正直、「目標」とか「なにがしたい」とか、疲れた

年末に書くつもりが、年が明けてしまい、書き初めで抱負を書いている人が多い中でこんなのを書くのはなんとも空気が読めていませんが、1月4日を迎えると、こんなことも言っていられないので、毒を吐き出すだけ吐き出しておいて、空っぽにして仕事始めを迎えられるようにしたいと思います。書いていて案の定、よく分からなくなってきていますが、ちょっとでも共感があれば嬉しいです。

どんな話かっていうと、こう、「目標を立ててそれを追いかける」とか、「お前はどうしたい、なにがしたい」ってのが、疲れたなぁ、って話です。


いや、だってぶっちゃけしんどくないですか、問われるの、問われ続けるの。

って、人事職、まして育成ミッションの人間が絶対に言ってはならないことだと思いますが、しかし実感として結構「しんどい」と思うことがあります。

実は私自身、過去の人生で得てきたもの(仮にそれを「成果」と表記しますが、「成果」という言葉を使うことも疲れるので本当は嫌なんですが)って、喉から手が出るほど欲しいと思って得てきたという記憶があまりありません。かえって、喉から手が出るほど欲しがっていた場合は大概得られていないことが多いです。そのせいか、目標を持つとか、ぜったいこうなりたいとか、そういうのにピンときていなかったのは事実です。

そう、ぶっちゃけ言えば、私には将来の目標がありません。割とコロコロ変わってきたほうだという自覚がありますし、その変わってきたというのは、割と「やってみる前からシャッター降ろしちゃった系」の諦めだと思っています。

「え、学校の先生は?」と言われるかと思いますが、それはあくまでも職業の形として就くことをイメージしているキャリアステップなのであって、それが「将来の目標」ではありません。「え、政治家は?」と言われるかもしれませんが、過去の自分と期待してくださっている皆さんを全否定することを許してもらえるならば、あの職業に就いたところでいったい何がしたいんでしょうか、それを明確に言えません。

むしろ私の場合、楽しくて没入している方が、いい具合に成果を上げることができるようです。で、私自身他人によく「どんなきっかけでそれをはじめたの?どうしてそれを続けているの?」とか聞いちゃうんですが、他人に対してそういう興味を示すくせに、自分自身は「楽しいからやっている」っていうことをそれ以上に説明できません。っていうか、自己否定ではありますが、楽しい、以上の何があるっていんでしょう。明確なロジックなんて要るでしょうか。


最近、いろんなの記事で見かけるのが、「やりたいことが無い人が『やりたいこと』をみつけるには」というお題ですが、たしかに「やりたいことがない」つまり「what to doがわからない」人が、しかし見せ方として「コトの目標」を語るということは可能だと思います。というか、生きる上でのスキルとして必要だと思います。しかし、結局それって疲れませんかね。

いくつかの二元論を持ち出すと、

  • 「したいこと」をdoで捉える人とbeで捉える人
  • 結果に興味がある人とプロセスに興味がある人
  • 具体が好きな人と抽象が好きな人

みたいなのがあると思いますが、「あなたは何がしたいの?」という聞かれ方とか、「目標を設定する」とか、わりかしdoの捉え方や結果への重視があると思います。しかし、特性上、それとは対極にいる人間は、そっちに寄って行くのはちょっとしんどいんですよね。

正直言えばですよ、会社で「おまえはなにがしたいんだ」「おまえはどうしたいんだ」と聞かれ、いやたしかにそれに答えを持っている方が当事者意識を発揮する分仕事のクオリティが上がるのはわかるんですが、実際は対してそんなに「こうしたいんだ!」なんて熱は私にはないんです。ぶっちゃけ、上から「とりあえずこれやって」とぶん投げられて、そのぶん投げに対して自分なりの解釈のもとに仕事を仕上げる方が、私としては心地いい。

で、こう「心地いい」とかいうと、「そうやって安住していると成長はないぜ」とか言われるんですが、そこでまた出てくる「成長」という言葉が疲れる。できることが増えるとか、扱える幅が広がるとか、そういうのは、ある程度コトをこなしていけばできるようになるに決まっているじゃないですか。確かに「成長」をしたほうが愉しみが増えるのですが、それはあくまで結果であって、目指すべき目標でしょうか。


そりゃね、繰り返しますが目標はあったほうがいいんです。ちょっと言葉が適当ではありませんね、目標があったほうが「便利」なんです。目標があることで、現在地点と目標のギャップをあぶり出して、すべきことを羅列することができます。それに、その目標が自分にとってチャレンジングで、さらにチャレンジする意義を信じれるものであれば、やる気を生み出すことができます。さらには、当初の目標に対して最終的な到達地点がどうだったかを比べることで、成果の価値づけができます。極めて合理的です。

