高校生マイプロ2019九州サミットのファシリテーターをやった:前編・場づくり担当のあたまのなか

2月23日に、全国高校生マイプロジェクトアワードの九州サミットに、発表会場のファシリテーターとして参加した。時すでに新型コロナウイルスの影響が出始めているところではあったので、なんとかイベント自体が開催できてよかったなと思う一方、これから書こうと思っている「プロジェクト」のことを思うと、なんというタイミングなんだろう、と思う。

突然の臨時休校となり、生徒たちには「学びを止めるな」というメッセージを発したが、それから数日経ってネットの意見を見ると、何とかして大人が子どもに「学ばせる」ことをしようとしている側面があるように思えてきたり、はたまた「こんな時くらい宿題とか教科学習とかじゃなくて、ボーッと考え事したり、本を読んだり、外遊びしたり、そういう解放をしてもいいじゃん」という意見を目にしたり、休校中の過ごし方については、余白を持たせるような言葉かけや手立てをとってもよかったんじゃないかと思うところがある。

それでもやっぱり、生徒たちへの願いとして「学びを止めるな」と伝えたいと思うのは、年度最後の授業でも語ったような、自分自身の原体験があるからだと思う。この状況下だからこそ、自分で学びを進めていく、あるいは、この状況をどうにか切り拓いていく、そんな活動が起きてきたっておかしくはないだろう。友人にこれを話したら、それは求めすぎだと言われたのだが、それでも私がそうした希望を「生徒たち」に持ったのは、マイプロ九州サミットで感じた、高校生たちの「プロジェクト」という挑戦を介して伝わってくるエネルギーがあったからに他ならない。

前置きが長くなったが、この記事では2つのことについて書こうと思う、と思ったら案の定長くなったので、前後編に分けた。前編では、出場各チームがブロックに分かれてプレゼンテーションを行うセクションで、ファシリテーターとしての私が場づくりで心がけたことを。後編では、プレゼンテーションを終えて振り返りをしているときに生徒たちから聞こえてきたストーリーを。そのどちらにも共通するのは、ポジティブな意味でもはや逃れられないと思うほどに、私の根底に「プロジェクト」が根ざしている、ということだ。


そもそも全国高校生マイプロジェクトアワードって何?

そう思った人は、まずこのページを見て欲しい。そこには、「マイプロジェクト」がこう説明されている。

身の回りの課題や関心をテーマにプロジェクトを立ち上げ、実行することを通して学ぶ、実践型探究学習プログラムです。

学習指導要領の改訂で、「主体的・対話的で深い学び」、いわゆるアクティブラーニングが提唱され、高校の総合的な学習の時間も、「総合的な探求の時間」と名前が変わり、「探求」が一つのキーワードになってきている。徐々に多くの学校が「探求学習」に取り組んでおり、NPOカタリバを中心とする「全国高校生マイプロジェクト実行委員会」が、そうした学びをサポートするために企画しているのが、プロジェクトをスタートさせるための「スタートアップ合宿」と、学んだことを発表・共有して互いに学び合う「アワード」の2つだ。

自分の中から湧き上がってくる問いについて、動いて・動かしてみることで学びを得ていくプロセス。唯一解としての正解を覚えるのではなく、納得解としての答えを自分で手に入れていく学び方。これはまさに、不確実性が高く、多様性に富んだ現代において、「わたしとはちがうあなたと、いっしょにうまいことやって、だれかに役立つことをする」というスタイルでの課題解決・価値提供につながる在り方を身に着ける方法だと思う。

もともと、大学・大学院時代を過ごしたSFCが、自分のプロジェクトを大なり小なりそれぞれが持って、それを中心に学びを構築していく場所だった。それに加えて、自分が主体者であったり、はたまた関与者であったりして、本当にいろんなプロジェクトに首を突っ込んできた。それは大学卒業後も同じであったことに加え、NPO青春基地での高校生たちのプロジェクトを支える活動を通じて「プロジェクト学習」そのものについても考えてきた。当事者だった経験と、支える側からの経験と、双方から自分自身が多くを学んだと思っているだけに、縁あって「会場ファシリテーターをしてほしい」という打診をもらった時には、とても嬉しいと思った。


