高校生マイプロ2019九州サミットのファシリテーターをやった:後編・プロジェクトへの葛藤と成長

2月23日に、全国高校生マイプロジェクトアワードの九州サミットに、発表会場のファシリテーターとして参加した。そのことは、「前編・場づくり担当のあたまのなか」でも書いていて、自分にとって久々に心から楽しいと思えると同時に周囲からもお誉めにあずかったファシリテーションのポイントを書いた。ちなみにその後、『博報堂流 対話型授業のつくり方』(大木浩士, 2020)を読んだが、面白いほどに近い考え方で場づくりをしていたことが分かった。

ところで、僕自身は「プロジェクト」にものすごい強い思い入れがあることもあって、当日の午前中のブロック別プレゼンの場づくりにおいては「くやしさ」を一つのテーマにした。けれどプロジェクトを進める上では、「くやしさ」以外にもさまざまな感情がうずまくことが多い。そうした感情は、葛藤や悩みや引け目として訪れることもしばしばある。そしてこの日の午後、僕はそうした感情を持っていた、ある生徒と出会う。

ギリギリのラインで、ストーリーの一端を記述するので、もしかするとこの記事は今後お蔵入りするかもしれない。けれどこの話は、僕を揺さぶり、僕を「おせっかい」に駆り立てる、そんな話だ。前編をお読みいただいた上で読んでもらえれば、様相がありありと浮かんでくると思うので、前編と合わせてどうぞ。


まだ消えない、自己承認欲求

今年の春頃は、ブログの更新を続けてきた。そして先日、ORF2019で行ったPitchの動画が公開されたのでシェアした。ソーシャルメディアでの反応は、僕にとっての「心の栄養剤」であり「僕が輝ける舞台」であり「自信創出の場」だ。それはいいかえれば、自己承認欲求のための場であるともいえる。いまだに、「自己承認欲求のためのアクション」というところから抜け出すことはできていない。これは、自分が数多のプロジェクトに関わってきた中でも同じことであり、自己承認欲求とか、自己効力感とか、そういうことを求めながらプロジェクトに関わっていたことが往々にしてあった。いわゆる「自己満足」である。

頑張っている自分に酔っている、成果がでたプロジェクトに関わった自分を誇らしく思う、そしてそれらについて周りに認めてもらいたいと思い、現に認められることで気持ちよくなっている。そうした、自分自身を起点にした感情、あるいは「何者かになりたい」と思う部分は、自分にとって、正直とても醜いものとして感じられる。その一方で、僕が様々な「プロジェクト」をご一緒した人たちは、「何者かになりたい」というのを超えたところでアクションを起こしていたように見える。それは例えば、プロジェクト結の長尾さんや中川さん、prayforjapan.jpの鶴田さん、NPO青春基地の石黒さんなどだ。

他にも接点を持ったソーシャルリーダーやビジネスリーダーたちを見るにつけ、その人たちは(本人が実際のところどうかは別として僕には)「目指すべきゴール」のために邁進していて、ただただ「事を成す」ことに尽きる人々に見えた。「何者かになりたい」という自分起点のモチベーションと、目指すゴールや目の前の「相手」を突き詰めるモチベーションと。僕の場合、前者が強すぎることもあってか、いくつかのプロジェクトにおいて、「罪悪感」みたいなものを持ってしまったが故に手を引いてしまった経験があった。

「〇〇プロジェクトに属している」自分、「□□□□の活動をしている」自分といった、肩書きめいたものや、アクションで自分を誇示してコミュニケーションを取る。けれど、あるタイミングから活動に身が入らなくなって、実際的に生じている他者への迷惑以上に「迷惑をかけている」と思い込み、肩書きや活動を自己と同一化させることに「申し訳なさ」を感じてしまう。その「申し訳なさ」は、一緒にプロジェクトを進める仲間に向けたものであるのと同時に、いやそれ以上に、その活動のなかで自分が理想とする働きに至っていないという、自分自身への申し訳なさだったりする。

