古都が気付かせてくれたこと

北陸回り京都の旅から帰ってすぐに、吹奏楽サークルの合宿に行ってしまったため、旅行中の感動をじっくり振り返ることを忘れていました。

今回の旅でも、またたくさんの写真を撮りました。
前回の只見線・会津のほうは、どちらかというと自然物を取ることが多かったのですが、今回はやはり、金沢・京都が大きな目的地だったので、人工の建築物を撮ることが多かったように思います。

特に、京都の社寺の山門やらお堂やらの写真は、もうタイトルが付けられないってくらい何度も被写体にしていました。
特に、東寺と仁和寺の五重塔の数がかなり多く、仕方がないので何枚か削っていいものを残す始末でした。旅行中は、なんでそんなに五重塔が好きなんだろうと、首を傾げるくらいでした。

京都で回った社寺は、朝の清水、東西本願寺、東寺、二条城、北野天満宮、龍安寺、仁和寺、平安神宮。特に「うつくしい!」と感動したのは、清水・東寺・仁和寺でした。それから、金沢でやはり美しさを感じたのは兼六園でした。
「美しさポイント」は何だったかと言えば、木々の緑と古い建築物がマッチしていたということ。それを感じることができたときに、自然と手にカメラを持っていたのです。

普段見ることができるはずの木々の緑でも、普段とは違った場所に来るとより美しく感じる。これは、この間の只見線の車内で、周囲に自然を感じながら想ったことです。そして、同じことを今回の社寺巡りでも考えた。しかし、明らかに違うことがあります。
それは、今回目にした『緑』は自然のものではなく、人工のものである、ということ。
東寺の庭に感動し、仁和寺の庭に感動し。それらの感動はすべて、庭と建物から感じる美が発端だった訳ですが、それらは全て人工物なんですね。只見線の旅の時は、田んぼは人工物だったし、おそらく山の一部は林業の木々が生えていたでしょうが、大半は自然の緑やら空やらに感動を・美を感じていた訳ですが、ほんとうの「自然」に負けない美しさが京都の社寺や兼六園にはあったのです。

そう考えれば、昔の日本人の美的センスというのはどれだけ高いものだったのだろうか、という思いに耽ってしまいます。庭と建物のデザインがぴったり調和して、そこに美意識を感じさせる点、日本の古い建築を担っていた人々は本当にすごいと思います。
そして、そうした建物の美的センスは、緑色を伴わなくとも、祇園や清水周辺の町家に綺麗に残っていて、それもまたすごいと思うんです。

そもそも日本古来の建築様式はびっくりするもので、良くこんなものを建てることができたな、と舌を巻くようなものが多い。造りが精巧で、木だけで作られているにもかかわらず保ちがいい。どうしてこんな建築物を建てられたのか、それを創造するだけでもゾクゾクします。
それに加えて、美のセンスを追求したデザインをもってくるあたり、日本ってすげぇなって思います。

きっと僕には、まだまだ知らない日本がある。いや、知らなきゃならない日本がある。
それは、日本が育んできた文化。外国語教育、とりわけ英語教育を研究しようとしている自分だからこそ、知らなきゃならないのは世界のことであり、またそれ以上に日本人アイデンティティーの各となりうる日本文化なのだろうと思います。

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