箱根山学校の、自分の記録 – さいごに「自分の気持ち悪さに向き合って」

陸前高田市は箱根山。そこにある宿泊施設の「箱根山テラス」で行われた「箱根山学校」というワークショップに参加した。たぶん、ワークショップという言葉が最も適当とは思えないのだが、しかしその言葉以外に平たく説明することができない。ただ、何かを感じ、何かに気づくための、日常を離れた4日間であることは間違いない。

そんな箱根山学校での気づきの記録。最後は、台風の爪痕の影響でみんなが先に帰った後、自分だけがテラスに残って記した、ほんとうに一人のなかでの記録。


今回、おそらく何かの気づきを得たり、あるいはゆっくりとした時間を過ごしたり、そうすることで結果的に、本人が心の底から「すごくよかった」と思える、居心地の良い3泊4日になることを期待していた。結果的に「しのびー」本体は、とても苦しみを抱えた4日間だったというか、いつもの自分の有様ではない、さみしさとしんどさと恥ずかしさと、いろんな感情が入り混じった、自分にとって、とてつもなく気持ち悪いところばかりが見えてくる、そんな日々になった。そうであった自分に気づいたことは、とても重要なことで、あるいは今年の自分のコンセプトである「余白をつくる」もできていなかったのだろうし、あるいはいつかのワークショップの時のテーマで心に残っている「人と自分とていねいに関わる」が出来ていないということの現れで、それが日常に表出しているのに、そのことに日常では気づいていなかった、ということである。

気持ち悪さの元凶はいろいろある。

まずひとつが、自分が感じていた、look at meのさみしさだった。別言すれば虚栄心みたいなもので、肩書きとかこれまでの経験に依存した自分語りをしていた、あるいは、しようとしていたところがあったことに気づいて、そういうもので自分をオーサライズしないとその場にいられないと思ってしまう弱さにすごく驚いた。加えれば自己紹介で、それをうまく表現することができなくて、伝えられない・伝わらないということに打ちひしがれてしまった。変にプライドがあって、認めてもらいたいと思う部分が増幅して、それがきちんと表に出せなくて、だからというわけではないにもかかわらず、うまく周囲に話ができた感覚がもてなかった。さらに端的に言えば、ちやほやされてなかった感があった。気持ちよくないわけである。それを、心地よくない、と思っている自分の気持ち悪さが身にしみた、という訳だ。

もうひとつが、話をする人たちへの憧れ、あるいは羨望の気持ち。というよりも、嫉妬であった。しかもそれは、悪い方の嫉妬に感じていて、「いや俺だって」って言っても、自分が足元にも及ばないと思うほどの成果を出している人たちに、勝手に自分の自尊心を下げていた。勝手に、である。だから本来、素直になれば多くの学び・気づきが得られたはずなのに、それぞれがそれぞれに、自分の分限を理解した上で、すべきことをただしているだけだし、そのスタートには「想い」があり「きっかけ」があり「流れ」があり「出会い」があり、そうしていまの形になっている訳で、そのプロセスには失敗も当然付いてまわっていた訳で、それはきわめて人間的で、またみんなによくあることなのに、それを「すごいなぁ、いいなぁ、でも俺もああなりたいのになぁ」と後ろめたく見ている自分がいることに気づいた。気づいてしまうと、肥大化した自尊心の存在を、しかし何もしておらず、まだできていない自分に気づく。そして、ヘコむ。

4日目、一人ひとこと言わねばならないようなシーンで、初めて「パス」をした。我先に話して目立ってなんぼ的な自分としては、とても珍しいことのように思えたが、全く言葉が紡げなかった。この時に、おそらく確信として気がついたのは、いつもの自分は、うまいこと言おうとしたり、顔色を伺ってみたり、それでドヤァといった感じを出してみたり、そういう、上からなのか、または自分を大きく権威があるように見せようとしていたスタイルが日々のコミュニケーションの中に出ていたということだった。だから、あえて顔を見ないようにして、最後のチェックアウトを話してみた。それでもまだ、全てを吐き出し切れたような感覚にはなれなかった。いつの間にか、自分の真なる素直な声を聞くことができなくなっていて、他人の承認なしでは、自分から自分を信じられなくなっていたのかもしれない。

気づいたのが今でよかった。やっぱり僕にも、得意と不得意、できるとできない、がある。そこに等身大になろう。

やっぱり響くのが、「陸前高田はひらきなおるしかない」のセリフで、これは僕も同じことだ。もう一度、余白を、ていねいさを、少しずつでも取り戻していこうか。多分、時間はかかるけれど。

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