実はまだ前段なのだが、でもなぜ長いことこの前段を書いたかといえば、このあとに続くストーリーが、自分自身が経験した、プロジェクトと「罪悪感」みたいなことに、思いっきり関係しているからだ。このあとに書く、ある生徒の葛藤は、それ自体がその生徒特有のものでありながらも、なんというか「プロジェクトあるある」のように思えるもので、それこそそういう葛藤に陥った人を多くみてきたし、僕もその葛藤に陥った一人である。プロジェクトの成果と学びを伝える場にあって、お互いに刺激し合うなかでも、なかなかそうした葛藤は出てきづらい。しかし僕は、「わかりみが深い」が故に、その葛藤をほっとけなかった。


他者を介して、自分に気づくということ

午前中は、全40チームほどを4チームごとに分けたブロック別のプレゼン。そのブロック別プレゼンのなかで選ばれた1チームが、午後の代表プレゼンに臨み、全国サミット出場チームが決まる、という流れ。その午後の代表プレゼンを終え、すべてのチームが一堂に会してブロック別に座り、ファシリテーターの問いに応じて話していくスタイルで、「全体振り返りセッション」というのを持った。この裏番組では、マイプロジェクトを推し進める先生方やNPOの人々を集めた「伴走者会議」というコンテンツがあり、教職にある身としてはそちらも楽しそうに思ったのだが、午前中に、あんだけの場づくりをした手前、思い入れも強くなり、全体振り返りに居て、ファシリテーションを可能な限りしようと思った。

とはいえ、僕がしたファシリテーションといえば、「ホームグループで座ってね」という呼びかけ(&ちょっとした人数バランスの変更)と、各ホームグループをうろうろしながら話を聞いてうなずいたりしたくらいだ。サブファシリの大学生も、とあるグループに入ってずっと語らっていてくれた。正直言えば、全体ファシリテーターの投げかけた問いに対してちゃんと話していたかというと、そうではない部分もあった。けれど、どっと盛り上がるわけでもなく、かといって何も話さないわけでもなく、「ホームグループ」が繋いだ縁から、こちらの想定する以上に、訥々といろんなことが語られていた。思い出せるだけ、その一部を紹介したい。

  • とあるマイナー部活動を、メジャーにするためのアクションをとった某チーム。その主要動機は「モテたい」だったが、彼ら自身は自分たちの部活はモテないと思っていた。しかし全体振り返りの場で、そのチームのプレゼンターに対して「今日の発表聞いて、めっちゃ魅力的に思えた。モテると思うよ。」という声が多く寄せられた。プレゼンターは、その競技の魅力を「というか、人生そのものなんだよ」と語った。
  • 中高合わせて50名規模の部活動で、大きなロマンとも言える活動に取り組んできた某チーム。地元企業なども巻き込みながらプロジェクトを推進してきた、そのリーダー格の生徒がプロジェクトを推進してきた動機は「夢」だった。このチームのプレゼンについて、他のチームのとある男子高校生が、「それまで自分は、自分の夢とかなかった。夢を持って取り組んでいる同世代の人がいることに、刺激を受けた。」と言っていた。
  • 前述の「夢」をベースにプロジェクトを推進してきたリーダーとともにプレゼンに登壇したチームメンバーの相方。彼はなんと中学3年生であることが判明した。それが分かったのは振り返りセッションのことで、プレゼンの場に臨んだこと、堂々と発表していたこと、今はリーダー格の生徒からプロジェクトリーダーを引き継いでいることなどが分かり、それを聞いた周りの高校生たちが「すげぇ」と声を揃えて驚いていた。
  • 地域活性化のプロジェクトを推進するチームでイラストを担当するメンバーの女子は、イラストが描けるのが自分だけだったため、描いたイラストが「本当にこれでいいのか」と自信を持ちきれずに悩むことが多かったそうだ。周りのメンバーに聞いても「あなたが描いたんだからいいと思う」と言われ、ユーザーにとって分かりやすいかどうかに自信が持てずにいたそうだ。「じゃぁ誰からフィードバックをもらったの?」と聞いたら、「だからインタビューしたんです」と。