アワードは大会じゃない、出会いと学びの場なんだ

ファシリテーターの役割を引き受けたものの、実はマイプロの運営に携わるのは今回が初めてだった。アワードの運営スタッフもしたことはないし、スタートアップ合宿に関わったこともない。ただ、2018年3月の全国アワードを観覧したことがあることに加え、前述したような「プロジェクト」との関わりがあったから、マイプロが目指す世界観だったりアワードの位置付けだったりは、わりとすんなり理解ができた。

それだけに、マイプロを実行してきた高校生それぞれのかけがえのない学びに対して、一時的ながらも優劣をつけて「アワード」として表彰したり、上位大会の全国サミットの出場権を与えたりすることには矛盾めいたものがあって、だからこそ事務局が「学びの祭典だ」ということを強く打ち出していることもよくわかっているつもりだった。そりゃ出場する高校生たちからすれば、誰かに認めてもらえる機会であり、かつ先につながる可能性があるとすれば、「大会」という認識を持ちうることも頷ける。

発表は一つのマイルストンだ、と捉えている生徒もいただろうが、それにしたって「アワード」という機会はデカい。それまで、自分たちのプロジェクトに、それが自分たち発信であろうと、授業を通じた「やらされる」スタートだろうと、心血を注いできたことの成果を発表するとなれば、その成果を認めてもらって、周りにも自分にも「価値があるんだ」ということを示したくなるだろう。かつて、私の友人がマイプロアワードの全国に出たとき、予選から先に進めなくてギャン泣きしたという光景を見た。彼女のプロジェクト自体はかけがえないものなはずだが、その「落選」は、彼女にとって一つの挫折になったのかもしれない。

そうした、「大会」としての捉え方があることを十分理解しつつ、でもやっぱり私は、各自のプロジェクトにつながる「出会いと学びの場」にしたいという思いを持っていた。それもあって、話をもらった時から、それこそ詳細を知らないままに、「どういう場づくりにしようか」というのをあれこれイメージした。初参加者のためのオンライン打ち合わせで、ファシリテーターの役割、とくに後述する「ホームグループ」の話を聞いて、まったくイメージどおりだったので、むしろ事務局の理想を超えてやろう、と思って当日を迎えることにした。


場づくりの核となる「ホームグループ」

そもそも今回私が引き受けた「ファシリテーター」は、40近いプロジェクトが参加する九州サミット、それを9つのブロックに割り振って、1ブロックあたり4・5プロジェクトが発表する、その進行をする。だが、単なる司会進行だったら「ファシリテーター」とは言わない訳で、相応の場づくりをすることが期待されていた。その場づくりのために、プレゼン開始前に25分ほどの場づくりのための時間を割り当ててもらっていた。その間は、何をしてもいい、と。

で、今回の核となった「ホームグループ」の話。これはもともと、各地域で開催される地域サミットの代表者が集う「全国サミット」で取り入れられていたものだそうだ。全国サミットは複数日に渡って行われ、プレゼンの直前に、各チームのメンバーをごちゃ混ぜにして最終ブラッシュアップをするらしい。その、出場チームのメンバーをいったんバラして、地域や学校を混ぜた新たなグループを「ホームグループ」と呼んで、競い合いではなく学び合う関係性をつくることを目指す、というのを九州サミットでも取り入れようということだった。

まさしくこれが私にとっての理想だったし、ものすごく意味のある仕掛けだと思っていた。それは、特にここ3年くらいの自分の実体験に起因する。というのも、人の縁でプロジェクトが動いていくということが、マクロミルのCSR「Goodmill」の立ち上げにせよ、青春基地での活動にせよ、勤務校でのPepperプログラミング学習にせよ、「まさかあなたと一緒にプロジェクトをするとは」ということが数多くあったからだ。今は、お互いに異なる「コンテンツ」をプロジェクトで取り扱っているかもしれないけれど、いつかどこかで同じプロジェクトをする仲間になる可能性がある。私がそれを痛感していただけに、そういう出会いを作り出したいと思っていた。

