OriHimeが教室に来た話 – 道徳「『障害』を越えて – OriHimeパイロットたちの希望」

2019年の4月に出会い、そこから3年にわたって、学年団副担任・英語科教科担任として関わってきた45名の生徒の卒業を見届けて、早1ヶ月以上経ちました。彼らがすでに営みを始めている、それぞれがえらんだミチにおいて、より豊かに生きていけることを願ってやみません。

この45人との日々においては、メンタルブレイク寸前に至ったこともあったし、突然の休校に迫られたこともあったし、コンセプトのもとに集った生徒たちの自主性に感動したこともあったし、成長の尊さと、生身の思春期の人間に向き合うことのしんどさを、この3年間でだいぶ感じてきました。そんな45人の生徒たちの良さを、多くの同僚は口を揃えて「いたわり・やさしさ」と表現していました。

この記事は、この「いたわり・やさしさ」という良さに対して、あえて揺さぶりをかけることで、それでもやはり「いたわり・やさしさ」、いや、「おもんぱかり」を持って、それぞれの進路に進んでほしい、という私の願いから実践した、道徳の授業「『障害』を越えて – OriHimeパイロットたちの希望」に関する記録です。背景や経緯と、授業の進行を、それぞれ章立てしていますので、目次からご覧ください。


生徒たちの背景:「やさしさ」が当たり前となっている日々

私は2019年から、福岡県の筑豊エリアにある、とある小中一貫校に勤務していました。2019年に中学1年生となった生徒たちは、その学校が小中一貫校として装いを新たにした、その最初の年に入学した、いわば「純・小中一貫校の生徒」の一期生にあたります。今日の卒業までの9年間、転入出などはありましたが、ほぼ全員のメンバー構成が変わることなく過ごしてきた人たちでした。

小中一貫校ということは、小学1年生から中学3年生までが、同じ建物で過ごします。大人びた思春期の人々と、元気いっぱいのまだまだ幼い人々が同居する環境にあると、自然と年長者は年少者に対して優しく接します。もちろん意図的に、年長者が年少者の面倒を見るような仕掛けも行われています。代表的なものが、中学生が小学生に勉強を教えに行く、という企画です。年長者は年少者の「手本」であることが求められると同時に、年少者の存在が年長者に対して「いたわりの心」を持つ仕掛けとしても作用しているところがあります。

「純・小中一貫・一期生」である彼らも、そうした「いたわり・やさしさ」の溢れる人たちでした。居住エリアによるコミュニティにおいても、普段から子どもたちどうしで遊んでいたり、あるいはきょうだい関係があったりなど、学校内外を通じて年少者たちとの関わりがあり、それでいて「なんにもない」田舎のエリアだからこそ、密な関係性が構築されたのだと思います。そういう発達環境は、自然と「年少者にやさしく・なかよく接する」という意識を形成したのではないかと思うのです。

しかしどうにも、それだけではない要素が、生徒たちの「いたわり・やさしさ」を形成しているように思えていました。その一つの事象が、中国から転入してきた生徒への接し方です。

小6で中国から転入し、一生懸命日本語の勉強に取り組み、また日本のカリキュラムでの中学校の学習課程を日本語で受講してその勉強も頑張る、という男子生徒がいました。最初は支援員の方の介助が必要でしたが、目まぐるしい成長速度で日本語を習得し、現在では翻訳の介在なしに授業を受けられるまでになりました。しかし当然、最初のうちはわからないことも多く、それは授業だけでなく、日々のクラスメイトとのコミュニケーションにも困難があったはずです。しかし、周囲の生徒は決してその彼を邪険に扱うことなく、仲間の一員としてみなしていました。

そんな彼のいとこにあたる、中国からやってきたばかりの女子生徒が、なんと2021年の11月に転入してきました。卒業まで半年を切っての出来事でした。聡明で快活で、中国での学校の成績も優秀だったそうです。それでも、日本語は全く話せない。必死にひらがなやカタカナ、単語や短文の習得に励み、そのスピードは凄まじいものでしたが、とはいえ生徒たちとの会話はできない状態でした。しかし、周囲の生徒たちは、とても自然に彼女のもとに集まり、言葉が通じないのになぜかコミュニケーションが成立しているような様子を私に見せつけてきました。

他にも、さまざまなシーンで「いたわり・やさしさ」を目にしてきました。具体的なことはここには書けませんが、「特別な支援」を要する生徒が多いように感じられた学年構成のなかで、生徒同士、誰かが誰かのお世話を自然としていました。逆に言えばそれは、たとえば「片付けができない」とか、「勉強ができない」とか、そういう「不出来」が目立ってしまう生徒たちが多くいたということの表れでもあり、その「不出来」の認識を突きつけられてきた、ということも言えます。それでも生徒たちは、「なんで出来ないん?」と仲間を邪険に扱うことなく、自然と支援する関わりをしてきたのでした。


授業構想の入り口:お蔵入りした「見えない障害と生きる」

ところで、いきなりですが、私はどうも時折「あぁ、生きづらいなぁ」と感じることがあります。現に私のVisionステートメントは「この生きづらい世の中で、勇気と気づきが、まだ見ぬ明日を切り拓く」となっていて、生きづらさが前提になっています。その内実は、この記事にしたためたのでご覧いただければと思いますが、私自身が感じている「生きづらさ」とはまた違った側面において、担当してきた生徒たちのなかの一部は、他者との社会的関係性のなかで「生きづらさ」を感じる可能性があると予見していました。言い換えれば、今後の人生において「困り感」を抱えるであろう生徒たちが多いように思えていました。

