A→B
社会科学の研究において、Aが起きればBが起きるというモデルを特定し、それに併せた実験や観察を行うことは重要になる。KKVといわれる社会科学の教科書においては、「観察可能な含意」とやらが社会科学に置いては重要になるらしい。Aが起きればBはいつでも起きる、そういう知見はさまざまなことに応用できるだろうし、そもそもAならばBというパターンの発見は面白い。
そして、このA→Bのパターン発見は、くだらないものになればなるほど面白い。
最近の私の持論は、長距離通学が所以で発見したもの。「宇都宮線直通の湘南新宿ラインに新宿駅から乗った時に、鳩サブレの袋を持ったおばちゃんがいたら、その人は池袋駅で降りる」という仮説。これは、私の経験した数少ない事例においてはほとんど成功している。ついさっき、「おばちゃん」ではなく「二人の男性の若者」でこの状況に遭遇したが、これは成功しなかった。ちなみに今、赤羽を過ぎ大宮駅に向かっているが、未だに降りていない。
そういえば、と思い出してみると、実は小学校時代から、くだらない仮説を立ててはそれを論考していた。小学校3年生の頃の先生は、かならず児童に作文を書かせる宿題を出していた。かならずコメントを付して添削していたからすごい。ちなみにその先生は僕が小学校四年生の時に妊娠して担任を離れたが、その時に生まれた双子は今中学1年生だ。感慨深い。話がそれた。どんな因果関係を論考していたかというと、こんなのだ。
筑波山はダイダラボッチが座ったために男体山と女体山ができたが、出来上がった2つの山の頂上の高さが異なるのはなぜか。
なぜ東京駅より新宿駅の方が乗降客数が多いのか。
今考えれば、その論考は稚拙であっても、そもそもそんなことを論考していた自分がびっくりである。その頃から、小難しいことを考えるのが好きだったのかもしれない。また、前者の論題を見れば分かるが、僕は案外小さい頃から奇想天外なアイディアを持っていたのかもしれない。だいたい、筑波山にダイダラボッチが座ったなんてことは神話上の話なのに、それを作文の題材にしてしまうのだから自分でもビビる。
もうすこし、筑波山論考の話をしよう。今でも覚えている。小学校三年生の遠足は筑波山の山登りである。筑波山は西側に位置する男体山(標高871m)と東側に位置する女体山(標高877m)から形成されているが、こうなったのはだいだらぼっちが筑波山に腰を下ろしたからだというのを行きのバスの中で聞いた。ではなんで標高が異なるのだろうかと考えたわけだ。作文の冒頭では、もし腰を下ろしたときに中心で腰を下ろしたら絶対に標高は男体山と女体山で同じになるはずだと考えた。しかしそうではないとすると、考えられることは一つ、だいだらぼっちは山の中心に腰を下ろしたわけではない、ということだ。ではなぜ山の中心ではなく少しずらして腰を下ろしたか、それは「中央に座るとケツの穴が痛いから」だ。我ながら稚拙だ。
しかし、そのクオリティは別としても、こんなことを考えていた時期があったことに驚きだし、件の「湘南新宿ラインで鳩サブレの袋…」を現在でも仮説検証するあたり、僕自身は変わっていないのかな、なんて思ったりした。そんなわけで、もうすぐ久喜だが、若者たちはまだ降りない。
ピンバック: 学部生活1年分を電車で過ごした学生の「長距離通学の条件」 | enshino Archive
@arisa_takao 12年前に書いた過去記事のことを思い出しました。
https://t.co/Yi44foRO2l