しかしそもそも、目標というのも目的達成のためにあるものなはずなのに、なぜかそれを忘れてしまうと、なんのためにこの目標って追いかけているんだっけってなってしまいます。いや、言葉遊びみたいな感じがしますが、目標を追いかける理由がわからなくなってしまう中で、「すべきこと」が増えていくと、なんだかしんどくなってきますし、だいたいの場合はその「すべきこと」は遅滞しちゃうので、精神衛生上良くないわけで、つまり疲れるというわけです。

そうそう、この話ってのは、人生の話であって、その大半を過ごす仕事上の話であって、お金もらっているプロなんだからそんなたわごと言っているんじゃねぇって言われそうですが、ぶっちゃけみんな「疲れる」わけで、その「疲れる」をうまいことやりくりしてパフォーマンスを一定に出すということがプロの与件とすれば、別に「疲れる」って言っていいじゃないかと思います。それを公にすべきではないだろとも言われるでしょうが、吐き出せないほうがむしろ危険だと思います。


繰り返しますが私自身は、喉から手が出るほどこれが欲しいっていう熱意があんまりないようです。しかしいい具合に「目標」に救われてきたというか、次への一歩に進む理由づけに使ってきました。高校進学も大学進学も、はたまた会社に入るときも、そして現在も、政治家とか学校の先生とか、そういう「目標」のようなものを、「俺はこれがしたい」のようなものを掲げていましたし、それがその時々の進路を選ぶ上での理由になりました。

ところがやっぱり振り返ってみれば、ぐっと力を込めてでも取りに行きたいと思うような、遠くにある目標を目指して走り続けてきた記憶はあまりないんです。それよりかは、自分のした経験がいかに将来につながるかを、事後的に語る方が得意です。なので、実は進路決定時に「将来これがしたいです、だからこの環境を選びました」の後に来るはずの「この環境では絶対にこれを手に入れたいです」という、得たいものについては大して考えていません。で、別にそれで良くないですか?という話です。

だから、「これのためにがんばります」ってことが苦手で、つまり疲れるということです。で、冬になったので、疲れが出た、というだけの話です。


ここまで努めて私は「嫌になった」という言葉は使わないようにしてきたつもりです。何度でも繰り返しますが目標を持つことは極めて合理的で便利で大切だと思いますし、目標を持った方が再現性の高いパフォーマンスを生産性高く出し続けることができます。それは一つのスキルなので、当然できるようになった方がいいに決まっています。

しかし、みんながみんな「目標」とか「なにがしたい」を追いかけるのが得意なわけではないなかで、しかしそれでも「目標を追いかける」とか「なにがしたいを問い続ける」ってのが世の中のメジャーになっていると、それ相応の負担とか生きづらさを感じてしまう人もいると思います。そうして、ちゃんと考えこめていない目標を掲げてしまうことで苦しみや違和感をもったまま、ただ心身を蝕んでしまうことだってあるかも知れません。いや、私の場合はそこまでではないですが、ね。

だから時折、「疲れた」って言って休んでもいいんじゃないかと思います。「なにがしたいんだ」とか「目標はなんだ」とか「なにがなんでも達成しなさい」なんてことから、いっときでも逃げたっていいんじゃないでしょうか。そこに執着したり、義務感にかられたり、はたまたそこから焦燥感を感じたりするようなら、ちょっと休んでもいいんじゃないでしょうか、と。


ここまで書いてみて思ったのですが、私は案外、目標を持つ、ということを、ツールとして好んでいるようです。ありがたいことに、自分自身の将来のマイルストンから逆算して、これを目標に行こう、とビジョンを示してくれる上司や同僚に恵まれています。私が割と持っていると自覚している「意義づけ力」みたいなものと相まって、仕事上の目標を将来に繋げられている実感が、実はあるみたいです。

だけどやっぱり、疲れるときはあるし、ちょっとずつでも出来るようになってきたとはいえまだまだ苦手に思うのは確かで、そんな状態なのに無理はすることないな、と思いました。というかそれよりも、私のちょっとした「疲れ」の表出以上にしんどいことになっている人がいたら、いいよそんなにしんどい思いをしなくてもさ、と声をかけられる自分でいたいと思いますし、すこし和らいだあたりで、しんどいならしんどいなりに、それでも目標を持って生きれるようなサポートをしたいと思います。

もうすこしで仕事始めになるので、仕事の目的から目標をブレイクして、ちゃんと個々の仕事において成果を測る指標としてKPIを置いて、そして終わりにはきちんとそれを振り返って、ってするんですが、それは一方ではツールで、他方ではとても大事なものだということをきちんと認識して、またいっちょ、お仕事頑張ろうと思います。

参考文献:


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