そうした「困り感」に対して、「障害」という診断が出される場合があります。いわゆる「発達障害」という言葉は、昨今において広く知られるようになってきました。お世話になったスクールカウンセラーの方から伺った話をもとにした私の理解で言えば、「発達障害」という診断名は、自身の「特性」によって社会生活・集団生活において困りごと・困り感を抱えたときに、適切な支援を受けられるようにするためのラベリングにすぎない、と捉えています。しかしまだ、「発達障害」に対する社会的理解は十分に浸透しているとは言い切れず、「障害」というラベリングの有無に関わらず、「生きづらさ」に対して寛容であるという姿勢は、態度においても実践においても、それを発揮することは難しいのが実態だと思います。

だからこそ、学校教育の場において、「発達障害」について取り上げていき、正しい知識とともに、「障害」であろうとなかろうと、別言すれば、「障害」を超えて、それぞれが抱える「生きづらさ」に対して寄り添えるようになるための態度を育みたいと考え、ある映像素材を用いた、道徳の授業案を考えました。それが、東海テレビが制作した公共CM「見えない障害と生きる」を中心に、その映像に登場する自閉症を持つラッパーGOMESSの楽曲「LIFE」を取り上げる授業でした。

勤務校においては、週に1回設定されている道徳の授業を担任が基本的に実施します。しかし、担任以外の教員の道徳指導力向上を目的に、一人当たり年に2本、道徳の授業を実施する取り組みが行われています。教科化された道徳においては、学習指導要領において定められた「内容項目」を取り上げることが求められていますが、その内容項目に沿っていれば、必ずしも教科書を活用する必要はない、と理解しています。そこで私は、「相互理解・寛容」という内容項目において、「発達障害」をテーマにしたいと考えたのでした。

授業で想定していた流れは以下の通りです。

①導入としてGOMESSのフリースタイルの動画を視聴する

②自閉症の二次障害として発生するパニック障害が発生したときのことをリリックにしたためた「LIFE」を視聴し、「あなたなら彼にどんな言葉をかけますか?」という問いを投げかける

③発達障害に関して大学教授が解説している動画を視聴する

④東海テレビ制作の「見えない障害と生きる」を視聴し、「『同じ人間として』生きていくために、あなたは他者にどのように関わっていきたいと思いますか」という問いについて考える

想定していた授業の流れにおいては、③の動画で述べられている「脳のクセ」というところを引き合いに、あくまでも本人が持つ特性(特に「苦手」という側面のもの)が、社会生活を送る中で困り感として表出しているのであり、クセや特性、あるいは「苦手なこと」はみんなにもあるからこそ、そこに寄り添えるようであってほしい、と伝えるつもりでした。そのためには、「見えない障害と生きる」の動画に登場する人々の、それぞれが持つ「特性」から生じる生きづらさを目の当たりにすることが必要だと考えていました。

GOMESSは、「見えない障害と生きる」の動画の最後に、以下のようなリリックを放ちます。

たたそばにいてくれるだけでいいんだ。
僕ら、どんな障害があったって、同じ人間として。

「LIFE」という、パニック障害を起こしたときの様子について、生々しいとすら言える苦しみを吐露しているGOMESS自身が、授業の最後に見る動画の本当のラストの部分において、この2行のリリックを放つからこそ、「同じ人間として」寛容であることを、重みをもって考えることができる。そう、考えていたのです。

しかしこの授業案は、結果的にはお蔵入りさせることになりました。学年の他の先生方との議論の末、卒業を間近に控えたタイミングにおいて、その授業をすることによって発生する「言葉の独り歩き」や「不十分な理解」が及ぼすさまざまなリスクに対するフォローアップ、あるいは生徒たちの背後にいる保護者や関係者に対する説明責任などを踏まえると、「発達障害」というテーマそのものに難しさがある、という判断でした。この判断自体を、私は合理的だったと思うし、公教育という環境を踏まえればこそ、まだそこに慎重さを要するような社会状況であり、それは誰も責めることができない、と思いました。

ただ、職を賭してでもこの実践をしたいと強く思っていた私自身、打ちひしがれる思いがありました。ただただ、悔しかった。本当に。


題材をめぐる逡巡:OriHimeを題材にするまで

「『生きづらさ』に対する慮りと寄り添う姿勢」をテーマに、道徳の授業を行うということは、たとえ「発達障害」をテーマにできないとしても、私の中では諦めきれないものとなっていました。そのときすでに、卒業までのこり2週間を切る段階。タイムリミットが迫る中、お蔵入りの判断をした学年会議の後、私はさっそく次なるテーマ探しに奔走します。

一つの可能性として思い至ったのは、NHKの科学文化部の『「聾者は障害者か?」若者の問いかけ』という記事をテーマとすること。日本手話という、日本語と言語構造が異なる言語を話す「聾文化」に生きる人を、健聴者を基準として「聴覚障害者」と呼ぶのはどうなのか、という、高校生の読書感想文を取り上げた記事でした。日本手話が日本語と文法構造を異にすることから、日本手話を第一言語とする場合、事後的に日本語を習得すると、作文における語順や助詞の扱いに不慣れが生じるということを、私は大学時代に日本手話で教育を行う聾学校を見学した経験から知っていました。それだけに、その高校生の、極めてナチュラルな日本語による作文には、高いレベルでの言語習得の足跡を見た気がして驚いたものです。しかし、これを授業で取り扱うには、情報を噛み砕く必要があり、あまりハマりがよくないと感じました。

