上記は、もっちブログからの引用である(「優しさが、人の心を刻む」)。彼の紡ぎだす言葉のセンスにはいつも脱帽する。
誕生日ポストは僕の場合、「何事もなく過ぎ行く21歳の夜」みたいな思考をしたことがある。僕は誕生日になると、特にここ数年は、家族の存在を思い出すことが多い。そんなときくらいしかないのが正直なところであるが、それは誕生日みたいな日が人生の節目だからかもしれない。人生の節目の思考といえば、かつて「【超長文】成人を迎えた自分を後で振り返るための備忘録」みたいのも書いた。成人式で高熱を出しながら考えたことだったっけ。
考えてみると、誕生日や成人式や、入学や入社は多くの人にとって迎えるものなんだろう。しかし、卒業や退社を例外として、だいたい人間の節目は、迎えるものとして捉えられつつ、終わりについて考えることはそうそうないだろう。まぁ、卒業と入学は接点があるものだから、卒業に際して終わりを意識し、入学とともに始まりを意識するのだろうが、誕生日とか成人式とかは、それまでの年齢を過ごした1年間の終わりとか、それまで過ごしてきた未成年としての終わりとか、そういうのを意識することはあまりないだろう。強いて言えば、終わりに迫り思うのは、もっちが言うような「やり残した!」という焦りなのかもしれない。
かつてやけに大人びていた僕は、しきりに大人と同等の権利を持つことを欲していました。特に参政権、被選挙権ね。それが今、そうした大人の権利を持ち、そのかわり子どもという立場を捨てた。子どもの頃の僕は「よかったじゃん、これで選挙にも行けるよ、酒も飲めるよ」なーんて言うのかもしれませんが、実際はなんだか悲しいもんですね。子どもだったからこそ言えたこと、認めてきてもらえたこと、これからはそんなもの無い。さて自分はこれからどうやって成人した遠藤忍を確立していけばいいんでしょうか。
「【超長文】成人を迎えた自分を後で振り返るための備忘録」では、そんなことを言っていた。でも、最後の一文、成人した遠藤忍をどう確立していけばいいかは、まだ見えていないし、いや就活をしていると余計に見えなくなるんだと思うが。結局、ハタチはある種のブランド(もっちの言う通り)であり、真に大人の仲間入りかと言われれば、それを迎えるにはなかなか時間が必要なのかもしれない。つまり、ハタチに隠された可能性は無限大だけど、それはハタチの想像力が無限大なのであって、「おとなになったらできること」はハタチを迎えていきなりできるわけじゃない、むしろハタチから先の年齢でできるようになっていくのかもな、なんて。
僕は今年の6月で、年男で厄年の年齢になるのだが、その年齢の最後の最後になって、ようやく「会社人」となることでいわゆる「社会人」になる。まぁ、社会との関わりをもっている時点で人間はみな社会人だと思うけど。でも、一般的なイメージで社会人=大人と捉えると、ハタチ=大人=社会人となるわけだが、はて私はこの3年ほどを社会人として過ごせただろうか、なんて思う。
今度また別に書うけれど、今僕は、お金をもらって仕事をするということにおいて、その一歩目をどう歩もうか、そして将来の自分のやりたいことは何なのかということを定めることにおいて迷いがある。その意味で、将来の可能性に対する妄想は、まだハタチの頃の方ができていたのかもしれない。
- 想いを言葉にすること
- ずっと学び続けること
- 外の世界とつながること
- 心地よい緊張をすること
- 親友を大切にすること
- 仲間と創りあげること
- だれかを幸せにすること
- 笑顔でいつづけること
- いつまでも続けること
- 感謝をすること
去年ハタチを迎えたある人に自分が贈った10のメッセージをここに示そう。これらは、自分にとってできていることなのだろうか。自分に当てはめて、それらができていないからこそ、他者にそれを求めたのかもしれないな、なんて思えば、それはおこがましいとも思うわけで。3つ歳が上だからといって、たったそれだけの年齢差そんなことが悟れるわけはないわけれど、今更ながらこれらの言葉の大切さを感じるわけで。
ハタチというブランドは、1年間しか有効ではない。今宵、それを終える大切な人が、そのブランドを失って、これから大人としての本当の進化を遂げようとしている時にあって、自分もそれに負けているわけにはいかない、と。その一方で、ハタチという特別さのなかで得たことというのは、忘れないでほしい、と。そういう自分は、ハタチの終わりをブログには残していなかった。
あの1年間に、自分はどんな期待と想いを抱いていたのか、少し忘れかけている。年を重ねることは忘れること、だなんて誰かが言っていたような。しかし、せめて特別な歳のことを後々に忘れないように、何が起こったのかを振り返るお手伝いができればな、なんて。
過去に執着するわけではないけど、過去があるから今があるということを重視する私にとって、迎えることよりも終えることを重視する機会があってもいいんじゃないか、なんて思ったりする。
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