リクエストに合わせて500字の文筆をしてみる

やるべきことが多いのに、やる気が出なくて、ヒマに思えていたので、ブログでも書こうかと思ったけど、書くネタがなかったので募集してみたのだが、いろんな人がいろんなリクエストをくれたので、書けるものは一つずつ500字程度で書いてみることにした。


「初恋の味わい」:Yayaさんより

甘酸っぱい、というのが「初恋」というイメージなのだと思うが、はて初恋の味わいというのはなんなのだろう。もしそれが切なさをはらむのならばちょっとした苦味なのだろうし、思い起こすだけで目をつぶりたくなるとしたらそれは梅干しのようなしょっぱさなのかもしれない。

ところでこのテーマをリクエストしてきた人は、私が以前撮影した、昭和のカルピスのポスターの写真を見て「えんしのの初恋は?」と絡んできたことがあるのだが、あらためて調べてみると、カルピスの創業者である三島海雲の学生時代の後輩が「初恋の味」というコピーを考案したらしい。三島自身もその後輩に「子どもが聞いてきたらどうする」と問うたそうだが、その後輩は「初恋とは、清純で美しいものだ」と。

はて。

正直初恋は思い出せない。思い出せないんだが、どうやらそれは保育園時代だったような気がしている。名前も思い出せないんだが、同い年だけどすこし年上に見えたその女の子の、なんとなくの面影だけが思い起こされる。

ううむ、あの子は誰だっけな。

ただ、その「なんとなくの面影」は、思い出せないなりに、ちょっと記憶を味わうには、ちょうどよいのかもしれない。


「チューバ吹きの休日」:Yuichiroさんより

チューバという楽器を聞いて、すぐにその形を思い起こされるのであれば、わりと音楽にはお詳しいだろうと思う。でもだいたい2/3の確率で「ええと」という反応をされるので、「金管楽器のでっかいやつ」と伝える。そうするとだいたい「ああ、あれね、ぐるぐるしたやつ」と言われるのだが、だいたいそれはスーザフォンのことではないだろうか、と思う。

とにもかくにも、私は吹奏楽生活のなかでずっとチューバを吹いてきた。サイズ感は米俵で、重さは10kgで、なんというか、子どもを抱えているのよりしんどい。吹奏楽だとほぼ楽曲中は演奏しっぱなしだが、オーケストラだとながいこと休みになる楽曲が多いので、その時には抱えていられないので、だいたい床に置く。そしてそのまま本番中に寝たことがある。

そんなチューバと離れて6年ほど経つ。さすがに中古であっても自分の楽器を買うには至らなかった。長らく「休日」が続いている。んじゃ買うかといわれても、中古でも60万円はくだらない。ちょっとそれは厳しいかな、と。吹ける楽団と、置ける場所と、運べる車と、買える金がそろうならば、長い休みから明けることができるだろうな、と。


「マッチングアプリ内におけるヒエラルキーについて」:Momoさんより

やったことがないので、そもそもヒエラルキーが出来上がる構造がわからない。


「できない新人の教育」:miさんより

新人層の教育については、自分自身は個別にOJTを担当した経験はほとんどないのだが、とはいえ新入社員研修を長らく行ってきたこともあり、いろいろ思うところがある。とはいえ、私がとやかく言うよりも、世に出回っている本を読んだ方がよっぽど良いのかもしれないと思っている。

ところで、この「できない新人」という捉え方が、実は問題解決のポイントになるような気がしている。その「できない」とは、何ができないのだろうか、そして何と比べてできないのだろうか。その「できない」というのは、一時的なものなのか、長期的なものなのか。そして、その「できない」というのは、批判的に捉えられるべきことなのか。

おそらくこのテーマを出した人は、その新人のパフォーマンスが、その時期において想定される「これくらいはできていてほしい」というレベルに到達しておらず、それが継続していくことを、「いけないことだ」と捉えているだろう。その人の行動改善をするのに必要なことは、私が思うに、まったく同じ捉え方を新人本人が持つことであり、そのために必要なことは、根気強い「フィードバック」だろう。詳しくは、中原淳氏の本を読んでみて欲しい。


「コンソメスープに関する思い出」:Ryutaさんより

子どもの頃から電車好きで、新幹線はいまだに心が躍る。ただある時から飛行機の方が好きになってきて、今では関西出張でも飛行機を使っている。そりゃ席幅の横幅も広いし前との間も広い。それでも飛行機を選ぶのは、たぶんコンソメスープのせいだ。