ところで、時は北京パラリンピックの開催真っ只中。1つの学年の間に、東京夏季パラリンピックと北京冬季パラリンピックを目の当たりにできるのは、なかなか稀有なことです。以前、東京パラリンピックの開会式の演出にえらく感動した私は、学年通信にそのことを記事にして掲載しました。とすればパラリンピックが題材になるのか、とも思ったのですが、どう考えても私以上に身体能力が高く、その上さらに高みを目指していくパラアスリートたちの姿に「相互理解・寛容」という内容項目はそぐわないし、題材だけで見れば、アルペンスキーの三澤選手を取り上げた授業はすでに他の先生がされていたため、それを思えば違うな、と思いました。

とすれば、あとは何がテーマになるのだろうか。「生きづらさ」について言えば、2021年末の紅白歌合戦で、まふまふさんが、カンザキイオリさんの「命に嫌われている。」を歌い、しかもそれが21時のニュース前・前半の終わりのタイミングだったわけで、NHKのゴールデンタイムの、しかもかなり幅広い視聴年齢層で編成しているはずの時間帯に、かなり強いワーディングの歌詞の曲をぶち当てている時点で、この時代におけるメッセージ性を感じずにはいられなかったわけです。でも、これまた題材としても違う気がする、と。そうかと思えば、およそ「人権課題」として括られる事柄については、すでに「人権学習」として学年全体でさまざまなテーマを取り扱ってきていることもあり、これまた違うな、と。

これは、OriHimeが題材になるのだろうか。そう思い至るまでに、時間はそこまでかかりませんでした。自分が、2021年夏の帰省の際に、分身ロボットカフェDAWNを訪れ、分身ロボットによる接客を受けた体験があった分、それを題材とすることには必然性があったのかもしれません。しかしどこか、この逡巡の時点では、これを題材にすることと「相互理解・寛容」を結びつけることには、当初は違和感がありました。

そうそう、OriHimeについての解説をしていませんでした。分身ロボットOriHimeは、吉藤オリィさん率いるオリィ研究所というベンチャー企業が開発する「分身ロボット」です。ネット回線を介して、遠隔で操作をすることができるロボットであり、本体に搭載されたカメラとマイクで遠隔地の状況を見ることができるとともに、スピーカーを通じて音声を届けることができます。さらには、頭と手を動かすことができるため、「バイバイ」や「うんうん」といった、言外の表現を行うことができます。

開発をした吉藤オリィさんは、以前に体調に起因する長期欠席、そして不登校を経験し、また対人コミュニケーションへの困り感を抱えていた経験を持っています。その背景を持ちながら、寝たきりの外出困難者たちとの出会いを経ることで、何らかの原因で社会との接点を持つことが難しい人向けの「分身ロボット」を開発していきます。それがOriHimeです。詳しくは、彼の著書である『「孤独」は消せる』や『ミライの武器』を読むと、開発に至る背景がよく分かります。かくいう私も、その両方の著書を読んでいます。

著書を読むとわかるのですが、「外出ができない」という困難に対して、OriHimeというソリューションがその障壁を下げ、社会とつながることを可能にした、というストーリーが、OriHimeユーザーたちに共通してもたらされています。その中でも欠くことができないのは、オリィさんの秘書であり親友である番田さんという方のストーリーです。OriHimeを介して、外と・他者と繋がることができただけでなく、完全に寝たきりで手足を使うことができない状況にありながらも、PCを操作して秘書業務を行なったり、講演をしたりして、社会参画の新たな形を切り拓き、さらに番田さん自身がOriHimeパイロットのテストケースになりフィードバックを行うことで改良が重ねられた、という話です。

このストーリー自体は、オリィさんがOriHimeを語る上で欠かせないものであり、かつ、テクノロジーが「困難」を超えていく希望につながっていくという格好の事例です。番田さんは、惜しまれつつも容態の悪化により天国へと旅立ちましたが、開発者のオリィさん自身が、番田さんという親友の存在によって、より多くの人の社会参画の機会をもたらすに至ったという話に、感動を覚えざるを得ませんでした。しかしながら、私が意図していた「慮り」の態度というテーマからすると、「テクノロジーが困難を越える可能性をもたらす」という話は、どこか繋がりを得なかったのも事実でした。

だとしても、分身ロボットカフェの体験をしたことは私にとって強烈な印象のあったものでした。なにか手がかりがないか、と、OriHimeパイロットたちの動画を漁りまくりました。


授業構想の突破口:司書教諭との対話を通じて

OriHimeが題材になり得そうだと思いながら、そのストーリーラインに悶々とした夜。明くる日、私は学校の図書室に出向き、司書教諭に「オリィさんの本、ありませんか?」と問いかけ、ここまでの私の思考の逡巡を話しました。というのも、2021年の夏に、私が分身ロボットカフェを訪れるきっかけになったのは、司書教諭の先生が『「孤独」は消せる』を生徒たちに紹介したことがきっかけでした。

2021年の夏、日本橋にある分身ロボットカフェの常設実験店DAWNを訪れた私は、あらかじめ分身ロボットの接客を受けることができるディナータイムの座席を予約し、そこで車椅子生活をしている女性の店員さんと遠隔でお話をしながら、おすすめされたローストビーフのバーガーを食しました。その女性のOriHimeパイロットさんは、着物や和菓子など、和の文化を発信していくことをライフワークにしていて、そのことについて嬉々としてお話をしてくれました。最後の方には、私が持っていた財布と同じブランドの財布を持っていることがわかり、「おそろいですね」なんて話を交わしました。むろん、Twitterをフォローしたのはいうまでもありません。

