実家に帰って半年経って気づく、「長距離通勤の条件と変化」

週末、ゆるゆるとブログを書きたい気分になりまして、こんな感じで書いております。

故郷の古河に戻り半年以上が過ぎました。現在、1時間半通勤を毎日のように行っています。

こんなのをFacebookでネタとしてつぶやきまして、その「織り姫に会えない」という下りについてはどうでもいいとして、ポイントは「利根川と荒川を毎日のように超えている」という部分。我が同僚(というか上位職級者)をして、こうもいわしめるほどの距離です。

あれは、正気の沙汰じゃない

私も、試しにやってみようと、ノリで始めたものの、3ヶ月くらいで挫折するつもりが半年以上も続き、それどころかまだこれからも続けられそうに思えるくらいです。なぜそれができるのか。それはひとえに、また条件がそろったからだと言えます。私はかつて、長距離通学をしてきた人間ですし、それをまとめた件の記事は未だに検索されて読まれているようですが、その当時の条件は未だに当てはまりそうです。

今回は、「条件」と「変化」を3つずつ、書きたいと思います。だれかの役に立ちますように。

まずは、条件を3つ挙げていきますが、よくよく考えればその条件は、長距離通学の5条件と大して変わっていません。ただ、特に長距離通勤において求められる要素として更に厳密さが増したものと、新たに加わったものを記載します。


長距離通勤を可能にする条件1:確実に座れる

これ、あたりまえのようで本当に大事な要素なので、絶対にそぎ落とせません。そして、これを実現できる駅に住んでいない場合には、絶対に長距離通勤をしてはいけません。それは、長距離通学よりも厳密に求められる条件となります。

その理由は単純に、毎日だから、というもの。ある程度自分の裁量によって時間の柔軟性を持てる大学生時代と異なり、ごくごくあたりまえのコトとして、毎日就業する、という会社員生活においては、やっぱり体は曜日を重ねるごとに疲れてきます。オフィスでの裁量のパフォーマンスの発揮のためには、それ以外の要素で体を疲れさせていては無意味です。

その意味で、我が地元の古河はやはり最高です。絶対に座れます。それがどの時間帯であろうと、朝から座れなかった試しはありません。むしろ、土日の10時頃に東京に向かう時のほうが座れないのですが、通勤ラッシュとは、というレベルの余裕さがあります。そのまま品川まで1時間半、乗りっぱなしで一本。この朝の時間の快適さは、私に二度目の睡眠を提供してくれます。体には負担を掛けているかもしれませんが、この幸せなことといったら。

帰りも帰りで快適です。東海道線直通の列車で空き座席を狙うか、はたまた上野始発を狙って着実に座るか、どちらにせよ1時間の、体を楽にする時間は確保できるのです。なんと幸せなことか。ただこの幸せは、たった一駅、利根川を超えて埼玉県に入ることでとたんに享受できなくなる。たった5分でその差が生まれてしまう、それはもはや運命としか言いようがありません。

長距離通勤を可能にする条件2:自分の裁量で仕事をコントロールできる

私が今務めている、人事・育成担当という仕事は、簡単にいれば売上には一切直接的にストライクしないコストセンターですから、残業をするとかはもってのほかの部署です(この点は後ほど振れます)。ただその一方で、クライアントが社内の人間である、という点では、お客様相手の仕事よりは多少、ほんの多少、仕事の自由度があります。併せて、企画屋という仕事の特性上、仕事のスタートからゴールおよび振り返りまでのタイムスパンがわりかし長めに設定されており、その点でも自由度が高いと言えます。

実家から通う、という選択を後押ししたのはまさしくこの条件です。

まずそもそも弊社の始業時間は10時。しかし、フレックスタイム制度のおかげで、コアタイムである11-16時を確実に会社で過ごせれば問題なしとされています。これは何において大事な「裁量」かというと、まず長距離通勤にしては朝がそんなに早くなくていいという点と、電車の大幅な遅延にも柔軟に対応出来るという点です。

もちろん、朝10時ぴったしから、いや、9時からの会議とかもあるのでそういうときにはしっかり通勤しなければなりません。いつでも自由が利く、というのは大嘘です。ただ、この「幅」があることで、どうしても通勤がしんどい日はゆっくりめに、逆にしっかりと早く来なければならない日は早く、とメリハリがつきます。

朝の出勤の時間の問題だけでなく、帰りの時間、言い換えれば「いつを、仕事の『終わり』とするか」をある程度柔軟に決定できることが大事な要素にもなります。もちろん社会人として、その日の限られた労働時間のなかで最高のパフォーマンスを発揮するための計画をきちんと立てることはとても大事なので、無計画にだらだらやれる、という意味ではまったくありません。しかし、企画屋としての立ち回り方は、ステークホルダーの巻き込み方次第ではありますが、ある程度プロジェクトのプロセスの進捗に自由度の幅を持たせてくれます。

私は大学時代の「残留」の癖から、際限なくどこまでも会社に居続けても全く苦にならない人間でした。蒲田在住時はそれのおかげで「やるべき事が終わるまで」であれば時間を気にしない生活でしたが、終電が早くなる、といういかんともしがたい事情によって、「時間を切って会社を出る」ということができるようになりました。これは、後ほど触れる「劇的な変化」に影響していますが、一方でいまの仕事・ミッションでない限りは、長距離通勤は破綻する、というのも思っているところです。

長距離通勤を可能にする条件3:移動することが苦ではない

これがもっとも大事なものです。人ひとり分の幅しかなく、両隣には座っている人、目の前には立っている人、限られた空気をすわねばならない狭い空間で、PCを広げても、本を広げても、iPadでアニメを広げても、四方八方から視線が一度は振ってくる。

