自分を守り、誰かを助ける、だから英語を学ぶ – 突然の年度最終授業での語り

期せずして、私の教員生活1年目が終わってしまいました。もう少し、生徒たちと勉強をするはずだった3月。過去形をやって、手薄になってしまっていた復習をやって、学期を振り返る成績フィードバックと授業サーベイをやって、という脳内計画が一瞬で吹き飛びました。副担任である私もローテーションで実施するはずだった道徳、緒方貞子さんや中村哲さんが亡くなったのが今年度であることからあまり得意領域ではないものの国際貢献の話を扱おうと思っていましたが、それもすっ飛びました。様々な情緒的側面での惜しさがありつつも、それを差し置いてでも取られた措置には、子どもの安全を守るための必然性があったのだ、と思い込むしかないと腹を決めました。

そうして訪れた、突然の年度最終授業。この記事で書いた、私のいっときの悩み(または、メンタルブレイク寸前状態)のタネであったクラスで迎えたその授業で、当初は準備した通りにプリントを用いて過去形規則変化動詞の文法説明をしようと思っていたのですが、思わぬところから私のスイッチが入り、自分でも信じられないくらいに、いつもと違う空気感の中で、想いを語る時間を過ごしました。結果として20分しか授業時間が残らず、かなり駆け足で説明をしたものの、その語りの後の生徒たちの集中力は、これまでの授業の中でも奇跡だと思えるほど高いもので、この1年の諸々が全て報われるような、甘美な手応えのある時間でした。

突然の終わりと、立ちはだかる現状と、そして英語を学ぶ意義。その語りを、思い出せるだけ思い出しつつ、少し脚色して書き出したいと思います。今だけは、それに陶酔させて欲しいし、この自己満足の語りが、それでも誰かに火を灯すと信じて。


T1の私、1ヶ月ぶりの来校となるALT、TFJの後輩にあたる実習生、そして介護支援員の先生。4人の教員と、20余名の生徒たち、双方ともに前日の政府見解を受けて、休校になることに対するソワソワを抱えたままの4時間目。挨拶がてら、How are you?と生徒から教師に投げかけるスモールトークの中で、TFJからの実習生が、”I’m sad because we cannot study next week.” と言った、それを板書する私。

cannotってなんだっけ?(「できない」!) そう、「できない」。じゃぁstudyなんだっけ。(「教える」!「勉強する」!)そう、「勉強する」、だね。誰が? (”We”! 「私たち」!)そう、私たち。私たちは、来週、勉強が、できない。だから、実習生のK先生は”sad”、つまり悲しいって言ったんだ。

・・・ ・・・ まだ、現時点では、休校は決まっていません。先生たちもわかっていない、情報が降りてきていないから。でも、おそらくだけど十中八九、この授業が今年度最後の授業になる。そしておそらくは、来週から休校になる。本当は今日、動詞の過去形というところをやって、それは来週・再来週と授業をして教科書を終わらせるはずだった。なんなら、実習生のK先生には来週の後半から授業をしてもらうつもりだった。だけど、おそらくこれで授業は終わりです。

正直、これほど全国的に休校にするということが起きるとは想像していなかった。僕も正直、そこまでしっかり情報を取っているわけじゃないから、ぶっちゃけあまり危険だと思っていなかったけれど、それほどまでに大変なことになっていると気づいたし、本当にこの1・2週間が山場なんだと思う。今から話すことは僕の個人的な想像なんだけど、たぶん学校を休校にすることで、「学校も休校になったんだから、会社も休みにしようよ」となることを期待しているんじゃないかと思う。法律に基づいて多くの人を一つの場所に集めることができるのって、学校だけだと思うんだよね。だから首相は、「要請」つまりお願いをしているだけではあるけれど、確実に一斉に休みにできる場所として、学校を休校にする、ってことをしたんだと思うんだ。そうすると、周りも「この1・2週間」を乗り切るために、休みにするんじゃないか、って。