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私は私で、その分身ロボットカフェで接客を受ける体験をしながら、実際のところ障害を持っている状態での就業はどんな感じなのかをいろいろヒアリングをし、障害を持つ人の働き方の可能性について、考えを巡らせていました。冗談で「これだけ長い時間付きっきりでずっとお話ししてもらえるなんて、キャバクラにいるみたいですね」なんて伝えたら、相手から「実はこのカフェの中には『スナック織姫』があるんですよ」って返しが来ました。また、ふとスプーンが必要になった時に、食事のプレートの提供をしているアルバイト店員さんを呼ぶのではなく、OriHime越しに接客担当のパイロットさんにお願いをしたところ、Slackでバックヤードに指示を飛ばしてもらい、スプーンを持ってきてもらうというシーンもありました。「これは、可能性に満ち溢れている」という感覚を覚えました。

では、どうして私が分身ロボットカフェを訪れることになったのか。実のところ、分身ロボットカフェの期間限定実験店舗があったことも、常設実験店舗ができたことも、ネットニュースで知ってはいました。しかし本気で「これは行かねばならぬ」と思い至ったのは、2021年の4月、新学期に毎年必ず行なっている「図書館オリエンテーション」の席で、司書教諭が吉藤オリィさんの『「孤独」は消せる』を、中3生に紹介していたことに起因しています。その「図書館オリエンテーション」は、クラスごとに図書室に出向いて司書から図書室の使い方の話を聞く、というものでしたが、司書はその説明に合わせて、各学年へのメッセージを込めて本の紹介をしていました。

『「孤独」は消せる』を司書が紹介した、そこに込められていたのは、未来を切り拓くという希望と、さまざまな「しんどさ」に対する共感だった、と記憶しています。そこには、進路決定の1年間に臨む中学3年生に対する、司書からの慮りを感じました。しかし、司書が『「孤独」は消せる』を紹介したのには、もう一つの背景がありました。それは、その司書が前の学校である近隣の小学校に勤務していた際の教え子に、OriHimeのパイロットとして、分身ロボットカフェで接客の仕事をしている人がいた、ということでした。病気のため寝たきりとなっているその教え子は、しかしながらOriHimeを用いて社会と繋がっている。その様子をTwitterで遠巻きに見守る司書は、いつも勇気をもらっていた、という話をしていました。

4月のブックトークを思い出した私は、「見えない障害と生きる」の実践を諦めることとなった日の翌日、図書室の司書の元を訪れ、『「孤独」は消せる』を探している旨を伝え、そして前日までに起きた、「相互理解・寛容」をテーマとした道徳の授業のアイディアについて、その司書に洗いざらいの話をしました。司書は、私の授業案の根底にあった、障害というラベリングの有無によらない「生きづらさ」への慮り、ということについて共感を示してくれたと同時に、あることを教えてくれました。それは、私が授業を行う対象である中学3年生の学年は、小学生時代に、割と重度の障害を抱える児童と一緒に過ごしていた、ということでした。

小学校時代から、困ったことを抱えている人に対して優しくしなさいということを、指導されてきたと思うんです。だから、その障害を抱える子に対してだけでなく、何かが他の子と比べて遅かったりできなかったりする子に対しても、茶化したりすることなく、優しく手を差し伸べていたんですよね。

この司書の話を聞いた際に、「やさしさ」が当たり前になっている日々の様子に対しての合点がいったのです。そうか、だから異質な他者に対しても寛容であったり、不出来に対する支援的な関わりを自然に行うことができていたのか。間違いなくそういった態度・姿勢は、中学3年生たちの良さであると思ったと同時に、ふとある疑問が湧きました。それは、司書の教え子であったOriHimeパイロットさんは、周囲とどのような関わりをしていたのか、ということでした。司書の目にはどのように映っていたのかを聞くと、こんな話が返ってきました。

彼女自身が明るくて快活で、小学校のころからもいろんなことを自分でトライする子だったんです。だから、周りの児童も彼女を邪険に扱うことも無くて。そして彼女は、周囲からの「当たり前」のサポートを、「ありがとう」と快く受け取っていました。だけど、本当のところはどう思っていたのか、気になっているんですよね。あの当時の私自身の接し方は、一教師として、あるいは一人の人間として、よかったのだろうか、と思う時があるんです。

そこには、教師として・人間としての、葛藤があったのだと感じました。そしてこの葛藤、つまり「本当の意味での支援とは」というところこそ、私が生徒に考えてほしいところだと気づくことができました。困っている人に支援をするのは当たり前、という、それ自体は素晴らしい考え方に対して、あえて揺さぶりをかけ、「『できない』に対する『支援』の在り方」を考えていくことを授業の中で取り扱いたかったのだ、と気づいたときに、OriHimeパイロットを題材とすることに、自分の中で繋がりを持つことができたのでした。


奇跡をよぶ繋がり:OriHimeが実際に教室にくるまで

司書との話をふまえ、「『できない』に対する『支援』の在り方とは」というテーマのもと、OriHimeパイロットと、ある意味でその「支援者」であった司書が抱えた葛藤を題材とすることを決めました。当初は「OriHimeというテクノロジーによって困難を超えている」というストーリーと、「『できない』に対する『支援』の在り方」を個々人が考える、ということに親和性を見出すことができていませんでした。しかし、司書の教え子であるOriHimeパイロット・中島寧音さんのインタビュー動画を発見したことで、新たなストーリーラインが、自分の中で思い浮かびました。

この動画のなかでイキイキと自分の夢を語る寧音さんの姿からは、OriHimeというテクノロジーによって、「できない」を超えて自分の可能性を広げることができたばかりか、自分自身が被支援者となることが多かったはずの寧音さんが、分身ロボットカフェで働くことで「人の役に立つ」という社会的な繋がりを広げることができていることを思い知ることができます。この動画では語られていませんが、実は彼女は現在、大学の社会福祉学部で、社会福祉士になるための勉強をしています。つまり、被支援者が、支援者になるための学びをしているわけです。

