陸前高田市は箱根山。そこにある宿泊施設の「箱根山テラス」で行われた「箱根山学校」というワークショップに参加した。たぶん、ワークショップという言葉が最も適当とは思えないのだが、しかしその言葉以外に平たく説明することができない。ただ、何かを感じ、何かに気づくための、日常を離れた4日間であることは間違いない。
そんな箱根山学校での気づきの記録。9つ目は、ミニクラス、という、自分の関心ごとや学んでいることをおすそ分けする時間での出来事。
今回の3泊4日のなかの出会いで、一番自分にとってかけがえのなかった出会いは、テラスのスタッフのSさんだったかもしれない。
3日目の夕方、参加者が自分の持っている知恵をおすそ分けする「ミニクラス」というのがあって、自分は「アイスブレイクを考える会」というのを立てた。参加者は、Sさんひとりだった。はて、困ったと思うと同時に、実はさみしさを感じた。もう少し人がいれば、実際に体験もできたのに。何より、自分のする話よりも他の人の話題が注目されることが悔しかった。これだから承認欲求の塊は、吐き気がする。
でもせっかく選んでくれたのだから、じっくりと、その人のためになるようにしよう、と考えた。でも本当に相手が望んでいるものが伝えられるだろうか。自分が伝えていることは伝わっているだろうか。その60分はずっとそんなことを考えていた。が、話を聴きながら、学んだことがあった。
ひとつは、カタカナ語、なんなんだよ、ということ。「アイスブレイク」という言葉でさえ、ついつい使ってしまうが、聞き慣れないSさんにとってははじめての言葉。なんのこっちゃわからなかったろうし、「東京の人はみんな知ってるんですか?」と聞かれる。ハッとした。そりゃそうだよな、と。陸前高田は、その復興計画の中で、「ノーマライゼーションということばのいらない街」というのを掲げている。Sさんからすれば、そのノーマライゼーションということばすら、「それはなんだよ、日本語で言え」となったようだ。普段そうやって、自分が無意識に使ってしまっていることばのせいで、皮肉にも相手のアイスをブレイクすることはできなかったわけだ。むしろもっと冷やしていたのかもしれない。わかりやすく伝える、ということへの意識が、いつの間にか途絶えていたことに気づいて、すかさずアイスブレイクを「あっためること」と言いかえた。
もうひとつは、幸せをどこで感じるか、ということについて。今年、スタッフも箱根山学校の中身に参加できることになって、参加者と接する中でSさんは、「みんななんか他の人に貢献することを仕事以外にやっていてすごい。私なんか、ばあちゃん危ないから手伝うとか、一人くらい乗っけるとか、そういうことくらい」と言っていた。「みんなすごい」と言われて、果たしてそうか、と思った。自分からすればSさんは、オープンマインドで明るくて取り入れようとする力が長けているように思えたし、何より身近なところからできることをやっている。それの方がよっぽどすごいし、仕事も充分に楽しめている。だから「いや、おそらく東京の人が他人への貢献をするなんかの活動をしているのは、現状が不満か辛いか、そういう理由の人もいると思う。仕事が幸せじゃないから他に見つける人もわりといると思う」と伝えた。その上で、「Sさん、そんな活動する必要、Sさんにはありますか?」と聞くと、「ない」ときっぱり答えられた。瞬間、「ですよね」ということばと共に、何か大きなものを求めようとしている自分への気恥ずかしさが出てきた。もっと足元を感じて、地に足をつけていくことをしてもいいはずなんだろう、ということを感じて、それ以降、自分が話しているアイスブレイクの話が、なんて不毛なんだろう、とさえ思うほどに自分の未熟さというか、肥大化したなにがしかのもろさを感じた。
それでもSさんが付箋に書いた言葉に、嬉しさを感じないわけにはいかなかった。「箱根山学校に来れてよかった。忍さんに出会えてよかった」