私の Vision / Mission / Value

明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、年頭のご挨拶も兼ねて、これまでと変わらない、今後の自分の在り様を表す Vision / Misson / Value について、その背景も含めて書き記しておきたいと思います。

というのも、2022年には、拠点やら仕事やらにおいて、変化が発生することが見通せている状態であり、そうなったときに、すくなくとも3年前に設定した自分の Vision / Mission / Value のうち、特にMissionが変わってきそうな気がしたのです。しかし少し考えてみて「いや、変わらないな」と気づきました。しかしながら、対外的なプレゼンで Vision / Mission / Value を出して話すことは多いものの、それがいったいどういう意味なのかを文面に起こしたものがないことに気づきました。そこで、改めて自分に言い聞かせる意味でも、年頭の目標設定のごとく執筆をしておこうと思います。

Vision
この生きづらい世の中で
勇気と気づきが
まだ見ぬ明日を切り拓く

Mission
学校と社会をなめらかに

Value
わたしとは違うあなたと
一緒にうまいことやって
誰かに役立つことをする



Vision / Mission / Value への理解

それぞれのストーリーに入る前に、Vision / Mission / Value がどのようなものだと理解しているかについて示しておこうと思います。

この記事によると、ドラッガー自身は Mission / Vision / Values の順に提唱していることがわかりますが、会社によっては Vision / Mission / Value の順に提示しているところもあります。いずれにしても、事業体としてどこに向かい、何を行い、何を大切にしているのか、を言語化するためのフレームであることは理解できます。昨今ではさらにこの上位概念にあたる、存在意義を表す Purpose や、事業体としてのステークホルダーを向いた Promise を置く企業もあります。私自身が Vision / Mission / Value の概念を知ったのは、新卒で入社したマクロミルという会社でのことでした。その際の順序が VMV だったこともあって、それぞれを以下のような位置付けで理解しています。

  • Vision
    自分の存在によってどのような世界になることを目指すのか
    :どんな景色をみたい?
  • Mission
    目指す世界の実現のために自身が成し遂げるべきことは何か
    :どんな行動をしたい?
  • Value
    目指す世界を実現するための行動において何を大切にするか
    :どんな存在でいたい?

日々の行動、とくに仕事における行動が直接リフレクトするのがMissionであり、そのMissionに基づく行動が作り上げる世界観がVisionである、と捉えています。と同時に、Missionに基づく行動が持続することの信頼性(reliability)を担保する「信じられる理由」にあたるのがValueだと捉えています。はたまた、Visionは未来への希望を、Valueは過去の経験の積み重ねを、そしてMissionは目の前の行動を表しているとも言えます。

そのような性質で捉えているが故に、以降に記載するVMVの背景に関するストーリーは、あえてVision→Value→Missionの順に記述していこうと思います。つまり、私が目指す世界、そこに向かう根底の基盤を成す価値観、だからこそどのような営みをするのか、という順序での説明になります。


Vision: この生きづらい世の中で、勇気と気づきが、まだ見ぬ明日を切り拓く

「勇気と気づき」というキーワードが、このビジョンの中心概念です。この2つのワードはもともと、empower and inspire という言葉を私なりに和訳したもので、その出会いは前職であるマクロミルでのことでした。詳しくはこの記事に書いてありますが、かいつまんで説明します。

2013年に新卒で入社したマクロミルという会社は、Webを中心とするアンケート調査のデータを、企業のマーケティング活動に活かしていただくことを事業としていた会社です。入社した年の年末に上場廃止+ファンドによる買収、その翌年にオランダベースの企業を買収することを通じて一気にグローバル化を果たしたマクロミル。そうして就任したアメリカ人CEOがよく使っていた言葉が “empower and inspire” でした。このワード自体は、CEOのもとで構築されたGlobal VMVの中には採用されませんでしたが、CEO自身が多用していたため、印象に残っていました。