さらに目指したいと思ったのは、各チームのまとまりをバラバラにして寄せ集められたホームグループごとに車座になって、発表の時にはそのホームグループからプレゼンの壇上に上がり、その壇上に出ていくときはホームグループの仲間から「がんばれよ」と肩を叩いてもらい、プレゼンが終わってホームグループに帰ってきたら「よかったよ」と肩を叩いてもらう、そんな光景だった。実際、午前中の参加全チームのプレゼンの後のランチはホームグループで食べることが推奨されていたし、夕方の全体振り返りもホームグループで行うことになっていた。それだけに、そうした雰囲気をつくりたいと思っていた。

当日だけの、かりそめの「グループ」かもしれない。けれど、互いを支え合い、互いから学び合い、ということが起きうる「ホーム」のようなあたたかさを作ることが私の使命だと思ったし、事実そういう場を作りたかった。当日は私のサポート役として大学生が「サブファシリ」として付いてくれていたのだけど、メイン・サブの組み合わせが前日に事務局からシェアされて、すぐにサブの大学生からメッセンジャーが来た。すかさずその返信で、前述の「理想の姿」を伝えたところ、即レスで「理想の形です、実現させましょう」と返事をくれた。サブファシリの彼と、それから質疑応答で学びを引き出す役割のサポーターさんと、ありたい世界観を共有できたことが、場づくりの成功要因の一つだったと思う。


3つのグランドルール「くやしくなる、ささえになる、なかまになる」

そろそろ場づくりにおいてこだわったポイントを解説し始めないと、すでにかなり長文になっているので終わりが見えないだろう。しかし、このセクション以降で解説する、私がファシリをした際の3つのテクニカルなポイントは全て、ここまでに私が書いてきた「なぜ、どんな場を目指すか」ということと紐づいている。その3つのテクニカルなポイントというのは、

  1. グランドルールを語る
  2. 弱い気持ちを共有する
  3. 暖かい空気を仕掛ける

だ。そしてなにより大事だと思うのが、今回のグランドルールだ。当日のギリギリまで、言葉のチョイスに迷いながら、最終的に定めたグランドルールは

  • くやしくなる
  • ささえになる
  • なかまになる

という3つ。そしてこれは、この順番に意味があって、発表を聞いている高校生たちに、この順番の通りに「なる」の3ステップを踏んで欲しかったからだ。ちなみに、「〇〇なる」という語尾と、文字数を揃えることに、だいぶこだわりを持った。そしてこのグランドルールを、ホームグループの意義、私が目指したい光景、そしてなぜそこにこだわるのかという理由と私の願いとともに、場づくりの前半から中盤にかけて、じっくり語らせてもらった。

今回のグランドルールのなかで、「ささえになる」と「なかまになる」は、前述の「ホームグループ」の理念からすれば、「まぁそうですよね」という内容だと思う。「いってらっしゃい」と肩を叩いてもらって、ホームグループから舞台に立つ。発表を終えてホームグループに戻ると「おかえり、よかったよ」と言ってもらえる。そうした支え合いがあることで生まれる暖かい雰囲気こそが、事後の振り返り・学びのシェアを容易にしていくと思っていた。自分の気持ちを吐露していいと思える「コンフォートゾーン」を、新たな仲間とつくるからこそ、サミットに来た意義があるし、プレゼンという「ストレッチゾーン」に身を置くチャレンジに歩を進める。

私がファシリテーションをする際に大切にしている「3つの心のゾーン」の話からしても、「ささえになる」「なかまになる」ということを共通コードにして、他者を暖かく・優しく迎え入れようとする姿勢を促すのには意味があった。ただ今回、「くやしくなる」は、あえてぶち込んだ、賭けみたいなものだった。なぜなら、「学びの祭典」というコンセプトに反して、あえて大会的要素があることを引っ張り出して、どこか競い合うことを誘発している部分があるからだ。あるいは、「くやしい」という感情にはどこか、ネガな感じが含まれるからだ。ではなぜあえて「くやしくなる」を入れたのか。


「くやしくなる」が、学びと支え合いを引き出す

プレゼンテーションはいつだって「うまくいくかなぁ」という気持ちと隣り合わせだ。勉強との両立に悩み、遊びたいところを我慢してまでも取り組んできたプロジェクトのあれこれを、限られた時間にギュッと凝縮して伝えようとするとき、自己評価にしても他者評価にしても「うまく発表できた」という状態を目指したいと思うはずで、その思いが強ければ強いほど、終わった後に「もっとうまくできたはず」というくやしさが残ると思う。