うん、授業を進めなきゃいけないと思ってたけど、それでも最後の授業だから、ちょっと話を聞いて欲しい。

この辺から、生徒たちの目つきが変わってきたのを感じた。いつもの「気になる生徒」の何人かが、食らいついてくるのを感じた。僕が授業に悩んでいた頃、僕が声を荒げて怒ってしまった女子生徒も、別の「気になる生徒」のことを注意して、話を聞くように促している。

きっと休校になる。この1ヶ月間、休みになる。全国的に休みになるのは、これまでに聞いたことがない。よくわからんが、もしかすると戦争以来初めてなんじゃないだろうか。しかもこの休みは、連休の休みとも違うし、あらかじめ来ることがわかっている夏休みとも訳が違う。コロナウイルスに感染しないための休みになる。ウイルスとたたかうための休みになる。それを、突然やってきた休みだからといって、好きな動画ばっかり見たり、ゲームばっかりしたり、「今を楽しむ」ことに費やすこともできる。でも僕は、それでいいとは思えないんだ。

実は、この学校に来てから、Twitterを英語でつぶやくようにしてたんだけど、どうせこの学校の生徒の何人かは僕のつぶやきを見ているだろうって知ってたから、あえて日本語でつぶやいて、「今回の首相の要請を見て、『休みだヤッホイ』と思ったか、『勉強できんやん』と思ったか」をアンケートしたんだ。そしたら、どっちが多かったと思う?

生徒に聞いてみた。メンタルブレイクを起こしかけたころ、僕に鋭い言葉の刃をつきつけていた生徒が、私の予想に反して『勉強できんやん』の方が多い、という見解を示して、僕は驚きと嬉しさを感じた。

多かったのは、『休みだヤッホイ』だったんだ。いやぁ、たぶんそうだと思う。休みになると嬉しいと思う。でもね、勉強できると思っていたところを、いきなり休止に追い込まれて、もっと学校で勉強したいと思っていた人の、学びの機会がなくなってしまったんだ。これは、みんなが思っている以上に、けっこうキツいことなんだと思うんだよ。だから先生たちは、まだ休校は確定していないけれど、休校になったことに備えて、みんなの学びを止めないために、課題を準備している。僕もついさっきプリントを用意した。この1ヶ月を、「今を楽しむ」だけに費やしてしまうのか、少しでも「未来の自分につなげる」ために学びを止めずにいるのか、それによって大きな違いが出てくると、僕は思っている。

一気に多くの学校が止まり、学校に行けない・授業が受けられない、という状況は、僕に東日本大震災の時のことを思い起こさせるんだ。本当は、3/11にその話を授業でしようと思っていたけど、ごめんだいぶ時間使っているけど、今日が年度最後かもしれないから話させて欲しい。

あの時僕は大学4年生で、大学院でもう2年勉強する、その直前だった。みんなも夏に受けたヤングアメリカンズを僕も受けた翌日で、当然ヤングアメリカンズはみんな帰国したんだ。で、僕は大学4年生だったから卒業式は中止になったし、大学院の入学式も延期になった、というかそもそも5月まで授業が始まらなかったんだ。あの頃、津波や地震の被害を受けたエリアは、しばらく学校がスタートせず、みんな不安な思いを抱えていたって聞いている。実習生のK先生も福島出身だったから、授業ができなかった、ですよね?