クライアントがマーケティング施策の実行に向けた意思決定をする上で、我々の提供するデータが、新たな発見や気づきをもたらしたり、意思決定に向けて背中を押したりする。そんな意味における empower and inspire という言葉に、とてもしっくりする感覚を抱いていました。世の中を良くする価値を持っていると信じていても、まだ世に出していない以上、不確実性だらけ。だからこそ、注意すべき点や新たな視点を事前に得ながら、勇気を持って前に進むことに、尊さを感じるのです。

これは、会社の事業だけでなく、当時の自分がしていた、人事の仕事にも当てはまるものでした。新卒採用にせよ、社内の人材開発にせよ、関わる人々が「キャリア」という不確実なものに対して、自分で意志決定を図れるように、勇気と気づきを持ってもらうような関わりをすること。そこに、自分の存在意義を見出したのです。当時から、近い将来に学校教員になることを見越していたのですが、その存在意義にもフィットするものだと捉えていました。中学校教員になって3年経った今、思春期の入り口から、進路の自己決定までを3年間で一気に駆け抜ける中学生を相手にすることで、「勇気と気づき」を手にしてもらうという存在意義が、自分の腑に落ちていく、その度合いはますます深くなっています。

しかしこれはVisionステートメント。私が「勇気と気づきを与える」ということを言いたいのではありません。自分が見たい世界とは、全ての人が「勇気と気づき」を手に、自分の人生を切り拓いていくことができている世界です。その意味で言えば、「勇気と気づき」は「与える」なんてできる代物ではありません。あくまでも、意志決定を図る人自身が手にするものです。一方で、「勇気と気づき」は、他者の存在や関わりによってもたらされるものであるとも言えます。誰もが「勇気と気づき」を手に人生を切り拓く世界は、同時に、誰もが他者に「勇気と気づき」をもたらす存在となれる世界でもあります。

ではなぜ「勇気と気づき」にこだわるのか。私なりに考えれば、そこには3つの理由があります。

その一つ目は、「まだ見ぬ明日」への意志決定には、見えないからこその不安がつきまとう、というものです。自分がとった選択がどのような結果をもたらすのか、その選択は正しかったといえるのか、ということは、実際にその選択をとってみないと分かりません。しかしアクションを起こす前から結果がわかるということは、究極的にはあり得ないわけで、だからこそ「これでいいのか?」と不安に感じます。過去の自分の経験や自分が参照した知識や知恵によって予測を立てることで、ある程度までは不安のレベルを下げることはできます。それが、気づきがもたらすものです。しかしそれでも残る一抹の不安は、自分自身で、あるいは誰かに背中を押してもらうことで解消していくことになります。それが、勇気、というわけです。不確実性が叫ばれる時代、それでもリスクをとるということがよく言われますが、そんなに簡単に前に進むことはできません。だからこそ、安心できる材料としての「勇気と気づき」が意味を持つと思います。

二つ目の理由は、「明日を切り拓く」ための自己決定というのは、その背後に厳しさを抱えているものだ、というものです。私がこのVisionで示している世界観においては、誰もが自分らしく自己決定ができている状態を見通しています。しかしその自己決定には、その結果起きたことについては自分でその責を引き受ける、という厳しさも包含されています。前述した「不確実性に対する不安」ともあいまって、何かにすがらないと、自分一人ではその結果を抱えきれないという場合だってあると思います。だからこそ、「勇気と気づき」が、よりどころとなるのです。私が意味するところの「勇気」には、他者からの支えと、過去の自分の経験からくる自信が含まれており、はたまた「気づき」には、他者からもたらされるものと自分で得ていくものの双方が含まれています。過去の自分の積み重ねと、周りの他者の存在とによって、自分が進む道を浮かび上がらせていく。こう考えることで私は、「明日を切り拓く」ことが、決して孤独な作業ではない、と思いたいのでしょう。

