ある種の羨望・嫉妬、その結果としての、僕の「青春基地」


2017年の3月ごろから、NPO法人・青春基地にジョインしています。目下、150万円のAll or Nothing形式のクラウドファンディングに挑戦中で、行くか行かぬかギリギリの攻防です。私も、やれることをやれるだけやらねばならぬというところです。

とはいえ、プロボノとしてコアチームに関わるというのは難しいなぁと思う限り。十分に貢献できているかといえば、個人的には「なかなかねぇ」というところ。ちゃんと時間を確保して、自分の強みを活かして関わるのは大変です。だからチームには「残念ながら、ここは遊びとして関わっている」と言い切っています。が、サポートをもらっている他のプロボノに比べたら、まぁふざけた態度なのも事実。

ちょうどよいタイミングで会社の上司からも、「どうせやるならエクストリームな働き方改革を」と勧められたこともあり、来週くらいから週一でフレックス夕方退社をして3時間の非常勤をすることにしました。「空いた時間で活動する」というのがまったく自分のスタイルに合わないので、そうして「閉じ込められる」ことでちゃんと仕事をしようという目論見です。それくらい、それまでの様々なプロジェクトへの関与の反省も踏まえて、ちゃんと関わろう、と思っています。

その理由を、書いてみました。


私に手伝いの打診をしてきたのは、同じ高校・学科の後輩。リンク先のエッセーを書いた彼に出会ったのは社会人1年目の2013年。高校時代に世話になった先生が彼の担任で、慶応SFCのAO入試のお手伝いをしたことから関係が始まります。結果彼は一般受験でSFCに入学し、その後無理矢理にアカデミーキャンプに引き入れたのが2014年。後に彼は、認定NPOカタリバが指定管理を受ける文京区の施設b-labのインターンに。その後に、NPO青春基地に関わります。その後のことは一旦すっ飛ばして、時は2017年1月。EdCamp Tokyoというイベントのヘルプをした、その夜に、御茶ノ水のスターバックスで打診を受けました。ほぼ、一つ返事でジョインを決めました。

「想定外の未来をつくる!」がコンセプトであるNPO青春基地。詳しいことは以下の動画を見ていただければよくわかります。ちなみに編集したのは私です。

もう29歳になる私が「青春基地」「想定外の未来」とか、ハタから見れば「マジ年甲斐もねぇな」と思われるだろうし、自分自身に若干その認識があります。なにせ代表とだって大学では被っていないですし、今年から入って来た学生職員たちは私と10歳も年齢が違います。何より、この団体がメインで対象としているのは高校生。明らかに若さ溢れる団体にあって、なんで入っちゃったのか、と。


Project Based Learningという学びの機会を、Webメディアの記事づくりを通じて高校生に届けている「青春基地」。NPOとして届ける社会的価値は、中高生たちの「一歩踏み出す勇気」「『やってみたい』に挑戦する気持ち」を後押しすることを通じて、彼らの自己肯定感を高め、社会で生き抜く上で必要なスキルを育む、そんな教育実践を生み出すところにあります。

なんて書くと陳腐なのですが、これは割と本気で「そうだよなぁ」と思います。それは人事として新人研修に3年関わるなかで思うところともかぶる部分が多いのも理由です。

自分も含めて、なんというか「やってみる」ということに一歩踏み出す勇気を持てなかったり、そのせいなのか否かはわからずですが、とにかく自分に自信が持てなかったり。社会人になってから「若手」をやってくるこれまでの間で、ぶつかってくる壁みたいなものがあって、それが壁として立ちはだかるのは、自分のなかに「経験」がないため、足場かけの仕方がいまいち分からないから乗り越えられなかったりするのだと思います。

教育への興味がもともとあるわけで、さらに日々の仕事で感じる問題意識ともオーバーラップする。青春基地に関わることが面白いと感じられるのは、ごくごく自然なことだったと思います。ただおそらくですが、これが理由ではない。


純粋に、「やりたいことをする」という高校時代が羨ましい。
純粋に、自分たちのミッションを立ててプロジェクトを進める姿が羨ましい。

思えば、高校時代は、それが自分でやりたいといってやったこととはいえ、部活動と授業の毎日で、それはそれで抑圧された毎日のようにも思えていました。それでも、おそらくはそんじょそこらの高校生に比べればいろんな機会を得られた毎日だったことは確かなのですが、自分の気持ちのなかでは、もっと社会に出て行きたい、もっと世の中の役に立つなにかがしたい、と思っていました。

慶応SFCという環境は、そうした(自らが作り出した)抑圧から自分を解き放った場所でした。その結果として様々なプロジェクトに手を出していった6年間でしたが、しかしその日々は、誰かの立てたプロジェクトに乗っかる日々であり、自らが旗を立てることには繋がりませんでした。渦中に入ることはできても、それを率いることができない自分の姿に、悔しさを覚える日々でもありました。

それが故に、「青春基地」というベースにいて、自分の「やってみたい」を動かしていく高校生たちの姿に、そしてそれができる「青春基地」という環境自体に、ある種の羨望と嫉妬がある。それは、過去の自分が、なりたくてなれなかった青春時代の憧れの姿です。私自身は「やりたいことを自分で最後までやりきる」と言い切れることがあまりなく、それができる環境や存在は、私にとっては羨望と嫉妬の対象です。

加えていえば、かつての私自身はずっと「これがしたい」というのは、独力で持てるものだと思っていました。でも実際は、何かを「やってみたい」と思うことは、無の状態からは生まれるものではなく、それに気づいたのはごく最近のことでした。そのため、それに気づく前の自分がかつてやろうとした、中高生たちの「やってみたい」をサポートするというプロジェクトは、結局うまくいきませんでした。そのためか、機会を生み出している「青春基地」という取り組み自体がまた、私にとって羨望と嫉妬の対象なのです。

だからこそ、自分ができなかったことを、どこかで取り戻したいと思っている。それが「青春基地」に関わる理由なのかもしれません。


うちの代表が、彼女の過去を振り返るハフポストの投稿で、こんなことを書いています。

NPO法人青春基地を立ち上げ、高校生たちのプロジェクトを応援することは、自分自身の再現性を辿る旅なのかもしれません。教育は教育者の原体験に左右されがちですが、この強烈な中高時代の経験に呪縛されるのではなく、冷静に確かな価値観を見つめていきたいです。

こういうことを平気で書くので、うちの代表には心底惚れるのですが、それは私も同じ考えで、自分も「プロジェクト」を通じて、達成感も挫折感も人知れず感じて来たのは事実です。それが今を生きる私の糧です。

羨望と嫉妬を抱えていた「あの頃」からすれば「想定外の未来」である現在の自分。だからこそ、自分には成せなかった「自分でやってみる」という経験を中高生たちに持ってもらうことで、未来に繋がる糧を得て欲しい。そう本気で思うからこそ、年甲斐とか関係なく、僕は「青春基地」に関わるのです。

皆様のご支援、よろしくお願いいたします。

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