箱根山学校の、自分の記録 – 3日目の夜に②「ウチとソトとの対話の中で」

陸前高田市は箱根山。そこにある宿泊施設の「箱根山テラス」で行われた「箱根山学校」というワークショップに参加した。たぶん、ワークショップという言葉が最も適当とは思えないのだが、しかしその言葉以外に平たく説明することができない。ただ、何かを感じ、何かに気づくための、日常を離れた4日間であることは間違いない。

そんな箱根山学校での気づきの記録。8つ目は、陸前高田の街をまわってみて感じたこと、その2。


「せっかくこれだけ良い施設があり、語り継いでいきたいことがある。それには、上がってくるのが「おっかない」というじいちゃんばあちゃんも気軽にこれるようにしてほしい」という声が地元の人から語られる。伝承館の館長のことばには、想いが詰まっているし、確かに伝えつなぐためにも来て欲しいと思える場所であることはわかる。テラスから程ないその施設には、テラス行きと同じ、一車線の道路を進まねばならない。待避所はあるのだが、間隔はそれなりであり、出会い頭はどちらかがバックを余儀なくされる。確かに、危ない。その道が、二車線になるらしい。便利になる、というよりもむしろ、安心できるようになる。

他方、その言葉を聞く2時間前は、学校の参加者とともに、この道が二車線になってしまうと、テラスに入っていく時の非日常感がうすれてしまう、という話になった。それもまた真であり、確かにそれがあるからテラスで過ごすことが日常との切り離しとして特別な意味を持つ訳で、僕らはそこに価値を感じて、対価を残していく。その「対価を残す」こと、言い換えればソトから人がやってきてそこの土地の経済に寄与することは、決して悪い話ではない。そこが、ぶつかっている。

ウチとしての「二車線」も、ソトとしての「一車線」も、どちらもよく分かる話だ。そういう時にソトは、「今が良くても、先々のことを考えると」というが、ウチがかかえるような悩みや不安は、今だけでなくこれからも繰り返すものだ。結局、みんなが持つ正義に対して、これが正しい、というのは決められない。

同じことを陸前高田の復興区画整理事業のことにも言えると思っている。全てが流され、ゼロ・まっさらになった土地に、人の動きをどうデザインしていくか、という都市計画の発想はとても大事だということはよく分かる。もっと長期的な視点で、後世までつながっていくように、ということができるチャンスでもあった訳だ。でも、ゼロどころかマイナスを負った人々は、その喪失を取り戻す、あるいは新たに得る、ということに目が行く訳で、目指したいのは回復と安心だろう。確かにその回復と安心の物語は極めて個人的で、全体の循環を見ていないエゴイスティックなものだが、他方で後世を振りかざすのは正論と言う名の暴力に他ならない。そこを乗り越えられるのは、対話なんだと思う。

というところまで書いて、このエゴと暴力のせめぎ合いの話をある人にしたら、そのモヤつきはどうしたって取れない、という。そうか、それでも成果という答えを出している人でさえ、そのモヤつきに対して、唯一解を見出している訳ではないのだ、と。モヤつきは、私だけが抱える苦しさではないと知って、少しだけ、ほんの少しだけ、気は楽になった気がしている。

加えればその人は、モヤモヤしていない人なんて信用ならん、とすら言う。それはそうなのかもしれない。揺れ動くなんらかの「スキ」があることがまた、その人の人間らしさでもあるし、そこにその人の矜持があることがまた、人を前に進める気がしている。

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