そうした、「自分の中の基準と比べた時のくやしさ」はもちろん、今回のマイプロアワードでは他のチームのプロジェクトの発表を聞くことになり、そうした発表を聞く中で、自分たちに無かったものや、自分たちの発表と比べて巧みに見えるところが一つや二つ出てくるだろうし、そうした部分にくやしさを感じることもあるだろう。言い換えれば「他者と比べた時のくやしさ」なわけで、その「自分」と「他者」との双方からくる「くやしさ」を感じるポイントこそ、実は学びが起きるところなんだと思う。

「くやしくなる」を入れた理由は二つあって、一つ目はこのアワードが「くやしい」という気持ちと切り離せないものであり、かつみんながめいめいに「くやしい」と感じるだろうと思われたから。二つ目は、その「くやしい」という感情にこそ、自分自身に起因する学び・他者から得られる学びがあると思ったから。各自がそれぞれに感じるだろう「くやしさ」には、実は理想や憧れ、あるいは、頑張ったという自負や、伝えたいという願いがこもっているはずだ。事実、過去の私も幾度となく、そうした諸々をはらんだ「くやしい」を感じてきたし、それがあったから次に進めた面がある。

「くやしい」と思うこと自体を、むやみに「そう思わなくていいんだよ」って慰めたり、あるいは「そう思っちゃダメだよ」と禁止したりせず、学びや成長に必要なものとしてきちんと受け止めたい。でも「くやしさ」を内に留めておいたら、ほんとに単なる個人的でマイナス要素を帯びた感情を抱えるだけになってしまう。だからこそ、それぞれがお互いの「くやしい」を受け止めて、前向きなエネルギーに変換できるようにするために、「ささえになる」と「なかまになる」というグランドルールを後に続けたのだ。

この場にいるそれぞれのチームのメンバーは、それぞれにプロジェクトを本気で進めてきた。その成果を発表するこの場において、自分自身の理想に至らないとか、他と比べた時に至らないとか、そういうくやしさが出てくると思う。それでいいし、みんなそうだからこそ、その気持ちを大切にしよう。みんなが「くやしい」と思うだろうからこそ、「大丈夫だよ」とお互いを支え合おう。そういう気持ちを共有できたどうしが、これからどこかで一緒にプロジェクトをするかもしれない仲間になれるから。

こんなことを語った。ただ語るだけでなく、自分自身が過去に関わってきた様々なプロジェクトにおいて、承認欲求だとか自己満足だとか「何者かになりたい」願望だとか憧れだとか、そういう感情に苛まれ、そこから「くやしさ」を感じたということも語った。正直、こうした「語り」は私自身のエゴであり独善的な願望でしかないと思っている。でもこの語りが結果的に、この場がどんな場なのかということの共通理解を生み、グランドルールに意味を与えることにつながったと思う。


お互いの「弱さ」が、支え合いと学び合いを生む気がする

ところで私は緊張していた。久々にファシリテーターとなることからくる高揚感と、自分が目指したい場の理想が高いところにあったことによる「うまくやりたい、でもうまくいくだろうか」という願望と不安と。で、実際の本番を迎えると、プレゼンが行われる教室に机が並んだ状態のままだったり、予定時刻から押していたりと、ちょっとした想定外があって、事実テンパってしまった。大した具体イメージは持たなかったものの、それでもなんとなく頭に浮かべていた進行順はすっ飛んだ。

で、生徒たちを眼の前にして「めちゃくちゃ緊張している」というのを伝えた。それはきっと、私の緊張とは別次元だろうが、生徒たちも緊張していると思ったからだ。こちらが先に緊張していることを伝えれば、少しはホッとしてもらえるかもしれない。それに今回、「くやしい」という感情を大事にしたいと思っている分、緊張やくやしさを「みんなも持っているんだ、シェアしていいんだ」と思ってもらえるようにしたかった。これが、ファシリテーションにおける3つのテクニカルなポイントの2つめである「弱い気持ちを共有する」である。