小学生の頃に好んでいたのが、JALのビーフコンソメだ。ちなみに、高校生になるまで飛行機には乗ったことがない。でもスーパーで売っていた粉末スープのなかで、JALのビーフコンソメがとても大好きだった。クルトンが入っていて、その食感を楽しむのが好きだった。

人生初飛行機はオーストラリア行きのSQ便だったが、その機内にはスープはなかった。その年に行った修学旅行で初めて国内線に乗り、機内サービスで初めてコンソメスープを頼んだ。沖縄に向かうというのに、熱いスープを頼んだ。それはその小学生時代の記憶があったからだろう。

今ではほぼ間違いなく「ホットコーヒーとコンソメ」という組み合わせで出してもらう。よほど特徴的な頼み方なようで、あるとき往路でご担当いただいたCAさんが復路で隣席になり、降り際に「昨日ご搭乗されましたよね」と声をかけられた。

案外、コンソメが好きだ。


「ココロとカラダ、にんげんのぜんぶ」:Naokiさんより

「ココロとカラダ、にんげんのぜんぶ」というのはオリンパス社のタグラインである。さて、ここからなにを膨らまして考えようか。

オリンパスといえばカメラのイメージだが、実は亡くなった父はカメラマンを目指していたので、キヤノンのレンズを持っていた。自分がカメラを買う際にはキヤノン一択だった。そんな私が現在所有しているカメラは70Dという製品だが、最近我が弟が6D MarkIIという、まぁ値の張るカメラを買っていて嫉妬した。とはいえ、写真は、人のココロを映し出す表現の一つであることには納得がいく。ちなみに、宮崎あおいはかわいい。

ところでオリンパス社といえば内視鏡というイメージがある。そろそろ私も胃カメラを飲むお年頃だが、あまり自信がない。というのも、いつだったか喉を痛めて耳鼻科にかかった時に、鼻から内視鏡を突っ込まれたことがあるのだが、その際「我慢しろ」と言われたのに、結局ゲップが出てしまったことがある。我慢ならなかったのだ。まだちゃんと自分のカラダを映し出してもらう経験はない。

見えやすいものより、見えにくいもののほうが、先に表出されている。まだ、ぜんぶは映し出せていないという不思議。


「扉の向こう」:Akiraさんより

「扉の向こう」といわれたときに、その向こう側にはなにがあると想像するのか。

扉は、ある世界ともう一方の世界とをつないでいるものだが、さて「扉の向こう」と聞いたとき、向こう側はこちら側に比べて狭いのか、それとも広いのか。扉を、入り口と捉えるのか、出口と捉えるのか。

どうだろう、自分の場合は空間的な捉え方というよりも、既知か未知かでとらえているのかもしれないな。扉の向こうは、開けたいと思う時はだいたい未知の世界だったりするのかもしれない。

2年前に瀬戸内国際芸術祭を訪れた際、それは期間の初日だったのだが、小豆島の土庄の「迷路のまち」に「目」という作品があって、家の中が迷路になっているみたいな作品なのだが、だいたい「扉」という「扉」が開かない。で、「扉」だと思っていないものが開いて、その向こう側に行ける仕掛けになっている。私も、だいぶ騙された。

そのゴールは、冷蔵庫だった。外にでるには、冷蔵庫の扉を開け、中に入らないといけない。扉の向こうは、中だと思ったのだが、実は外だった。この作品が、私にはどうにも忘れられない。なぜなら、その冷蔵庫の扉を閉めたのは、コシノジュンコ氏だったからだ。


「パリ、テキサス、千歳烏山」:Akiraさんより

3つの地名がここに書かれていて、私がちゃんと訪れたことがあるのはパリくらいしかない。テキサスも、千歳烏山も、経験がないから語ることがそんなにない。しょうがないからググった。そうしたら、「パリ、テキサス」という映画があることはわかった。しかしそれも観たことがない。

ところで、パリに行ったのは2年前のことで、長期の欧州出張のなかで訪れた。しかし私が話せるのは流暢ではない英語と少々のドイツ語で、フランス語の美しい響きには聴き心地の良さこそすれ、まったく言っていることが分からず心許なさがあった。ついでに、オランダ・ロッテルダムから乗り込んだタリスが夜に到着したのはパリ北駅で、噂によれば治安の良くない駅だとのこと。到着してすぐに「ヒヤヒヤ」だったことが思い起こされる。

パリも、テキサスも、千歳烏山も、自分にとっては残念ながら馴染みがない。馴染みがない街は自分をドギマギさせてしまう。ではその、馴染みとか、落ち着きとかは、どのように形成されるのだろうか。その答えは案外単純で、自分が知っていることに触れられるかどうか、というだけの話だ。

その意味ではよっぽど、まだ知らない場所がたくさんなんだな。


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