4月16日と17日の2日間に渡って、石巻市に行ってきました。第1編では、前日に何を準備したか、そして当日到着するまでにどんなルートをたどったか、などを書き出します。
再掲ですが、読む前にご留意いただきたいのは、このレポートは、たった1泊2日しかしていない大学生の見方で書かれたものです。ですから、これが現地のすべてではありません。しかし、現地に赴いた僕にとって、実質36時間程度の間に見聞きしたことは、今のところ僕の頭の中では「すべて」なのです。ですから、そうした書き方になっていることをご了解ください。
0.プロローグ 〜どうして行ったのか〜
1.準備したこと、そして必要なこと ←いまここ
2.津波を受けた街を目の当たりにして
3.泥かきの体験と「ありがとう」
4.フットベースと下ネタ
5.石巻のボランティアセンター体制
6.被災地の通信の状況
7.「それどころじゃない」という事実
8.避難所を回ってみて
9.メッセージと勇気を届けること
10.エピローグ 〜何を得たのだろうか〜
「自己完結」が必須
震災復興支援ボランティアにおいて必要なことは、現地の被災された皆さんに迷惑をかけない、ということです。起きて、活動して、食って、寝る。そのサイクルはすべて自己完結すべきで、現地の物資に手を出したり、避難所にお世話になってはなりません。断水や停電は当たり前と思ったほうがいい、ということは事前に分かっていたけれど、やはり気を引き締めなければいけません。
自己完結型を目指す上で、確実にこれらは自分で準備しなければならないな、と思った物は以下の物です。
- 食事
- 水分
- 電源
- ガソリン
- 寝床
- 暖かさ
私は車の免許を持っていないので、ガソリンは直接私のマターではありませんでしたが、今回は車で行くということもあり、この点は気をつけるべきなのかな、と頭に浮かびました。
以下、それぞれの物について、何を準備したかを書きだします。そしてそれらが実際どうだったかも、併せて書き出します。
食事と水分
ここが一番の準備どころだと思ったのが食事と水分です。1泊2日(実際には金曜深夜発の日曜終電間際着)という短いスケジュールですが、この期間の食事と水分はすべて持って行こうと思いました。
そうだ、その前に、荷物をどうやって持って行くかについて。1泊2日だから、キャスター付きキャリーバック(3泊4日向け)で行こうと思いました。開けた時、半分は服、もう半分は食料、という感じを想定しました。そして実際、準備した食料は、キャリーバッグの容積の半分を占めました。
出発日の金曜昼の時点で、スーパーでパートをしている母親に電話でランチパックありったけとお茶2Lの購入を頼んでおきました。食事をするタイミングは朝・昼・晩として、それが2日分。1回の食事に1パックとして6パック頼んでおきましたが、併せてジャムマーガリンのコッペパンも3つほど頼んでおきました。実際にはすこし多めに買ってきてくれました。
水分に関しては、2Lのお茶ペットボトル。これがだいぶ荷物のかさをとりました。洗面用の水は以て行きませんでした(洗面関係は別途記載)。ただペットボトルを持っていっても、小回りが効かないので愛用のマグを持って、都度充填する感じにしました。このマグは、スタバのショートサイズがちょうど入るくらいです。
実際、どうだったか。予想外におなかが減って、一時は足りなくなるかと思いましたが、7パックくらい持っていったランチパックは、現地を離れる時点で2パック余り、またお茶も半分以上残っていました。その理由は、腹が減っていなかったからではありません。もっと別の理由です。
理由一つ目は、ボランティアセンターで朝の炊き出しがあった、ということです。これは別途書くつもりですが、ボランティアセンターでは夕方も朝もうどんの炊き出しがあったのです。僕は実際のところ、朝の炊きだしでミートスパゲティとバナナをいただき、また長尾彰氏お手製のみそ汁ラーメンをいただいたため、2日目朝にランチパックを消費することはありませんでした。
理由二つ目は、コンビニが開いていた、ということです。実は2日目のお昼ご飯はコンビニに行きました。おにぎり、サンドウィッチなどなど、震災前の地元のコンビニのお昼時でも見かけたことのないような在庫量でした。実際私は、ランチパックがあったのでそれを食しましたが、それでもファミチキとパックのコーヒー牛乳を購入しました。コンビニだけじゃありません。ボランティアセンターでは、なんと自販機も稼働していたのです。ただ、残念だったのは、コンビニにペットボトルの炭酸飲料在庫がなかったことかな…
