2023年は「マイメンター」を一緒に取り組むパートナー教員を探したいと思う

2022年がもうすぐ終わるので、振り返り記事を書こうと思ったものの、さらっと書けそうなライトなネタには乏しく、2022年の大きな変化であった「障害者雇用担当」としての仕事に関する振り返りを書くには腰が重いように感じている。でも、このタイミングにつけこんで、何か文字化しておきたいという衝動に駆られたこともあり、先んじて2023年の目標を一つ掲げておこうという気になった。

2023年は、教員時代の最後の1年に取り組んだキャリア教育実践「マイメンター」を、学校現場に本気で導入したいと思う現場の先生を探したいと思う。

2023年の3月までにパートナーが見つかれば、もちろん2023年度中に実装できる。ただ、そんなにすぐにことが動くとも思えないので、遅くとも2024年度に実装できるようにしたい。そんな見通しで動いていこうと思っている。これに限らず、2023年も教育現場に関わりを持てるようなアクションを、どこかの団体に属するでもなく、フリーランス的に取れたら、と思っている。


「マイメンター」とはそもそもなにか

教員としての最後の1年となった2021年度に、私が勤務校で取り組んだキャリア教育の実践が「マイメンター」だ。中学生1名に対して、2人の社会人をメンターとしてつけ、2ヶ月に1回・年間5回、45分の「対話セッション」をオンラインで実施する実践だ。45人の生徒が2クラスに分かれているので、関わる社会人は生徒と同じ数で充足するわけだが、結果全国から、事業会社人事・人材系企業勤務・国家資格キャリアコンサルタント保有者をはじめとする45人の大人たちがプロジェクトに参加してくれた。

今年8月、以下の記事を「先生の学校」に寄稿し、掲載いただいた。

また、9月に取材を受けた以下の記事でも、「マイメンター」のことを書いていただいた。

上の2つの記事では、社会人と中学生の対話セッションの話を中心に取り上げたが、そもそも「マイメンター」は、「えらんだミチをかたる」というタイトルでデザインをした、総合的な学習の時間の通年カリキュラムの中の取り組みの一つとして位置付けたものだった。その、総合学習の全体像については、「先生の学校」のオンラインイベントにおいてお話をさせていただいた。

このイベントでは、社会人と中学生の2on1対話セッションである「マイメンター」を、どのような意図で企画し、どのような学習活動に対して位置付け、どのような効果を狙い、どのような背景のもとに生んだのかを説明したのちに、メンターとして参加した社会人・その社会人が担当した生徒・私の同僚だった教員・そして私の5名でパネルディスカッションを行った。一部とはいえ、「マイメンター」の学びに取り込まれた人々と「あれはなんだったのか」を振り返るような時間を過ごせたのは、とても豊かな時間だったと反芻している。

他にも、Teach For Japan関係のイベントで3本、「マイメンター」の参加者の多くを占めていたグロービス経営大学院の本科生・アラムナイで構成される教育クラブのイベントで1本、そして高校時代の恩師が教鞭を取る東京学芸大学の生涯学習コースの授業で1本と、「マイメンター」をテーマにした講演をしてきた。教職を辞したにもかかわらず、なんだかんだいって、3年間の教員生活の集大成ともいうべき「マイメンター」の成功の余韻に浸り続け、成功談として語り続けた1年だったと思う。


「マイメンター」がもたらしたもの

転職と共に東京に戻ると、「マイメンター」をご一緒した社会人たちの多くが在京のビジネスパーソンであったこともあり、全員とは言わないが、何人かと邂逅する機会に恵まれた。かねてから私の友人知人であった方が参加してくれたケースもあったが、いっさい対面でお会いしたことがない方がメンターをしてくださったケースもあって、そういう方の場合、「あんだけお世話になっておきながら、これがはじめましてですね」なんて挨拶に至ったケースもあった。

ある参加者は、私の勤務する会社の隣のビルに勤めていて、それでランチをご一緒したのだが、生徒たちに自分が勇気づけられたことの方が多かった、という声を寄せてくれた。また別の機会では、2人ペアを構成した方々と私で食事に行くということがあって、終始担当してもらった生徒に関する話で盛り上がったのだが、それだけ誰かの成長に関わるということについて難しさとやりがいを感じることができた貴重な機会になったと言ってもらえた。