三つ目の理由は、人が生きるという営みを「この生きづらい世の中」と捉えている、というものです。この記事にもあるように、私は長らく「なんとなく生きづらい」という感覚を抱き続けてきた気がします。もっとも昨今、「生きづらい」というワードは、人権課題的な文脈におけるマイノリティとされる人々の間で用いられることが多いように捉えており、私自身はそうした顕著な「生きづらい」と感じる事象に遭遇した訳ではありません。しかし私は、特に承認欲求や見栄、あるいは理想が強い傾向にある分、自分の思いが叶わないシーンや、自分の今後の行く末が見通せないシーンにおいて、ふと「生きづらい」と感じることがあります。そもそも、自分以外の(いや、場合によっては自分自身ですら)存在は、すべからくコントロール不能であり、だからこそ「生きづらさ」が生じるのは自然の摂理かもしれません。それでも、生きることを諦めないでいるために、「しんどい」を超える、ポジティブな何かを手にしていたい、という思いがあるのです。

書き出してみて、ぜんぜん短くまとまらなくてたじろいでいます。ものすごく端的に表せばつまるところ「楽しく生きていたいよね」ということに他ならない訳ですが、私が掲げるVisionには「見たことのない明日に、楽しさが詰まっているかもしれない」という希望のようなものが前提にあるようです。いや、「見たことのない明日を、自分の手で切り拓いていくからこそ、豊かに生きていくことができる」という願いがあるようにも思います。しかしながら、全てがハッピーだなんてお気楽な訳でもないことも同時に痛感している。信じて、あと一歩だけ前に進む、そのための強さと知恵を、「勇気と気づき」という言葉に求めているような気がします。そう感じられる人が、一人でも増えることが、私の目指す世界です。


Value: わたしとは違うあなたと、一緒にうまいことやって、誰かに役立つことをする

Valueは、特に組織においては、その組織に所属する人が共通して持っている考え方や価値観だと捉えられる場合が多いと認識しています。だから前述のVMVに対する理解のなかで、Valueを「信じられる理由」と記載しました。目指す世界を実現するための行動の発揮において、たしかにこの要素を持っていればその行動は発揮できるよね、というものです。自分の言動の基準になるものとも言えるでしょう。

さて、なぜこのステートメントになったのか。話は大学時代に遡ります。大学時代の研究分野は、社会言語学、特にコミュニケーション論と、外国語教育学、とくに公立の中等教育における英語教育、という領域でした。私の通っていた大学では、言語学を扱う分野としては大きく2つの系統があり、一方は言語を人間の認知的な営みから捉える系統、もう一方は言語を人間社会における相互作用の営みと捉える系統でした。私はどちらかというと後者の方に関心が強くあり、相互作用の中で意味や解釈を構築していくコミュニケーション行為の媒介としての言語、という捉え方でもって、英語教育とはコミュニケーション教育であり、外国語を学ぶことが母語のコミュニケーション行為のメタ認知を促すことにつながる、という考えを持っていました。

そんなこともあり、フランス語を教える傍らで多言語・多文化社会と言語教育について研究をする先生のゼミに入りました。そのゼミでは、前述の通り「多言語・多文化社会」についての研究や文献購読をしており、たとえば小学校外国語活動において英語以外の言語の活動をちょっとずつ入れていくような実証実験をおこなったり、国際結婚の夫婦のもとに生まれた子どもやいわゆる帰国生の抱える言語あるいはアイデンティティ上の葛藤について話を聞いたり、といったことしてきました。余談ですが、「手話」というものを、障害者福祉の文脈によるものではなく、体系を持った言語として捉えるように考えが変わったのも、このゼミにいたことがきっかけでした。

そしてこのゼミでの学びにおいて欠かせない重要な考え方の一つが、ヨーロッパ言語共通参照枠(CEFR)のいう、複言語主義、という考え方です。だいぶ忘れているので、私なりの理解のさわりを解説すると、争いを繰り返してきたヨーロッパが、今後も平和で豊かであり続けるうえで、お互いの文化を尊重し合えるようにするためには、完璧度合いを求めることなく、ちょっとずつでもいいので、1人の人が複数の言語をちょっとでも使える状態であったほうがいいし、そうするとエリア的な豊かさだけでなく、その人の豊かさも広がるよね、という考え方です。この考え方を知った時、言語を学ぶことで、さまざまな人と関わりを持つことができ、それが自分の豊かさを広げていく、という実感がさらに強くなったことを覚えています。