そんなわけで、実は石巻市においては(おそらく中心市街地だけでしたが)、食事はなんとかなる様子でした。ただ、いつなくなるか分からない状況であることと、ボランティア活動は移動を伴うことを考えると、できるだけ用意して持って行くことが推奨されるかもしれません。何度も言いますが、コンビニや炊き出しの食料は、ボラセンでの支給は別として、被災者が優先されるべきものです。
それから、暖かい食べ物を食べるということは、それだけで心が温まります。だから現地での炊き出しには需要があるのでしょう。とある避難所でヒアリングをしている時に、女の子がチョコのランチパックを食べているのを見ました。予想するだに、おそらく保存のきく食料はあるようです。しかし、そうしたものばかりでは「飽きる」のでしょう。この「飽きる」という感情、不謹慎と言われるかもしれませんが、この感情こそ、モチベーションの面で大敵と言えるのではないでしょうか。
ガソリン、そして車と交通
ボランティアに行こうとした場合、ネックになることの一つが交通だと思います。どのようにして現地に行くか。私は車はおろか免許も持っていないので、現地入りする上でハードルが高かったのです。今回、プロジェクト結のオトナのみなさんがレンタカーを借りて行くということだったので、現地入りが実現できたのです。
さて、自家用車じゃダメなのか、ということ。なぜレンタカーなのか、ということ。これには訳があります。自家用車で行った時に、津波が来てしまったら。海水に車が流されてしまえば、それ以降使い物にならなくなる、ということです。レンタカーならば、事故のことを想定してレンタカー会社も保険をかけています。しかし個人の車だと「もしも」に対応できません。
また、レンタカーのなかでもハイブリッド車が望ましいようです。理由は簡単です。ガソリンを食わないからです。実際、今回の行程では、ハイエース、ノア、プリウスの3台で現地入りし、プリウスは日帰りメンバーと共に帰りましたが、往路ではプリウスに乗りました。三浦半島で満タン状態だったプリウスが、私が合流した埼玉・羽生の段階で1コマ、途中寄った栃木・那須高原SAでも2コマ、給油した宮城・菅生PAでようやく半分に減った、という感じです。それほど、かなり燃費がいい。
現地での活動に際して、スコップや土のう袋などを運ぶことを考えると、ワゴン車の方が望ましいので、何とも言えません。しかし、ワゴン車の方も、宮城・菅生PAでの満タン給油で、なんとか2日間持続しました。とにかく、行きの高速道路で出来るだけ目的地に近いところで給油することは必須です。震災後すぐはガソリン不足が続きましたが、現在では高速道路では給油制限はないようです。
給油ですが、満タンで出発→行きに宮城・菅生PAで給油→現地活動→帰りに福島・安達太良SAで給油、でした。全体のルートですが、東北道を走り、仙台宮城ICの手前のジャンクションで仙台南部道路に折れ、その後仙台東部道路に入り、そのまま三陸道の終点「石巻河南」で降りました。
レンタカー代、ガソリン代は本当にかさみます。今回はありがたいことに交通費はプロジェクト持ちになりました。しかし、これで高速代がかかると大変ですよね… しかし、震災復興支援に関しては、高速代はかかりません。タダで通行できます。もちろんそれには申請が必要ですが、市役所などで震災復興支援のための緊急車輛通行証を得れば、通行料金がかかりません。その通行証を得ることももちろん必要ですが、できれば車体に「震災復興支援」である旨が分かるような掲示が欲しいです。今回は、マグネットシートに「震災支援」という文字をビニールテープで貼っていきました。
車の必要性は現地でもひしひしと感じました。JR石巻線は止まっていますから、現地入りはかなり制限されます。しかも、車社会であることはすぐ分かる町並みでしたから、移動して作業するためには車は必須です。ボランティアの方々のなかには、歩いて移動する人も見受けられましたが、やはり車は必要のようです。
しかしながら、後述するボラセンのすばらしい対応のおかげで、どうやら車がなくてもボランティアには行けるようです。これは帰ってから調べたことなのですが、仙台行き高速バスは復旧どころか臨時便も出ています。そして、仙台−石巻間の高速バスも臨時便を含めて出ています。さらには、その高速バスは石巻専修大学まで伸びているので、ボランティアセンターまで行けるのです。また、市内では路線バスが復活していました。道路の状態は別の章に譲りますが、ここで言えるのは、決して道路がすべて通りやすくなっているわけではないということ、そして「支援渋滞」とでも言えるような渋滞が起こっていることです。
寝床と暖かさ