この動画と、同じシリーズのもう一本の動画を主たる題材として視聴したのちに、以下の問いを発問することとしました。

彼女たちに希望をもたらしたものはなんだろう

一見すると支援を要する人が、OriHimeというテクノロジーを通じて、自分の可能性を広げた。しかしながらそれは、OriHimeの存在そのものというよりも、それによって行動範囲が広がり、本人の中でチャレンジをする気持ちが広がり、そうしたチャレンジによる成功体験や分身ロボットカフェで誰かに貢献できるという経験が積み重なったことが、次なる希望につながっていったのでは、と思ったのです。「社会的なつながり」が希望をもたらし、その希望を叶える上で困難になることを支援する。言い換えれば、相手に寄り添い、相手のしたいことを支えていくことが、「『できない』に対する『支援』の在り方」なのではないか、と思ったのです。それは、GOMESSのリリックにある

たたそばにいてくれるだけでいいんだ。

とも合致すると思えました。

そしてその、「社会的つながり」と「本人の意思に寄り添う」ということに迫るには、被支援者とみなされる障害を抱える人の姿だけでなく、支援者が抱える葛藤も必要な要素となると考えました。まさしく、司書の抱えていた「あの時の『支援』を、本当のところはどう思っていたのだろう」という問いがそれに該当します。それらを通じて、「被支援者と支援者」という固定的イメージを超え、困難を抱える人にとっての社会参加のあり方の多様性に気づき、本人の意思に基づいて必要なサポートをしていく、ということを生徒たちに考えてほしいと思いました。「優しく支援するのは当たり前」ということができるからこそ、その「当たり前」を揺さぶりたい、と考えていました。

そのメッセージに行き着くためには、どうしても司書の口から実体験として語られる必要がある。そこで、卒業までの残りの授業時数も考慮して、2クラスある学年を合同にして授業をすることにしました。その合同授業に司書をゲストとして迎え、教え子である寧音さんについて話してもらうことにしました。しかしながら、寧音さんについてどう捉えていたか、ということを、本人不在の場で話すということは、さすがによろしくないと思い至り、私はTwitterを通じて寧音さんにコンタクトを取りました。ちなみに、DMをお送りするために、「お願いしたいことがあるのでフォローしていただいてDMを送らせてください」と突如としてリプライを飛ばし、私をフォローしてもらってDMを送れる状態にしたのは、今思えばよく取り合ってもらえたな、と。

最初は「動画を用いて紹介していいですか?」と聞き、その許可をもらえた後に、2,500字にも及ぶ経緯説明を私から送りつけ、「あなたのことについて、司書も交えて教室で話していいか」というお願いをしたのでした。よくもまた長文を送りつけたな、と思いましたが、寧音さんはそれを丁寧に読んでくださり、返信をくれました。「授業で全て話して大丈夫」という返信をいただけたのは、本人がTwitterで発信を積極的にしたり、分身ロボットカフェで働いたり、といったパーソナリティがあったからだと思いますし、そういう相手だということをなんとなく予測していたからこそお願いをした、というところがありました。

その返信には、以下のようなことが書かれていました。

最初は「障害があるから何か手伝おう・優しくしよう」と思う人も少なくないと思いますが、その人自身と接するうちに考え方が変わっていくということもあると思います。また、大学の授業で障害者理解について考えた際、私は、何か生きづらさを感じたり、困難な状況にある場合、どうしたらいいか一緒に考え乗り越えていくことが大切だと考えました。

そして、その返信とともに書かれていたのが、「私がレンタルしているOriHimeをそちらに持って行って、先生方や生徒さんとお話ししてみたいと思いました」という一言でした。こちらとしては「してやったり」で、実は少し狙っていたことでした。OriHimeを介して寧音さんがやってきて、司書と対話をすることで、小学校時代に感じていたことを今の時点からどのように評価し、その上で「本当の支援のあり方」について、支援者と被支援者の関係性を超えて話すことができたら。そんな妄想が、思った以上にスピーディーに現実のものとなりました。

なお、「お蔵入り」を判断したのは2月28日の月曜日のこと。その後、司書の元を訪れて授業構想について対話を深めたのが3/1、寧音さんにDMを送ったのが3/2、そして「OriHimeをそちらに向かわせたい」という申し出をもらったのは3/3の木曜日でした。授業を実施する3/7(月)からカウントすると4日前の出来事です。


そして、授業にOriHimeがやってきた

授業当日は1時間目から学年合同道徳にしました。朝早い時間にもかかわらず、寧音さんのヘルパーさんにご協力いただき、学校にOriHimeを介して寧音さんをお迎えしました。勤務校には、寧音さんの小学校に勤務をしていた職員が他にもいて、久々の再会にもなりました。「最初のうちは、OriHimeが来ていることを隠しておきたいので、こっそりしていてください」とお願いし、ランチルームの後方に鎮座してもらって、授業を開始しました。

導入は、私が夏に体験した、分身ロボットカフェでの話から。「夏に帰省した時、ある女性とご飯を一緒に食べた。その人は和の世界観を広めていく活動をしていて。初めて会った人だけれど話が弾んで、同じ財布を持っていることで話題が盛り上がったんだ」と、相手がOriHime越しであったことを隠した上で顛末を伝えると、生徒たちからは少しずつ笑いが。「遠藤先生には浮いた話がない」ということは周知の事実だったので、「俺だって一緒にご飯を食べにいく異性はいるんだ」ということを伝えました。この導入が功を奏したのか、「その相手は」とOriHimeたちと撮影した写真を出すと、生徒たちが一気に引き込まれる様子を目にすることができました。

OriHimeを介することで、外出が困難でもカフェで働くことができる。この事実を導入で伝えた上で、授業のテーマである「多様な人と接する」ことを考えてほしいと伝えました。そして導入の問いとして

障害を持つ人が身近にいたら、どんなことに気を配って接しますか?