心血を注いでプロジェクトをやってきたものの、どうしても自分たち以外のことは見えないのが常。自分たちと同じように頑張ってきた同世代たちと出会うことによって、見えてくることがあるし認め合えることがある。それ以上に、結局他愛もない話をしている姿を見るにつけ、中身は青春の日々を過ごす高校生で、来週テストだという憂鬱や、やっぱりモテたいという願望や、人形のようなペンケースをカワイイと思う共感や、そういうことをシェアできる暖かみが、そこにはあったと思っている。そんな振り返りがされる中、僕は一人の生徒の、どこかすっきりしない様子が気がかりになった。


「プロジェクト」につきまとう葛藤

突然だが、この記事に書いている出来事が起きてから9ヶ月が経過している。起きたことの仔細をできるだけありありと書きたいのだが、なにせ記憶が曖昧になってきているので、ちょっと脚色しながらでも書き起こそうと思う。

その生徒(仮にAさんとしよう)は女子比率多めだったとあるホームグループにいた。「手をグーにして親指を立てて、上向きが100%、下向きが0%」というスタイルで、「今どんな気持ち? スッキリなら上向き、モヤモヤなら下向き」と問いかけた。ほとんどの生徒が、上向きでスッキリ、と答えていて、それはプレゼンを終えたことによるスッキリ感だと言っていた。しかしAさんは、上下半分くらいの位置に親指を出した。何か少し、心に引っかかることがあったのだろうと思えたけれど、全体の中でそれをシェアしてもらう前に、振り返りセッションの全体ファシリテーターが次の流れに行くための声かけをしはじめて、ホームグループの会話は終わった。

けれど僕はAさんの横に座り、「ちょっと気になるんだけど、どうして半分の位置なの?」と聞いた。Aさんは、振り返りセッションが進行する中だったこともあって、パパッとだがこう答えてくれた。

興味があって勉強したいと思っている内容がある。でもその内容は、今回のプロジェクトでやったような内容と違っている。それで、モヤモヤしている。

進行中だったファシリテーションの流れの中で振り返りをしてほしいと思って、いったんそれを聞いて「なるほどね」と言ってその場を離れた。だけど「スッキリ」しない、というのは引き続き気がかりだった。葛藤することにこそ意味があり、そこに学びがあると思っていた一方で、どうしてもほっとけなかった。それは、同じホームグループにいたチームの仲間が、「スッキリ」で親指を上に出していただけに、余計に引っかかる部分があった。

休憩時間に入ってから、「さっきのことなんだけどさ、ちょっと詳しく聞かせてもらっていいかな」と声をかける。そうすると、もやもやしていることの中身を話してくれた。曰く、こんな話だった。

このプロジェクトは地域活性化の内容で、どちらかというと文系っぽいけれど、私が大学で勉強したいのは脳のこと。理系の分野になるから、あんまり関係しない。それでも、チームのメンバーだからプロジェクトに参加して、こういう場に来ることができたけれど、活動にしっかり参加することがあまりできてこなかった。自分の興味がある分野と違うことだけど、やるからには責任を持ってやりたい。だから、これからどう関わっていけばいいか悩んでいる。というか、もう抜けた方がいいんじゃないかとも思う。

聞いた瞬間、「あるあるだな」と思った。その「あるある」というのは、プロジェクトに関わることにおける、自分自身とプロジェクトとの距離感に関することであり、またプロジェクトに関わるいち主体者としてのモチベーションに関することであり、そして、かつての自分自身が抱えてきた葛藤に似たものだ、ということである。プロジェクトに関わることを、自己承認欲求の充足のためにしてきた側面が多かった僕自身。それだけに、「このプロジェクトに居ていいのかな」という思いを抱えるAさんを、僕はほっとけなかった。