社会人どうしのペアリングには、いくつかの意図を発動させたところがあったのだが、そのうちの一つが、私がTeach For Japanの赴任前研修を受けた際にオブザーバーとして研修に参加してくださった海外在住の私学教員と、Teach For Japanのフェロー候補生という組み合わせだった。そのフェロー候補生は2022年の4月から中学校英語教員として実際に自治体に赴任したのだが、ペアのメンターどうしでその後も交流を続けた結果、海外在住の私学教員が指導している日本への留学を控えたアジア人の学生と、TFJフェローが始動している日本人中学生とを、オンラインで繋いで交流するという授業が実現していた。

「えらんだミチをかたる」という総合学習の通年カリキュラムで目指していたのは、「生徒たちが誰一人として、自分が選んだ進路の理由を『なんとなく』と言わない」ということだったのだが、それ自体は見事に実現させることができた。もちろん、第一志望に合格できなかったという生徒もいたが、その場合もきちんと自分なりに進路の「おとしまえ」をつけて、晴れやかに卒業していった。しかし、その成果に限らず、関わった社会人たちにも良い影響が生まれていたことも、自分にとっての嬉しい知らせだった。

あるメンターから、転職したという連絡をもらった。その転職のきっかけには、「マイメンター」で生徒たちの成長を見守ったことが含まれている、という話だった。曰く、もともとは人材系のコンサルティングを行う仕事をしていたが、人が育つことに直接関わっていくような仕事をしていきたいという思いが芽生え、事業会社の人事として転職することを決めたとのことだった。「マイメンター」に関わることで、生徒の進路実現を後押しするだけにとどまらず、自分自身も学びを得ることができた、とのことだった。「えんしのさんの目論見にまんまとハマってしまいました」とも述べていた。

かくいう私も、現在の仕事に転職するきっかけとなったのが「マイメンター」である。生徒たちのキャリア形成を支援するプログラムを運営しながらも、自分自身のキャリアの見通しが全く立っていなかった2021年。しかしそれが急展開を迎えたのが2022年に入ってのことで、メンターとして参加していた社会人のうちの1人が、「私の後任になりませんか?」とお誘いをしてくださった、それが今の「障害者雇用担当」としてのポジションである。その誘いの背景が、「これだけのプロジェクトを運営できる人だからこそ、後任として仕事を任せたい」というものだったことも嬉しかった。

惜しむらくは、関わった社会人どうしを有機的に繋げていく取り組みが十分にできなかったことだが、ただ多くの社会人メンターたちが「またやりたい」という声を寄せてくれていた。他方、「マイメンター」のプロジェクトは、「二度とできっこない」と思いながら、再現性をガン無視して取り組んだものだった。しかし、社会人たちの「またやりたい」の声を、その可能性を、無きものとするのは勿体無い、と思うようになってきた。


やはり教育からは離れられない

さて、2022年3月末で教職を辞し、障害者雇用という新しいフィールドに身を置き始めたのだが、学校教育から完全に足を洗うことにはならなかった。

秋口に、同僚だった教員から連絡をもらい、何かと思ったら授業のアイディアが欲しいとのことだった。曰く、私が教員1年目だった2019年に担当したPepperを用いたプログラミング学習に取り組むことになり、どのように授業を構成していけばいいかについて考えを聞かせて欲しいとのことだった。勤務していた学校は2022年、全国規模のフォーラムでの学校公開を控えていたこともあり、相談をいただいた同僚は、公開授業の構成に迷っていたようだった。

学校現場のことは、そして学年の生徒のことは、教員自身がよく知っている。たまたま、同僚が担当していた学年の生徒たちのことは、彼らが小学生時代に外国語活動を指導していたこともあってイメージがつきやすかったわけだが、それにしたって生徒たちの実態を把握しているのは他ならぬ学年教員である。それでも、総合学習の授業設計において、どのような方向性でまとめていったらいいかを考える際に、私を頼ってもらえたのは嬉しかった。

筑豊エリアで教員をしていた最後の年に立ち上げたコミュニティであるGEG Chikuho では、教員を辞した後も引き続きコアチームに残り、オンラインイベントを実施した。教員の働き方の改善をテーマに、民間企業に勤務する人々とのパネルディスカッションを実施する、というイベントを仕立てた。教員と民間の人間が対話をする時間を設定できたことに意義があったと思う。