について考えてもらい、ワークシートに書き出してもらいました。すると、生徒たちからは以下のような考えが書き出されました。

  • 優しくする
  • 普通に接する
  • 相手が嫌になることばを使わない
  • 障害について触れないようにする
  • 相手が困っていたらサポートする

こうしたワーディングが出てきた時点で、もはや生徒たちは、授業を通じて到達したいところに辿り着いていると感じました。自然と「支える」という言葉が多く出てきていたり、相手の気持ちに配慮したりすることは、やはり生徒たちの良さを表出していると思いました。だからこそ生徒たちにはあえて「そうした考え方に揺さぶりをかけたい」と伝えました。併せて、自分のストーリーも少し話をしました。2021年の6月、叔父が心筋梗塞を起こして、その後植物状態になり、半年が経って障害者手帳が発行されたこと。15年以上「加齢黄斑変性」という目の病のせいで失明に近い状態になっている祖母が障害者に認定されたこと。その祖母が常に「見えないことが辛い」と言っていることに対して、支えなければと分かっていても、どうしても邪険に感じていたこと。

だからこそ「支える」ということはなんなのかを考えてほしい、と伝えた上で、2名のOriHimeパイロットたちのインタビュー動画を再生しました。一人目に再生したふみさんは「就職活動をしています」と、二人目に再生した寧音さんは「世界旅行が夢」と言っていました。私はそれを受けて、「僕だったら、『できないことがある』という状態で夢を語れる気がしない。けれど彼女たちは希望を持っていた」と話し、題材を受けての発問である

彼女たちに希望をもたらしたものはなんだろう

を問いかけました。

  • ロボットに出会えた
  • 達成した喜びがあった
  • 自分にしかできないことがあると気づいた
  • その人に関わった人々が希望をもたらした
  • 誰とでもつながることができた

といった考えが、生徒たちのワークシートに書かれていました。

「思い出してください。みなさんは『「孤独」は消せる』という本を知っているはずです。4月に、図書館オリエンテーションで、司書の先生からこの本の紹介を受けているはずです。何を隠そう、さっきの動画の2人目の寧音さんは、司書の先生の教え子で、だからこの本が紹介されたんです」と切り出し、司書の先生を教室の前に迎え、インタビューを始めました。

────どんな関わりでしたか?

前任校に赴任した時の小一でした。本がとても好きで、読み聞かせをしたり、リクエストを受けたりしましたし、図書委員会でも関わりがありました。いろんな本を紹介していました。オシャレに興味があり、デザイナーになりたいと言っていて。デザインを勉強するならフランスに行きたいということで、フランス語の本とかを貸し出していました。自分の興味に対しては活発な少女でしたね。

────周りはどう接していたように思いますか?

ベッドの周りでお話ししたり、バギーの時には押していたりしていましたね。低学年の頃は、先生たちから「障害を持つ人と一緒に過ごしているような作品があれば読み聞かせをしてもらいたい」というリクエストをもらっていたけれど、でも寧音さんがいたことは自然なことだったようでした。お世話をする、ということは、とても自然なことだったのだと思います。

────今の様子を見て、どう感じていますか?

夢を実現させようとする姿は、以前と変わらないと思いますが、以前は言葉を発することにも難しさがあったようでした。だから、小学生のころに私が伝えていたことをどのように受け取っていたのか、あるいは私が彼女のことを考えて行動したことをどう受け止めていたのか、といったことには、私自身悩んでいました。相手の気持ちを汲み取ってしている行動と、相手が本当にしてほしいと思っていることにはズレがなかったんだろうか、と。


筋書きのない対話から生まれた、「『できない』を支える」ということ

「なら本人に聞きましょう」といって、教室の前にOriHimeを運びました。無言の「え」という表情が子どもたちから見えました。私は「司書の先生の話を受けて、どう思いましたか?」とさっそく聞きました。

当時はまだ幼かったので、してもらっていることに対して純粋にありがたいと感じていたし、そこまで深くは考えていませんでした。でも今思い返せば、もっと自分が「こうしたい」と思っていることを伝えてばよかったと思います。

それに対して司書は、

伝えることが難しいところもあったんじゃないかと思う。したいことを伝えることによって、「寧音さんのために」と相手が動くことになるのを、寧音さん自身が受け取っていたのではないかと思います。だから、本人自身と周りの人にとって、どうやってあげるのがベストだったのか、が難しかったと思います。

と述べました。私はその「やってあげる」を取り上げ、何か考えることはないかと寧音さんに問いかけました。

今、社会福祉士になるための勉強をしていて、その授業の中で考えたことなんですが、支援をする側が一方的にサポートをするのではなく、支援を受ける側がどんなことをしたいのかについて、一緒に考えていくことが大事だと思います。

司書に、その考えを受けてどう思うかを問うと

コミュニケーションとは、相手がどんなことを考えているかを受け止めることだと思います。

と応えました。

私はその後、この際だから何か聞いてみたいことはないか、と司書に振りました。司書からの質問は、以下のようなものでした。

私はネガティブな性格で、「どうせ」などと考えてしまうことが多く、寧音さんのTwitterの投稿を見ていると、さまざまなことにチャレンジしている姿に対して、そのポジティブさをすごいなぁと思っているのですが、その気持ちはどこから来るんですか?