経験も葛藤も、次の成長につながる一歩になる

Aさんの葛藤は、分解すれば2つで、一つ目は「自分のしたいことと、現在のプロジェクトの内容との乖離」、二つ目は「自分がプロジェクトの一員として貢献できていない感覚」だった。どちらの内容にせよ、そこから導き出される一つの結論として「このプロジェクトは自分にとって無意味だった」となることほどもったいないことはないと思ったし、ここまでプロジェクトの一員として進めてきたことそのものに価値があると思った。だから、僕からは2つのことをAさんに伝えた。

①研究を文系と理系から分けないでほしい。文系的アプローチからでも脳科学に関わることはできるし、理系でもこのような活動に関わることの意義はとても大きいし、この経験が役立つかどうかがわかるのは今じゃなくて未来になってからだよ。

②プロジェクトに関わる中で、罪悪感みたいなものを感じることはよくあるし、僕もそうだった。だからこそだけど、あなたのチームの強みは、各自の強みを発揮することそのものだからこそ、あなたにも役立てる部分があるはず。だからこそ、あなたが今感じているその感覚をチームに話してみてほしい。それがチームを強くするはずだから。

①の話は、僕自身がSFCに居たからこそ言えた話だ。そもそもAさんは明確に「この大学に、この研究室に」というのをすでに持っていたので、
あまり的を得たアドバイスになっていなかった感覚がある。それでも、彼女の言った「脳」の研究というのは、多分に学際複合領域の分野に思えていて、だから変に「文理」で捉えて欲しくないと感じた。加えて、何かのプロジェクトを動かすことそのものは、中身は違えど、その進め方にはそれほど違いがあるとは思えない分、きっと今回のプロジェクトに関与したこと自体が、その後にAさんが関わっていくであろう様々なプロジェクトにおいて、絶対に役に立つだろうという自信があったからだ。

②の話は、何より僕自身の過去の経験、つまりこの記事の冒頭に書いた「プロジェクトへの罪悪感」があるからこそ伝えられた話だ。その観点から言えば、Aさんに覚えた感覚は「共感」以外のなにものでもなかった。自分が何も役割を果たせていないんじゃないか、と感じていても、実は周囲のメンバーからすればそんなことは全然なく、かけがえのない一員と捉えられている、というのは、往々にしてある話だ。案外、互いが互いに、自分以外のメンバーをかけがえのない存在として認識しながら、自分自身が貢献できていない印象に苛まれている、ということは、チームにおいてよくある話だと思う。そういった葛藤を、お互いに共有できてこそ、チームがもう一歩違うフェーズに進むことができたりする。Aさんの抱える葛藤は、Aさん本人の「貢献したい」という動機から来るものであり、それはAさん本人を成長させるだけでなく、チーム全体を成長させる材料になるとさえ感じた。

実は、Aさんが僕に葛藤を話し、僕がAさんにアドバイスを伝えている様子を、同じチームの女子メンバーが聞いていて、「わかるよ。なかなか言えないよね」とAさんに伝えていた。Aさんには、すぐそばに、彼女の葛藤を受け止めてくれる仲間がいた。それだけで十分、尊いことのように思えた。「プロジェクト」のドラマは、まさしくこういう瞬間にこそあるのだ。


Aさんと、チームのその後について

実は、Aさんのいるチームは、僕が部屋ファシリを担当したブロックの代表チームとして決戦プレゼンに臨み、その結果として全国大会への切符を手にすることになった。全国に出場するチームの発表は、まさしく上述のやりとりがあったすぐ後だった。きっとAさんにとってもびっくりな出来事だったに違いない。Aさんは、会がすべて終わった後、私のところに来て、こう言ってくれた。

