こだわりの散文:万年筆は、良い。

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万年筆は、良い。

あのサラサラとした書き味は非常に良い。スムーズに筆を運ぶことができる感覚は、長めの物書きはもちろん、単なるメモ書きをしていても気持ちが良い。力を込める必要はないが、しかしながら、全く力を入れなければそれはそれで筆は進まない。その絶妙なバランスがまた良い。もうひとつ加えるならば、本当にサラサラとする、その音が良い。

サラサラとする筆先から出てくるインクの濃さも、紙に映えてちゃんと読める。それもまた良い。こう述べると、液体インクのボールペンがあるではないかと言われる。だが、ボールペンでは味わえない書き心地は、やはり優るものがある。加えて言えば、カートリッジを交換しながら長く使いたくなるのも、また良い。

当然、手放しで良いとはいうつもりはない。インクが乾くまでに時間がかかり、時より手が汚れる。出すぎてしまうこともある。ちゃんとしたインクの乗りのためには、紙も選ぶ。とはいえ、いや、だからこそ、その動きのしなやかさと、書かれた文字たちのあざやかさは、気持ちを高めてくれる。もっといえば、良い紙と良いペンという組み合わせだけで、気分が高まる。

どうせ使うなら、良き重さと良き形のものを選びたい。そこへいくと、LAMYは良い。もっといえば、金属製のLAMYは絶妙に良い。私のはじめてはSafariのドイツカラー。続いてはAlstar、そしてnexxときて、今はStudioに至る。いずれも、それぞれに、良い。色も、形も、機能も、細部も、それらすべてをふくめてデザインであり、かわいくて、美しくて、飾らない。その清楚さが、いい。

勤めだして二年半ごろだったか、今のStudioに乗り換えた。それまでの、かわいさあふれる「かきかた練習の友」から、一気に大人な雰囲気にうつった。持ち手は三角から丸にかわり、色もターコイズブルーからインペリアルブルーに変わった。せめて書きものだけでも、と、大人を気取ってみた。けれど、クリップのまるみに、かわいさを残したかった。

書きものが良いと、紙も良くしたくなる。それでお供には、マルマンのニーモシネを添えている。A5の横書き方眼タイプは、ルール通りにも、ルール無視にも、どちらにも使いようがある。文字も図も絵も、考えを自由に解き放てる。その白さに、万年筆のインクが映える。それが、やはり良い。あまり多用しないミドリのMDスケジュール帳とともに、コクヨのSystemicに挟み、そのペンホルダーに万年筆をさせば、そのまとまりと重みが、心を高めてくれる。

絵は下手だし、字はきれいとは言えないが、良い万年筆は、少しだけ自分の書く姿勢をしゃんとさせてくれる。そしてよい書きものは、それに見合うような自分にならねばと姿勢を正してくれる。だからまたいつか、今の万年筆からお別れをするとしたら、さらによいものを手にしたいと思える。

そう思わせるほどに、万年筆は、良い。

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