私がそのゼミでの運営上の中心を担うようになり、それまで出展してこなかった大学の研究発表イベント(ORFといいます)にポスターブースを出す、ということを持ちかけます。その際に定めたゼミのタイトルが「ことばの教育工房」でした。そしてその時に、以下の様なコンセプト文をつくりました。

ことばは、人と人をつなぐためのツールだけではなく、わたしたちが、いまここに在る、ということに関わるものです。
そして、わたしたちの身のまわりには、たくさんのことばと、それを話すたくさんの人々がいます。
「ことばの教育工房」は、「わたし」を知り、「あなた」を知り、「わたしたち」になるための、あしたを切り開くあたらしいことばの教育を考えています。

「わたしとは違うあなた」という表現の源流は、ここにありました。すでにこの時点で、社会においては、自分とは異なる存在である他者がいて、その他者とわかりあっていくプロセスを通じて、一人称複数である we を目指す理想を持っていたのです。と、同時に、このゼミで卒論や修士論文を執筆する過程で出会った、平田オリザさんの「わかりあえないことから」という本を通じて、原理的には人間どうしは分かり合えないから、そこをどう「折り合い」をつけるかが大事なる、ということも認識していきました。

さて、大学時代は、言語教育の研究・教員免許の取得・さまざまな地域/教育/復興支援の活動などに関わってきたため、ビジネスの「ビ」の字もわからず、なんならお金稼ぎに嫌悪感を抱いていた私が、1社目に入社してサラリーマンをしてきた訳ですが、案外楽しい日々を(もちろんしんどかった日々もありましたが)送ることができました。そのなかでわかってきたのは、ビジネスという営みは、「誰かができないことを、できる人が補い、その補った分を貨幣価値と交換していく」ということでした。しかも、それはC2C・B2C・B2Bのいずれにおいても当てはまり、かつ会社組織においては、組織内の部署間・社員間においても発生している、と気づくようになりました。その営みはある意味「人助け」であり、誰かに役立つことをした際に得られる「助かりました」や「ありがとう」といった言葉に喜びを見出していた私にとって、いつしか意味を見出すことができるものになっていました。

そんなサラリーマン時代の最後のほう、教員になる4ヶ月ほど前に、宮城県石巻市のとある中学校での職業講話の機会に呼ばれたことがありました。そのプレゼンの際に、サラリーマンがふだんしている営みについて自分なりに表現した言葉が、この「わたしとは違うあなたと、一緒にうまいことやって、誰かに役立つことをする」だったのです。

そして、後から考えて気づいたことではありますが、実はこの「わたしとは違うあなたと、一緒にうまいことやって、誰かに役立つことをする」というプロセスは、別にサラリーマンになってから発揮されたものではなく、むしろ大学時代や、さらに前から、自分の行動特性として身についてきたものだったと思うようになりました。というのも、大学時代以降が顕著だったのですが、私はかなり多くの「プロジェクト」に携わる経験をしてきており、全てにおいて「代表」とか「リーダー」であった訳ではありませんが、どのプロジェクトにおいても比較的主体的に関わる人間だったと自負しています。加えて、特に大学時代に経験したプロジェクトにおいては、学生どうしだけではなく、主に年上の人と何かを成し遂げたり、あるいは年下の子どもたちのファシリテーターをしたり、という経験が多く、その意味で「多様な他者」と関わることが多かったように思うのです。

