おかえりなさい

 久しぶりの勇気の日です。テストが開けたら勇気の日に取り組んでいこうかと思っています。とりあえず今日は本日起きたストーリーを。

 学校からの帰り道、家の前を掃除する一人のおじさん。と突然、「はいお帰りなさい」と声をかけられた。実はそのおじさんとは・・・・・・面識などあるはずがない。しかし、その時、妙に清々しい気分になった。こちらも笑顔で会釈をした。なんて言ったらいいかは分らなかったので、それしかなかった。

 それから歩いていくうちにふと思った。こういうことが日常的にある社会ってのが治安のいい社会なんじゃないのかなって。もちろんいまでもそういうことはある。でもそれはせいぜい近所のおばちゃんなんかの場合が多い。見知らぬ人から「おかえりなさい」なんて声をかけられるなんてことは、まずない社会になっていると思う。でも、昔はそういうことが常にあったんじゃないかなぁと思う。これは単なる予想であるが。昔は近所のおばちゃんやおじちゃんが子供に気さくに声をかけていたり、悪いことをしたらしっかり注意をしていた、そんなイメージがある。同時に昔は犯罪が少なかったイメージもある。それこそ少年犯罪なんてものは昨今起きている物の法がずっと凶悪だろうというイメージがある。

 今、見知らぬ人に注意が出来る大人が減っていると思う。もちろんそうだ、そんなことしたら何されるか分らない時代になっている。下手に声をかけてぶっ飛ばされるなんてごめんだ。それでも、悪いことは悪いっていわなければならないと思うし、子供はその親だけではなくて、地域全体で育てていくべきだと思う。そういったときに、どんな些細な一言でもいいから子供に声をかけてあげる優しさ、勇気は必要だと思うな。それが子供にも、大人にも心の余裕を与えてくれるんじゃないかと思う。そのうち子供が大人の言うことを素直に聞き、大人が誰であろうとしっかり注意できる時代になれば、心を閉ざした子供が犯罪に走ったり、とんでもない非行なんて起きないと思うのは俺だけだろうか。

 これは全てきれいごとにしか過ぎないのは分っている。でも一歩ずつでも大人が勇気を出してくれれば、少なくとも俺は気持ちよい日々を送ることが出来ると思う。朝通学時の「おはよう」の一言、下校時の「お帰りなさい」の言葉からスタートしてみてはどうだろう。明るい社会って、そういうことが平気で誰にでも出来る社会をいうんじゃないかな?

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