私はこれに耐えることができる人間です。もとい、耐えてすら居ません、何も感じていません。

本当にこの空間がダメな人はいるはずです。慣れの問題でもないと思います、おそらく先天性のものだと思います。後天的に開発できたとしても、そもそも「無理」という人は一生かかっても「無理」です。


以上が「条件」です。これに当てはまらない人は、諦めて下さい。これにあてはまるのであれば、以下の「変化」をあなたも享受しましょう。

長距離通勤によって訪れた変化1:残業が減った

とても大きな変化はこれです。本当に残業(一応この言葉を使っていますが本来的には「在社時間」です)が減りました。

私のスタンスは、在社時間中にも、結局休憩的な、集中しきれていない時間もあるのでそこはきちんと抜くべきだと思っています。ただ、現実問題、蒲田のシェアハウス時代は、1日8時間の就業時間ではとてもとても間に合わないほど忙しい生活を送っていたと思っています。ただ、今となればそれはあきらかに、効率性を無視した怠惰な生活だったと言わざるを得ません。

繰り返しますが、終電が早くなったおかげで、在社可能時間が減りました。そもそも会社に居られません。すると、そもそもそんなに会社に長居する必要性すら疑い始めます。実際、そんなに長居する必要はないと気づきます。加えて、仕事のコントロールができるようになってきました。入社当時の、とにかく物量をこなすことで質に昇華させる、という時代からある程度年数が経ち、良い意味で慣れてくることによってそれが可能になったと思います。

そのおかげか、ここ3年間のピーク時の時間外労働時間の1/3程度に、ここ半年の平均残業時間が収まってきています。なんとそれは、私の繁忙期である新人研修を担当する4月・5月においても同様だったから驚きです。

基本スタンスとして、私は「1日8時間」という時間的制約に縛られて仕事をするのが大嫌いな人間です。仕事を、会社にコントロールされ、会社から強制されてやっている、という自覚がないので、際限なく突っ走れてしまいます。その「突っ走る」は、どこかでブレーキを掛けないといけない。となったとき、この「終電が早い」は、絶大な効果を発揮しました。

長距離通勤によって訪れた変化2:アニメの視聴時間が増えた

長距離通勤の期待として記載した記事においては、以下のような効果を期待しました。

朝のメールチェック、企てのための思索、読書やニュースチェック、ブログ更新、睡眠

結果、なにをしたかと言えば、朝は睡眠、夜はアニメ鑑賞ないしはネットサーフィンでした。非常に非生産的な過ごし方です。いいかえれば、クズです。

しかしあなどるなかれ。アニメ作品ほど、社会人になってから見ることで心を打つものはありません。みなさんはそうやって「ヲタか」と思うでしょうか。としたら、みなさんは分かっていない。文化的「肥やし」は仕事に生きる思索を与えてくれます。その時間枠が増えたことは、単純によろこばしいことです。

とにかくヒマな電車の中なので、オンデマンドサービスで映像をあらかじめDLして置いて見るのですが、その中でもこの半年で、「いまさら見た作品」としても印象に残っているのが、「ラブライブ!」と「ちはやふる」です。全部併せて48話、一気に見ると24時間かかる計算ですが、帰りの電車で1日3話見るとして、16営業日、つまりほぼ1ヶ月で見られるのです。毎週の放送を待たなくてもできるこの一気見を通じて、「リーダーシップとオーナーシップ」「チームと個のパフォーマンス」「ビジョンとストラテジー」とかを考えるわけです。

一件無益に思えて有益、これは私にとって大きな変化です。

長距離通勤によって訪れた変化3:落ち着ける場所と時間が増えた

たとえば今こうして記事を書いているカフェ「Ocha-Nova」は、大学時代からの行きつけのお店で、よくブログ記事や仕事をしていた環境ですが、2年半の蒲田生活では、この場所に代わる場所を見つけることはできませんでした。

たとえば毎週末入りに行く銭湯。蒲田時代には、ブログ記事を書いてしまうほどに多くの銭湯に行きましたが、郊外地域の広いスーパー銭湯にはどうやっても勝てません。最近働き始めた妹が日々使う車を日曜の夜に拝借して、やや遠めの場所まで飛ばして入りにいく風呂は格別です。

たとえば今日も行ってきた渡瀬遊水池ですが、多摩川を散歩するとかジョギングするとかいう思考にはまったくならなかった蒲田時代が不思議です。3時半から5時半くらいまで、遊水池を折りたたみ自転車を飛ばして運動をしていました。

本質的には安定を求める私が、長距離通勤をしてでも郊外型の古河という地元に戻ったことで、やはり手に入ったのは安定なんだと思います。決して、蒲田時代のシェアハウスが「安定」ではなかったとは思いません。むしろ楽しかったし、またシェアハウス暮らしには戻りたいと思います。しかしやっぱり長く慣れ親しんだ地元は、実はまだ僕が開拓できていない場所もありつつ、流れる時間軸が東京のそれとはちがう。

もっとも、東京まで1時間なので、実は蒲田から渋谷・新宿といった場所に用事で出向いても、同じくらいの時間がかかっていたことを思い出せば、用事があって出かける日ではない時に落ち着いて過ごしたい場所をどう見つけるかというのは割と大事な問題だったりします。一定、都心から離れる、というのは、私にとっては必要なことだったようです。


以上が「条件」と「変化」です。

おそらくですが、しばらくはまだこの生活を続けると思います。ちょっと目移りするシェアハウスもあるにはありますが、東京に住むメリットよりも長距離通勤をしてでも地元に住むメリットの方が実は大きい。それをもう少し、続けたいと思います。

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