石巻レポート – 3.泥かきの体験と「ありがとう」

4月16日と17日の2日間に渡って、石巻市に行ってきました。第3編では、4月16日の朝に石巻専修大学についてから、とあるお宅で泥かきをさせていただいたあたりまでを書きたいと思います。

再掲ですが、読む前にご留意いただきたいのは、このレポートは、たった1泊2日しかしていない大学生の見方で書かれたものです。ですから、これが現地のすべてではありません。しかも、訪問から3週間以上経っており、現状は刻一刻と変わってきていますから、この記述はもはや古い情報です。しかし、現地に赴いた僕にとって、実質36時間程度の間に見聞きしたことは、今のところ僕の頭の中では「すべて」なのです。ですから、そうした書き方になっていることをご了解ください。

0.プロローグ 〜どうして行ったのか〜
1.準備したこと、そして必要なこと
2.津波を受けた街を目の当たりにして
3.泥かきの体験と「ありがとう」 ←いまここ
4.フットベースと下ネタ
5.石巻のボランティアセンター体制
6.被災地の通信の状況
7.「それどころじゃない」という事実
8.避難所を回ってみて
9.メッセージと勇気を届けること
10.エピローグ 〜何を得たのだろうか〜

泥かきへ向かう

港からは離れた場所、北上川の支流を挟んで街の北側に、石巻専修大学があります。女川の視察を終えてから大学に向かいました。石巻専修大学の近くには、石巻総合運動公園(だったけな)があり、自衛隊が野営本部を築いていました。さながらニュータウンのごとく、区画整理途上です、みたいなところで、ガレキの集積場もこの近辺にありました。石巻専修大学自体は、外から見た限り大きな損傷を受けておらず、郊外にあるキレイなキャンパスを思わせる雰囲気にはSFCっぽさを感じました。

石巻専修大学についてから、スポーツビズ社と合流。今回の石巻入りの目的は、第0編でも述べた通り、プロジェクト結のトライアルです。子どもの日常の遊びの支援がどうなるか、ということと、非日常の勇気づけ支援がどうなるか、ということのトライアルでした。アスリートのマネジメントを行っているスポーツビズ社は、プロジェクト結の賛同企業として、自社のアスリートを現地派遣する、という形で非日常の支援ができる、ということで協力していただいています。今回は、スキー・ノルディック複合の荻原次晴さんと、ヨットで世界一周を果たした白石康次郎さんの2名を含む、自社スタッフ10名ほどが参加していました。

総勢20名を超えるメンバーでの顔合わせの後、スポーツビズ社がボランティアセンターに活動団体登録をし、早速午前の作業のお願いを受けてきました。最初は、あるお宅の家財道具運びと泥かきだったのですが、お宅の奥様が体調を崩されてしまい、別の案件へ。その別の案件も、市内のあるお宅の泥かきです。さっそく、専修大敷地内に立てられた物資倉庫の中から、スコップ一人1本ほど、土のう袋100袋、バール数本を借り出し、それを車に積んで現場に移動です。もともと長靴を履いていた私は、うまいこと白つなぎに着替えて体制を整えました。

思った以上にしんどい作業

現場のお宅は、市内のとある小学校の目の前。その小学校自体は、港の海岸線まで比較的近い地域にあったため、例に漏れずお宅は1階部分が津波の被害に遭いました。幸いにしてお宅は形をとどめ、2階では生活できるということなのですが、ワゴン車が打ち上げられて物置の上にうちあげられ、玄関先には泥がたくさんつみあげらえ、また畳も片付けられていないままでした。聞けば、ご夫婦はその時にはすでに自宅の2階で生活をしていたとのこと。目の前の小学校は初期避難時に利用したものの、その後家に戻ったそうです。ちなみに、小学校には自衛隊給水車が止まっていました。どの避難所にも自衛隊が来ているのでしょうか。