これも、被災地入りする上でネックになりやすいことです。どこで寝泊まりをするか。すでに述べた通り、自己完結が鉄則ですから、避難所に寝るわけには当然いきません。しかし、そうでないとするとどこに拠点を置くのだろうか、という謎が発生します。石巻は、石巻専修大学の協力により、ボランティア用のテントサイトがあるというのです。このことを事前に聞いていたため、寝袋を用意しました。しかし、私の父が持っている寝袋は夏用で薄手だったので、寒さには不安がありました。幸い、バイト先の学習塾の塾長が、コールマンの毛布を貸し出してくださいました。この毛布があったおかげで、風邪を引かずに帰って来れました。
テントは4張、長尾氏と中川氏が用意してくださいました。しかし、そのうち2張が使えなくなりました。なぜなら、強風でつぶされたからです。現地では、午後から強風が吹き荒れます。それが夕方・夜になってもやまず、2張が飛ばされました。飛ばされないようにする工夫が必要ですね。長期滞在している方のテントには穴があいているそうです。
テントサイトがあることはすごく幸せなことです。しかし、テントのセット(寝袋とアルミマットも含む)を新たに準備するとなると、コストがかかります。NGOピースボートが大型バスで多くのボランティアを石巻に派遣していましたが、彼らもテント宿泊で、自分でテントを用意していました。参加費はバス代一部負担の2500円だと聞きましたが、それ以外にもコストがかかっているに違いありません。
寒さについて考えると、夜が寒かったです。もちろん日によって異なるのでしょうし、これから暖かくなるでしょう。しかし、夜は本当に寒かった。重ね着をして毛布をはさんで寝袋に寝てテントで風よけしても寒い。現地の桜は5分咲きです。それがある意味で寒さを物語っていますね。脱ぎ着をして調節が出来る服装を心がけた方が良いでしょう。
暖かさというネタで言えば、風呂はどうするか、ということ。私たちは1泊2日でしたから、風呂に入ることなどありませんでしたが、これが長期ボランティアとなるとどうでしょうか。10日入らないのは当たり前とも言われていますが、石巻の住民のなかには、自宅の風呂をボランティアに開放するということを申し出る方がいるようです。これは、ボランティアにとって非常にありがたいことではないでしょうか。
電源について
「情報は命綱」これが、私の研究者からいただいた助言です。こりゃiPhoneを常に手放さないようにしなければいけないだろうか…ただでさえ私のiPhoneは24時間以内にへたってしまいます。それに、電気が止まっている可能性もあり得るので、電源対策は十分にせねばな、と思っておりました。そこで、もともと持っていたスティック型エネループに、さらに電池2本を買い足して持って行きました。
実際はどうだったか。レンタカーに分乗したのは先ほど書いた通りですが、心優しい結のメンバーの方が、シガーソケットに差し込むタイプのiPhone充電器を持ってきてくださいました。それで2回くらい充電したので、電池マークが赤になって焦ることはありませんでした。
ボランティアセンターにも、「ケータイの充電どうぞ!」というACアダプタがありました。しかし、今になって思うのは、電気が通っているから出来ることであり、しかもボランティアセンターは石巻専修大学という大学の施設であり、しかも石巻専修大学が【好意で】施設を貸し出しているわけだから、そのことをきちんと認識しなければいけないな、と思いました。
ちなみに、電気についてですが、信号機のいくつかは未だに灯っていないものの、訪問した避難所の多くは電気が開通していました。部屋でテレビを見たり、子どもがPSPでモンハンで狩りをしたり、などが普通に行われていました。
作業をすること、そして身を守るために
現在のところ、医療関係など技能がない限り、個人登録ボランティアは多くの場合泥かき作業が一番需要があると思って差し支えないでしょう。そうすれば、外で汚れる作業をすることになるわけですから、軽い格好をして行くわけにはいかないでしょう。当然、汚れていい服をチョイスすべきです。私は、つなぎをもっているので、それを着ました。
靴ですが、長靴が望ましいです。また、手袋も軍手もさることながら、ゴム手袋の方が望ましいでしょう。どちらも、水を通しにくいのですが、おそらくそれが重要なことです。津波の水が残っている場所で作業をする場合、その海水には重油が含まれています。泥かきの泥も、いわゆる泥ではなく、砂と重油が混ざった粘土状の物体を出します。手肌に触れると何が起こるか分かりません。ですから、履物は洗い流せる長靴で、手にはめる物は使い捨てできるようにしましょう。それは、作業効率においても必要であると同時に、自分の身を守ることになるのです。