一方、会社員時代もある程度のタイミングまでは、自分の思っている通りにコトを運ぶことができる、自分の考えていることは他の人にも理解してもらえる、と思っていた時期がありました。しかし、実際はそうではなく、その結果として仕事がうまくいかなかった時期がありました。だからこそ、「折り合い」や「落とし所」を見つけていくことが大事になる、という理解が進んだ訳です。それが「うまいことやる」という言葉に集約されています。「うまいこと」は、状況次第で「高い成果」となることもあれば「持続可能な成果」となる場合もあります。それは、関わる他者との文脈に依存するわけですが、そこには他者との「一緒にうまいことやる」ための「わかりあおうとするプロセス」が不可欠になります。ここに、私がこれまでずっと、コミュニケーションにこだわってきた部分との合致が見られるわけです。

こうした、自分と他者との関わり合いによってはぐくまれることが、結果的には誰かに貢献するものでありたい、と考えていますし、事実これまで私が「心躍る」思いをして関わってきたプロジェクトは、「誰かに役立つ」ものであったと思います。ここで言う「役立つ」は、実利だけを意味する訳ではありません。ただ純粋に「楽しい」と感じられる場や空間を生み出すことも、プロジェクトの枠内で取り組んできたこともあります。ですが、そうした活動に取り込まれた人々が「楽しい」と感じることもまた、他者への貢献の一つの表れだとも考えられます。繰り返しにはなりますが、自分以外の誰かに対する貢献が発生することは、自分の行動においては欠かせない要素になっています。

このValueステートメントは、あくまで私の行動指針や価値観を表したものですが、その一方で、この3年間は教員として、このことを生徒にわかってほしいという思いを持っていたことも事実としてありました。ただ、これを生徒に訴える前に、私自身が生徒との関わりから、「わたしとは違うあなたと、一緒にうまいことやって」ということが難しいということを痛感したのも事実です。思った以上に生徒たちは、「わたしとは違うあなた」でした。わかり合いたいと思ってもそうなれない、その原因を相手に付していた時期もありましたが、冷静になればそれは、自分自身が「わたしたち」になろうとするかどうかにかかっていたと思います。その点では「うまいこと」できない苦しみを抱えた日々にあったと思います。しかし、いやだからこそ、多様な他者にまみれた学校教育現場のなかで、誰かに役立とうと「うまいこと」していくことの尊さを感じるに至ったわけです。

その意味で、「わたしとは違うあなたと、一緒にうまいことやって、誰かに役立つことをする」という特性は、自身の強みでもありながら、引き続き自分の成長課題のポイントでもあり続けるような気がしています。そう言いつつも、大学(院)・社会人・教員と、20歳以降のキャリアを歩んでくるなかで経験してきた「わたしとは違うあなたと、一緒にうまいことやって、誰かに役立つことをする」を体現するさまざまな経験と、そこで出会ってきた人々は、確実に私が前進していく「勇気と気づき」になっているとも言えます。


Mission: 学校と社会をなめらかに

自分の目指す世界観である「この生きづらい世の中で、勇気と気づきが、まだ見ぬ明日を切り拓く」という状態、その世界観を築いていけると信じられる理由である「わたしとは違うあなたと、一緒にうまいことやって、誰かに役立つことをする」という行動指針。その二つを持って、目の前の仕事において何を果たすのか。それを表すMissionとして、2019年から現在にいたるまでに用いてきたことばが「学校と社会をなめらかに」です。この背景にあるのは、「学校の先生は世間知らず」という、世の中にある言説です。

前職を退職する時、多くの社員との関わりがあったこともあって、挨拶回りも長い時間になったのですが、会う人会う人に「へぇ、先生になるんだね。会社員をしてから先生になるのは、普通の先生と違って社会を知ってからのことだから、いいと思う」という言い方をされました。在職中の感謝はもちろんですし、そうした発言は私に対する承認と応援だと思っていたのですが、その反面で内心では「いやぁ、その考え方はなぁ」と思っていたところがありました。この、憤りにもにた「教員、世間知らず」論についての違和感は、実は大学時代からずっと抱えてきたものになります。