敷地の入り口に泥がたまり、柵を閉じることが出来ない状態になっていたお宅。家は崩れていなかったので、ガレキといえるものは余り見当たらず、あるいは比較的大きなものは玄関脇にすでに積まれていました。なるほど今回の作業の中心は、スコップでこの泥をかき出すことなのだなというのはすぐ分かりました。

指示を聞くと、どうやら泥かきだけではなく、畳なども運び出す必要があると伝えられました。厄介だったのが、この畳です。普通の畳ならば、おそらく一人で持てるほどの軽さでしょうから、そんなに大変じゃないだろうと思っていました。ところが、考えてみれば、津波の被害を受けた畳です。水分をすっていますから一人で持てるはずがありません。当然二人掛かりでの運び出しになります。

泥だしを阻む厄介者

泥のかきだしも二人掛かりです。一人がスコップで泥を掘り、もう一人が土のう袋を広げてその泥を受けます。私はもっぱら土のう袋専門でした。見ていると、やたらと泥をかき出すのが大変そうでした。理由はいくつかあります。一つには、泥が泥だけだったら作業が楽だったろうものの、実際は泥の中に小さなガレキやお宅の1階にあったであろうものが紛れ込んでいたため、スコップでかき出すのが大変でした。木片もありましたし、ビニール袋もありました。ビニール袋の中に買い物してきたであろう食材が入っていることもありました。とにかく、こうしたものが、泥をかき出すのを妨げたのです。

もう一つ、理由を挙げるとすれば、泥そのものに問題がありました。海岸からやってきた津波は、土というよりもむしろ砂を巻き込んで流れてきます。このことは想像に容易いですね。ですから、津波が襲った一帯は、本来は土質の泥ではなく、むしろ砂がたまっているはずなのです。砂はさらさらしているから、片付けるのが容易だと思っていましたが、大間違いでした。先ほどから述べている「泥」というのは、実際のところは砂なのですが、ある物質とくっついて粘度を増し、粘土のようになっているのでした。その物質とは、重油です。

石巻市は、漁港もありますが、工業地帯もあります。おそらくそこから漏れだした重油が、津波によってヘドロとともにやってくるのです。重油なので黒く、しかも津波が襲ってからひと月以上経っているにも関わらず、それらは一切乾かないのです。伺ったお宅には小さな池があり、水がはってあるのですが、その水も変色して、水に油が浮いているように見えました。

基本的に僕は、土のう袋に泥を入れていく作業を中心に従事しました。スコップを持って泥をかき出す作業もしてみたかったと言えばしてみたかったのですが、いかんせん体力に自信がなく、それにかなり負担がかかる作業であったことは目に見えていたので、あえてサポート役に徹していました。土のう袋が裂けないように、できるだけ小さなガレキなどは取り除いていました。その時です。ピンクのゴム手袋が裂けて、指に注射針程度の刺し傷が出来ました。

原因はガラス片です。そしてかなり厄介だったのがこのガラス片なのです。伺ったお宅は1階が津波の被害にあっていましたが、おそらくその津波によって、家の中のガラス戸が流されたり、玄関のガラスが割られたのかもしれません。粉々になっていればいいのですが、だいたいが手のひらにおさまるサイズになっています。聞こえはいいですが危険です。そしてこの時、ゴム手袋が万能ではないことを思い知りました。スポーツビズ社の方の素早い対応で、消毒止血絆創膏を行いました。帰ってから分かったことなのですが、現地で発生しやすい感染症として破傷風があるため、手早い対応をとることが必要だったのです。

思い出の品は前を向くことを邪魔するか

休憩の時に、ご夫妻とお話をしました。聞くところによれば、地震が起きた時には家にいらっしゃって、一時的に近くの小学校に逃げたそうです。お宅の周辺に住んでいるのは高齢者の方が多いそうで、防災無線を聞いてみな小学校に退避したそうです。だから周辺の皆さんはうまく逃げられたそうです。と、いうこの話、実際には「どこどこに住んでいるだれだれ」という名前が出てきたので、全部は理解しきれませんでした。しかも、この話をしてくださった奥さんは、泥の山を突っつきながら、目線をこちらに合わせず話していらっしゃったのです。

