これからの「コトバ力」

 「やってみたいな」と思う事を研究課題(=Project)として取り組み、その日々の取り組みをブログで公開していく。これがウェブログ第3ステージ「enshinoProject!」です。

 enshino コトバ力 Project! のテーマは、「これからのコトバ力」の育成。教育現場において、「コトバ力」を育成していく取り組みを研究・実践していきます。最終目標は、「コトバ力」を軸にした社会のあり方を提言できるようになること。大学在学中の4年間を通して取り組みたいと考えるProject!のひとつです。

 中学高校と、「コトバ」を使って表現する取り組みに意欲的に参加して来ました。スピーチ、作文、ディベートなどなど。そうした経験は、今振り返ると私の「コトバ力」を育んで来た経験だったなと強く感じます。また、たくさんの人とつながりを持つようなことも、学校生活や部活動などで経験して来ました。私自身のこれまでの経験は、必ずどこかで「コトバ」につながっていたように思います。
 私の「コトバ力」はまだまだ乏しい。ですがこれまでの経験は、私にとって実り多きものでした。もしもこれらの経験が他の人たち、これから中学生高校生になる人たちにも実り多きものになるなら、ぜひ経験してほしい。だから私が、私自身の経験を研究・検証したいと思ったのがそもそものきっかけです。

 さらに混沌としていく社会。これからの「コトバ」と社会のあり方は容易に想像できるものではありません。それでも、いつの時代も『これからの社会』を生きるのは子どもたち。「コトバ力」によって他者とつながり、そして社会を創っていける、その力に期待したいし、伸ばしたいのです。

 問題意識や観点などはまだまだ素人同然ですが、以下に現在のそれらをまとめてみました。


 現代社会は多くの問題を抱えています。その多くの問題は、「コトバ力」の乱れや欠如が原因と言えるのではないでしょうか。価値観が多様化し、「コトバ」によって成立する文化や社会が変化して来ているとは言え、ほころびが社会問題として現れている事に目を背ける事は出来ません。
 相手と相互に分り合おうとする力が少なくなり、重い意味を持つ「コトバ」が軽んじられてしまった結果、陰湿化・深刻化したイジメ。
 自分の感情をきちんと「コトバ」に表現できなくなり、同時に人の言う事に耳を傾けられなくなった結果、キレて凄惨な事件を起こす若者。
 顔が見えない文字だけのコミュニケーションに依存し、限られた他者とだけの関係性を持つようになった結果、心ない一言に傷つき立ち直れなくなる人。
 無数にあふれる情報に埋もれ、どれを信じたらいいか混乱してしまった結果、だまされて大きな被害を被った消費者や高齢者。
 積極的に英語を勉強して来たにもかかわらず、話す・表現する場があまり無かった結果、外国人から「コミュニケーション下手」のレッテルを外してもらえない日本人。
 1000年以上にわたって育まれて来たのに、無意識に目をそらされてしまった結果、正しく運用されなくなってしまった日本語(と日本文化)。
 思いつくだけあげてみましたが、僕が思うにこれらの変化や問題は、コトバと切り離して考える事が出来ない事柄です。そしてもっと沢山の「コトバ」に関連した問題があるはずです。

 「コトバ」は怖いものです。人を不快にさせ、人の心を傷つける。人と人との衝突を招き、人をとんでもない凶気に導く。人の尊厳を奪い、人の権利を奪い、人の命を奪う。「コトバ」と付き合っていく事は非情に難しい事であると思います。
 しかしそれ以上に「コトバ」には素晴らしい力があります。人を喜ばせ、人を癒し、人を勇気づけ、人を励まし、人に手を差し伸べ、人を楽しませ、人に夢を与え、人に希望を与え、人を生かす。「コトバ」がプラスに働くと、それだけで大きな力を得るのだと思います。

 文化の構成要素のなかで、「コトバ」は重要な位置を示していると思います。言語それ自体は単なるツールでしかないから、変化したり滅んだりします。ですが、人間が「コトバ」を使うということ、伝えるという事の目的や効果は不変のものだと思います。
 他者とのつながりの中で生きている私たちは、自分とは容姿も考えも違う人と伝え合いつながり合わなければなりません。お互いが気持ちよく生活するためにも、「コトバ」のプラスマイナスをきちんと理解していく必要があるのではないでしょうか。その役割を担うのが教育だと強く感じるのです。子どもたちが初めて触れる集団である家庭、初めて触れる社会である学校。そうしたところでの人と人との「コトバ」によるつながりを身につける事に重要性を感じるのです。

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