実習生のK先生は当時中学3年生。受験を終え、卒業式の翌日。高校は5月までスタートしなかったらしい。

僕は直接の被害を受けたわけじゃないけれど、地震の後に被災地のボランティアに関わったから、よくその話を聞いていたんだ。その後から、被災した地域の高校生たちが、自分たちの住んでいる地域を良くしようといって立ち上がり、いろんなプロジェクトを立ち上げていったっていう話もたくさん聞いてきた。不安な時期を過ごしたはずなのに、その地域の中高生たちは、前を向こうとしていたんだ。

ところで、地震が起きた時、僕は大学にいた。実家の茨城から、大学のある神奈川まで2時間半かけて通っていたんだけど、交通が全部ダメになったから、帰れなくなった。それどころか、関東地方の高校生たちを集めたイベントのスタッフをしていた最中だったので、高校生もろとも帰れなくなって、大学でダンボールを床に引いて寝たんだ。電話がほとんど通じなかったんだけど、テレビとインターネットで情報を集めていた。当然そこで津波の映像をみて、衝撃を受けたことは今でも覚えている。

いつも気になる男子生徒が、「でもですね、津波の映像撮ってた人、笑いよったんですよ」と笑い混じりに僕の話にツッコミを入れてくる。件の、僕が声を荒げた女子生徒が、その彼を注意して、話を聞くように促す。

たくさんの情報がツイッターで共有されていった。そしてその中に、 #prayforjapan というつぶやきが出てくる。playだと遊ぶ、だよね。でもこのprayというのは、「いのる」という意味だ。日本のために祈ろう、そうやって「日本頑張れ」というメッセージが、たくさん外国から寄せられた。英語だけじゃなく、本当にたくさんの外国語でそのメッセージが届いた。僕は英語が少し得意だったから、そうしたメッセージを読むことができたんだけど、そうした応援がきたことに、素直に感動したんだ。これだけたくさんの人が、日本を応援してくれている。そこには大きな価値があると思った。

そしたら、 #prayforjapan というメッセージに、今度は日本語のつぶやきが出はじめたんだ。それは、被災した東北のエリアや、電車が止まって長い道のりを歩いて帰らなきゃならなかった東京とか関東の人たちの様子をつぶやいたものだったんだ。たとえば、歩いて帰る人たちが、途中のコンビニでトイレを借りる時や水を買うときに、ちゃんと並んで待っている姿を見て、これがすごいよね、ってつぶやきがあったんだ。みんな緊急事態なら、横入りとかしたくなるじゃない、でもそのときは誰もそういうズルはしなかった。その様子をつぶやいたメッセージがあったんだ。それから、あの夜は停電した場所もいっぱいあったんだけど、「空を見上げてごらん、星が綺麗だよ」ってつぶやきがあったんだ。それらは、たくさんの人の不安をやわらげて、人々を勇気づけたんだ。

そうしたつぶやきを集めるサイトを僕の友人が作ったんだけど、海外の人の反響が大きくて、自分たちの国の言葉で読みたい、という声をたくさんもらったんだって。特に、韓国と中国の人からの反響が大きかったらしい。それで、僕は英語ができたから、少しずつそうしたメッセージの翻訳をはじめたんだけど、無理だったんだよね。

いつもは授業中に伏せたり取り組んでくれなかったりする生徒も、僕の話に簡単な質問やリアクションをしながら聞いてくれていた。「無理だった」という僕の言葉に、「文章が長かったから?」とか「難しかったから?」とか、反応を返してくれた。

自分一人では翻訳しきれないほど、集められたメッセージの量が多かったんだ。それに、僕は英語くらいしかできないから、他の国の言葉、特に中国語とか韓国語の翻訳はできなかったんだ。だから何を頼ったかというと、インターネットを頼った。顔を合わせたこともない、インターネット上の人々に呼びかけて、翻訳のボランティアをしてくれる人を募集したら、たくさんの人が関わってくれた。ある人は、アメリカに住んでいる日本人で、今回のニュースを見ても自分は日本にいないからもどかしくて、だから役立ちたかったといってくれた。ある人は、日本に留学しているアメリカ人で、とても美しい英語訳を作ってくれた。