これは私の肌感なのだが、どこか、相手の「弱い」ところを知れると、とたんに親近感が湧くような感じがあると思う。「あぁ、この人も同じ人間なんだな」というところ。不安を感じているのは自分だけではないという気づき。そうした部分を共有することで、はじめて会った相手にも「自分を出してみようかな」という気持ちになれたりすると思う。なので今回のファシリテーションでは、具体的には以下のようなしかけを取り入れた。

  • 全体を始める際に、「いいね!」のように親指を上向きにしてもらって腕を前に伸ばしてもらい、上向きを100%・下向きを0%としていくつか質問をした。「よく眠れた」「緊張している」「全国行きたい」「プレゼンに自信がある」という質問だったと思う。
  • 自己紹介の時に、【名前・あだ名・好きなアイスの味】の他に、「私のテヘペロ」という項目を入れてもらった。ちょっと気恥ずかしい、気取らないけれど自分の特徴を示すもの。例えば私の場合は「絵心のないアニメオタクです」だった。
  • ホームグループを組んでもらってから一人ずつ「今、不安・心配なこと」を話してもらった。私にとってのそれは「緊張していてうまくファシリできるかな」だった。心の中では、プレゼンに際しての不安を意図していたが、「別にどんな不安でもいい」と伝えた。

特に3つ目の「今、不安・心配なこと」は、少し意図と違う話になっていたっぽいが、その後の関係づくりにおいて奏功した部分があったらしい。「週明け、テストなんだよね」とか、発表そのものよりも、普段の学校生活の話とかが思いの外出てきてびっくりした。でもそうした会話の方が、より関係性をほぐすんだと思う。互いにマウントを取り合うのではなく、「弱い」部分を知って支え合おうとするような、そんな空気感をつくれたように思った。ただ後述するが、これは正直、ファシリテーションの力ではなかったな、と思う。


自分を輝かせられるステージを、暖かくしておく

ここまで長々とではあるが、「グランドルールを語る」「弱い気持ちを共有する」というテクニカルなポイントを紹介してきたが、やっぱり共通するのは、プレゼンテーションという場において起きうる「緊張」「不安」そして事後の「くやしさ」という気持ちをどうするか、ということ。それはプレゼンの場数を多く踏んだからこそ思い至るわけで、だからこそこの場を預かる私自身が一番、「そういう気持ちになるよね、わかるよ。でも大丈夫」というスタンスを示すべきだと思う。

だからこそ、語りだけではなく、アイスブレイクのワークにも、プレゼンを聞く時の振る舞いにも、プレゼンのはじめとおわりの振りと締めにも、場つなぎにおいても、「大丈夫、いろいろあると思うけど、プレゼン楽しんでおいで」という自分なりの暖かさのあるメッセージを発信しようと心がけた。たとえば、こんな仕掛けだ。

  • 会場の机を取っ払う作業をみんなでやって、車座をいくつか作れるようにした。体を動かせば緊張もほぐれるだろうし、みんなで作業すれば空気も混ざる。
  • 勤務校の子どもたちにプレゼンのコツをミニレクチャーしてくれた株式会社kaekaの千葉佳織さんのミニレクチャーをパクらせてもらい、「おはようございます」を10m先の人に届ける練習をした。その時に、「後ろの先生たちもやってください、生徒だけを追い込んだらあかん!(笑)」と煽った。
  • ホームグループからステージへの行き来、その時に「がんばれ」と肩を叩く、という理想のイメージをあえて語った。
  • 発表前には聞く側のリアクションの練習をした。そして私が人一倍リアクションをとった。頷きも声に出し、興味深いと感じたら「へぇ〜」という声をあえて漏らし、笑いどころは腹を抱えて笑った。
  • プレゼンが終わったら各チームに必ず「話してみてどうだった?」と聞いた。ちなみに発表順も実は決まっていなかったので、チャレンジバイチョイスの精神で希望制にした。

