人事ごった煮、というコミュニティがある。企業人事たちが有機的につながることで、互いの課題や想いを共有していくという会。その、ある種明確なミッションを持たないところが好きで、とはいえ会のルールとして、全員がアウトプットすることを前提にしているところが好きだ。今年の3月から月例会に参加して、可能な限り毎回出ている。ネットワーキング会でコミュ障自認を出してしまう私としては、よく毎回参加しているもんだ、と思う。
そんなごった煮が主催する合宿イベントに参加した。コロプラさんが建てた研修施設「コロニー箱根」の、テストマーケ的な要素も含まれていると勝手に解釈しているので、存分に下見をしたのだが、貸してくださったコロプラさんとコロニーのスタッフさん、そしてごった煮運営各位には頭が上がらない。
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ところで、キーノートスピーチにあたる部分は、サイバーエージェントの曽山さん、そして対談企画として人材研究所の曽和さんとリクルートの柴田さんの話があったわけで、そのインプットがあったことは、その後の夜の時間を過ごす上でも必要なことだったと思っている。その辺の一連の話は、できる限りツイッターで実況しておいたのだが、まだ怒られていないので大丈夫だと信じたい。ちなみにその後、サイバーの曽山さんのみならず、なぜかライフネットの出口さんにフォローされて慄いた。
さて、一連のコミュニケーションを通じて思ったことを書き留めておきたくて、そのキーワードが、タイトルにある言葉である。一つひとつ見ていこう。
外にひろがる
つまりは、自社内にとどまらず、アウトプットをしてみることで、自分の考えを整理しながら、新たな視点や考えを得ていくことが大事だ、ということだ。
正直に言えば、「連携しましょう」とか、「またお話ししましょう」とか、そういう言葉は僕自身ついつい使ってしまうが、その実、あまり好きではない。本当に今後、何か一緒にするのかよ、って。言うからには社交辞令にしてはいけないと思っている。
で、今回のごった煮がどうだったかというと、おそらく参加した各社人事はいざという時になんら形で巻き込まれてくれる可能性が高いと見ていいほどに、外向き志向な人が多い。これは嬉しいことで、そのオープンマインドさは、課題の共有や解決の糸口探しにおいて、とても強力な協力を得られる。他社事例を聞いたり、相談を持ちかけることの、本質的な目的というのは、そのインプットそのものを直接活かすことではなく、自分の単一的近視眼をスワップさせることにある気がしていて、交流を通じてそれに気づくことができた。
たとえば、ある大手企業さんの人事の方で、その方はエンジニアを畑としているのだが、採用と育成の連関性をどのように保つのか、というイシューについて、議論になった際に、互いが互いの言い分に違和感をもったシーンがいくつかあった。で、それはそれで良いわけで、そこから新たな考え方の方向性を見出すことができる。特にその話の中では、経験勘度胸をいかにデータを用いて超えていくか、という点が議論になったのだが、さすがエンジニア畑出身で、そのお持ちの見通しに対しては学ぶ部分ばかりだったし、改めて、データ時代における人事の介在価値という、考えるべきお題をもらった。
と、こういうことは、結局、外に出ていかないと得ることができない。だから、「外にひろがる」というのは、きちんと機会として持ったほうがいいと再認識した。
中を深める
一方、結局は日々日々の現場というのは自社なわけで、人事は自社の起きていることをきちんとを見通す必要がある。別言すれば、そのことに関心がもてなければ、おそらく人事はやっていけないと思うし、その見通す力がすなわち人事力とも言っていい気がする。
印象的だったのは、リクルートの柴田さんの話に出た、社内をふらつくというもの。人事としてふらつくのではなく、1人のおっさんとしてふらつくことで、そのうち声をかけられるようになり、そして様々な声を聞くようになる、と。そのモデルと同じようなことを、とある会社さんが、熟練の再雇用の文脈で実施しているという話になり、この話の内容はその後もいろんなところから「印象に残った」と聞こえてきた。
