今度取り上げるSくんは、不動岡に来ていた留学生。出身はオーストラリアでも、僕が行ったパースではないわけで。昨年4月から不動岡の2年外語の仲間として一緒に過ごして来た。その彼が、10日20時の便で国へ帰ってしまった。やっぱり寂しいな。もっと彼と色んな付き合いをしておくんだったなどと思ってしまう。
彼はシャイな奴だった。だから最初のうちは「ゲストの様」だった。コチラから話しかけたりしてみたけどやっぱり最初はおぼつかなかった。でも外語の特徴にすぐに順応した、男との結束は早いうちにできた。クラスにも徐々にとけ込んだ。席替えの関係もあり、女子と話す機会も多く見られた。
初めて彼と過ごすイベントだったのが、学校祭。準備段階から一緒にSwar wars Pizzaをつくり、当日はダースベイダーvsアナキン(?)のアナキン役でショーにも参加していた。体育祭のタンスでは、女子の制服を着ると言う、とんでもない体験をした。そのうち上げとしていったディズニーランドは、本当に楽しかった。ライドはもちろんのこと、エレクトリカルパレードや花火を見ることも想い出に残っている。
剣道を体験したかった彼、日本文化をいろいろ見てみようとする好奇心があったみたいだ。公文式の学習法で着実に日本語の勉強をやっていき、いつしかそのプリントも膨大な数をこなしていた。漢字も多用し、送ってくるメールでも日本語を使うほど。夏休みを境に彼との会話は日本語が中心だった。夏休みに勉強をしているときに交わした「お疲れ」の一言が、やけに日本語らしかった驚きは今でも忘れていない。
月日が経つ中で、彼とクラスメイトの間にすれ違いがあったことも認めない訳ではない。実際彼自身色々つらいこととかあったのかもしれない。国民性の違いってものを感じた時期もあった。それでも彼と昼食のときに話したりするのはやっぱり楽しかった。その間にもどんどん月日が経っていくように思えた。
彼にスピーチを見てもらったこともあった。それを褒めてもらったこともあったなぁ。彼と一緒にいるときに、「enshinoと似ているね」なんて言われたときもあった訳で。
最後のクラスでの想い出となったのは修学旅行。何より夜遅くまで一緒に喋ってたのが印象深い。だって、マリンスポーツできなかったから、さらに夜のことが思い出される。なにより食事に苦労したようだ、彼はベジタリアンだったから。心から修学旅行を楽しんでくれたのか、少し不安でもある。
年末に一緒に行った第九。昨年2回目だったものの、やはりいい演奏を聴くことができてよかった。彼と二人で遠出するって言うのも初めてだったし。
そしてついに昨日、彼は帰った。帰国当日も学校に来て、集会で挨拶をしたのだ。彼の日本語の成果がそこに現れていたように思える。本当に凄く日本語が上達した。昨日はテスト。彼が学校を出るのは2時。送別会みたいなものをする暇もなく、集合写真も撮れなかった。オーストラリアでは、学校を去るときにワイシャツに寄せ書きをするのが常らしい。最後の一人が書き上がったときには既にテストが始まっていた。彼は消えるようにして去っていってしまった。
そのあっけない別れ方がやけに悲しくて。じっくり別れの挨拶でもしたかったのに。それだけが悔やまれる。だけど、彼は戻ってくる。文化祭のときに戻りたいと言っている。またあえる、メールもできる。これからも彼とつながっていたいと思う。
彼が日本で楽しい日々が送れたというのなら、この上ない幸せだ。
久しぶりです。
S君、とうとう帰ってしまったね。彼の頑張りはみんなが認めるくらいすごいものでした。帰ってもまた元気にしていてくれると思います。
久々にこのサイトを見て、みんな変わらず頑張っているのがすごく伝わってきました。俺も負けないように頑張ります。