結局、そのサイトでは13の言語で、 #prayforjapan がついた日本語の心に残るメッセージを翻訳したんだ。僕は翻訳をするよりも、手伝ってくれる人をインターネットで集めて、そういう人たちと協力しながら作業をしていったんだけど、あのときに確実に感じていたのは、僕にとって英語を勉強した意味ってのはここにあったんだ、ってことだった。ほら、今年度の最初に、僕が乗ってた高速バスが突然故障で止まって、乗り合わせた中国人と英語でやりとりして、彼が飛行機に乗れるように助けたって話ししたでしょ。そうやって、助け合うことに、英語を学ぶ意味があるって思うんだよ。

13の言語、といったとき、「すげー」という声が聞こえた。星空のつぶやきを話した時も「感動的やん」という声があがった。中国人を助けた話は、4月の年度当初の授業で話した内容だったが、10ヶ月前に話したことを、案外みんなが覚えていたのが嬉しかった。全員とはいかないまでも、この話は響いているんだろうという手応えを感じた。

実は日本歴が長く、日本語が堪能なALTが、私の話を聞いて英語で自分のストーリーをシェアしてくれた。僕は通訳をした。

ALTの先生は、地震とは関係ないけれど、今さっきこんな話をしていた。彼が車で事故を起こして、バンパーが壊れた時、修理する店を探していて、それで見つけた店の人が中国人だった、と。その中国人は無料で修理してくれたんだって。で、お互い何語で話していたかっていうと、日本語だったんだって。ALTの先生にとっては日本語は外国語でしょ、そしてその中国人の修理屋さんにとっても日本語は外国語でしょ。お互い、外国語で通じ合いながら、日本で暮らす外国人として助け合いの気持ちがあったんだろうね。

英語に限らず、他の国の言葉を学ぶと、そうやって誰かを助けたり支えたりすることができるんだよ。このクラスの誰かさんは、時折「どーせ英語なんて使わないし」なんて言ってたし、たしかにそうかもしれないんだけど、知っておくことで、誰かに役立つことができるんだ。その可能性があることを僕は知っているから、英語をみんなに学んで欲しいと思っているんだよ。僕はそれを、東日本大震災の時に、強く感じたんだ。

で、その東日本大震災の時のように、学校に突然いけなくなるという状況がやってきた。今みんなは、自分の命を守り、そして家族の命を守ることにつながることをしていく状況にたっている。今回、コロナウイルスと闘っていくためには、情報を手にいれることが大事になると思っている。その情報も、日本語だけで得られる情報と、英語を知っていることで得られる情報には、大きな差があるんだそうだ。僕自身まだあまり情報を漁っていないからわからないんだけど、英語を知っていることで、自分の命を守ることができるわけだ。それに、英語を知っていれば、世界の人に助けを求められるし、逆に日本で収束したら、今度は世界の人を助けることができるかもしれない。英語を学ぶ価値は、ここにあるんだと思うんだよ。

だからみんなには、この休校の期間にこそ、勉強をして欲しいんだ。休みを休みのままに「今を楽しむ」ことに費やしてしまうこともできるし、「今を楽しむ」ことを否定するわけじゃない。けれど、たとえばお手伝いをして少しでも休校の影響で子どもの面倒を見ないとと思っている家の人の負担を減らしたり、きょうだいがいる場合は下のこの面倒を見たり、あるいはこれから先に家の人をサポートできるように今のうちにしっかり勉強をしてこれからに備えたりすることもできる。この1・2週間が大事という、この状況において、ある意味みんなは試されているんだと思う。この時間をどうするかは、みんながどうなりたいか次第だと僕は思っている。

情報を知って、自分の身を守って、誰かを助けることができるようになる、そういう存在になって欲しいし、だから英語を勉強する意味があるんだ。そのことを知って欲しくて、この1年間授業をやってきた。正直、うまく行かないことの方が多かったし、分かりづらいと思うことも多かっただろうし、なによりいい点数を取れるような指導ができなくて、「英語が苦手だ」って思っちゃう人もいたと思う。それは申し訳ない。4月から、だれが担当になるかわからないけれど、でもこの1ヶ月の期間、本当だったらもう少し一緒に授業で勉強するはずだったこの期間に、どれだけみんな自身が学びを止めずにいられるかに期待しているよ。