ただ、ビニール手袋にも欠点がありました。後述する泥かき作業の時にガラスに触れてしまい、ゴム手袋がサクッと割け、刺し傷を作ってしまいました。一緒にいたチームの方が消毒と絆創膏処置をしてくださいましたが、それはすぐに行うべきでした。帰ってから見た情報によると、現地で作った傷が破傷風になるというのです。ですから、応急処置ができる物は持って行くべきですし、また洗浄用の水も必要だったのです。
身を守ると言えば、必要なのはマスクです。なぜならば、津波の被害を受けて崩れてしまった街では、家のがれきなどによって、通常よりも多くの粉塵が舞っているのです。しかもそれらの粉塵には有害な物質も少なからず含まれていると言われています。その物質のせいかどうか分かりませんが、肺炎が流行っているらしいです。とにかく、ホコリっぽい。ですから、吸わないようにする工夫もそうですが、拭き取る工夫としてのウエットティッシュも必須でしょう。
以上私は、作業のしやすさと身を守る観点から、以下の物を持参しました。
- つなぎ
- ゴム手袋
- 長靴
- マスク(快適ガードプロ)
- ウエットティッシュ(除菌タイプ)
- 絆創膏
- タオル(汗を拭くために)
子どもと接するにあたって
子どもたちと接する場面を多く持つという想定は、プロジェクトの趣旨から考えても想像に足ることでした。問題は、どのように子どもと接するか、何をして遊ぶか、ということです。おそらく外遊びのためのボールは誰かが持って行くだろう。そうすると、僕には何が出来るだろうか、と考えました。そもそも運動は得意ではないし、どちらかといえば「勉強のお兄さん」のような立場で子どもと関わることが多かったので、何を持参するかには迷いました。
結果的に持参したのは以下の物です。すべて購入でした。
- スケッチブック
- 落書き帳
- クレヨン
- 折り紙
- トランプ
折り紙とトランプは、遊び方を大して考えずに、ただモノだけ持っていきました。行きの車中で考えたのは、遊び方のことです。「ああ、折り紙の折り方をネットで調べて印刷してくれば良かった」と後悔していました。なにせ鶴しか折れないもので… しかし、ツイッターで遊び方を募集したところ、知り合いの研究者から「むしろ子どもに遊び方を聞く」というスタンスを助言いただきました。折り方を教えてもらう、遊び方を教えてもらう、そういうスタンス・心構えを持った状態で現地入りしました。
結果的には、これらすべて、未使用のまま帰ってきました。その理由は二つ。一つには、外遊びをしたので中遊びの時間をとらなかったからです。もう一つの理由ですが、これは別のところで詳しく書きますが、持っていったこれらの品が、すでに避難所に潤沢に用意されているからです。もちろんこれらの購入物はどちらにしろ自分が使うので良いのですが、分かったこととしては、あえて持っていかなくても、すでにそれなりに用意されているんだ、ということです。
用意周到? 身軽さ?
かなり長くつらつらと書き記してきましたが、ボランティアに行く準備をどうすべきかということについて、私なりの考えを書くとすれば、用意周到にすべきか身軽さを求めるべきかで言えば、私は用意周到にするべきだと思っています。
もちろん身軽さは必要です。そして、支援物資を持っていくか否かという点については、十分ニーズ情報を把握した上で、極力身軽に行くべきかな、と思いました。で、なければ、持っていった物が無駄になります。車で行く場合にも、全体の重量が軽い方が、よっぽど燃費もいいと考えれば、身軽に越したことはありません。
しかし、自分の身は自分でなんとかし、守るべきときは自分で守るんだ、ということを意識すると、それを実現するための装備は、あってしかるべきなのではないでしょうか。食料に関してだけ言っても、なんども触れた通り、基本は被災地に住む人を優先するべきですから、そのことをきちんと想定していく必要があるのだと思います。
プロジェクト結の会合の席で、長尾氏がとある写真を見せてくれました。1台あたり10Lしかガソリンが支給されない中で、車が並んでいる光景です。間違いを探せ、といわれ、見たところ、発見したのは、品川の”わ”ナンバーの車です。前の車は宮城ナンバー。つまり、被災地のみなさんにとって必要なガソリンをその車が得ていたということです。”わ”ナンバーはレンタカーですから、明らかにボランティアだと予測がつきます。これは悪いこととは言えないのも実情です。なぜならその車も、被災地支援にとって重要な役目を果たしているからです。しかし一方で、それでは本末転倒ではないか、ということも言えます。
いずれにせよ、自分の身の安全と処遇をきちんと確保できてこそ、初めて人を支えようとすることが出来るのだと考えれば、どんな物を準備するべきかが、ある程度見えてくるのではないでしょうか。
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