いまほどまだ、教員の多忙化が社会問題として声高になっていなかった、大学生時代のことです。自身が研究していた「茨城県英語インタラクティブフォーラム」についての調査の一環として、大学1年生のころから、春先〜夏頃にかけて、出身中学校をベースに指導ボランティアとして学校に出入りしていました。加えて、放課後学習サポーターの立場や、部活動のOBといった立ち位置で、なにかにつけて中学校の現場に行っており、いろいろな先生のお世話になりました。やはり当時から、毎日遅い時間まで仕事をされている印象で、大変だなぁ、と思う日々だったわけです。そうした大変さを目の当たりにしているが故に、その現状への慮りをあまり持てていない人から表出する「世間知らず論」については、腹立たしさを感じていました。その感情には、論理性なんてありませんでしたが。

大学では、その当時、改訂が目前であった学習指導要領を引きながら、そこで謳われている「コミュニケーション能力」とはなにかを検討する研究プロセスを辿っていた時期がありました。そのことも含め、教育について学びを広げていくと、あくまで印象論ですが、どうにも産業界からの要請に応えているような様相が否めない、と認識していた時期がありました。教育って、そういうことじゃないよね、あくまでも人を豊かにしていくための営みであって、優良な産業人材を育成することが主眼じゃないはずだ、という考えも生まれてきます。そういいながらも、自分自身がいざ仕事を選んでいくフェーズになったとき、「おそらく教壇から目の前に相対するほとんどの生徒は、将来民間企業で就業していくことになるだろう。となると、ビジネスに関心を抱けていない自分が教壇に立つのはどうなんだろう」という、コンプレックスのようなものも同時に抱きました。「世間知らず論」に対する憤りと、自分自身に対するコンプレックス。相反する2つの感覚を抱えたまま、私は民間企業への就職を決めます。

そうして民間企業に転じてから2年後、人事・研修担当というポジションにつくと、主に大学時代に学んできた教育に関する知識、とくに教職課程で学んだ領域の内容が、思った以上にビジネスシーンにおいて役立つということを体感していくようになりました。代表的な例としては、プロジェクトアドベンチャーの要素を取り入れた新卒合宿研修の社内リソース内製化、あるいは新卒導入研修期間中のパフォーマンス評価に対するルーブリックの考え方の導入などです。当時の会社においては、「教育」という考え方が、普遍的なビジネススキルとしてはメジャーになっておらず、それが故に現場が困り感を抱えていたことも見えてきました。学校教育が積み重ねてきた叡智は、決して社会に通用しないなんてことはない、ということに気づくことができたわけです。その後、新卒採用や新入社員を中心とする社員の面談なども数多く取り組んできましたが、そうした場面を経るごとに、ああきっと、教員が日々子どもたちと向き合う際のスキルセットは、こういうプロセスに示唆を与えるだろうなぁ、と思っていました。

そんな仮説を抱きながら、Teach For Japanのフェローとして入職した2019年度。教育についても大卒以後もずっと関わりを持ち続けながら、人事として自分より若い人との関わりを継続し続けてきたという自負のもと、現場での仕事をし始め、自信は脆くも崩れ去ります。その顛末はこの記事をご覧いただければよくわかると思いますが、私の6年間の社会人経験は、教育現場で太刀打ちできるものではなかったのです。そりゃぁ、文脈が違うから仕方ないよね、と言われればそれまでですが、やはり学校現場において日々の仕事に取り組む教員たちの専門性の高さをそこで思い知ることになりました。それは、教科指導の専門性に限らず、いやむしろ、対人支援職としての職能の高さとして思い知ることになり、ますます学校教員の持つスキルやコンピテンシーが、社会でなかなか認められにくいことに憤る様になりました。

教科指導や生徒との関わりであまり成功実感を抱けなかった私は、ある面から見れば逃げとして、またある面から見れば長所を生かす形で、大学・ビジネス界において培ってきた、プロジェクトをリードする力を発揮することで、なんとか学校現場において重宝される存在になった、と自負しています。Pepperプログラミング、農業ビジネス体験、そして「社会人と中学生の2on1プログラム」など、総合的な学習の時間は私の主戦場となり、また生徒会顧問教員として、ピープルマネジメントセオリーを援用しながら企画を前進させていくチームづくりに取り組んできたことは私の自信になりました。そうした経験は、学校現場は思った以上に「金にならない新規事業」に取り組めるチャンスの宝庫であるという考えをいだかせるようになります。その辺りの話は、この記事に書いてあります。

