮する得意分野が、実は自分の仕事において培われてきたものである、という気づきです。別言すれば、日々仕事において「当たり前」のように考えていることや行っていることが、実はかなりの価値を持つという気づきを、社会貢献に関わることで得られる、というものです。人材開発担当だったからこそ得られた気づきであり、またそれは割と巷でも、副業の効果として言われているところと合致していました。

「surv」においても、そして最終的に現在のGoodmillの形になるにあたっても、私がかなりこだわりを持ったのは、「社会貢献」を「社会的な責任を果たすために身銭を切る」ということにしたくなかった、という点です。特に、リサーチという事業の価値の再認識や、日々の仕事で身につく明示的/暗示的スキルへの気づきの促進、そして参加する社員の関心領域の拡大、という効果にこそ、活動の意義の核だと強く主張してきました。これは、弊社の社外取締役である、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生がよく主張されるイノベーションにまつわる経営学の諸理論からも合点がいきます。

そのほかにも、折からの副業ブームでNPOでのプロボノをする社会人が増えたからこそツールの魅力を訴えることで本業場面での顧客を増やせる、とか、NPOへのリサーチ支援の一部始終を課題解決の事例として採用場面などで取り上げる、とか、話題性を喚起してマクロミルの名前を更に知らしめる、とか、調査協力モニタの「社会貢献」という切り口でのロイヤルティを上げる、とか、考えればキリがないほど、事業にとって旨味しかない。あえて「経営戦略としての社会貢献」というスタンスで推進するからこそ意味がある、と気づけたことは、自分自身の大きな変化なのかもしれません。


ちょっといいこと、はじめてみよう

紆余曲折を経ながら、事業収益を得るビジネスプランとしての災害時ニーズ情報マッチングサービス「surv」は、1年の時を経て、社会貢献プロジェクト「Goodmill」として、経営陣に対する承認を得る経営会議での発表に臨むことになりました。とはいえ結局、「こういうプロジェクト始めるからね」「全社の取組みとして社員を募り、業務外のボランティアとしての関わりを求めるからね」という2点の承認を得ることが会議のポイントである以上、そのプランに文句を言う人はまぁいるはずもなく、プレゼン後には役員達から「がんばってね」と言ってもらえる結果となりました。

そういえばこの「Goodmill」は、それはもうありとあらゆるネーミングの候補を考えまくり、英単語であいうえお作文をしたり、単語をくっつけたり、それっぽい英文を考えてみたり、いろいろ試したあげく煮詰まったあたりで、ポンと発せられたものでした(発案したのは同期のAさんだった)。これがまた、担当役員はおろか、私を含むメンバー自身も「底抜けにダサい」という認識を示したネーミングでした。しかし、弊社社員にとっては爆発的なインパクトを持ち、かつ「なんか、いいこと」というポップさを持っていたこともあり、他に代替案が見つからず、このネーミングに落ち着く結果に。

ポップなネーミングに加え、全社横断型の組織体制にしたこと、そして社員の可能性を開放できる場にするという目的、それらが故に「気軽な参加」「みんなで創る」の両側面は絶やしてはいけないと思います。それは、社内向けのタグライン「ちょっといいこと、はじめてみよう」だけでなく、活動の3本柱にも現れています。価値提供の本丸としての「リサーチ技術支援」、リサーチとの親和性が高い社会課題としての「災害後の多面的な情報支援」、というカタめな要素に加え、「みんなで気軽にボランティアに参加してみようぜ!」という要素も、注力したい領域です。

その3領域についてそれぞれ企画を立ち上げていく「事務局」と呼ばれるコアメンバーと、「プロボノ」と呼ばれる登録制の社員ネットワークから組織を成り立たせ、「事務局」が立てた企画や発信した情報に対して、「プロボノ」が自ら参加をするモデルを採用しました。後から分かったことですが、このモデルはジョンソン・エンド・ジョンソン社の社会貢献委員会のモデルに近いものです。ただそういった形式を採用することが決まっても、問題はどれだけの社員が感心を示してくれるか、でした。ここは実際に募集してみないと分からない、場合によっては大コケかもしれない点でした。