寧音さんの答えは、

最初からポジティブでいたわけではありませんでした。でも、周りにいた、同じように困難を抱えているけれどチャレンジしている人たちの姿を見て、私もワクワクする方を考えようと思うようになりました。

というものでした。一方、寧音さんから司書への質問を聞いてみると

自分は話すことが苦手だけれど、司書の先生は大勢の前で話すことができていて、気をつけていることがあれば教えてほしいです。

というものでした。それに対する司書からの回答はこうでした。

私はもともと人前で話すことが苦手で、だから司書の仕事をするようになったのですが、こんなに人前で話すようになるなんて思っていなくて… あまり正直何も考えていないのですが、自分が本を読んで感じたことを伝えて、それを聞いて本を手に取った人が自分なりに考えを持てるように心がけています。

この、お互いがお互いに質問をする、というシーンは、打ち合わせもしていなければ、当日その場になって思いついたことでした。まさかこの質問し合うコンテンツが、この授業において迫りたいことを表出するだなんて、私自身も思ってもいませんでした。それは、「障害」に起因する部分ではないところで、お互いがお互いに、相手の「できること」を羨み、どうすればその「できること」に到達できるのかを聞き、しかしいざ蓋を開けてみると、その「できること」は最初からできているわけではなかった、ということでした。自分の「苦手なこと」をできるようにしたい、という思いに対して、「私も最初からできたわけではなかった」ということを、お互いに理解し合うところに、「『できない』に対する『支援』の在り方」のヒントがあるように思いました。

私はこの対話の後、生徒にこんな話をしました。

「障害者」という表記をするときに、「がい」をひらがなで表記したり、「碍」と表記したりする場合がある。(この堀潤さんの記事によると)NHKでは「障害者」を「害」で表記をしているのだが、それは、「障害者」に「害」があるのではなく、ある特性を持っている人が何かをしようとした時に困難を伴う場合、その人の外側に「障害」があると捉えているから、だそうだ。たとえば(といってメガネを外す)、僕がこうしてメガネを外すと、みんなの顔を見たいという行動ができない。ここに「障害」、つまりハードルがある。僕はメガネをすることでそのハードルを越えることができる。寧音さんは、外出することができないというハードルを、OriHimeによって越えることができた。

誰かが何かをしたいという時に、そのハードルになることを取り払う。目に見える身体上の困難だけでなく、他の人からは見えにくい困難もある。もっといえば、司書の先生が言っていた「ネガティブに考えがちでポジティブに考えることができない」だったり、寧音さんが言っていた「人前でうまく話すことができない」だったり、それぞれが「できない」を抱えている。けれど、お互いに「こうすればできる」を共有することで、それを乗り越えることができる。お互いの「できない」を理解し合うからこそ、支え合うことができる。このことを今日、みんなに感じてもらいたかった。

この話をしたあとで、「主発問」を出すつもりでした。指導案は「これから接していく他者に対して、あなたはどのように接していこうと思いますか?」という問いを用意していましたが、あまりしっくりきておらず、ワークシート上では最後の問いの部分をブランクにしていました。ギリギリまで、頭半分で最後の問いを考えながら、「だれかの『できない』を、あなたはどう支えますか?」という問いが頭に浮かんだものの、私はそれを問うことをやめ、「今感じていること・考えていることを、書いてください」というものに切り替えました。

  • これからの未来は、みんなが協力して生きていくようにあってほしい
  • 人と人とがパズルのように組み合わさることで、なんでもできると思った
  • みんな出来ること/出来ないことがあって、どうしたら補い合えるかを一緒に考えることが大切
  • 現代の技術で、障害を持つ人が、自分のしたいことをできるようになっていくといい

そんな感想が生徒たちのワークシートを埋めていました。


授業を終えて:慮りのある社会を目指して

私は2019年に、生まれても育ってもいない福岡の地に、Teach For Japanによるマッチングを受けて、中学校教員として入職しました。民間企業でも人事をしており、新入社員たちにとっての最初の2ヶ月の担任の先生のようなことをしていましたし、NPO活動で教育に関わりを持ち続けていたので、中学生たちとの関係構築も授業の実践もできると思っていました。しかし実際は、この記事にあるように、うまくいかずにメンタルブレイクを起こしかけたこともありました。とある生徒との関係をうまく構築できず、非常に悩んだ日々でした。その生徒が書き記した感想は以下のものでした。

寧音さんが手を振りかえしてくれてうれしかった。

この感想に、すべてが報われる思いがしました。私は気づいていなかったのですが、私が教室の前中央に置いたOriHimeに対して、その生徒は手を振ったようで、寧音さんはOriHimeを通じて手を振り返していました。授業の様子を映像に残していたのですが、あとからその様子を確認して「確かに」となりました。この感想こそが、私が伝えたかったことの、右に斜め上をいくものだったと思うのです。

手を振れば、振りかえしてくれる。これが、コミュニケーションの第一歩。そのことに気づいてもらえたことが、何よりも嬉しかったです。その生徒は、こうも綴っていました。

だれにどんなことがあろうと、
みんなと同じように接することが大事だと思った。

はたまた別のとある生徒は授業後、OriHimeを介した寧音さんに話しかけに行っていました。曰く、いままで障害を持つ人のことを嫌っていたが、今は支えていきたいと思っている、と。OriHime越しの難病を抱えるゲストに、過去から考えが変わったという変化を正直に伝えられることは、一種の真摯さだとも思いました。

