小論文対策は何より書くことが大切。PCでも手書きでも、内容勝負だから常に訓練を積まねばならない。
ってなわけで小論ブログ開設します。新聞からネタを引っ張ってきて自ら設問しそれを説きます。添削人は、読者の皆さんです。コメント欄で突っ込みを入れてください。僕が泣き出さない程度に、お手柔らかに。
さて今回の問題。
熊本市の慈恵病院が、子どもを養育できない親から匿名で赤ちゃんを預かる赤ちゃんポストの設置を申請。
この是非について、毎日新聞06年01月29日付毎日新聞の闘論にて2名の専門家が主張しています。
1.それぞれの意見を要約する(200字)
2.それぞれの立場にたって意見を述べる(400字)
3.両者の意見を踏まえ、自身の意見と提言を述べる(400字)
書いてみて、論の筋道をどう立てようか悩みました。
妊娠中絶に関する問題にも密接にかかわっており、それに対する自身の考えとの矛盾などもあって進みが悪かったです。
最後の3.は、終始感情論どまりで、政策提言とまでは行きませんでした。
では続きでどうぞ。
1-1 賛成側要約 慈恵病院理事長 蓮田太二氏
多くの女性が妊娠による葛藤で精神的に追い詰められている。ポストの先進地ドイツでは、赤ちゃんを預ける母親の多くがパニック状態に陥っており、遺棄事件から赤ちゃんの生命を守り、パニック状態にある母親を救う役割にもなっているという。日本においても同じ効果が期待できる。病院が設置するポストには捨てることでなく相談することを第一に促す。虐待や育児放棄から子どもをどう救うかを考えねばならない。 (191字)
1-2 反対側要約 帝塚山大教授 才村真理氏
自身の出生を知ることは自我の形成において重要であり、どんな親から生まれてきたか知らないと、成長してその事実を知ることで自我がぐらつき、生き方に迷い途方にくれる危険性がある。また育児できない親に対する行政の敷居が高い。相談窓口の市町村間の格差や児童相談所の体制の貧弱さなど、体制が不備である。しかし、わざわざ赤ちゃんポストを設置しなくても制度自体は整備されている。 (181字)
2-1 賛成側意見
「赤ちゃんポスト」は緊急の措置としてやむをえない選択だと考える。乳児とはいえ人間としてその命を奪われることは許されることではない。しかし親の責任ばかりを追及するのもいかがなものか。蓮田氏も言うように、多くの妊婦や母親が育児で悩んでいる。精神的にかなりのダメージを受けていることは容易に想像がつく。育児には親自身にこそ余裕が求められる。パニック状態のままの育児は非常に危険である。現に、犠牲となった子供はその危険な状況にいた。
「育児放棄を助長する」との声がある。確かに拡大解釈に対する懸念はある。しかし、育児放棄や虐待を受ける子供たちは現に存在し、才村氏の言うとおりその子たちを救う体制は不備なままである。何よりも急ぐべきは今危険にさらされている子供を救うことだ。不備な体制を整えるには時間がかかる。その間も危険にさらされる子供がいるのだ。「赤ちゃんポスト」という選択もありではないだろうか。
2-2 反対側意見
子供を救う制度が未だ不備なだけに、「赤ちゃんポスト」の導入は時期尚早ではないだろうか。蓮田氏はポストでも相談を促すとしているが、相談後に対応をとる行政窓口が不備なのだから意味がない。児童相談所が機敏な対応を取れなかったことが原因となって発生した幼児虐待事件、相談できる環境が整っていれば防げた遺棄事件は多い。まずは行政側の不備を改善しなければ先に進めない。
才村氏の言うように、自分の出自を知ることが自我形成につながる。つまり、家族の存在が重要である。温かく迎えてくれる環境が子供に必要であり、それが家庭なのか児童施設なのかでは大きな差が生じる。また、「赤ちゃんポスト」に預けられたという事実を知ったとき、子供は親に捨てられたと思うかもしれない。多感な自我形成時にそのような事実を知ることは、後々の成長に悪影響を与えかねない。その観点から考えても、育児放棄や虐待を未然に防ぐことが重要なのである。
3 意見・提言
必要なのは対処療法ではなく予防療法ではないのだろうか。「赤ちゃんポスト」は、パニック状態に陥った母親の育児放棄から乳児の命を救う効果的な手段ではあると思う。しかしそれは寸前での予防であり、育児放棄や虐待が起こりうる環境を作り出さないように予防線を張ることのほうが重要である。ポストの存在は、最後の手段であるように思う。
私は、当人自身が子を持つ、つまり親になるという自覚を持つことが重要であると考える。これは何も女性に限ったことではない。母性、そして父性を育み、どのように子供と接していくかを見出し、親となる責任を考える。こういった機会を行政や病院が作るべきではないか。これは妊娠中絶の問題にも通ずることである。
子供は大人と同じ人間である。大人の勝手な都合でその命が軽んじられることは許されない。そしてこの意識を、社会全体が共有しない限り、悲しい事件は繰り返される。
頼まれたので探してみました。
こういう問題を扱うのは慣れていないので
知識不足を露呈するかと思いますが、ご容赦を。
入試を意識するとどうしても仕方がないと思いますが、
発言が一般論に落ち着いているのでは?
こういった様々な要因が複雑に絡み合う問題は、
どの側面を切り取るかで大分様相が変わってくると思います。
例えば、社会構造の面から見ると
乳児を捨てる人たちには一定の傾向があるように思えます。
データを調べたことがないのであくまで印象ですが、
比較的若年層で経済的にあまり恵まれてない人たちでは?
もしそうならば、行政がその点をどうするのかというアプローチができそうです。
または、現行の制度があっても制度を知らないという可能性もあります。
こうすると教育の問題
切れてしまいました
こうすると教育の問題です。
学校やその他の場で知る機会をどう保障するか。
まぁ、機会を保障しても、結果は保障できませんが。
要するに、論を立てる上での自分の立脚点を
明確にしたほうがいいと思います。
問題に対し、まずどう切り込むのか。
そしてそこからどう対処するのか。
漠然と眺めるよりも、切り込んでみて
もう一度全体を眺める方が良いかと思います。
還元論的ではありますが。
どう切り込むかが、その人の持ち味だと思います。
ところで、あまり本質的ではないですが、
一点指摘しておきます。
「自分の出自を知ることが自我形成につながる。つまり、家族の存在が重要である」
論理の飛躍です。
出自を知ること=家族がいること、ではありません。
S先生、添削ありがとうございますm(_ _)m
お忙しいところわがままに付き合っていただいてすいません。
確かに一般論でまとまっている感は書いてる段階からありました。
正面からまっすぐではなく、課題文の視点とは違ったところから近づいていくってことでしょうか、次回から実践してみます。
400字の可能性。
原稿用紙1枚の可能性。
僕は信じます。
あ、がんばってください!!って意味だと思います。笑
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