この、GEG Chikuho のコアチームに参画している福岡の中学校教員が総合学習担当であったことから、その教員の勤務校の中3を対象とする総合学習のコーディネートに関わった。もともとは、「探究学習をやりたいが、どうしたものか」というその教員の声に呼応して、まずは自分が壁打ち相手として授業構想を一緒に考える打ち合わせを行なった。そこでその教員が言っていたのは、「地域との関わりの中で自分の進路を考えて欲しい」ということだった。そこで提案したのが、地域をより良くしようとする大人たちの話を聞き、その上で各自でアウトプットをする、というものだった。

この学年は1学年7クラスあり、担任・副担任で合計14名の教員集団がいた。そこで、地域をより良くするためのアクションを行なっている大人たちを、異なる分野から14名集め(実際の着地は13名だった)、生徒たちにはどの分野の大人の話を聞きたいかの希望を取り、クラスをミックスしてグループを構成することで、1大人あたり20名程度の生徒が話を聞けるように仕立てる、という案を提示した。大人たちの話を聞いた後に、グループでポスター作成、そして個人でエッセーを書くことを通じて、自分と地域の関わりのなかで進路を見通す、という実践だ。

その大人たちとの日程調整や内容調整のやりとり、および20名程度の生徒が話を聞く際のモデレーターを、1大人あたり1教員がそれぞれ担当することで、教員にとって「社会リソースとのつながり方」を学ぶ機会になるという目論見だった。そのために、14のカテゴリを設定し、地域で様々な分野で活動をする大人たちを集め、趣旨を説明して学校につなぐ、という役割を担った。もちろん私だけでは14名の大人たちのリストアップは叶わなかったので、ハブとなる協力者の力を借りて、地域人材を学校につないだ。

これらの、福岡の学校教育への関わりを、現地に出向くことなくリモートで取り組んだのは、自分としても面白いと感じていた。そして、案外学校教育に関わり続けることはできるんだという気づきになった。だからこそ、あれだけ「再現できっこない」と思っていた「マイメンター」を、どこかで実践したいと思うようになった。


条件さえ整えば「マイメンター」は再現できる

実は「先生の学校」のオンラインイベントに登壇した後、その動画を見たという方から連絡をもらった。曰く、自分の自治体であれば、「マイメンター」ができるのではないか、ということだった。というのも、1学年あたり10名もいかない生徒数となっている小規模校がいくつかあり、そういう田舎のエリアこそ、都心のビジネスパーソンをメンターに置くことに意義がありそうだ、とのことだった。確かに、10名も行かない学年人数であれば、1生徒あたり2名のメンターをつけるとして、20名の大人を集めればいいとなると、実現性は高い。

そう考えると、「マイメンター」を実現させるための条件は何になるだろうか。少し考えてみると、

  • 現実的にメンターを集めることができる人数規模の学年人数である
  • 総合的な学習の時間をリードする教員が高いコミットメントで参画できる
  • ZoomやMeetを用いたオンライン通話に対して抵抗がない

といったことがクリアできれば、むしろメンターとして関わる大人はすぐにでも集まるだろうという見通しは立ちやすい。

ただ、年度当初から実施日程を確定させておく必要があったり、外部人材を多く関与させるということに対しての学校現場・保護者の双方の理解が必要になるという点においては、性急にことを進めることができない。だからこそ、2023年に実施ではなく、2023年内に一緒に進めていくパートナー教員を見つける、としたいと思う。

たとえば小規模校とご一緒することができたとすれば、関わった社会人のうちの希望者とともに、シルバーウィークにその学校のエリアを訪れるツアーを組んでみてもいいかもしれない。たとえば私がコーディネーターの立ち回りだけに専念できるとなれば、メンターとなった社会人たちをつなげるような取り組みをさらに行うことができるかもしれない。そんな妄想は広がっていく。だからこそ、まずはパートナーとなる教員・学校を見つけるところから始めねばならない。

仕事は変わったし、生活スタイルも変わったものの、自分のビジョンである

この生きづらい世の中で、勇気と気づきが、まだ見ぬ明日を切り拓く

にブレはない。その意味では、どんな立場からでも、関わる人すべてにとっての学びのハブとなりうる学校教育に関わり続けたいという意志は、潰えないんだろうと思う。

そんな2022年の暮れ。今年も1年、お世話になりました。

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