授業の終わりに、両学級の担任から言葉をもらい、私は最後の問いを投げかけてそれ以降何も言わないつもりでいたのですが、結局衝動を抑えられなくなり、こんなことばを投げかけて授業を終えました。

みなさんは、この40人弱の学年でずっと過ごしてきた。けれど、もうすぐ君たちは卒業して、バラバラになる。この環境ではマジョリティ、つまり多数派だった君たちも、それぞれの環境に行けば、マイノリティ、少数派になる。街の中心地ではないこの学校の出身であれば、周りで多数派になるのは、街中にいる人たちになりますよ。だから忘れないで。少数派の人に優しくあってください。多数派の人にも優しくあってください。あなたたちの良さは、思いやりを持てることです。それを、ずっと持ち続けてください。

他者に優しくあることが、卒業した生徒たちにとっての、しなやかな強さにつながってほしい。そうした私の願いを伝えることができました。そしてこれが、いったん、私の人生の中での「最後の授業」となりました。

この、OriHimeを迎えた「『障害』を越えて – OriHimeパイロットたちの希望」と題した授業は、私の中での「最後の授業」シリーズ3部作の3つ目でした。1つ目は、書籍『翻訳できない世界のことば』を用いて、世界にはたくさんの言葉があふれ、それを学ぶことを通じて、これからやってくる国際化・多文化・多言語社会において、外国からやってくる人に思いやりを持てるようになってほしい、ということを伝える授業。2つ目は、英語の「感嘆文」の文法事項を説明した後で、ルイアームストロングの楽曲 “What a wonderful world” の後ろ側に続く主語と動詞について考え、より良い世界を作り上げていくためには、というメッセージを伝える授業。そしてこの授業と、木・金・月と連続して授業を実施しました。

それらに共通する私のメッセージは、「慮りのあふれる社会をつくる」ということだったのだと思います。もちろんそれは、私が「慮り」を他者に対して配れているかどうか、という点は棚上げしています。しかしながら、私のVisionステートメントである「この生きづらい世の中で、勇気と気づきが、まだ見ぬ明日を切り拓く」という文言にあるように、この世に生きるそれぞれが、それぞれに「生きづらさ」や「困難」を抱えている、という前提があるからこそ、互いが互いに慮りを持てる社会であってほしい、と思うのです。そのことを私は、他者へのいたわりに溢れる生徒たちの姿から学んだとも言えます。


おわりに:教員としてのエピローグ・新たなミッションへのプロローグ

授業の中でも触れたように、家族に「障害者手帳」を発行された人が1年で2名一気に増えたこともあり、なにかいざということが起きた時に近くでサポートができるように、と思い、福岡を離れて関東に戻ることを決意しました。3年間の教員生活をするなかで、この仕事の偉大さと難しさ、なにより楽しさとやりがいを感じ、天職とすら思えた日々を過ごしました。と、同時に、旧態依然とするイメージがある学校現場の中で、それでも思った以上に「企画ごと」を動かしてくることができた、その経験を踏まえると、さらに自分の「企画を動かす力」を試したい、という思いにも駆られました。

そんななか、社会人と中学生の2on1キャリア対話プログラム「マイメンター」に参加されていた方から、「私の後任になりませんか」というお話をいただきました。それが、外資系メーカーの障害者雇用プログラム担当者、というポジションでした。「それはおもしろい」と直感的に思い、応募した結果、入社をすることになりました。3月末で教員を退職し、この記事をアップしている5月から、新しい仕事をスタートさせています。ちょうど、この記事のテーマにした授業を構想・実践している3月の上旬は、新しいポジションの選考を受けているところでした。

「障害を持つ人へのトレーニングと職場適応支援」という仕事を周囲に伝えると、ガラッと仕事が変わるねという印象を伝える方々が多いのですが、私の中では全く新しい仕事だとは思っていません。完全に地続きとも言いませんが、これまでの延長線上にある仕事だと思っています。多様な他者との関わりにおいて、慮りのあふれる社会をつくること。本当に多様な生徒たちと過ごした3年間を経たからこそ、社会的にも重要でありながら、おそらく難しさも伴うであろうミッションに対して、挑戦したいという思いを抱くことができました。特性の理解と合理的配慮のもとに、さまざまな背景を持つ人々をインクルードすることが、個人の中の多様性に対する寛容さを育み、それがビジネスの伸長、つまり「困っている誰かへの貢献」を広げていくことにつながると信じて、新たな仕事に臨みたいと思っています。

この生きづらい世の中で、勇気と気づきが、まだ見ぬ明日を切り拓く

このビジョンを3年間信じて生徒たちと同僚たちと関わってきた集大成として、奇跡ともいえるつながりによって「最後の授業」ができました。しかし生徒たちは、授業をするでもなく、授業を通じて伝えたかったことに、すでに気づいていました。

ある知人の教員が、以前私の実践をシェアした際、こんな言葉を寄せてくれました。

語る言葉と語る相手がいる
「学校の先生」という仕事は、幸せだと思う。

それは本当でした。それを噛み締めて、私は「まだ見ぬ明日」へ進みたいと思います。この、生きづらい世の中にあって、勇気と気づきをもたらしてくれた学校現場に感謝をしながら。

Comments

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OriHimeが教室に来た話 – 道徳「『障害』を越えて – OriHimeパイロットたちの希望」」への2件のフィードバック

  1. 道徳が「テストで点数がつく」教科になった、という記載のツイートを拝見したんですが、点数はつきませんしテストもしません。確かに文章評価はしていますが、この授業で「テスト」はできませんよ。。。
    https://t.co/B55JJ4DnC6

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