こだわりの散文:フレンチプレスは、良い


フレンチプレスは、良い。

あの、コーヒーの味わいを全部味わえる感じが、良い。いくつかのコーヒーの淹れ方がある中で、僕はプレスで淹れたのが、一番良いと思っている。金属製の、ペーパーや布と比べても荒いフィルターを通すことで得られる、豆の油分、それすなわち、旨みを楽しめるあたりが、何よりも良い。

言う人が言うには、ハンドドリップが一番だ、いやいやサイフォンだ、と。そもそもめんどくさいからメーカーを使うという人もいる。確かに、片付けはめんどくさい。しかし、どんだけの量であろうと、粉を入れてお湯を入れて4分。それはそれで手軽だ。そこもまた、良い。さらにいえば、その4分を、ただ待つ、ということもまた、良い。

言う人が言うには、粉っぽさが嫌だ、飲み干せないのが嫌だ、と。確かに粉は残る。割と多く残る。沈殿するし、舌の上でざらつく。全部飲み干しようもんならそれはもう。だからやや残してしまう。しかしながら、それこそが旨味であり、そこも一緒に通るから味わえる部分がある。茶殻と同じだ。それがまた、良い。

できるだけ粉っぽくしないためには、挽き豆は中粗挽きにする。ドリップ用では細かすぎてしまう。ただ荒いが故に、じっくり抽出されるわけではなく、そのためややスッキリめになりやすい。しかし僕は、それで、良い。存外、浅煎り・スッキリ・フルーティを求める。だからそのぶん、淹れ置きの酸化したコーヒーや、なんなら缶のブラックが、飲めなくなってしまった。

美味しいコーヒーを覚えはじめたのは、あれは大学3年生の頃。大学の先輩に、大手の内定を蹴って、コーヒーの魅力を伝えるべく起業した人がいて、彼がスターバックスのアルバイトで魅了されたというのが、シングルオリジンとフレンチプレスの組み合わせ。大学最寄駅のバス停前で、一杯100円で買ったブラックコーヒーは、その実、透き通る琥珀色。えぐみも、重みも、苦味も感じられない、その透明な味で、コーヒーのイメージが変わった。

その後彼が展開したNOZY COFFEEというお店では、産地ごとに特色のある豆たちを、フレンチプレスで楽しめた。ある程度時が経ってから、それこそ会社員になってから、再びその店を訪れ、そこで、豆とbodumのガラスのプレスBrazilを買った。それから、会社で毎日のように淹れたてを飲んだ。プレスがブラジルのくせに、豆はケニヤを好んだ。そしてある時、ガラスが割れた。

豆も、いろいろ試した。それこそNOZY COFFEEもそうだが、スターバックスでも買った。実家に帰ったこともあり、結局落ち着いたのは、大宮の常盤珈琲焙煎所か、あるいは会社から散歩の距離でいくKAIDO books & coffeeだった。夏のある日、ぼっちメシさんぽがてらに寄ったKAIDOで飲んだ、アイスのルワンダに一飲み惚れ。そのベリー系の酸味が忘れられず、余計にさわやかさを求めるようになった。

割れたプレスの後には、割れないものにしようと思った。そして手に入れたのが、STELTONの黒のEM Press。これがまた、デザインが、良い。シンプルさが故の美しさは、コーヒーを淹れるという行為へのモチベーションを高めた。量もかなり淹れられた。結果、日に600mlは飲んだし、人にも振る舞った。それはそれで、良い。良いのだが、やや大きすぎた。

そしていま、お供はbodumのcolumbiaになった。マットな金属感、まるっこいフォルム。保温性もあるし、何より割れることはない。ヨーロッパ出張の折、たまたま見かけてしまったこの子に、財布の紐は緩くなっていた。そのデザインのすべてが、フィルターの網目に至るまで、機能美と外見美を備えている。それがまた、良い。

いよいよ4分経って、最後にフィルターを落す。じっくりと、フィルターのつまみを手のひらで下に落としいくと、香りが立ち込めてきて、飲もうとするコーヒーへの期待値を高めてくれる。豆も、香りも、プレスも、淹れる時間も、そのすべてが、せわしなく動くオフィスの中にあって、感性を研ぎ澄ます時間をくれる。その時間を、大切にしている。

そう思わせるほどに、フレンチプレスは、良い。


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