特に嬉しかったのは、理想の「暖かい場」「支え合いの図」だった、「肩を叩いて送り出す」というのが、実際に起きたこと、そして話し終わったどのチームも「話して楽しかった」というスッキリした反応だったことだ。これも正直言えば、私のファシリテーションの要因よりも、審査員役も務める、チームへの質疑を通じてプレゼンを深掘りする「サポーター」の方の存在や、何より生徒たち自身の力が大きかったと思う。ただ、仕掛けが意図しない方向に働くということはなかったように思う。

マイプロジェクトアワードのHPには、「きみだけのドラマを語れ」というキャッチフレーズが書いてある。まさしくそうだ、プレゼンテーションとは自分が輝けるステージで、そのステージで語られるのは、語る本人が経験したドラマ。プロジェクトには、成果や学びといった輝かしい部分以外にも、語ってもなおその本当の大きさは本人しかわからないような悩み・苦しみがあるはず。むしろそうした「ドラマ」めいたものがあるからこそ、成果や学びがより輝くと思う。結果的に素晴らしかったと思うのは、4つのチームの全てが、そのドラマを活き活きと語り、聞く側はそれを必死にメモして学びを得ようとしていたことだった。


まとめ:私の思い入れと、生徒たち自身の力と

私はファシリテーターとして、個人的な「プロジェクト」や「プレゼンテーション」に対する思い入れに端を発し、極めて個人的な理想を半ば押し付けるがごとく、「場づくり」と称して、「語り」「ワーク」「振る舞い」を駆使しながら、場のモードをつくった。空気を読んでの振る舞いか、はたまた心の底から共感してくれたのかはわからないが、生徒たちは私の意図や想定を超えるような姿を見せてくれた。

正直、もう少し「自分が、自分が」となると思っていたが、想定以上に相互作用が早く起こった。正直、もう少し「くやしくなる」と思っていたが、みんなスッキリとプレゼンを終えられていた。正直、もう少し「気もそぞろ」になると思っていたが、みんな必死で学びを得ようとしていた。今回正直、とくに観覧していた大人たちから「いいファシリテーションだった」という反応をもらえて、それはとても嬉しくて自信になったのだが、一方でそれは私の力というよりも、やっぱり生徒たちがもともとその力を持っていたとしか思えない。

全てのチームの発表を終え、ほんの少しだけだが最後に時間が余った。今回のグランドルールは「くやしくなる」「ささえになる」「なかまになる」だったが、とっくにそのフェーズを超えたところに至っていると、サブファシリ・サポーターとも合意していた。当初は、最後の振り返りに「自分にとってくやしいと思えたことは?」という問いを用意していたが、もはやそれは不毛だと思えて、問いを変えることにした。あえて高レベルな問いとして「改めて、プロジェクトを進めるために大事なことは?」という答えのない問いを投げかけた。3分しか取れなかったその時間で、深い共有をしていたように思えたのは、私だけではなかったはずだ。

手前味噌ながら、今回私が担当したブロックの「ホームグループ」を核にした場づくりは、サブファシリを中心にホームグループでランチを食べてもらったこと、夕方の全体振り返りでホームグループでの振り返りを促したことなどを含めて、成功したと思っている。スタッフの飲み会でその話をした時、場づくりの成否は、ファシリがどこまで自分ごと化して捉え、それを生かした上で、場づくりやプレゼン後の振り返りに時間を割けたか次第だろう、という話になった。思うに、その「自分ごと化」には胸をはれると思っている。

数多くのプロジェクトに携わってきて、その中身は変われど、基本的な「在り方」や「ふるまい」はあまり変わらないと思っていて、だからこそ私自身が「プロジェクトという生き方から逃れられない」と思っている。だから、ファシリテーションの最初にも生徒たちにこう伝えた。

残念なお知らせですが、みなさんはもう、プロジェクトという学び方や生き方から逃れることができません。

それだけ、自分にとって「プロジェクト」というものへの思い入れが強いということに、改めて気づくことができた。そんな「熱」でファシリテーションをしたんだ、そりゃ楽しいに決まっている。

そうして、4つのグループの、それぞれの学びのドラマに触れる午前中を終えた。その後私は、夕方に行われた、全員が一堂に会しての振り返りの場に立ち会うのだが、その振り返りの場で、生徒たちから共有される「気持ち」や「学び」に、心を動かされることになる。が、これは後編としてもう一本記事を書くことにしたい。

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