そんな3年間を過ごす中で気づいてきたのは、「社会に開かれた学校教育」と言いながら、その実、学校教育側は社会を開いて受け入れる準備が整っておらず、その一方の社会の側は、学校教育の大変さに慮りを置いた上でサポートしようとする姿勢になりきれていない、と「感じられる」ということでした。あくまでこれは私の印象論でしかないのですが、どうにも教育に取り組もうとしている「社会」の側は、どこか「ずけずけ」と入っていこうとする感じを受け、しかしその一方で、外部パートナーを迎え入れる学校サイドは、その実「丸投げ」になっている感が否めない。さらに言えば、「教員は世間知らず」という言説は、学校外で言われているのと同時に、他ならぬ教員自身が、その感覚を持っているということにも気づき始めたのです。

「なめらかに」という言葉は、その気づきを得た頃から使い始めました。お互いがお互いを慮り、事情や背景、文脈を共にしながら、学校教育が抱える大変さを取り払い、学校教育が持つ可能性を伸ばし、というかそもそも、学校という枠組みに捉われることなく、学びに向かう人がイキイキとすることを、みんなで支えられるようになる。そのためには、「わかりあう」ことと「まざりあう」ことが大事になると考えました。この「なめらか」に込めた想いは、この動画を見ていただけるとわかると思います。

行き来がスムーズになる、という意味で使い始めた「なめから」ですが、ある時知人がこんなことを言っていました。

なめから、とは、数学用語で言うと、微分可能である、ということだ

その時まで、垣根を下げて「まざりあう」ことが、行き来をスムーズにする秘訣だと考えていましたが、実はそれだけではなく、互いの役割を分けて詳らかにしていくことも、「学校と社会」の関わり合いを増していくための方策なのだ、と気づくことができました。ちなみにここまで書いていて「社会」というところをきちんと定義せずに使ってきましたが、ここでは「学校の外の世界」特に「経済界」くらいの感じで捉えていてください。

では、ビジネスパーソンと教員の、2つのキャリアをどちらも経験した私にできることは何か。そう考えて、特にここ3年間取り組んできたことは、以下の3つでした。

  • これまで培ってきたプロジェクトマネジメントのスキルを活かした、既存の学校教育の枠組みではなかなか考えにくかった企画を推進する
  • ビジネス的な観点を授業実践の中に取り込む一方、学校外の人材を学校教育現場に巻き込んでいく
  • TFJフェローとしての発信の場において、教員の持っているスキルやコンピテンシーが、ビジネス文脈においても通用することを訴えていく

ある講演会で、こうした観点に基づいた話をしたところ、ある人から「遠藤さんは、はざまの人間なんですね」と言われました。確かに、プロパーとして、学校教育の現場での仕事に最適化されたスキルとコンピテンシーを磨いてきたわけではない私にとって、現場に身を置く上で価値を発揮するためには、「はざまの人間」としての振る舞いをすることが、一つの生存戦略だったと思います。それは一方で、教科教育や生徒指導/支援における専門性に特化できなかった、ということを示すものでもありました。だとしても、こういう振る舞いを取る人間が、1人くらいいてもいいじゃないか。そういう人間がいることが、真に「社会に開かれた学校教育課程」の実現への近道だ、と自分で思ったりするわけです。


Missionをアップデートするかどうか

ここまで、こんなに長く書くつもりがなかったのですが、どうしても言葉を堰き止めることができず、長々と書いてしまいました。お付き合いいただき、ありがとうございました。