あなたのおかげで、今日ここにきてよかったと思いました。自分にも何かできるかもしれないと考えて、全国大会がんばります。

指導を担当した教員にも、「今度は自分もプレゼンで話したい」と語っていたようで、まさしく大きな成長を遂げたのは、本当に素晴らしかった。

当日の審査員を務めていた方が、昼食中に私にこんなことを話していた。曰く「あのチームは、桃太郎なんですよ」と。つまり、それぞれが自分の役割を果たすことで前進していく。そのプロセスを通じて、出会いやアクションを介して、様々なことを学んでいく。その姿勢を垣間見た審査員は、プレゼンを聞きながら涙を流しそうになったのを必死で堪えた、と。それぞれがそれぞれの役割を果たしてもなお、個々人が葛藤を抱え、その葛藤を乗り越えながらさらに成長をしていくプロセスに、微力ながらも関わることができたのは、僕自身としてもとてもうれしかった。

その後、このチームメンバーとの交流は続き、コロナ休校の時期にZoomで対話をする機会を得た。私とチームメンバーたちとが話すというよりも、他愛もない話を通じて、チームメンバーどうしの対話を促す、そんな役回りをした。そもそも対話の機会を得た4月はまだ、休校が続いている最中で、チームメンバーどうしも顔を合わせていない状況だっただけに、僕との話はもちろん、メンバーどうしでの話が弾んでいて、なにより彼らの中に不安が渦巻いていたということもよくわかった。そのなかで、Aさんははじめて、プロジェクトに対する葛藤をメンバーに打ち明けた。まとめると、こうだ。

正直、プロジェクトを辞めよう思った時期もあった。勉強に集中しないと、と思っていたけれど、昔から自分の意見を言うのが苦手だった私が、このプロジェクトでは自分の意見を言って受け止めてもらえた。それがうれしくて、居心地が良くて、だからこのプロジェクトを続けることにして、部活を最小限にしてもらって、勉強もやってきた。私は将来、脳死の勉強をしたいと思っている。脳死状態からの回復がなされれば問題解決になるから医学を勉強しようとした。けれどこのプロジェクトを通じていろんな人と出会うなかで、社会にはいろんな意見を持つ人がいることを学んだ。そこから改めて振り返ってみると、脳死状態から回復させればいいというのは独りよがりで、社会がどう考えているかというのを踏まえていなかった。だから、研究者になるにしても、社会との接点を持っていくことを心がけたいと思った。このプロジェクトはその意味で、私の将来に繋がった。

Aさんから出たこの話を聞いた他のメンバーたちの反応は2つだった。1つは「そんなことを考えていたんだ。でも、Aさんがメンバーにいたことはとても大事なことだった」というもの。そしてもう1つは「そこまで深く考えていたんだ。そんなに自分の進路とプロジェクトのことを考えているなんて、すごい」だった。Aさんは自分の葛藤を乗り越えるだけでなく、チームのメンバーに刺激を与えるところにまで至ることができたのだ。


まとめ:「プロジェクト」という生き方

言い過ぎだという認識も踏まえていうならば、プロジェクトとはつまり人生だ。生き方そのものだ。自分の気持ちが向くものに対して、「わたしとはちがうあなたと、いっしょにうまいことやって、誰かに役立つことをする」ということをしていくプロセス。それは、どんな内容を扱うにせよ、本質は変わらない。私が関わった、Aさんのいるチームは、すでにそのことに気づいていた。上述のオンライン対話の際にも、「なぜこのプロジェクトを続けてこれたのか」と問うたら、その答えは「仲間」や「一緒に創り上げるプロセス」というものだった。そして、プロジェクトをどう閉じるかということを話す中でも「自分たちのやってきたプロジェクトの内容を引き継いで欲しいとは別に思っていないけれど、プロジェクト活動をすることの楽しさを後輩にも感じて欲しい」という声が上がってきた。Aさんを含む、このチームのメンバーは、この先何があっても、「プロジェクト」という生き方からは、逃れられないと思う。

自分の弱さも、一つの原動力にして、お互いがお互いを支えあいながら前に進んでいくこと。その大切さを、図らずも私は、干支でひと回り以上離れた高校生から学ぶことになった。言うなれば私も、出会いによって学びを深め、少しだけ仲間になる感覚を得たことで、自分をちょっとアップデートすることができたわけで、その意味ではやっぱり、「プロジェクト」という生き方から、逃れることはできなさそうである。

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