さぁ、残り20分になっちゃったけど、やれるところまで授業やるよ。


思った以上に熱く語り、そのまま授業せず終わろうかとも思ったが、話の切れ間から20分余ったので、授業を進めることに踏み切りました。帯活動でやっているモデル英会話のペア練習はカットしようと思ったのですが、生徒たちから「やりたいです」という声が上がり、いつもの惰性で進めているように感じられる雰囲気と異なる、取り組もうという意欲が溢れるペア練習になりました。その後、過去形規則変化は一般動詞にedがつくこと、語末がeである動詞の場合はdだけつければいいこと、三単現主語の際の現在形にはsがつくが過去形はedだけがつくこと、playとstudyではedのつき方に違いがあり後者ではyをiに変えてedをつけること、をかなりの駆け足で説明しました。通常ならその駆け足ぶりでは置いてけぼりをくらう生徒が続出するのですが、今回はそれでも食らいついてきてくれている感覚を味わいました。

悩み、苦しみ、思い詰めた日々もあった、そんなクラスで最後に経験した甘美な高揚感。この1年間が報われる思いがした、この授業で僕がしていたのは、熱を込めて語る、ということでした。この話が、どれだけ彼らに残るかはわかりません。そしてこの休校が、どれだけ彼らに残るかもわかりません。けれど、この1年、想いを込めて授業をしてきた、その想いを伝えるとともに、こういう状況だからこそ、今を楽しみ尽くすのではなく、未来に繋げるための1ヶ月を過ごして欲しいという願いを伝えることには、意味があったんだと思いたいです。

そうやって思い起こしながらこの記事を書き、友人に見てもらってもらった感想は、「あなたは、自分の体験を追体験して欲しいんじゃないか」というものでした。多分にその側面はあって、というか自分自身の原体験が、自分を教壇に向かわせ、自分の語りを引き出したんだと思います。それほどまでに、「楽しかった」以上に、「誰かの役に立てた」という感覚が、自分にとっての英語を学んだ価値だったわけで。だから、成功と挫折との両方を味わった#prayforjapan.jp多言語翻訳プロジェクトでの経験が、今回の緊急事態に際して思い起こされ、つい語りを増幅させてしまいました。

友人は、記事に既視感を覚えると言っていたのですが、自分を守ることが誰かを守ることになるというのは、まさしくその友人と私が携わっていた子ども向けワークショップで、友人が担当したセッションで彼女が伝えたメインメッセージでした。長らく、ソーシャルな活動に身を置いてきた自分自身としては、このコロナウイルス感染拡大防止という緊急事態においてこそ、利己と利他と、双方に関心を寄せる気持ちを、生徒たちに持って欲しいと、より強く思ったんだと思います。

特急で制作した、休校中の課題である復習用のプリント集。その表紙の裏に、こんな言葉を寄せました。まぁみんなスルーするかもしれないんですが、自分が担当する生徒だけでなく、日本のすべての休校中を過ごす生徒たちに、僕は期待を寄せたいと思います。こんな時期だからこそ、それを乗り越えて、成長して欲しいから。

まさかのことが起きた。これは日本全体の問題であり、世界全体の問題だ。

情報をどれだけ知っているか。
それが、この状況をのりこえるために大事になる。

英語がわかると、もっと多くの情報が手に入る。
たくさんのことが知れると、たくさんの備えができる。

英語がわかると、世界中に助けを求められる。
思った以上に世界の人たちは優しいから、きっと支えてくれる。

英語がわかると、誰かを助けることができる。
この危機を乗り越えたら、今度は僕たちが世界を助ける番になるだろう。

このタイミングを、君たちはどう活かすか。
自分の将来のために時間を使うのか、今の楽しみだけで時間を潰すのか。

自分のいのちを守る、そのための勉強。
自分の将来を広げる、そのための英語。

さぁ、勉強の時間だ。

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