話が前後しますが、休憩の時に夫妻と最初にお話をした内容は、「探さなきゃならないものはないか」と言うことでした。津波でモノがのまれてしまうと、いわゆる「思い出の品」も流れてしまうということは、よく報道されることです。そしてそれらを「ガレキ」として扱われてしまうことがいやだとおっしゃる方もいます。ご夫妻にも聞きました、探さなきゃならないものはないか。そうするとその答えは、「その必要はない」でした。「探してしまうと、後戻りしてしまって、感傷に浸ってしまうから、もう探さないでいい」というご夫妻のことばは、どこか強さと寂しさを感じるものでした。

震災から1ヶ月経って、緊急時フェースからちょっとずつでも落ち着きが出てき始めてきた時期に出ることばとしては、ある意味予想外でした。そのあと、旦那さんが言っていたのですが、ある時、奥さんが写真を見つけて、10分くらいずっとそれを見つめていた、と言うのです。ご夫妻お二人とも気丈に作業をしていたから、奥さんの姿からは、その「10分写真を見つめていた」という姿を想像できませんでした。さっきの「どこどこに住んでいるだれだれがね…」という話は、この「探すものありませんか」の会話のあとに聞いた話です。そう考えると、奥さんが寂しさみたいなものを抱えているのかなぁ、というのは分かる気がします。

「ありがとう」のかけあい

ところで、荻原次晴さんが一緒に泥かきをしていたのですが、そのことをご夫妻が口に出したのは休憩のタイミングでした。「最初は分からなかった」とおっしゃってたのは、至極本音だったと思います。その後口に出てきたのは、「いやぁ、こんなアスリートに手伝ってもらっちゃって、申し訳ないね」でした。「いやいやいや」と、本人ではないのに言ってしまいましたが、今更考えれば、そう思うのも当然かもしれませんよね。まさかオリンピック級アスリートが泥かきを手伝ってくれるわけですから。

休憩が終わり、急ピッチで作業が進んで、泥の山もなくなり、入り口の柵が動くようになってきました。時間となり、作業が終わり、一緒に作業をメンバーで記念撮影をしました。荻原さんが写った写真ですから、あとでお送りする、ということでした。ご夫妻には、かなり感謝していただきました。こちらが恐縮してしまうほどです。何と言うべきか、ともかくかけた言葉は「ありがとうございました」でした。何とも気分的には不思議なもので、ご夫妻からの「ありがとう」と我々からの「ありがとう」が連鎖をしていました。「ありがとう」の連鎖です。

ボランティアセンターのある石巻専修大学に戻って、そこに貼ってあるボランティア心得を見た時、「ボランティアを『させていただく』気持ちで従事する」ということが書いてありました。なるほど、あのときの「ありがとう」の連鎖は、実は重要なことなのだ、と感じました。ボランティアをしていると、どうしても「してあげる」という気持ちになり、それはどこか奢りにつながってしまうと思います。だからこそ、「させていただく」気持ちで従事し、「させていただいた」ことに対して「ありがとう」ということは大事なのでしょう。

泥かきの作業を通じて、一番印象に残ったのは、この、お宅を離れる寸前の「ありがとう」のやり取りでした。ボランティアのスタンスとはなんだろうか、そして「ありがとう」ということばを受けることがどういうことなのか、ということを考えるきっかけでした。一方で、「申し訳ない」と言われることも、どこか感じるところがありました。「何かしてあげたい」は、実はエゴなのかもしれない、それでやってきた現地において「遠いところ申し訳ない」とか「ありがたい」という言葉をかけていただけることは、身に余るけれど、実は心の奥底ではかゆい思いのすることなのです。

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