2018年1月。全社会議でGoodmillの発足が発表され、その後参加意向のアンケートが配信されました。全社の1割に当たる約90名が、「プロボノ」としての参加意向を寄せてくれました。加えて、「事務局」という、ややコミットメント度合いが高い形での参加を希望してくれる方も多く、嬉しい悲鳴でした。多くが「社会貢献に興味があって、きっかけが欲しかった」という人で、想定以上にそうした思いを持つ人が会社内にいたことを、また一つ、誇らしく思った瞬間でした。プロボノたちの意志を消すことなく、しかしハードルを高めすぎずに関われる状況をつくるのが、これからの私の役割です。


やっぱり社会貢献したかった

まだこのプロジェクトは何の成果も挙げていないし、むしろこれからの方がやることが多くなるわけですが、とはいえ着想を形にして会社のムーブメントに仕上げていくということをやったという点では、対外的に発表できたことは、自分にとって一つの成果だと思うのです。人事になって少ししてから、「案外私は、この会社の文化を創りたいのかもしれない」と思ったことがあったのですが、ある意味このGoodmillは文化になりえるプロジェクトなわけで、その意味では「やりたいこと」を一つ実現することができたという自信にも繋がっているわけです。

そして、やっぱりよくよく思い返してみると、私は「社会貢献がしたかった」わけで、それが自分にとっての成し遂げたいことなわけで。その私欲を会社レベルで実現してしまったこの事案は、冷静に考えればとんでもないことだと思います。「手を挙げた人間にチャンスが舞い込み、そしてやりきれば実現する」と多くの会社が謳いますが、みんなが実際にチャレンジするかと言えば答えは否で、だからこそ言説化しやすいことに思えます。けれど事実ローンチまでこぎ着けた、それを支えたのは風通しの良さや挑戦を応援する風土はもちろん、マクロミルの事業そのものが「社会に貢献している」ということに他なりません。

そう、この記事を読み返してみても分かるんですが、やっぱり社会貢献が私の軸であり、深掘りしようが分解しようが、とにかく社会貢献をしたかったんです。それを、そもそも社会貢献性が高い事業を行うこの会社において実現できたということを、入社をしたときの私はつゆも想像していなかったはずです。それに、別にこのプロジェクトをするために仕事をしていたわけでもないですし、社会貢献活動が無ければ会社を去っているわけではありません。ほんとうに、たまたま、いろんなことが繋がって、そこに意志があって、こうした成果が出たんだと思います。

でもそれは本当に偶然なのかというと、それも違う気がしています。Connecting Dotsじゃないですが、過去に経験してきたあらゆる社会貢献活動の蓄積が確かにあって、その積み重ねの必然としてこのプロジェクトがあった気がしていますし、それを結集させた場所がマクロミルだったということも必然である気がしています。たとえばイルミネーション湘南台、たとえばプロジェクト結、たとえばアカデミーキャンプ、たとえばprayforjapan.jp、たとえば福島龍舟学園、たとえば青春基地。様々な場面で、様々な人と、様々な関わり方で、社会貢献に携わった。その経験と、その知見と、その人脈と、その想いと、その全てが重なった結晶がこのプロジェクトだ、とすら思えます。

私は私で、そんな経験世界の末にこのプロジェクトを進めたいという意志をもってきました。でもこのプロジェクトは決して、私一人で進めたわけではありません。ソーシャル系同期のNくんとAさんと組んだチームから、担当役員、元NPOのNさん、そして事務局メンバー、プロボノメンバー、そしてパートナーとなる支援先NPOや、社内の関係部署など、「みんなのプロジェクト」として関わる人はどんどん増えていき、その各々が、自身の経験世界に裏打ちされた思いを持ち寄ってうねりを生み出しました。おそらくその全員が、「やっぱり社会貢献したかった」んだと思います。

それでもまだ、スタートライン。意気込んで「やるよ」ということを言うだけなら誰でもできます。かつてヒアリング期に、とある会社のCSR担当部長の方に話を伺い、「まずは事例をつくってからリリースよね」とアドバイスをいただきました。夏までには、続報として、支援事例をお伝えしたいと思っています。だからこそせめて今は、意気込みだけでも強めておきたいと思います。

リサーチで、世の中をもっとよくできる。

この信念を、プロジェクトに関わる全ての人達と、全うしていきたいと思います。

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