実はこれって、自分自身が体感的にも納得していることで、私自身も新卒研修担当時はよく夜の徘徊というのをやって現場をふらつき、現場の研修協力者と話をして情報を掴んでいたという経験がある。それに、こういう動きを取ることは、早稲田のビジネススクールの入山先生も、知のブローカーが大事っておっしゃっているのでよく分かる。そしてそれ以上に、現場でなにが起きているのかをきちんと見通すことができるという点では、おそらく人事としては欠かせないのだろうと思った。
じゃぁ、そうして社員に寄り添うだけが必要なのかというとそうではない。これはサイバーエージェントの曽山さんの話から引っ張ってくるのだが、人事は当然、社員のことを考えて制度や運用をすべきだが、一方でよかれと思ってやったことが裏目にでることは往々にしてあるし、しかしまた一方で制度導入によって現場がシラケることもあるわけである。なにより、経営戦略の重要要素として人事を捉えるべきで、その点からいえば、経営にもきちんと寄り添い、同じ視座・同じ言葉で説明ができるというのも必要になってくる。
経営と社員と、双方をきちんと見通すには、どちらの方向性にせよ、なにがどう起きているのか、それはどうなりそうなのかをきちんと把握することがはじめの一歩になる。全部は無理だとしても、深めようとする真摯な姿勢が人事には求められるのだろうと思った。
その双方に灯をともす
月並みかもしれないが、外に広がるにせよ、中を深めるにせよ、そのプロセスで、きちんと先を見通すビジョンを持てるかどうかはとても大事なのだと気づいた。実現したい世界、提供したい価値、それはなんなのかを常に考えながら、おそらく誰よりもそれをとうとうと語れることが大事なんだと思った。サイバーエージェントの曽山さんは、それを「ワクワク」と述べたし、人材研究所の曽和さんは、幕末の志士たちを例に取り、彼らが果たそうとした目的の話を引き合いに、(勝手に解釈して短くすれば)他者に対する価値還元と述べた。
人事としてどのような価値もたらすことを目指し、自社が社会にもたらす価値をどのように捉えて語るか。そのビジョンが魅力的であればあるほど、取り組むためのモチベーションが上がるということは、自明のことなのだけれども、あらためてそれが大事なのだということを強く感じた。ありがたいことに、自分は割と明確にそのことに自覚的であって、だから人事の仕事を楽しく取り組むことができている。
実はたまたま、参加者のなかに弊社の元社員がいて、弊社談義で盛り上がったのだが、自社に対して自分が感じている課題とか、あってほしいと思っている姿とか、そしてそれ以上に、弊社のビジネスがもたらす社会的価値とかが、かなり明確に自分の中にあるということに気づくことができたし、それが自信にもつながった。おそらくこの先すべきことというかしたいことというか、そういうことにも気づくことができ、非常にありがたい対話をすることができた。が、それは結局、自分の中に、信じられるビジョンがあるからなのだろうと思う。
外にひろがる時も、中を深める時も、その双方において、自分の目指すビジョンをきちんと照らして見える状態にしておくことが、なにより成果を出せる人事には必要なんだろうと思った。
そんなこんなで長々とした学びの記録。こうして残しておかないと、「あーコロニー箱根よかったなー」しか思い出せないので、寝る前に書いておこう、と。そして相変わらずFacebookでひけらかして自己顕示欲を満たそう、と。そう思わせるほどに、いい時間を過ごすことができました。明日からも仕事がんばります。
追伸:上の写真は、ごった煮主催・三浦さんより拝借
そんなことを言いながら感傷に浸って過去の交流会の後の記事を読み返していた。たぶん、ファウンダーの手を離れても、ここに書いたような「外に広がる。中を深める。その双方に火を灯す。」というのは、コミュニティの「出汁」として継ぎ足し続けら… https://t.co/5wfim4nMNe
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