さて、ここまで説明した Vision / Misson / Value 、特にMissionについては、学校教員としてのここ3年の間に自分のなかで掲げてきたものでした。しかし、この記事にも書いた通り、実家の家族のことを考えて、次の春には関東に拠点を戻そうと思っています。さらに言えば、ここまでお読みいただいた方だからこそお伝えするところでもありますが、学校教員を続けるかどうかもゼロベースにして、転職活動をしているところです。私はこの3年間、あくまでも「はざまの人間」として、言い換えれば、アウトサイダーの立場から学校現場に入り、アウトサイダーであることの特性を活かしながら仕事をしてきた部分があります。このままインサイダーの側に、腹を据えて入っていくことも選択できる一方で、ビジネスセクターの側で仕事をしていくポテンシャルも残っているのでは、という仮説があります。

しかし、仮に民間企業への転職をすることになったとして、「学校と社会をなめらかにする」というミッションステートメントが、次の仕事においてもそのまま適用できるのだろうか。アップデートが必要なのではないだろうか。キャリアチェンジを図る可能性もあるなかで、どのように捉えるべきだろうかと考えてみました。それこそ、学校教員である立場から、「学校と社会をなめらかに」というステートメントのもとに、「でもしか教員」という揶揄の言葉があることを知った上で、「だからこそ教員」という主張を展開してきたのが私です。その私が、あっさりと民間に転向しながら、それでもなお「学校と社会をなめらかに」なんて言っているとしたら、それは論理矛盾も甚だしいだろう、と自分自身で突っ込んでしまうのです。

しかしながら、本当に年末のぎりぎりのタイミングでこの記事を書こうと思った際、改めて考えてみて、教員を続けようと他の仕事に就こうと、「学校と社会をなめらかにする」というライフミッションは、変える必要がないという結論に至りました。

教員を続けていくならば、やはり私の強みは「はざまの人間」としての性質に変わりはなく、学校教育現場ではまだまだ珍しい、社会に開かれた学びのコーディネートができる教員としての資質を発揮していくことになるでしょう。他方、仮に民間企業でサラリーマンになったとすれば、それこそこの3年間で学校現場の一員として働いてくる中で気づくに至った、学校教員が有するスキルやコンピテンシーが、ビジネスのどの様なシーンにおいて生かすことができるのかを、以前に比べてさらに説得力を持って世の中に発信していくことができるようになるかもしれません。

そもそも現段階において、まだまだ学校教員と他の職種との行き来が充分に起きているとは言えません。決して学校教員の仕事を、「体験する」程度のことでできるだなんて思っていませんし、相当の覚悟を持たないとできる仕事ではないと思っています。しかし、ベンチャーにとどまらず、大企業と言われる会社たちにおいても、人材の流動性が高まっている昨今において、学校教員の仕事の人材流動性は高いとは言えませんし、その行き来がないことが、教員の大変さに対する社会的な認識の低さの原因の一つだと主張される方もいらっしゃいます。残念ながら、私はファーストキャリアで教員を選ばなかった時点で、教員としての文脈の理解を深める機会を逸していたし、一方でビジネスシーンから一度離れて教育現場に行ったことによって、自分がどういった領域に関わっていくかの方向性に狭まりがかかったことも事実としてあると思います。端的に言えば「どっちつかず」なわけで、だからこそそこについては腹を括り、自分自身が流動性の高い「学校と社会をなめらかに」行き来する人間になる、という生き方もあるのかもしれないと思いました。

だとすれば、4月以降にどのような仕事を選択するにしても、「学校と社会をなめからに」することをMissionに据えることには変わりがないと思います。アップデートがあるとすれば、「変わる」というよりも「加わる」となると思います。それは、VisionにせよValueにせよ同じことで、今後、追加なりアップデートなりがかかるかもしれません。しかし一方で、VMVを定めて走ってきた3年間、こんなにも自分の在り方を表す上でしっくりくることばは他にありませんでした。今後も、唱える様にこのことばたちを口にすればするほど、さらに自分の中で強化されていくのかもしれません。


2022年は、どちらにせよ変化の一年です。意志決定の連続だと思います。だからこそ、皆さんのお力添えを得ながら、「勇気と気づき」を手に進んでいきたいと思います。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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