【長編】オトナの僕、こどものオレ

 先週、思いつきで只見線&会津の旅をしてきましたが、またもや出発します。本日の深夜に発車する夜行の快速で、日本海周り古都の旅です。

 「一人旅って寂しくないか?」という人がいます。
 もちろん、いろんな人と旅をすることは楽しいです。合宿とか、友達との旅行とか、修学旅行とかも。観光地でバカやって、変な写真とって、車ん中で変な話しして、夜に酒飲んでベロベロになって、ゲロゲロして心配かけて、朝がくるまで語り合って、温泉で裸の付き合いして。。。そんなことは大好きなんですね。
 でも、そうした旅にはない魅力が一人旅にはあるのですな。僕の中での一人旅の魅力は2つあるのです。

 一つは、誰も自分が知っている人がいない土地で自分一人になって何かを考えるということ。
 もう一つは、自分が知らない場所のいろんな美しいもの・きれいなものをみて価値観を広げるということ。

 mixiで写真をご覧になった方は分かると思いますが、僕が撮影したほとんどの写真は、風景ですよね。できるだけ、きれいな風景を撮ろうと思いました。デジカメでしたが、少し撮り方にもこだわって、アスペクトを16:9にするなど、味を出してみました。
 ちなみにきれいめな写真はこちら→http://picasaweb.google.com/enshino.biz/GsHVBD
 実際に只見線沿いは非常にきれいな緑にあふれていました。どんだけ寒気を感じようと、ずっと窓から顔を出して、何も考えずに緑色と空の色を見ていました。むしろ、それだけで十分でした。只見線の只見の近辺は、本当に山と川と空しかないので、普段は目にしない風景でした。会津の夜は本当に星がきれいで、これも普段は目にしない風景でした。

 でもぶっちゃけ、それ以外に映っているのは田んぼですよね。田んぼなんて、いつも通る宇都宮線沿いやら小田急江の島線沿いやらで見られるじゃないですか。
 だけど僕にとって、それがすごく美しかった。
 いつも見ているはずの田んぼが、別の土地に行ったらすごく美しく見えたんです。
 会津盆地はずっと風の強い場所でした。そのおかげで、田んぼにも風が吹き付け、稲がまるで生きているかのように揺れているんです。BGMなんてかかっていない、車も電車もあまり通ってないから音は風の音しか聞こえない。まったくもって寂しい場所です。だからこそ、稲が生きているように揺れるという現象がものすごく活き活きと、美しく感じられた。。

 それだけじゃない。只見線沿いの景色は確かにきれいでした。活き活きした青・緑・白でした。だけど、活き活きしていたのは、線路から離れた川や山だけじゃないんですね。
 線路のすぐわきに初秋を感じさせるすすきなど、背丈のある植物が生えていたんですね。窓から手を出せばすぐに届く場所にあります。それらが、電車がとおる旅に線路の外側にペコンと倒れるんです。単に、電車が通るときの風で倒れるだけなんですが。
 でもそれが僕にとっては、なんだかお辞儀してるように見えて、なんだか命を持っているように思えてきたんです。僕が乗る電車が通るたびにお辞儀するから、線路の外側に倒れるのに自分のほうにお辞儀しているような感じに思えて微笑ましかった。

 こういう、景色に心が奪われたり、いつも見ているはずの情景に思いを馳せたり、それは自分が子どものときには絶対なかったことだと思います。
 只見線は、ローカル線でも人気路線なので、多くの鉄ちゃんがいました。私も小さな頃から鉄ちゃんみたいなものですから、ローカル線に乗りたくて旅に出たんですが、今じゃ珍しいディーゼル車だったり、タブレット閉塞よりも景色に感動していました。
 振り返れば昔は、外観がかっこ良くてめちゃくちゃ早い新幹線こそ最強、将来は車掌さんや通勤路線の運転手になりたい、なんて言ってて、電車に乗るのは乗ることそのものが目的。そんな子どもの頃。旅行に行く前日は、何にワクワクするかって電車に乗ることに心躍らせていました。
 でも今は、そもそもローカル線なんて、さびれた・あまりかっこ良くない列車にゆっくり揺られて、車窓を見続けることが何よりもうれしいと感じるようになった。
 
 それだけでも、自分は大人になったと感じるようになりました。
 成長する中で、価値観が確実に変わって行ったということを認識しました。

 電車の先頭を眺めるのも、運転台を見るのではなく、正面から見える車窓と続いて行く線路に思いを馳せるため。
 ホームに立つのも、電車の写真を撮るためではなく、自分がその場所にやって来たという証を残すため。
 線路の横に広がる景色、線路の先に広がる見知らぬ街。そうしたものになぜかノスタルジーを感じるなんてことは、ハタチになった今の自分でなければできないことでしょう。

 只見線の車内で、ひたすら車掌さんのように、半自動のドアを開け閉めしては車内アナウンスをする少年がいました。最初は若干ウザいと感じながら、でもよくよく考えれば幼い頃の自分もそんな奴だったんです。
 そんな少年の姿を見て、自分はいつの間にか純粋に電車を好きになるという部分よりも、もっと先にある何かを感じるようになったんだと思いました。成長するって、そういうことなんだなと感じた訳です。
 
 でも、ワクワクしていたことには変わりない。電車に乗っていたことは変わりない。旅をするってなにか心がワクワクするじゃないですか。どんなものを見れるだろ、どんなものに出会えるだろう、それは、子どもだろうと大人だろうと変わりないものなんじゃないかなってことも感じたんです。
 あと4時間ぐらいしたら夜行は出発します。
 すごくワクワクします。
 感じるもの・価値観は大人になっても、旅立つワクワクは変わりない。
 そういう意味で、僕はもう大人だし、だけどオレはまだ子どもなんですね。
 
 それが、「ただ只見線に揺られて」で独り考えたことです。
 では、青春18きっぷ夏の陣その2に行ってきます。たくさんの、きれいなものに出会ってきます。

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